「嵯峨野&水尾柚子の里散策」



○ 「嵯峨野&水尾柚子の里散策」(2009.11.28)

今年の春は母の法事で不参加だったが、「スイス・ドイツ旅行」 メンバーの秋のイベントは「嵯峨野&水尾柚子の里散策」となった。
幹事さんの発案で、嵐山に集合し、嵯峨野を散策した後、JR山陰本線で1駅乗って、保津峡駅から送迎車で柚子の里と云われる 水尾の民家で柚子湯に浸かり、地鶏鍋をつつきながら懇談すると云う楽しい企画となった。
渡月橋と嵐山
10時「美空ひばり館」前に集合に合わせて、少し早目に家を出て、阪急嵐山駅に9時過ぎに到着する。3日前に訪れているが、 今日は土曜日なので平日と人出の多さが違う。電車を降りて改札口まで行くのも大変だ。
保津川に向かって人波に逆らわず進む。青空を期待したが、曇天で少し映えないが、川から山への紅葉は味わい深い。山と川が 接近した紅葉の名所は全国でもここ嵐山が最高だろう。
保津川下りの船を回漕する運河からの眺めも好きな場所だ。
河原に出て、渡月橋越しに嵐山の紅葉を愛でる。青空で日が照っていれば、 この何倍か美しいだろうと思いながら。
渡月橋のたもとには観光人力車が呼び込みに忙しい。カップルや老人を見ると積極的に説明を繰り返す。一人歩きには反応なし。
渡月橋の歩道は一方通行になっており、上流を見ながら渡って行く。人が多くてカメラを構える空間を見つけるのも大変だ。
保津川の流れと対岸の紅葉した山をパチリ。紅葉が川に迫る迫力は素晴らしい。まだ早いので、観光船やボートが出ていないのは少し寂しい。

運河からの眺め
渡月橋から
モコモコとした紅葉

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

集合時間までまだ時間があるので、裏通りを散策し、「天龍寺」の前庭へ。
天龍寺の紅葉
枯れた蓮と石橋と紅葉
やはり名刹は観光客も多く、真赤に染まった紅葉が 目に飛び込んで来る。
池越しに枯れた蓮と石橋と紅葉の風景は好きな場所の一つだ。例年だと真っ黄色に染まる大きな 銀杏の木は落葉して枝だけになっているのは残念だ。
境内を廻るとお寺の白壁と真赤な紅葉の対比が美しく、古都の雰囲気を感じる。
人混みを避けて、背の低い紅葉の林の中に迷い込むと目の前から周辺は赤・赤・赤と一色に染まってしまう。
しかし、観光客がこの場所を見つけて、たくさん入って来たので退散する次第だ。

白壁と真赤な紅葉
朱色の紅葉
背の低い紅葉林

集合時間が近付いたので、集合場所の「美空ひばり館」に行くと大津のIさん、尼崎のTさん、堺のAさんが来ておられ、ご挨拶。 皆さん元気そうで何よりだ。幹事役の神戸のMさん、河内長野のAさん、川西のKさん夫婦と全員集合する。
保津川と紅葉の山
Tさんが朝早くから来られ、周辺を下見散策しておられたので、そのルートに沿って、近況を話しながら、嵯峨野散策に向かう。 保津川河畔に出て、左岸を一番奥まで進む。
対岸の山には紅葉・黄葉・朱色と色彩豊かに山が彩られている。モコモコと突き出た紅葉が、川面に映る姿は嵐山の光景そのものだ。
川に沿って立ち並ぶ料亭の緑の垣根と庭から出ている紅葉もきれいだ。観光人力車に乗って、紅葉狩りを楽しむ人も多くなっている。
河原にはライトアップ用の大きなライトが備え付けられており、夜景を楽しむ方も多いのだろう。対岸の紅葉をライトアップするとさぞ美しいだろうと 想像しながら、仲間と語り合いながら上流に向かう。
途中から亀山公園に上って行く道がメイン道路となっているが、もっと先に進んだ突き当たりから上るルートが紅葉が美しく、人も少ない 穴場なのだ。
さすがTさんもご存じで、急な石段を上る。少し時期が遅れたのか、一昨年の紅葉には及ばないが、赤く色付いた紅葉を眺める。 「大河内山荘」に向かう階段の紅葉も見事だが、人がいない瞬間を写そうとするが、なかなか難しい。

料亭の紅葉
色彩豊かな紅葉
階段の紅葉

亀山公園から下って「大河内山荘」の前に行くと観光客が溢れている。やはり嵐山の竹藪の道は観光スポットなので、人通りが多い。 薄暗い竹藪の道を写そうとするが、人影を入れないで写すことは不可能だ。テレビ撮影の時は、多分通行制限しているのだろう。 「天龍寺」や「野々宮神社」方面から上って来る人が多いので、逆方向に行くのは大変だ。竹藪の人がいない所を見つけたのでパチリ。
「天龍寺」の裏口に来たので、中を少しのぞいて美しい紅葉を写した後、全員の記念撮影をお願いする。

