「奈良散策」



○ 「奈良散策」(2010.11.27)

毎年、春秋に実施している「スイス・ドイツ旅行」 メンバーの今秋のイベントは、「遷都1300年」に沸く奈良の自然と史跡を楽しもうと「奈良散策」となった。
今回の幹事さんは「スイス・ドイツ旅行」に新婚旅行で来ておられた川西のKさんご夫妻で、事前の下見もしていただき、「奈良・斑鳩・ 1dayチケット」の購入を推奨され、阪急のチケット2000円を使用して参加する。
9時近鉄・西大寺駅集合に合わせ、7時前に家を出る。時間的にはJRで鶴橋に行き、近鉄に乗るのが早いが、1dayチケットのルートである 阪急→地下鉄で近鉄・難波駅から近鉄に乗車する。天気も良く、この会は天候に恵まれている。
西大寺駅に幹事のK夫人(ご主人は仕事の都合で欠席)、尼崎のTさん、堺のAさんが来ておられ、半年振りのご挨拶。その後、河内長野の Aさん、京都のTさん、大津のIさん、高槻のSさんが来られ、阪神と近鉄が直結した恩恵を受けられた神戸のMさんと9名が揃う。
1dayチケットは奈良市内のバスも無料なので、早速バスに乗り「平城京跡」まで進む。車窓から見覚えのある道の真ん中に建つ「地蔵堂」を 見つる。5年前に「熊野古道・大峯奥駆道」を歩くルートとして、京都から吉野まで歩いた 「吉野道・木津〜新大宮」時に出会った「地蔵堂」だ。ここから、 「平城京跡」を抜けたのだ。その時は、今から行く「大極殿」は工事中でテントに覆われていた。
11/7までは「平城遷都1300年祭」で大賑わいだった「大極殿」も人影がまばらで、入場するのに長い列だったのが嘘のようだ。広い跡地の 中に深い朱色に彩られ、堂々と建っている。
大極殿
大極殿とは
朱雀門の真北約800mに堂々とそびえる「大極殿」。正面約44m、側面約20m、地面より高さ約27m。直径70cmの朱色の柱44本、 屋根瓦約9万7000枚を使った平城宮最大の宮殿であり、その建物は奈良時代の中頃に、一時都とした恭仁(くに)宮に移築され、 山城国の国分寺金堂になりました。当時、天皇の即位式や外国使節との面会など、国のもっとも重要な儀式のために使われていました。
復原について
大極殿復原に際して大きなハードルだったのが、当時の設計図や参考になるような絵画などが残っていないことでした。そのため、 発掘調査で判明している基壇や恭仁宮の大極殿(国分寺金堂)の跡に残る礎石の状態などから大極殿の大きさ、形を推定しました。 わずかに残る文献や法隆寺金堂、薬師寺東塔など、同時代の寺院建築も参考にされています。(平城遷都1300年祭HPより)
「大極殿」の屋根の上には、金色の鴟尾(しび)が青空の下に輝いている。行列もなく「大極殿」中に進むと中央に天皇が座られる 「高御座(たかみくら)」が堂々と据えられている。豪華であり、重厚感のある玉座だ。
壁には、奈良県在住の日本画家 上村淳之(うえむらあつし)氏の四神と十二支が描かれている。来年の干支である「卯」をパチリ。
大極殿の鴟尾 拡大
高御座 鳳凰の飾り
十二支の壁画

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

大極殿から朱雀門を眺める
朱雀門から大極殿を眺める
「大極殿」の廊下から広い「平城京跡」の敷地の向こうに「朱雀門」が小さく見える。800mも離れている本当に広い敷地だ。
「大極殿」の見学を終え、広い敷地を「朱雀門」に向けて歩く。青空が広がり、晩秋とは思えない暖かさだ。
遠くには「三笠山」も 望まれ、古人の気持ちになって「平城京」を味わう。
途中に近鉄電車の線路があり、踏切でつながっている。以前歩いた時は踏切はなく、ぐるっと廻って「朱雀門」に行ったことを思い出す。 やはり、大きなイベントがあると人の流れを考える必要があるのは当然だ。
「朱雀門」に上り、遠くの「大極殿」を眺める。鉄道が間に入るので、景観は損なわれるがやはり堂々としている。本当に広い。
朱雀門
平城宮の正門・朱雀門。その前では外国使節の送迎を行ったり、大勢の人達が集まって歌垣などを行ったりし、正月には天皇がこの門まで 出向き、新年のお祝いをすることもありました。
朱雀門の左右には高さ5.5mの築地がめぐり、130haの広さの宮城を取り囲んでいました。 (平城遷都1300年祭HPより)
「朱雀門」には数人のボランティアガイドが居られ、説明を聞く。覚えている数字として、「大極殿」の建設費186億円、「朱雀門」13億円 だったと。
「平城京跡」の発掘で、建物の平面的な位置関係は分かるが、立体的な高さや様式が分からないので、同じ時代に建てられた建造物から 推測してデザインされたと。推測が入ったとしても見事な「平城京」の復元だ。
4/24〜11/7までの会期中、250万人の来場者を予想していたが、大幅アップの360万人が来場したことは大成功だったのだろう。発表当時、 酷評を受けていた「せんとくん」も今では大活躍で、当時非難していた評論家の諸氏の弁を聞きたいものだと。
「朱雀門」の上から「大極殿」をバックに全員の記念撮影をして、次の行程に向かう。
バスを有効に使うべく、停留所まで歩く途中に銀杏が真っ黄色染まっているのを見つけてパチリ。もっと立派な木も車窓から見たが、チャンスが なく、奈良の記念に写す。従来から、秋の奈良は紅葉の紅より銀杏の黄が印象に残っていたので。
ボラティアガイトの説明
記念撮影
銀杏

