「堺町歩き」



◎ 「堺町歩き」(2012.11.24.)

毎年、春秋に実施している「スイス・ドイツ旅行」 メンバーの今秋のイベントは、堺に住むAさんと河内長野に住むAさんが幹事となり、近くても余り知らない「堺町歩き」となった。
9時30分、阪堺電車・天王寺駅集合に合わせ、肌寒い7時30分頃、妻共々、家を出て高槻駅に向かう。風が強いが、前日までの雨が止み このメンバーの会合は天候は何時もgoodだ。
天王寺駅に着くと大津のIさん、堺のAさんが来られておられ、半年振りの再会のご挨拶。川西のKさん夫妻、塚口のTさんと娘さん、 河内長野のAさんも来られ。元気な姿に再会を喜び合う。神戸のMさんは神戸マラソンのボランティア活動で、不参加なのは寂しいが、9名の 参加は嬉しいものだ。
阪堺電車
電車の内部
阪堺電車は昔懐かしいチンチンで、大阪ではここしか運転していない貴重な線路だ。
天王寺・阿倍野界隈はビル建設ラッシュで大きく様変わりし、 近鉄百貨店は日本最高の高さになるようで、上を見上げてもてっぺんが分からない位だ。
早速、一日乗車券(600円)を買い、古そうなチンチン電車に乗車し、初めの目的地である「住吉大社」に向かう。 車内も木製のようで、古風溢れる雰囲気の中で、それぞれの現状や旅行の話が弾む。半年振りだが直ぐに打ち解ける仲間だ。
太鼓橋 記念撮影
この「住吉大社」への路線沿いに「熊野古道・紀伊路」が通っていて、10年も前に初めての古道紀行をスタートした地点だ。
懐かしく車窓から 歩んだ道を眺めていると終点の住吉公園に到着し、参道を進む。
今回は堺に住んでいるAさんの先導で、「堺町歩き」をスタートする。
参道から「住吉大社」の境内に向かうと、初詣では三が日で200万人の人が参拝するのには比べられないが、それなりに たくさんの方が参拝しておられる。
航海安全の神と云われるように、境内の周り、中には大きな「石灯篭」が立ち、この近くまで海があったことを示しているようだ。
今日は日が良いのか、結婚式・お宮参りに加え、七五三参りの参拝者も多く、花嫁姿の行列が境内進み、参拝者から祝福を受けている。 数組の結婚式が行われているようだ。
本殿に向かう途中にある名物の太鼓橋(反橋)を横から眺め、池に映るきれいな姿を観賞して、階段状になっている太鼓橋を渡る。 傾斜を利用して記念撮影をパチリと。
住吉大社参道
大きな石灯篭
花嫁行列

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

鳥居をくぐって、本殿に参拝する。丁度、結婚式が行われており、厳粛な雰囲気の中に華やかさがある。
住吉大社・本殿
全国約2300社余の住吉神社の総本宮であり、摂津国一の宮、旧社格は官幣大社。
古くから航海安全の神として信仰され、創建は1800年前に遡る。ご祭神は第一本宮から第四本宮順に「 底筒男命/そこつつのをのみこと」「中筒男命/なかつつのをのみこと」「表筒男命/うはつつのをのみこと」、 そして「神功皇后/しんぐうこうごう」。
本殿が四つに別れ、第一本宮~第三本宮までが縦に、第四本宮は第三本宮の横に、 あたかも大海腹をゆく船団のように建ち並ぶ配置は他にないもの。
「三社の縦に進むは魚鱗の備え 一社のひらくは鶴翼の構えあり  よって八陣の法をあらわす」とも伝えられている。柱・垂木・破風板は丹塗り、羽目板壁は白胡粉塗り/屋根は桧皮葺で切妻の 力強い直線/出入り口が直線型妻入式という3つの特徴をもつ「住吉造」でつくられており、こちらも神社建築史上最古の特殊な様式で、 国宝に指定されている。20を超える摂社/末社をもち、夏越祭など各種祭行事も多い。境内にある反橋や大小260余の石灯篭、 「住吉神代記」などは指定文化財。 (OSAKA-INFO HPより)

Aさんの案内で境内の心霊スポットを巡る。「住吉大社」に参拝したことはあっても、詳しいことは知らなかったので、地元の方の先導は 嬉しい。
境内の奥に鎮座する商売発達・家内安全の神様「楠くん社(なんくんしゃ)」に参拝する。
商売発達からの「はったつさん」=「初辰まいり」として、毎月最初の辰の日に参拝すれば、より一層力を与えて守り助けてくれると 信仰されているそうだ。 「初辰まいり」のルートに沿って次の資金調達・子宝の神様の「種貸社(たねかししゃ)」に参拝する。境内を巡っていると「兎の像」が 飾られ、参拝者が兎の像の部位を擦って、病治癒を願っている。
楠くん社
種貸社
兎の像

