「飛鳥路散策」



○ 飛鳥路散策(2007.10.27)

春の「天王山・サントリー工場散策」時に秋は奈良に行こうとの話になっていた。
この「スイス・ドイツ旅行」のツァー仲間とのハイキングも8回目になった。海外旅行で一緒になった仲間が 帰国後、定期的にお会い出来ることは素晴らしいことだ。

前回の解散時に次回の幹事として、富田林のAさん、神戸のMさん、名古屋へ単身赴任中のTさんに 決まり、下見もしていただいた。8月には有志が集まって昼間から飲みながらの下打ち合わせをし、 「飛鳥散策」と決まり、当日の再会を楽しみにしていた。

天気予報がくるくると変わり、一喜一憂していたところ当日は雨後曇りと不安を残す予報で、曇り空の 中、8時30分の集合時間に合わせて近鉄阿倍野橋駅に向かう。
到着すると神戸のMさん、名古屋から帰宅されたTさん父娘、「スイス・ドイツ旅行」が新婚旅行であった 川西のK夫婦、堺のAさんと7名が揃う。
行程表....(Iさん作成)
京都からの4名と橿原神宮で合流することになっている。
幹事で飛鳥散策の下見までしていただいた、富田林のAさんは仕事のため急遽欠席となったのは 残念だ。

「吉野道・大峯奥駆道」散策時と同じ様に、駅の構内で弁当を調達し、8時50分発の急行で出発する。
車内では、春以来の再会に旅行の話やそれぞれの近況を報告しながら進む。天気は曇り空で大丈夫と 思っていると二上山を越えた辺りから小雨が降り出し・・・・。
橿原神宮で京都からの大津のIさん、京都のTさん、高槻のSさん夫妻と合流して飛鳥駅で下車。

飛鳥駅で京都からの皆さんとご挨拶。全員、元気な再会に笑顔満面だ。
大津のIさんから、以前散策された時の資料を事前にメールで送付していただいていたので、幹事さんの下見と その資料を参考に行程を進めることになる。

飛鳥・明日香には「熊野古道」紀行の一つとして「吉野道」を踏破する時に、サイトでご教授いただいた 飛鳥大好き人間の風人さんと奈良から飛鳥寺まで「中つ道」を歩いた。
その後、仲間の皆さんと飛鳥巡りをして、芋峠まで進み、その後は一人で吉野に到達し、「大峯奥駆道」に向かって以来の散策だ。
風人さんのサイト「飛鳥三昧」は飛鳥の 歴史を深く掘り下げ、風俗・自然・史跡等々凄い。飛鳥好きの方には必見のサイトだ。
(その時の紀行記は「「吉野道 No3」見聞録」「「吉野道 No6」見聞録」参照ください)

飛鳥駅観光案内所である「飛鳥びとの館」に立ち寄り、飛鳥観光パスポートである「飛鳥王国」(100円)を 購入する。map、解説、割引券が付いた優れもので、観光への努力が感じられる。
小雨が降る中、行程表に従って「飛鳥歴史公園館」に向かう。
少し紅葉が始まった野道を話しながら進むと菊の品評会が開かれている「飛鳥歴史公園館」に到着する。
中には大きな飛鳥の地図模型が展示されており、人が少ないので係員に詳しく説明していただく。 今日進む行程のポイントを説明してもらい概要を理解出来たのは有難い。

飛鳥びとの館
飛鳥歴史公園館
地図模型の説明

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

次に「高松塚古墳」に進む。小雨の中、緑がしたたるような公園を横切って「高松塚壁画館」への途中に 珍しいモニュメントが立っている。
よく見ると高松塚古墳の壁画に描かれている「四神の青龍・朱雀・白虎・玄武(亀と蛇)」を表している。 壁画の撮影が出来ないので、イメージとして観光客サービスなのだろうか。
「高松塚古墳」は、よく報道されているテントに覆われて保護されている。今は別の場所で発生したカビを 除去しているが、発見からの保存状況の問題が指摘されている。

パスポートの割引券を使って「高松塚壁画館」に入場する。(220円)
学術員から古墳の模型や壁画の模写(本物の様に見える)で、詳しく説明していただく。晴天で観光客が 多いとこうは行かないだろう。
飛鳥の西南、檜隈の里の文武天皇陵近くにあり、昭和47年に彩色壁画(国宝)が発見され一躍有名に なりました。被葬者についてはかなり高貴な人物とされています。
本物の壁画は修復中のため見ることはできませんが、古墳西隣には壁画館があり、極彩色の壁画の模写 や復元模型が見られます。(観光案内HPより)
壁画の模写は当時の彩色が残って見事なものだ。西の壁には「男子群像・月像・白虎・女子群像」、 北の壁には「亀と蛇を形取った玄武」、東には「女子群像・日像・青龍・男子群像」が描かれ、 南側は盗賊が穴を掘ったために「朱雀」、天井には星座が描かれていたと。


館内の撮影が禁止されていたので、パンフレットの写真で思い起こすしかないのは残念だが仕方ない。 副葬品等をじっくりと見学して充実した気持で退出する。
元来た道を戻って、公園を歩いていると可愛いごみ箱を発見してパチリ。風景に合致した可愛いものだ。