バスで近鉄奈良駅に向かう。駅ビルの上に奈良の歴史・史跡等をまとめて展示・解説する「なら奈良館」が設置されていると。 今まで行ったこともないので訪れる。1dayチケットだと団体割引になり、会場の説明を聞いたり、展示物を見学する。ガイドやVTRでの 説明に、知らなかったことも多く、自由に見学する。
ここで面白い展示物を発見し、童心に帰り楽しむ。「東大寺・大仏」の実物大の掌が展示されており、その上に乗っても良いとの ことで、大仏の大きさに改めて驚く。孫達にも見せてやりたい所だ。その横には「大仏殿」の中にあり、小学校の遠足の時には くぐったことのある「柱の穴」があり、厄除けの効能があるとのことでトライするが、なかなか難しく、やっとのことで抜け出すことが 出来、大喜び。童心に帰った!!
「新薬師寺」の「十二神将」も飾られており、その迫力を堪能する。幹事さんの事前の探索で、良い場所を教えてもらった。
大仏様の掌に
柱の穴くぐり
新薬師寺の十二神将

満足して「なら奈良館」を退出し、昼食場所の「大仏殿」近くの奈良公園に向かう。近くのコンビニでビールを購入するのは忘れずに。 バスで奈良公園に行くとやはり人は多い。早速、鹿のお出迎えも楽しみ、下見をしていただいていた紅葉が美しい池の傍の広場で ビニールシートを広げて昼食タイムとなる。
この会の楽しみの一つが、この昼食タイムで、各人が飲物・食べ物・おやつを持ち寄って交換し合う。ビール・日本酒・焼酎に海外旅行に 行かれた方のお土産のお菓子、自家製のお菓子等々、酒のつまみも豊富で、ビールで乾杯してワイワイと楽しい懇談だ。「スイス・ドイツ旅行」から 5年半経っているが、当時の話や最近「氷河特急」の転覆事故等々、話題に事欠かない。
奈良の紅葉の印象は少ないが、ここの池に映る紅葉を眺めながら楽しく食事する。
鹿のお出迎え
奈良公園の紅葉
楽しいお弁当

昼食を終え、近くの「新公会堂」に行く。
青空と紅葉
奈良公園の紅葉
ここも知らなかった所で、中の庭園は無料で紅葉が美しい。
秋の奈良にはそんなに訪れたことはなかったが、紅葉が美しいのに驚く。今までは、秋の奈良は銀杏の黄葉のイメージが強かったのを 修正しなければならない。庭を散策し、青空と紅葉を楽しむ。
「奈良町」に行くのに再びバスで行く。「奈良公園」の所々にある紅葉は赤くなっていて、緑の芝生・木々とのコントラストが美しい。
県庁前で降り、「奈良公園」の中を歩いて、「興福寺」「猿沢池」から「奈良町」に向かう。 「興福寺・五重塔」の前は観光客で溢れている。外国人観光客も多く、古色蒼然とした「五重塔」を見上げている。日本の誇りの一つだ。
興福寺・五重塔
国宝の五重塔は、730年(天平2年)光明皇后の御願によって建立され、以後5回焼失し、今の塔は、室町時代の1426年に再建されて、 高さは京都の教王護国寺(東寺)の「五重塔」に次ぎ我が国で2番目で、総高50.1mです。
最上部の相輪の高さは15.08mで、力強い木組で 深い軒の出を持ち、雄大で美しい姿が特長です。また、各層の屋根の大きさが余り変わらないため、近づくにつれてのしかかるような 迫力を感じます。初層内陣の東側に薬師如来像、西に阿弥陀如来像、南側に釈迦如来像、北に宝生如来像が安置され、これらは 三尊形式の四方仏です。(奈良観光HPより)
猿沢池
五重塔と猿沢池
「興福寺」から石段を降りて「猿沢池」に向かう。静かな空間で柳が水に映り雰囲気がある。池を廻って行くと「五重塔」と「猿沢池」が 上手く構図として捉えられるスポットでパチリと。

