「伏見散策」



○ 「伏見散策」(2008.04.12)

昨年の秋、「飛鳥散策」を楽しんだ「スイス・ドイツ旅行」 メンバーの半年に1度の集まりが、春は「伏見散策」となった。
2005年5月に行ったので、旅行以来3年経つが、定期的にお会いしている貴重な集いだ。
10時に伏見の「御香宮(ごこうのみや)神社」に、それぞれの方が便利な交通ルート(JR・近鉄・京阪)で集まることになっている。
JRで高槻から京都に行き、大津のIさんとお会いして一緒に桃山へ。半年振りの再会だが、ブログで毎日の生活を拝見しているので、 身近に感じるのは情報化時代の表れだろうか。

桃山駅前には立派な「しだれ桜」が咲いていて、まだお花見が出来そうな感じだ。
「御香宮神社」への道は古い建屋も残り、伏見の風情を残している。5分余りで立派な「御香宮神社・表門」に到着する。
伏見には来たことはあるが、この辺りは初めてで、酒造りや川のイメージと違っていて驚く。

伏見の総氏神である御香宮神社には、その名の由来ともなった「御香水(ごこうすい)」が湧き出ています。
御香宮神社・表門 →説明
伏見はかつて「伏水」と記されていたように昔から良質の地下水に恵まれてきましたが、平安時代に境内から香り高い水が涌き出ました。
その名を「御香水」と呼ばれ、平安時代の貞観44年(862)、清和天皇より「御香宮」の名を受けたそうです。
本殿左手に湧くその水は、伏見の酒作りに欠かせない超軟水の水で、昭和60年に環境庁が指定した「日本名水百選」の 一つに選定されています。

御香宮神社は、日本第一安産守護大神・神功皇后を主祭神とする九神を奉り、旧伏見城の大手門を移築した表門、 徳川家康の再建と伝える本殿などが、豪壮華麗な桃山時代の面影を伝えています。
1868年(慶応4年)、伏見鳥羽の戦いに、当社は薩摩藩の陣営となり、大手筋をてだてて南の伏見奉行所の 幕府軍と戦いましたが、幸いにして戦火を免れました。(御香宮神社HP他より)

表門の前に堺のAさんが居られてご挨拶。 境内に入るとフリーマーケットが開かれていて、露天で開店の準備をしている。今日は神社の催しがあるのかと。
参道を進んで本殿に向かう。お宮参りの親子が多く、華やかな感じだ。
拝殿の屋根の下は彩色豊かで豪華な装飾が施されている。
拝殿の左に「御香水」が湧き出し、ペットボトル持参の方が列をなして汲んでいる。柄杓で飲むとまろやかな美味しい湧水だ。
これらが伏見の酒の素にになっているのだと納得する。
拝殿の横にはしだれ桜が満開で、ピンク色の花が目に飛び込んでくる。春爛漫の感じだ。

御香宮神社・拝殿 →装飾
御香水 →説明
満開のしだれ桜

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

水を飲み、休んでいると名古屋に単身赴任中の園田のTさん、高槻のSさん、今回の幹事役である京都のTさん、 川西のKさん夫妻、河内長野のAさん、神戸のMさんの総勢11名が集合する。元気な再会にしばし話が弾む。
卯月狂言会
幹事役のTさんが伏見に関連するパンフレットをたくさん集め、封筒に入れて配布していただく。感謝!!

拝殿の横に建つ「神楽殿」で狂言が始まり、「禰宜山伏」と云う題目を演じている。女性がお腹の中から声を出し、見事な 声量(?)と舞いで動と静を表現している。なかなか狂言を見る機会などないので、しばらく鑑賞する。
京都の学生やOB・OGによる「卯月狂言会」とのことだが、若い人が狂言を演じていることに驚くと共にこのような 発表の場所を提供する神社の姿勢は素晴らしいと思った。

「御香宮神社・本殿」の壁面は見事な極彩色で描かれている。これは徳川家康の命により京都所司代坂倉勝重を普請奉行として 着手建立され、全体の造り、細部の装飾ともに豪壮華麗で、桃山時代の大型社殿として価値が高く、重要文化財として指定されたと。

「伏見名水スタンプラリー」の台紙にスタンプを押すと「御香宮神社・庭園」が割引になるとのことで、スタンプを押し、庭園鑑賞に向かう。 庭園は「小堀遠州」が伏見奉行に命ぜられた時に造られたもので、出世の糸口となった庭園だと。
座敷から静かに新緑が美しい庭園を眺めていると心穏やかになる。秋には紅葉が美しいだろうと想像する。
座敷の片隅に「伏見の清酒」のラベルが額に入れて飾られている。さすが「御香水」の「御香宮神社」だと改めて感じる。 清酒の種類も多く、さすが伏見だ。

御香宮神社・本殿
御香宮神社・庭園
伏見の清酒のラベル

幹事役のTさんは色々と準備をしていただいたが、体調が優れないので近鉄の駅で、秋の再会を約束して握手してお別れする。 残念だが、企画の数々、感謝の極みだ。
Tさんと一緒に下見をしていただいたIさんの案内で進む。