薄暗い竹藪の道
天龍寺の紅葉
記念撮影


「嵯峨野&水尾柚子の里散策@」の「スライドショー」

竹藪の道を下り「野々宮神社」に参拝する。
野々宮神社 →説明@ →説明A
野宮はその昔、天皇の代理で伊勢神宮にお仕えする斎王(皇女、女王の中から選ばれます)が伊勢へ行かれる前に身を 清められたところです。
嵯峨野の清らかな場所を選んで建てられた野宮は、黒木鳥居と小柴垣に囲まれた聖地でした。その様子は源氏物語「賢木の巻」に 美しく描写されています。
野宮の場所は天皇の御即位毎に定められ、当社の場所が使用されたのは平安時代のはじめ嵯峨天皇皇女仁子内親王が最初と されています。
斎王制度は後醍醐天皇の時に南北朝の戦乱で廃絶しました。その後は神社として存続し、勅祭が執行されて いましたが、時代の混乱の中で衰退していきました。(野々宮神社HPより)

野々宮神社の庭園
鳥居の前には観光人力車や観光客が溢れている。
この前を通り、奥嵯峨野の落柿舎・二尊院・常寂光寺・化野念仏寺に向かう 道なので人通りは凄い。
人力車の車夫の説明を聞いていると 今まで気付かなかったが、この鳥居は珍しいもので、樹皮が付いたままの「黒木鳥居」と 云われると。
観光客で満杯の境内に入り、本殿に参拝し、奥の苔生した庭園を眺める。薄っすらと色付いた紅葉と緑の苔の 対比が美しい。
何時も、本殿に礼をして次の行程に進んで いたので、この庭園も知らなかった。やはり違った人と散策すると視点が変わり未知な所を発見出来るのは嬉しい。

京都名産を売る売店の間を通り、本通りに出て「天龍寺」に向かう。
天龍寺の塔頭の庫裏
京都五山の第一位である天龍寺は、1239(暦応2)年に吉野で不遇の中に崩御された後醍醐天皇を慰めるために、足利尊氏が 高僧夢窓国師を開山として、嵐山を背景とする亀山離宮を禅寺にあらためたのがはじまりである。
天皇が幼少の頃を修学に過ごされた地に、敵味方の別なく南北両朝の戦死者の英霊を慰めること、「怨親平等の精神」も この寺の開創の目的であった。
これまで長く中絶していた中国との貿易を再開して、その利益をこの寺の建立資金とした 夢窓国師の、この造天龍寺船による貿易事業は、その後も室町時代を通じて行われ、わが国の経済や文化に寄与するところが 多かった。
天龍寺の塔頭の土塀
創建以来650余年、その間に8度も兵火にかかって今は殆ど古建築をみることができない。(寺院案内パンフレットより)

先程訪れたが、時間が経つと人出も多くなり、もう一度紅葉を観賞する。
次の行程があるので、本堂までは行く時間がない。左右に立ち並ぶ塔頭の土塀や紅葉を楽し見ながら、低い紅葉林の中で 記念撮影をし、11時10分まで自由時間となる。
先程より太陽が出て来たので、紅葉が映える。塔頭の中庭から門を額縁に見立てて外の人通りと紅葉を写して見る。観光客が 多く、赤・黄・朱・緑と色彩りが面白い。ブラブラと紅葉と人の流れを楽しんで、集合場所の総門に向かう。

天竜寺の紅葉と嵐山
天龍寺の紅葉
塔頭の中庭から

人通りが多くなった本通りを横切って、JR嵯峨嵐山駅に向かう。
JR嵯峨嵐山駅
記念撮影
ここで、京都のTさんとお会いすることになっている。ベンチでTさんが待っておられ皆さんとご挨拶。。
Tさんは今年の春、京都市美術館の別館で開催された「国際交流合同写真展」の主催者で、その時以来の再会だ。
世界各国の写真愛好家との交流が深い方で、そのバイタリティーには驚くと共に頭が下がる思いだ。
近況を話していると、参加者全員に自ら描かれた嵯峨野の風景画をプレゼントしていただく。
今回は残念ながら所用で参加出来ない中、僅かな時間を割いて駅まで来ていただいたことは嬉しい限りだ。
列車の出発時間が来たので、お元気でと手を振ってお別れする。