壁画の四神モニュメント
高松塚古墳 説明
可愛いごみ箱

「飛鳥歴史公園館」に戻ってバスで「石舞台」に向かう。幹事さんの時間配分がバッチリで効率的に進むことが 出来た。バスも空いていて小雨模様の天候に感謝だ。
「石舞台」のバス停に着くと雨が止み、無人の野菜売場で柿を買い、近くの売店で昼食用のビールを求めておく。

以前に訪れた時は無料の記憶があったが、「石舞台」に入るのは有料で、パスポートを使って入場する。(220円)

〈6世紀末〜7世紀前期〉月の夜、狐が美女に化けてこの上で舞ったという言い伝えがあります。外から見ても、 中をのぞいてもその大きさには圧倒されます。(観光案内HPより)
「石舞台」は、通説では蘇我馬子の墓とされているが、考古学的に証明されたわけではなく、 一辺の長さが約55m、高さ約2mの大きな方墳で、巨石を組み上げた両袖式の石室は、全長約19m。
玄室長は約7.7m、幅約3.4m、高さ約4.8mの巨大なものだと。


「石舞台」を遠くから見ても巨大な古墳だが、間近に行くとその大きさが実感出来る。横に立つ人が本当に 小さい。周辺を歩きながら古人の墓を通して、その権力、作り方を想像する。
石室の中に進むと丁度、年配の女性ボランティアの方が手書きの資料や図を示しながら説明されているのに 遭遇する。薄暗い石室の中で熱心な説明を聞いていると神秘的な感じだ。

石室内部も広く、この真中に石棺が置かれていたのであろう。大きな岩の間から射し込む光だけの静かな 世界だ。丁寧な説明の声も雰囲気に合っている。
晴れた日だと、岩の間からの光も強くて違った感覚になるのだろうと想像しながら外に出る。

石舞台 説明
ボランティアの説明
石室から外を

丁度、お昼時となった。
幹事さんの計画では、本来なら「石舞台」の周辺の芝生の広場で昼食の予定だったが、雨は止んでいるが 芝生は濡れている。
近くに屋根のある舞台の様な建物があるので、そこで昼食にする。

このメンバーの昼食は毎回楽しいものだ。堺のAさんからビール・日本酒の差し入れがあり、全員で乾杯。 弁当やお菓子・果物も分け合っての大宴会(?)で会話が弾む。
「スイス・ドイツ旅行」から何年・・・との話で、川西のKさんが新婚旅行だったのでよく覚えておられる。 この会合がいつまで続いても「あれから何年」の回答は間違いないだろう。

昼食の合間に、次回の計画を話し合う。来年春、4月第2土曜日に、前回のサントリー工場巡りの経験から 次は日本酒でと云うことにと、「伏見散策」に決定する。幹事は京都のTさんにお願いし、 まだ桜が残っているであろう伏見を楽しむことにする。楽しみだ!!

「飛鳥散策@(出発〜昼食)」の「紀行スライドショー」


雨上がりの飛鳥路をノンビリと歩く。小さな丘が点在する飛鳥の盆地を上ったり下ったりしながら 「飛鳥寺」に向かう。
稲刈りの終わった田圃には藁が束ねて立てている。地方によって藁の干し方も千差万別なのだ。 のどかな田園風景を楽しみながら、柿の実がたわわに稔った秋の風情を眺めながら進む。
田圃の真中に石組みの広場が見られる。これが「飛鳥浄御原宮跡(伝飛鳥板蓋宮跡)」の史跡だ。
伝飛鳥板蓋宮跡は皇極天皇の宮殿跡で乙巳の変(大化改新)のはじまりの舞台となった場所。 継続的に発掘調査が行われ、石敷の広場や大井戸跡が出土しています。 同じ場所で、宮殿の 遺構に数層の重複があり、上層は天武天皇の飛鳥浄御原宮の可能性が強くなっています。(観光案内HPより)

この辺りは藤原京の真中なのだと周囲を見渡すと、田園風景が広がり、ずっと彼方に大和三山の ひとつと思われる山が見える。広い様で狭い飛鳥の土地だ。
枝豆が植わっている畦の横を話しながら進む。

田圃の藁干し
柿の実
飛鳥浄御原宮跡 説明

雨上がりの湿った空気の中を気持ち良く「飛鳥寺」へ進む。

「飛鳥寺」は596年蘇我馬子の発願によって建立されたと伝えられる日本最古の仏教寺院。
本尊の釈迦如来像は「飛鳥大仏」の名で親しまれています。(観光案内HPより)
大仏は高さ約3mで、当時銅15ton・黄金30kgで作られたが、平安・鎌倉時代の火災で全身 罹災し補修されたと。


パスポートを利用して寺院に上がる。すぐ本堂で間近に「飛鳥大仏」に対面する。大仏と云うので もっと大きい仏像と思っていたが、3mと小さい。しかし、気品が溢れるお顔をしておられる。