まずは京料理の「魚三楼」に向かう。
幕末、新政府軍と幕府軍が衝突した鳥羽伏見の戦いでは、魚三楼の前・京町通に布陣した新撰組が、銃砲で武装した薩摩藩軍へ 白刃で斬り込んだといわれています。表の格子には当時の銃撃戦の弾痕が保存されています。(魚三楼HPより)
料亭の格子に生々しく当時の弾痕が残っているのを見て、この辺りの歴史が偲ばれる。伏見は平安時代から秀吉の開発を経て 幕末まで歴史的な史跡が多いのだ。この史実は知らなかった。
賑やかな大手筋商店街には「銀座発祥の地」の碑が建ち、銀の鋳造で賑わったのであろうと。
大手筋商店街は人通りも多く、各店も賑わっていて活気があるのは嬉しい。商店街の中に、伏見の地酒の試飲(有料)させる 店があるので立ち寄る。カウンターに座り、ご主人の講釈を聞き、お薦めの地酒を1種類or3種類飲める仕組みだ。下戸の方は パスされたが、好きな者は利き酒を楽しむ。

魚三楼の弾痕 →説明
銀座発祥の地の碑 →説明
伏見の清酒の利き酒

大手筋商店街から伏見の街並みの散策に向かう。造り酒屋が点在する街は静かで、板塀の建物と湧水が我々を 迎えてくれる。
人が集まっている所には湧水があり、ペットボトルやタンクに水を満たしている。「白菊水」は清酒・神聖の酒造りに 使われる「御香水」と同じ水脈だそうだ。
この間「青春18きっぷ」で訪れた福井県・越前大野や長崎県・島原、熊本県・阿蘇と湧水が豊富だった。今年の 春は湧水に縁のある名水を堪能する良き季節だ。

「黄桜酒造」を訪れる。中庭には外人観光客が楽しく語っていて、ギャラリーに入ると昔懐かしい、清水崑さん、 小島功さんの河童のユーモア溢れるCMの絵が展示されている。
中庭には「黄桜」と命名された黄色味を帯びた桜が植えられている。本当に黄色いのに驚く。売店で小さな清酒を 買い求めておく。

白菊水 →説明
小島功さんの河童の絵
黄桜

「竜馬通り」と呼ばれる細い商店街(?)には「龍馬館」の名前の土産屋が賑わっている。角を曲がった所に有名な「寺田屋」が 建っているが、その前は観光客で一杯だ。
一般には「寺田屋騒動」=「坂本龍馬襲撃」の認識があるが、その4年前に「薩摩藩の内紛(寺田屋騒動)」があったそうで、 薩摩藩士9名が亡くなったそうだ。
文久2年(1862)の寺田屋騒動は、島津久光は幕府に攘夷を迫るため、1千名の薩摩藩兵を率いて上京した。
寺田屋 →説明
九烈士の碑
この時藩の尊皇攘夷派の中でも急進派の有馬新七らは、それに乗じて決起しようとして寺田屋に集まった。
久光は、計画を中止させるために藩の鎮撫使を派遣し、説得して計画を中止するように命じた。
しかし、鎮撫使側は上意討ちの 許可が出ているために、急進派藩士の有馬新七以下数名を斬殺せんと及んだ為に、激しい剣戟を伴う乱闘になり、薩摩の同士討ち となった。

坂本龍馬の関係する事件は、慶応2年(1866)薩長同盟の締結した翌々日に薩摩藩士を装い宿泊していた龍馬と長州藩士を 捕らえようと、伏見奉行配下の捕り方が寺田屋を急襲した。
異変にいち早く気づいた婚約者のお龍は、入浴中にも関われず、素っ裸に近い状態のままで裏階段より龍馬たちに急を知らせ、 龍馬を逃がした。(伏見観光HP他より)
坂本竜馬の事件はCMで良く紹介されているが、薩摩藩の件は知らなかった。旅館には入らなかったが、刀傷や色々の資料が 展示されていると。

「月桂冠」で有名な「大倉酒造」に向かう。板塀の蔵に沿った道路では、写生に熱中しておられる方がたくさん居られる。 「月桂冠大倉資料館」に300円の入場料を支払って入場する。
広い中庭には煙突・酒樽と造り酒屋の雰囲気が漂っている。全員で記念撮影し、資料館の見学に進む。昔からの酒造りの 道具等が展示され、別の部屋では昭和初期の「月桂冠」のポスターが飾られている。お蔵入りになった当時としては艶めかしい ポスターもあるのには驚いた。
出口で清酒の試飲があり、出来たての美味しいお酒を3種類飲み、カップ酒をお土産にもらって気持ち良く退出する。

月桂冠大倉資料館の板塀
中庭の煙突と酒樽
昭和初期のポスター
お蔵入りのポスター


「伏見散策−1」の「スライドショー」


酒蔵の見学を終え、伏見の川沿いに向かう。この川の名前は「宇治川派流」という運河だ。
豊臣秀吉が伏見開拓時に 大規模な土木工事で宇治川流路を付け替えた。これで誕生した運河が宇治川派流だと。 柳並木と酒蔵と緩やかな流れは新緑が輝き美しい。