「猿沢池」から「奈良町」に入る所に小さな川がある。「率川(いさがわ)」と云う。
率川の舟形
身代わり猿
仲間の方に教えていただき、川には舟形の島があり、その中に石仏が祀られているのを発見。今まで気付かなかった史跡に、やはり先達の 経験は大きいと感じる所だ。
「奈良町」の中に進む。象徴的な「身代わり猿」が軒々に吊り下がっている。
古い街並みをゆっくりと散策する。観光客も多く、以前訪れた時と町の様子も少し変わっているようだ。新旧入り混じった町の雰囲気は 古都奈良の変遷を表しているようだ。
古い薬問屋の前を曲がり、「奈良町資料館」に入る。展示されている陶器・仏像・古書・民芸品等の展示品を眺め、出口に向かうと 大小の「身代わり猿」が売られている。人の身代りになって、天の怒りを受けてくれるとのことで、結構買っている人が多い。
「奈良町資料館」から「庚申堂」に向かう。
ここも「奈良町」の象徴的な史跡で、お参りされている方が多い。
庚申堂 屋根の猿
古い町家続きの町並みに解け合って佇む西新町の「庚申堂」、堂内の中央に木造彩色の青面金剛立像が安置されて、毎年3月の第2日曜日と、 11月23日(祝)「勤労感謝の日」に講の人達によって「庚申祭」が行われ、参拝者の方に大根とこんにゃくの田楽がふるまわれています。
なお、軒下の提灯の後ろにぶら下がっている三日月形ぬいぐるみは庚申信仰の「身代わり猿」で、日頃人の体の中にいる悪玉の 「三戸ノ虫」が、庚申ノ日に抜け出して、天を支配する玉皇大帝(北極星)に告げ口をしますが、悪事がばれても「身代わり猿」が 人に代わって玉皇大帝の怒りを全部受けて呉れます。 (奈良観光HPより)
屋根の上には猿の置物が祀られ、「庚申堂」の趣きを発揮している。このお堂を基に、「身代り猿」が「奈良町」全体に祀られている のだろう。
次は今まで知らなかった所に案内される。
造り酒屋「春鹿」に訪れ、そこで日本酒の試飲にトライする。試飲用のガラス製グラスを400円で買い、テーブルに座ると4種類の日本酒を順番に 試飲できるのだ。
外国人も試飲に訪れ、日本酒を味わっている。店員も英語でお酒の種類、風味等伝えている国際的な雰囲気もある。生酒・大吟醸等 4種類のお酒を賞味し、最後に奈良漬をいただき、気持ち良い気分になる。
古い薬問屋
奈良町資料館
造り酒屋・春鹿 試飲の酒

ほろ酔い気分で帰路に着くが、幹事さんの下見で素敵な場所に案内される。ここも知らなかった所で、「奈良ホテル」を背景に 見事な庭園が広がっているのだ。
バス停の手前にある「旧大乗院庭園」は室内から眺めるのは無料で、休憩を兼ねてゆっくりと庭園を観賞する。丁度、夕日が当たり、 紅葉と赤い橋が池に映り美しい。
旧大乗院庭園
「名勝大乗院庭園文化館」のガラス戸越しに見える旧大乗院庭園は、奈良ホテルの南崖下に在り、15世紀末に庭師、善阿弥(ぜんあみ)が造園し、 奈良随一室町時代の面影を残す貴重な庭園で大乗院と云えば、興福寺の中でも一乗院と共に興福寺の別当をつとめた門跡寺院で、 元は一乗院と肩を並べ、その東側(今の県庁の辺り)に在ったけど、1180年平重衡(たいらノしげひら)の奈良責めによる兵火で焼け出され、 ここへ移って来ました。そして又、明治維新の廃仏毀釈で大乗院も廃れ、明治42年当時の国鉄が買収して、今まで手入れが行き届かず 荒廃していた庭園も、近頃少しづつ改修されています。(奈良観光HPより)
鴨がたくさん泳いでいて(?)、赤い水面に向かって進む風情は良き光景だ。椅子に座り、ゆっくりと眺める。良い所を教えていただいた。
紅葉と赤い橋
鴨が進む













奈良散策の最後に見事な庭園と紅葉を見ることが出来、満足した気分でバスに乗り、近鉄・奈良駅に戻る。
今回は「平城京遷都1300年」が終わって、少し静かになった晩秋の奈良散策を楽しんだ。日頃、知らなかった場所・史跡も教えていただき 有意義な一日だった。

「奈良散策」の「スライドショー」

奈良駅で、京都方面に帰られる方とお別れする。来春は小生が幹事役となり、「万博公園散策」+「アサヒビール」で企画することになり、 半年後の再会を約束して解散となる。
大阪方面に帰る愛飲家5名は鶴橋で下車し、名物の焼肉で乾杯する。今日の奈良散策の回顧、山歩きの話、テニスの話等々と話題は尽きず しっかりと飲んで、次回の会合での再会を期してお別れする。
今回は幹事役のKさんの名添乗員で楽しい会合が出来、感謝・感謝!!








    
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