11時47分発の電車で、次の保津峡駅に向かう。
保津峡の流れ
山陰本線は保津峡を縫うように亀岡に向かっていたが、1989年にトンネルを直線的に掘り、新たなルートに変わった。元のルートは トロッコ列車として観光用に活躍している。春のお花見、この季節の紅葉狩りは満席で、予約しないと乗車出来ない状況だ。トロッコ列車で 亀岡まで行き、亀岡から嵐山まで「保津川下り」の船で楽しむコースが有名だ。
保津川下りの船
トンネルを数個抜けて5分程で保津峡駅に到着する。この駅は保津川の鉄橋の上に設けられていて、電車を降りて保津峡を眺める。
急流の 両側の山々は紅葉し、嵐山とは違った風情がある。川沿いにはトロッコ列車の線路も見える。
丁度「保津川下り」の船が亀岡から下って来ているのに遭遇する。駅の上から手を振って、船に乗る観光客と交流する。船からも 手が振られ、言葉を交わさない交流は世界各国共通の挨拶だろう。 近くに住みながら、まだトロッコ列車、「保津川下り」の経験がないのは残念だ。
この保津峡駅は無人駅で切符を箱に入れ下車する。迎えの車が来ており、一度に乗れないので2班に分かれてピストン運転すると。 先発組が出発し、駅前で景色を眺めたり、名物の柚子を売る売店の人と話したりと時間を潰す。
保津峡駅
保津峡の紅葉
水尾は、山城と丹波の両国を結ぶ要所に当り、早くから開けていました。
また、水尾の地をこよなく愛し、後の世に「水尾天皇」とも呼ばれた「第56代清和天皇」(850年〜880年)ゆかりの地としても 知られています。
清和天皇は、清和源氏の祖とされるほか、出家後に修行のために、山城、大和、摂津などの 寺院をまわり、帰路、水尾山寺に立ち寄った際にこの地の景観を気に入り、この水尾を終焉(しゅうえん)の地と定めたと言い 伝えられています。清和天皇ゆかりの地として、清和天皇陵があります。
新鮮な柚子を使った「柚子風呂」は,古くは清和天皇も好んだとされ、水尾の風物詩となっています。 この柚子風呂と鳥すき又は鳥の水炊きを民家で楽しむことができます。(京都市右京区HPより)

送迎車に乗り、細い山道を上って行く途中、愛宕山へのハイキング客と数組出会う。運転手の話では、愛宕山に登り、下山途中に 水尾の柚子風呂で汗を流し、地鶏鍋を食べて帰宅する方が多いとのことだ。
離合するのも難しい道を進むと視界が開け、水尾の集落が現われる。周辺には柚子の木がたくさん生えており、黄色い実が たわわに稔っている。さすが、柚子の里と云われる集落だ。
柚子の木
民宿「六兵衛」
車を降りて、民宿「六兵衛」へ向かう。新しい造りの民家で、先客が別の座敷で食べておられるようだ。
先発組が風呂に入っており、 続いて後発の我々が風呂場へ。新しい湯船に柚子が袋に詰められて浮かんでいる。お湯に浸かると香りが満ち、疲れを癒す。 ハイキングの後の柚子風呂は最高だろうと思いながら入浴する。
座敷の窓からは山々の紅葉が眺められ、食事の用意が整ったので、ビールで乾杯する。風呂上がりのビールは最高で、地鶏と地元の 山菜を鍋に入れて宴会が始まる。
水尾の山々
楽しい宴会
お酒の持ち込みOKとのことだったので、Aさんはなかなか手に入らない「秋鹿・純米大吟醸・遍一貫造り生酒」の一升瓶を 持って来ておられ、銘酒を美味しくいただく。小生は出水市醸造の芋焼酎「木挽」のパックを持参していたので、それでも 乾杯と酒宴は盛り上がる。
地鶏も美味しく、話しながら食べながらと楽しい懇談が続く。4年半前の9日間の旅行仲間が、全くの利害もなく、年代差も多いのに この会が継続することは大きな財産だと再認識しながら、食べ・飲み・話す。最後は雑炊を空にする食欲で楽しい宴会はお開きとなる。

次回の予定を話し合う。来春・4月に大阪市内の史跡巡りをして、地元のB級グルメを味わうのも良いだろうとのことになり、幹事役に よろしくとお願いする。
帰りに名物の柚子を買い求める。今回の幹事のMさんが馴染みの女将さんと話していると、お土産に柚子をたくさんいただき、 リュックは満杯になる位だ。お礼を云って車で保津峡駅まで送っていただき、ここで解散となる。
JR組はそのまま京都駅へ、阪急組は次の嵯峨嵐山駅で降り、次回の再会を願ってバイバイと。再び、暗くなった渡月橋を渡り、 帰路に就く。
楽しく有意義な一日だった。来春も元気で再会したいものだと思いながら帰宅する。

「嵯峨野&水尾柚子の里散策A」の「スライドショー」








    
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