観光用の「十石舟」が停泊している弁天橋を渡った所に、竜宮城に似た「長建寺」が建っている。
真言宗醍醐寺派の寺で、「島の弁天さん」と呼ばれ、本堂には、本尊の「八臂弁財天」が安置されている。 境内には「閼迦水(あかすい)」と呼ばれる綺麗な水が湧いている。
本堂に参拝し、「閼迦水」の読み方が難しいと 話したり、咲きかけの八重桜を楽しむ。門前で「大津絵」に似た「山科絵」を売っているので、写真を写しても良いかと 尋ねるとダメだと。残念。

十石舟の停泊する宇治川派流
長建寺・山門 →説明
長建寺・本堂 →説明

宇治川派流の川沿いの散策道を進む。柳の若葉と所々に咲いてる桜ががアクセントになり、大倉酒造の蔵や板塀が 川の風情を倍増させる。水面に散った桜の花びらが白い帯になって流れ、落ち着いた散歩道だ。
満開のしだれ桜を眺めたり、昔、淀川を行き交った「三十石船」の乗り場を進むと濠川(ほりかわ)と合流する三叉路(?)に 淀川改修にも力を注いだ「角倉了以水利功碑」が建つ。
穏やかな流れに沿ってのんびりと話しながら進む。

酒蔵と柳と桜
満開のしだれ桜
三十石船

30分程の川沿いの気持ちの良い散策を終え、昼食場所の伏見港公園に到着する。
川縁に「三十石船」を型取った東屋風の休憩所があり、陽射しもきつくなって来たので、この中で昼食にする。 いつもの様にAさん持参のビールや先程もらった清酒で乾杯し、歓談が始まる。「スイス・ドイツ旅行」の話から始まり、 近況報告と話が弾む。
静かな川には「三十石船」が満員の乗客を乗せて観光遊覧している。川面から川沿いの柳や桜を眺めると 違った視線で楽しめるだろうと思いながら手を振って挨拶する。

三十石船風の東屋
楽しい昼食
三十石船の遊覧

楽しい昼食時間を過ごし、「三栖閘門(みすこうもん)」に向かう。
三栖閘門の上から
この辺りはまだ来たことがなく、「三栖閘門」がある意義も分からなかった。
三栖閘門は、伏見城外堀の濠川と宇治川の舟運を連携できるよう、水位を調整するために昭和4年(1929)建造された。
しかし1960年代に入り淀川の貨物船の運行が終焉、伏見港も埋め立てられた。伝統ある伏見の舟運を象徴する閘門施設が改修し、 周囲は公園として整備され2003年3月オープンした。
酒蔵と三栖閘門間の濠川では十石舟が運航され、舟旅が盛んだった往時を 想い起こさせる。(三栖閘門資料館HP他より)


まず「三栖閘門資料館」で淀川や伏見の治水事業について、パネルで古代からの歴史を知り、「三栖閘門」の構造を模型から その仕組みを知る。
パナマ運河のように水位を調整し、水位の高い濠川と低い宇治川の運航をスムースに行うよう造られたのだ。

学生時代ボートの遠漕会で大阪の桜の宮にある艇庫から、「毛馬閘門」を通って新淀川に入り、枚方付近まで漕ぎ上った ことがあった。あの時、初めて「閘門」の水位調整の機能を知り、驚いたのを思い出す。狭い水門の間で船が上がったり、 下がったりした貴重な経験だった。

資料館から「三栖閘門」の宇治川展望台に上る。12mの堰の上の展望台からは「三栖閘門」のもう一つの堰とその間の水路、 そこが停泊所になっている十石舟が眼下に見え、宇治川の流れや遥か向こうには「桃山城」も望める。
伏見が大阪と京都との交通の要所であったことを再認識出来る建造物だ。

三栖閘門の宇治川展望台
宇治川
桃山城展望

伏見散策の予定を終え、川沿いの若葉を楽しみながら戻る。久し振りの伏見は改めての再発見と初めての所の体感と 有意義な時間だった。
弥次・喜多の像
鴨川の白鷺?
中書島駅から京阪電車で三条まで行き、鴨川散策をする。
三条大橋横の「弥次・喜多の像」を眺めて、鴨川の河原を 四条大橋に向かって歩く。
鴨や白鷺が川面で春の訪れを楽しんでいるようだ。伏見の川と雰囲気が違う鴨川をブラブラと話しながら進み、お茶を 飲もうとするが、10人一緒に入れる喫茶店を探して一息入れる。

次回は11月頃、琵琶湖周辺を候補として検討することにし、楽しかった「伏見散策」の集いを終える。

ここで解散し、時間のある方は八坂神社・円山公園に行かれる。小生は現役時代の会社のサッカー部のOB戦には間に合わ ないが、後のバーベキューに向かうのでお別れする。
秋には元気で再会を!!

「伏見散策−2」の「スライドショー」








    
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