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○ ライン河クルーズ・ハイデルベルグ (5/26)

夜中までうるさかったが、いつの間にか眠り5時過ぎに目を覚ます。いよいよ今日が最後の観光だ。天気も継続して晴れ のようで、ライン河クルーズを楽しめるだろう。

朝の散歩に出る。路上駐車で道が狭くなった小道を通り、昨夕歩いたネッカー川畔を上流に向かう。 日本語地図に「哲学者の道」と表示があるので川を渡らなければならないが行くことにする。 テオドール・ホイス橋を渡り坂道を登る。車も人も通らないレンガ壁が続く落着いた道だ。 京都の哲学の道とは違うが、さすが哲学者を輩出したドイツらしさを感じる。
高台からネッカー川を 見下ろすと対岸のハイデルベルグの旧市街地が朝日に輝き出した。まだ陰の部分に午後に訪れる ハイデルベルグ城がそびえている。
 
哲学者の道
朝日に輝く旧市街地
陰のハイデルベルグ城

ホテルに戻りながら橋を渡っていると4人の学生(?)がビールビンをラッパ飲みしながら大声で話している。 今日は祭日なので昨夜からコンパで盛り上がっているのだろう。缶ビールが売っていないのがよく分かった。

今夜はここで連泊なので荷物の整理も適当に済まし、7時から朝食。明日は出発が早くお弁当に なりそうなので ドイツでの最後の朝食になる。内容も良く、野菜もgood。
同宿の東京のツアーは30分早く出発している。8時出発でライン河クルーズにリューデスハイムに向かう。
バスの座席はメンバーが自主的に前・後と座るルールで、今回は一番前に座った。持って来た小さな梅干を マキさんとドライバーのリードさんにあげる。マキさんにリードさんはどうだろう・・・・と見ていると、 彼曰く「始めは少し甘いが後で酸っぱくなって来た。人生のようだ・・・」と。なかなかの哲学者だ。
メンバーの方の娘さんがドイツに音楽留学されており、今日は同行される。久し振りの親子の対面を 楽しまれたようだ。

1時間程度でリューデスハイムに到着し、乗船時間まで街の中心街である「つぐみ横丁」を散策する。9時50分 集合で三々五々狭い小道を登る。ライン河航路の港町として酒場が多く、「つぐみ横丁」にも居酒屋が 建ち並び、ワインの試飲が出来る。広場の片隅に珍しいポストがあった。
 
つぐみ横丁
居酒屋街
カラフルなポスト

集合場所に集まると祭日なので内外の観光客が乗船場に集まっている。マキさんから乗船券とライン河 クルーズの見所をピックアップしたプリントを配布され船を待つ。東京のツアーは随分後に並んでいる。

アルプスの源からロッテルダムで北海に注ぐ全長1320kmのライン川は、古くからドイツの重要な交通手段で あった。
沿岸には中世の領主たちがライン川を行き交う船に対し、通行税を取るために建てた美しい城が点在 している。
流域の斜面にはブドウ畑が広がり古城との景観は素晴らしい。

日本でも有名なローレライ伝説は川幅が狭く船の座礁事故が絶えなかったため「岩の上の乙女が
美しい声で水夫を誘惑している」と伝えられた崖だが・・・・

乗船する船はここが始発ではなく上流からやって来るのでプリントを反復しながら待つ。上流から観光船が 来たが、人が一杯乗っている。着岸し、少し人が降りたが乗る人の方が圧倒的に多い。
ガイドブックによるとデッキに登り、左側が古城が良く見えると。乗船してデッキに登るが既に満員で椅子は 残っていない。後に行くとプラスティックの椅子が積み重ねてある。これを取り出せば良いようなので、椅子を 左側の少し空いた通路に運び、周りの人に手振りで了解を得て座る。座席はgetした。
次々とデッキに登ってくるが場所がなく船室に戻る人もある。

10時15分発のクルーズ船は乗降客が多いので10時24分に出航する。右側のリューデンハイムの街の高台はブドウ畑 が、広がり1871年のドイツ帝国統一を記念したニーダーヴォルト記念碑が建っている。
川幅は思ったほど広くはなく、川の半分は浅瀬が多いのか狭い航路で船が行き交う。川の水は透明とは 云えず少し濁っているが水量も豊かだ。古くからのドイツの交通要路の意味合いが理解出来る。
川風が気持ち良く陽射しはきついが暑さは余り感じない川面を進むと最初の古城が見えて来た。元来は 税関用の塔だった川の真ん中に建つ白い「ねずみ塔」だ。
伝説によると10世紀の頃、無慈悲な司教がこの塔に閉じ込められ、ねずみに食い殺されたとか。
 