「初辰まいり」のルートに従って、境内を出ると「住吉大社・御田植神事の田」が広がっている。境内の外にこのような田圃があるのも 知らないし、その先の池に囲まれ、大きな石灯籠が立つ「浅沢社(あさざわしゃ)」の前を通り、集金満足・心願成就の神様「大歳社 (おおとししゃ)」に参拝する。神殿の前には丸い「おもかる石」が祀られいる。願い事を祈念し、この「おもかる石」を持ち上げ、 軽く感じれば願いが叶い、重く感じれば叶わないと。
それぞれが石を持ち上げ、願い事の叶うかを祈っていた。何を願っているかは??
住吉大社・御田植神事の田
浅沢社
大歳社・おもかる石


「堺町歩き①」の「スライドショー」

知らなかった「住吉大社」やパワースポットを巡って、再び阪堺電車で堺市に向かう。路面電車なので、ホームが道の真ん中に細く設置されて いるので、そこに立っている姿は昭和的なのでパチリと。
チンチン電車に乗り、あびこ道で乗換え、大和川を渡って堺市に入る。阪堺電車に乗って堺市に入るのは初めてだ。 綾ノ町駅で降り、歩道を歩くが、驚くほど広い。戦災でこの辺りは焼け野原になったそうで、阪堺電車・3車線の車道・広い歩道と 広々としている。
山口家住宅
広い歩道には「紀州街道」の道標も立ち、当時の街道を示しているが、その面影はなく、左に入り「堺市立町家歴史館 山口家住宅」に 向かう。
山口家住宅の主屋は慶長20年(1615)、大坂夏の陣の戦火により市街地が全焼した直後に建てられた国内でも現存する数少ない江戸時代 初期の町家のひとつとして重要文化財に指定されています。
敷地内には主屋の他に安永4年(1775)建築の西土蔵、寛政12年(1800建築の北土蔵があります。北側には樹齢200年の大ハゼの木を中心と する庭があり、主屋からご覧いただけます。
伝統的な堺の町家暮らしを感じることが出来る、魅力あふれる施設として整備が行われました。市民に愛され、繰り返し訪れたくなる ような施設つくりをめざし、打刃物・線香・和晒(わざらし)・緞通(だんつう)などの伝統産業の紹介や、雛飾り・端午の節句飾り・ 七夕飾りといった季節のしつらいの展示も実施しています。 (堺市HPより)

65才以上は無料(通常200円)と有難い家の中に入るとボランティアの方が概要を説明してくれる。自由行動となり、室内を見学する。木造の 古い柱や梁が凄い。土間には当時のかまどもあり、室内もシンプルに当時の面影を残している。奥の庭には紅葉したハゼが茂り、落ち着いた 雰囲気で古を想い出させる。
車道の停留所で 紀州街道
山口家住宅の柱・梁
かまど 紅葉

昼食処・おこげ
美味しい昼食
一日乗車券を有効に活用し、阪堺電車に乗って寺地町駅まで行き、御飯が美味しいと云う「おこげ」の昼食を食べに行く。
地元の方も 観光客も利用する有名店で、行列も出来るそうだが、12時前なので、幸運にも広いテーブルに全員まとまって座ることが出来た。
おかずは陳列台から好きな様に取って来るシステムで、カキフライ・味噌汁等々選択していただく。
御飯が美味しいとの噂通り、親父さんが他のことはせずに釜で炊いている御飯に加え、おかずも美味しく、全員昼食に満足する。 ガイドのAさんに感謝だ。
次の見学地「南宗寺」には徒歩で進む。途中、有名だと云う菓子匠「かん袋」に立ち寄り、近くの公園で休憩を兼ねて、この半年の出来ごと、 次回の計画について話し合いを行う。
この会のメンバーでもある京都のTさんが今年の6月に亡くなられ、法事に参拝するかと相談していたが、ご家族の都合で、参拝出来なかった。 Iさんからその後の報告を受け、来春の「スイス・ドイツ会」の散策は、京都とし、出来ればTさんのお墓参りに行こうと。 全員で、Tさんのご冥福を祈る。
少し歩いて「南宗寺」の総門をくぐって境内に進む。
境内の庭園には紅葉・黄葉が美しく、立派な重要文化財でもある山門を眺め、受付に向かう。入場料(400円)を支払っていると、ボランティアガイドの 方が居られ、案内していただくことになる。
南宗寺・山門
弘治3年(1557年)三好長慶が父元長の菩提を弔うために、開山した臨済宗大徳寺派の寺院です。
慶長20年(1615年)の大坂夏の陣による 焼失後、寺地を現在の場所に移し、沢庵宗彭らにより再建が行われました。
境内には国指定名勝の枯山水の庭、国指定重要文化財の 仏殿・山門・唐門、千家一門の供養塔、利休ごのみの茶室実相庵などがあります。
仏殿は禅宗建築の技法を用いた府下では唯一の仏殿建築で、内部の天井には「八方睨龍(はっぽうにらみりゅう)」が描かれています。
山門は二階建てで上層に手すりのついた縁がまわる楼門形式の門で、垂木を扇状に並べる技法は禅宗建築の技法のひとつです。 唐門は柱間をつなぐ梁に彫られた模様や、柱の先に突き出た木鼻という彫物などが、仏殿や山門と同様のかたちをしていることから、 同じ時期に建てられた建物と考えられています。 また、徳川家康が後藤又兵衛の刃に倒れ、当寺に祀られたという伝説の寺でもあります。 (堺市観光ガイドHPより)