お坊さんから説明を聞く。日本最古の大仏の存在を知り、遺跡でない飛鳥の歴史を学び、 納得する。
写真を写しても良いとのことで、「聖徳太子孝養像」(室町時代)や「阿弥陀如来坐像」 (藤原時代)を参拝し、撮影する。

本堂の中を巡る。中庭を眺め、境内を散策する。狭い境内だが、池や樹木も美しく、 日本最古のお寺をじっくりと味わう。

飛鳥大仏標石 説明
飛鳥寺・本殿 説明
聖徳太子孝養像
阿弥陀如来坐像

「飛鳥寺」の裏門から外に出る。雨上がりで霧がたなびく田園や山々が美しい。
すぐ前に「蘇我入鹿首塚」が立っている。
「蘇我入鹿首塚」は645年蘇我入鹿は中大兄皇子らのクーデター(大化の改新)によって暗殺されました。この時に 斬られた入鹿の首が飛んで来て落ちた所と伝えられています。(観光案内HPより)
先程通った「伝飛鳥板蓋宮」で切られた首がここまで飛んだとか。


当時の歴史を紐解くと面白いようだ。いつの日かゆっくりと読んでみたいものだ。
飛鳥寺と首塚の間に風人さんと歩いた時に立ち寄った休憩所「飛鳥の庵」があるが、生憎閉まっている。 ここのおばあさんの作る「わらびもち」は美味しく、楽しいひと時を過ごしたのに、残念だ。

再び、雨上がりの野道を「甘樫丘」に向かって進む。空が明るくなって来たので見晴らしは良いだろうと 想像しながら。
途中に「道しるべ」が2本立っている。いつもの習慣でパチリ。

蘇我入鹿首塚 説明
飛鳥寺を振り返る
道しるべ

「甘樫丘」への登り口に到着する。飛鳥時代の史跡が見渡せる丘の頂上を目指して歩む。
「甘樫丘」の頂上は標高148m。古代史の舞台となった藤原京跡や大和三山、遠くには生駒山、二上山、葛城山、 金剛山系の山並みを一望できます。観光案内HPより)

丘の頂上への階段にはボンボリが飾られている。夜には蝋燭が灯り、幻想的な雰囲気になるのだろう。
途中の「万葉歌碑」の所にボランティアの方が居られ、何か準備をしておられる。今夜は万葉集の朗誦で有名な犬養孝先生の 生誕100年記念行事として「甘樫丘で月を観る会」が開催されると。
犬養先生の授業は学生時代に受講し、先生に続いて朗々と万葉歌を唱和した。しかし、5時限目でクラブ活動の 時間に間に合わないので、2回程受講しただけだったのは、後から考えると残念なことだ。

万葉歌は「釆女の袖吹きかへす明日香風京を遠みいたづらに吹く・志貴皇子」の歌碑で、ボランティアの方の先導で 全員で万葉歌を朗誦する。飛鳥の地で万葉歌を朗する経験が出来、嬉しいパプニングだった。

甘樫丘登り口
ボンボリの階段
万葉歌碑

ボンボリの階段を登り切って頂上に到着する。曇り空だが見晴らしは良好だ。
先程の様に、雨が降ったり霧がかかっているとせっかくの景色も見えないのに、皆さんの精進が良いからだろう。
眼下に広がる「藤原京跡」を眺め、古き時代を思い起こす。遠くに大和三山(香具山・耳成山・畝傍山)を展望して ひと時を過ごす。

丘の上には今夜の月見の宴の準備が整っている。反対側の山から十六夜の月が昇り、見事な眺めと 話しておられる。山から昇る月光で、段々と遠くから明るくなり、山裾は真っ暗な光景は見事だと。
「大和三山」をバックに記念撮影をして、元来た道を下る。

畝傍山を望む
香具山・耳成山を望む
記念撮影

再び野道を「飛鳥資料館」に向かう。
途中、少し淋しげにコスモスが咲く光景を眺めているとポツポツと雨が降って来る。「甘樫丘」の時でなくて 良かった。
「飛鳥資料館」もパスポートを用いて割引料金で入場する。飛鳥の史跡・施設の入場料は京都等に比べると 安いので有難い。
前の庭には「亀石」のレプリカ飾られ、ユーモラスに迎えてくれる。「飛鳥資料館」には当時の都の模型が展示され 今まで歩いて来た所を辿りながら飛鳥の散策を反復する。
帰りのバスの時刻が近付いたので、資料館を退出してバス停に向かい、バスで橿原神宮駅まで行く。

コスモス畑
飛鳥資料館の亀石
都の模型


「飛鳥散策A(昼食〜解散)」の「紀行スライドショー」


少し天候には恵まれなかったが、そのために観光客が少なく、史跡では詳しい解説も聞け、万葉歌を朗誦 することが出来、楽しい「飛鳥散策」だった。
幹事さんのスケジュール設定に感謝だ。満足感に満たされて橿原神宮駅で京都と大阪に分かれるため解散する。
次回は来年4月に「伏見散策」となった。全員元気で再開することを約束して京都組みとお別れする。
阿倍野橋行きの電車では、今日の散策や今後の旅行計画について賑やかに話す。パリやカンボジアに近々 行かれると。大いに楽しんで!!







    
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