クルーズ船
ニーダーヴォルト記念碑
ねずみ塔

船内は古城が近付くにつれ、ドイツ語・英語・フランス語・日本語等で説明があるので分かり易い。さすが 観光のドル箱航路だ。右側のブドウ畑の高台に廃墟のようになっている13世紀に税関所として建てられた エーレンフェルス城が青空にそびえている。
次々と古城が現れる。左側の川沿いには鉄道が走り、その上に1900年頃完成したライン河畔で最も美しい 城の一つであるラインシュタイン城が姿を見せる。現在は元オペラ歌手が住んでいるそうだ。
ライン川のもう一つの顔である輸送ルートとして、貨物船が大きなコンテナ、鉄、木材等を積んで運ぶのに すれ違う。
 
エーレンフェルス城
ラインシュタイン城
コンテナ船

デッキの上は色々な国の人が会話を交わしている。周りにツアーの方が数人居られるだけで異国情緒満点だ。 所々浅瀬があるようでブイを設置して航路の安全を図っている。
次の古城は11世紀に建てられたライヒェンシュタイン城で盗賊の巣窟となったため破壊され廃墟になっている。
川の左右には船着場の街が点在する。小さな街並みには教会がそびえ、ライン川の交通とブドウ畑を 支えているようだ。塔が見えて来た。ゾーエック城はライヒェンシュタイン城の守護城だったが、同時期に破壊され 廃墟となる。
 
ライヒェンシュタイン城
ライン河畔の小さな街
ゾーエック城

名も知らない古城が山の上に建ってる風景、河畔の集落を眺めながらクルーズを楽しむ。開放感満点だ。 やがて立派な教会の建つバッハラッハの船着場に着く。たくさんの人が降りてテーブルが空いたのでそこに座る。6人掛の テーブルで船縁に外人が座っている。
バッハラッハの街は中世にワインと木材の町として栄えたとか。高台には1689年に破壊されたシュタールエック城は 現在ユースホステルとして活用されている。
 
高台の古城
バッハラッハの教会
シュタールエック城

隣の外人が話し掛けてきた。ドイツの方でリタイアして一人旅をしている。妻は今も働いているとのこと。 ドイツの一般的なリタイヤ年令は60-65才だが、52才でリタイヤしたとか。今は60才でなかなかのハンサムで若く 見える。優雅な暮らしぶりだ。

川の中州に白い城が建っている。工事中だが、14世紀に建てられた税関用のプファルツ城で、急流の中に 建つ頑強な城で現在は資料館とか。
右岸のブドウ畑の高台には現在ホテルとして活用されているグーテンフェルス城がライン川を見下ろしている。
左岸には美しい城と云う意味のシェーンブルク城が優雅な姿を高台に現わす。現在はホテル・レストランとして再建 されており、ビクトル・ユ-ゴが「最も美しい廃墟」と賞賛したそうだ。
紺碧の空には飛行雲が美しく線を描いている。絶好の天気のライン河クルーズだ。
シェーンブルク城
 
プファルツ城
グーテンフェルス城
紺碧の空と飛行雲

ライン川は観光船で楽しむのも良いが、川沿いの列車やモーターボートで味わうのも良いらしい。高速のボートでは 水着姿のセレブが楽しんでいる。
青空とブドウ畑と古城と川の流れを満喫しながら進む。船内にローレライの音楽が流れ出した。右側に 大きな岩山が現れ、川は右側に蛇行し流れが速くなる。ここがローレライ伝説の場所だ。
岩の上に乙女が立っている像でもあるのかと思ったが、岩山の頂上に旗が翻っているだけだ。頂上は 展望台になっているのか人の姿がみえたが・・・・。少し期待はずれ。
メンバーの若い方にローレライの歌を知っているかと尋ねるが、学校でも習っていないとのこと。いつの時代 から歌わなくなったのか?
 
ローレライの歌

なじかわ知らねど、心わびて

昔の伝えは、そぞろ身にしむ

さびしく暮れゆく、ラインの流れ

入日に山々、赤く映ゆる

(ハイネの詩)

列車・観光船・モーターボート
ローレライの岩山

ローレライの難所を過ぎるとまもなく下船するザンクトゴアールだ。下船準備でざわつく右側に1371年に築城された 猫城が建つが1806年フランス軍に破壊されている。
ザンクトゴアールの高台の上にはライン川最大級の城塞で、1245年に建てられたラインフェルス城が堂々と建っている。
予定の11時55分から15分遅れて、12時10分に到着した。ドイツ人に挨拶して下船する。大多数の人が 下船するので時間がかかるが、降りた所でマキさんにバスに急ぐように誘導される。
 
猫城
ラインフェルス城
ザンクトゴアールの船着場

東京のツアーより早くバスは出発し、昼食するレストランに向かう。丁度、先程通ったローレライの岩山の真前の レストランだ。誰も居ない2階の窓側を占領して、飲み物のオーダーを素早く行う。
レストランから見たローレライ
ローレライの標識

マキさんがテキパキと指示された理由が分かった。ウエイター・ウエイトレスが少なくてビールもなかなか来ないのだ。 新婚さんと同席して乾杯。料理はスープ・ジャガイモ丸ごと・マス一匹・アップルパイで久し振りの魚料理に 満足する。
東京組も同じ2階だが、景色が見れず、飲み物もなかなか来ないようだ。ナイス・マキさん!!