ボランティアガイドの案内で境内を巡る。ガイドの方は詳しく、分かり易く説明してくれるので、楽しく廻ることが出来る。 南宗寺の山内で最も古い糧物で、中に徳川秀忠、家光両将軍の御成りを記した板額があると云う坐雲亭に向かう。この板額が次のヒントとなる。
南宗寺・総門
境内の紅葉・黄葉
南宗寺・坐雲亭

千家一門の供養塔が並んでいる。中央に利休の墓、左右に表千家、裏千家、武者小路家の墓が並び、茶道の家元との関連を示している。
少し先に小さな丸い形のお墓が祀られている。ガイドの話で徳川家康のお墓だと。大坂夏の陣の時、真田幸村の 奇襲を受けて輿にのって逃げ出した家康が大坂方の猛将・後藤又兵衛は怪しいと睨んで槍で突き、家康はそのまま南宗寺で絶命したと云う。 先程の板額に記されていた二代将軍・秀忠、三代将軍・家光が相次いで寺を参詣したのも、家康の死が起因しているとの説が伝えられて いるのが、この説の根拠となっていると。
少し先には立派な徳川家康の墓が祀られている。本当に面白い話だが、豊臣贔屓の大阪人の願望なのだろうか、ミステリーだ。
千家一門の供養塔
徳川家康のお墓?
徳川家康のお墓

境内を進むと千利休ゆかりの茶室実相庵が移築され、前には枯山水庭園が広がり、その横には水禽窟の音を竹筒で聞ける。見事な音色に しばし静けさを感じる。
境内を巡って、国指定の重要文化財・唐門を眺め、仏殿の天井に描かれている狩野信政筆の八方睨みの龍を観賞する。何処から見ても 龍の眼は自分を見ているのを確認して、充実した見学を終える。
茶室実相庵 枯山水
唐門
八方睨みの龍

ボランティアガイドにお礼を云って元来た道を戻り、菓子匠「かん袋」に立ち寄り、土産物を買ったり、お茶をいただいたりと一息入れる。 再びチンチン電車に乗り、妙国寺前駅で降りて「堺伝統産業会館」に向かう。
建物の軒には堺伝統の大きい包丁か飾られ、内部にも色々な分野で使われている包丁の展示・販売所や包丁だけでなく、堺の伝統産業 の線香、注染和晒、緞通、昆布、自転車、和菓子等が展示されている。南蛮文化が伝えられた堺の伝統を伝える会館で、堺の違った 側面を覗くことが出来た。
「堺町歩き」の予定を終え、チンチン電車でえびす町駅まで進む。大阪の地名は云い方が色々あり、えびす町と云うより、新世界が通じる。 数年前にこの会で行った「串カツ」の店に入り、今日の楽しかった町歩きを振り返り、乾杯!!
楽しく呑み、話し、次回来春の京都でのお花見・Tさんのお墓参りでの再会を約束してお開きとなる。知らなかった堺の町を効率よく 案内していただいた幹事の堺のAさんと河内長野のAさんに大感謝だ。今日の歩行歩数は16500歩だった。
堺伝統産業会館 包丁
新世界の賑わい
楽しい懇親会


「堺町歩き②」の「スライドショー」







    
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