食後、13時30分の出発までローレライを真近に眺めながらライン河クルーズを反復する。


バスは最後の観光地であるハイデルベルグに戻る。マキさんよりハイデルベルグについて説明がある。
1386年に設立されたドイツで一番古いハイデルベルグ大学がある学生の街で、7名のノーベル賞受賞者を 生み出している。
1300年頃建てられたハイデルベルグ城は5世紀に渡り様々な建築様式で拡張され、17世紀の30年戦争で 破壊されたが、旧市街地は戦禍を逃れ19世紀の面影を残していると。

ハイデルベルグ城を訪れ、主要な場所を見た後、16時20分集合で自由行動となる。
メンバーのS夫人から提案があり、マキさんへ一人1ユーロを持ち寄って、感謝の気持ちのプレゼントをしようと。 全員賛同し、次の自由行動時に品物を選ぶことになった。

赤茶けたレンガ造りの廃墟が青空に映えて美しい。城内を歩く。立派な塔もそびえ昔の栄華が偲ばれる。 エリザベート門は王様が愛する王妃に毎朝通る散歩道に一夜にして建ててプレゼントした一夜門とか。
 
ハイデルベルグ城の廃墟と青空
エリザベート門
エリザベート門のプレート

エリザベート門をくぐり、城に向かう。強い陽射しにレンガ色が印象的な堂々とした造りだ。中にはは入れ ないようで、横の酒蔵に進む。部屋一杯に大きなワインの大樽が鎮座している。1751年に作られた22万 1726リットルのワインが入り、横には酒豪のペルレオが人形として酒の番人をしている。 壁にはこの樽を設計したコンパスとカンナが飾られている。
ネッカー川を見下ろすテラスに行くとハイデルベルグの旧市街が一望できる。川の流れと赤茶けた建物と カール・テオドール橋が遥かに望める。そよ風を受けながら美しい景色に見惚れる。
 
ハイデルベルグ城
ワインの大樽
旧市街地とカール・テオドール橋を望む
 
ハイデルベルグ城の廃墟塔
酒の番人とコンパス
ハイデルベルグ城と塔

定刻に全員集合し、旧市街地に向かう。今日は「聖体祭」という祭日なので人が一杯だ。ネッカー川の カール・テオドール橋の側でバスを降りる。カール・テオドール橋はネッカー川に架かる最古の橋で185m。きれいな姿を 川面に映し、橋は歩行者専用となっている。橋の上からハイデルベルグ城が見上げられ、美しい姿を緑の 森の中に浮かび上がらせている。
市庁舎は大きなマルクト広場に面しており、1701年に建てられたそうだ。 賑やかな通りを進み、雑貨屋さんに寄り、土産物を物色する。
幹事役の方がマキさんへのお礼のプレゼントを買われたようだ。
 
カール・テオドール橋
橋からハイデルベルグ城を展望
市庁舎

18時この店の前集合で自由行動となる。今回のツアーは自由時間がたくさんあるので余裕が感じられ 嬉しいスケジュールだ。
陽射しがきつく、30℃はある街を散策する。暑いのでソフトクリームをなめながら歩く。精霊教会の82mの 尖塔が街並みの方々から見られる。
街並みに溶けるようにハイデルベルグで最も古い騎士の館が建つ。1592年に建てられたルネッサンス装飾で現在は ホテル・レストランになっている。
しかし暑い。早めに集合場所の陰で休憩する。
 
精霊教会を望む街並み
精霊教会の塔
騎士の館
陽射しの街並み

さあ、観光は全て終わった。バスで最後の夕食となるレストランに行く。
レストラン

店の前には太った老婆がマキさんを ハグハグしながら迎える。メニューはドイツ名物のソーセージだ。生ビール1杯はサービスとのことで、全員で乾杯する。 美味い!!。
スープ、白菜・大根・芽キャベツのサラダ、ポテト、干し大根、ソーセージ、ムースと豪華だ。追加のビールと美味しく いただく。
マキさんに幹事からお礼のプレゼントを贈る。ビックリしておられたが、初めてのことだと喜んでいただいた。 本当にご苦労様でした。そして、ありがとう!!

それぞれのテーブルで談笑が続く。天候にも恵まれ楽しい旅行だった。大きなトラブルもなく、メンバーの 方々との交流も楽しいものだった。
19時45分にホテルに戻り、最終の荷造りに取り掛かる。免税手続きをするものもないので、スーツケースの 重さを均一にする。
シャワーを浴びてドイツ最後の眠りに入る。


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