「長岡京~石清水八幡宮、三川踏河・散策 」



◎ 「長岡京~石清水八幡宮、三川踏河・散策」(2020.05.28.17km.)

3月から新型コロナウイルスの感染問題で、日本中その対応に追われている。緊急自粛宣言が発出され、外出自粛が通常となり、 巣篭り状態が続いていた。同窓会・OB会・お花見・旅行の計画も全てキャンセルとなり、5月中旬に予定していた「奥州街道」紀行もキャンセルせざるを得なく なり、今年中の津軽半島・竜飛岬踏破も難しくなってきた。
近場の散策で、気分を紛らわせていたが、「出雲街道」を歩いたO君から、自粛宣言も解除されるので、何処か歩こうとの誘いがあり、 二つ返事で了解し、彼の希望の長岡京・明智光秀の最後の城と云われる「勝龍寺城」を起点に行程を検討することになった。 詳細は、久しぶりの歩行での疲労度を鑑み、当日決定することにした。

5/28、JR長岡京駅・10時集合に合わせて、準備運動を兼ねて、徒歩で高槻駅に向かう。
9時30分頃に長岡京駅に到着し、観光案内所に向かうが、自粛要請のため閉鎖中で、マップ等の資料は入手できず、駅に戻る。 長岡京駅には、「明智光秀 細川ガラシャゆかりのまち長岡京市」の大河ドラマ「麒麟がくる」の幟が立っている。さすが、大河ドラマ 効果に便乗した観光案内だ。周辺地図で、以前「西国街道」紀行で歩いた西国街道を歩き、途中からJRの線路を抜けてガラシャ通りに 出て、目的の「勝龍寺城」に進もうと目星を付けた。
10時前にO君とSさんと合流する。今回は、N君・M君の参加がないのは寂しいが、止むを得ない。疲労度を観ながら、長岡京市から 桂川・宇治川・木津川の淀川三川を渡り、八幡市に向かうことにする。
まず、駅の北側の西国街道に向かう。この旧街道は、2012年に単独で西に向かい、2017年にO君・N君と東に向かった懐かしい旧街道だ。 当時のことを想い出しながら街並みを楽しむ。長岡京駅が昔神足駅だった駅の標識も見つけ、旧石田家住宅が「神足ふれあい町家むと 観光案内所になっているのを確認して、西国街道から南にJRのガード下をくぐってガラシャ通りに出る。人物の名前が道の名前になっているのだ。
JR長岡京駅の幟
西国街道の街並み 旧神足駅
神足ふれあい町家

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

細い路地を縫ってガラシャ通りに出ると「神足神社」の森が見える。その手前に「勝龍寺城土塁・空堀跡」の案内板が立ち、レンガ造りの 三角形の覆いがあり、その中をのぞくと空堀となっており、その周辺は土塁が残っている。
天正2年(1572)に細川幽斎が勝龍寺城の改修を行った時、幅約7.5m、高さ約6mの土塁を造ったと。その周辺は、レンガ造りの覆いで 保存されており、見事なものだ。
その先の小さな森の中に「神足神社」か鎮座する。桓武天皇に由来する伝説の神社で、神足村の発祥となり、近くには神足の表札のある 立派なお屋敷があり、歴史の深さを感じる。
勝龍寺城土塁・空堀跡の覆い
勝龍寺城土塁・空堀跡
神足神社

ガラシャ通りを西に進む。少し先右に濠が見える。
勝龍寺城
落ち着いた城郭と濠が「勝龍寺城」だ。天守閣らしい建造物は見られないが、小ぶりで美しいお城だと。
勝龍寺城は暦応2年(1339)、足利尊氏の命により細川頼春によって築城されました。 天正6年(1578)、明智光秀の娘、 玉(後のガラシャ夫人)が、細川忠興に嫁ぎ、2年間、この城で幸福な新婚時代を過ごしました。
本能寺の変の後、山崎の合戦では光秀がこの城に本陣を構えました。 勝竜寺城公園は平成4年(1992)、勝龍寺城跡に造られた 都市公園で、「日本の歴史公園100選」にも選ばれています。
管理棟には資料展示室が設けられています。 毎年11月の第2日曜日、玉の輿入れ行列の再現などによる「長岡京ガラシャ祭」が この公園を中心に盛大に行われます。(長岡京市観光協会HPより)

濠を廻って城門に向かうと、濠の中にはたくさんの鯉が子供たちが撒くパンくずに集まっている。凄い迫力だ。
城内には、友好都市の中国から贈られた像も立ち、立派な門をくぐって、城内の公園にもなっている庭園に進む。
落ち着いた静かな庭園は、青空の下、新緑が映え美しい。池もあり、池端を進むと目の前に石像が立っている。あの「細川忠興と ガラシャ」の像だ。光秀の娘が結婚し、この城で2年間新婚時代を過ごしたと。
洗礼していたガラシャのその後の人生は、本能寺の変により謀反人・光秀の娘として幽閉されたりと苦難の道を辿ったが、関ケ原 の戦いの前に、西軍の人質になることを拒否し、カトリック信者は自害できないので家臣に胸を刺すよう指示したと。 宣教師から海外にも知られ、戯曲にもなっていると。
庭園を廻って、城の中の展示場に行くが、閉鎖中で退出する。城壁には、細川家と明智家の家紋の幟が風で翻っているのは 印象的だった。
勝龍寺城
細川忠興とガラシャの像
勝竜寺城公園 家紋の幟

再び、ガラシャ通りを進むと通りの奥に「勝龍寺」が建ち、案内板には、大同元年(806)空海の開祖で、長安の青龍寺に 学んだことから、この地に青龍寺を建てたと。立派なお寺に参拝する。
次は国道171号線に出て、淀川を渡ろうとするが、反対側にに進み、住宅地の狭い道を徘徊し、地元の方に聞くと反対側だと。 堤防に上るとJR東海道線の鉄橋がレンガ造りの「老ケ辻三連橋」であることを発見し、思わぬ付録に喜ぶ。
犬上川の堤防をの草道を進む。草の香りも春だと話しながら、犬川橋を渡り、小畑川と合流する遊歩道を進む。その先の落合橋を 渡って国道171号線に進み、大山崎IC横の「すき家」で昼食とする。昼前だが、トラックの運転手が多く、大賑わいだ。アサリ汁付きの オクラ牛丼はボリュームたっぷりだ。(11:35-12:00)
勝龍寺
老ケ辻三連橋 遊歩道
昼食

晴天だが湿度が低いようで、汗もかかないのは有難い。これから桂川・宇治川・木津川の三川合流して淀川になる所を渡って行くのだが、 炎天下、若干の不安があるがトライすることにする。
京滋バイパスに並行して走る国道478号線の歩道を歩き始める。横にはトラックが走り、その横は京滋バイパスの高速道路を進んで行く。 まずは、桂川に架かる天王山大橋を渡る。河原には、嵐山に続くと思われるサイクリングロードも見られ、静かに水面が揺れている。 日差しはきついが、湿度が低く、涼風が気持ち良い。
桂川を渡ると県道との十字路になっているが、直進して宇治川を石清水大橋で渡る。宇治川を渡った所から右折して堤防の上を西に向かうと 先程の県道に当たり、木津川方面に左に廻っていく。宇治川と木津川の間にある堤が、桜で有名な「背割り堤」だ。
今年の春には行けなかったが、何度も行っているお花見スポットだ。新緑が深くなった桜並木を楽しみ、河原に降りて、その2kmもある 堤の桜並木を眺める。
最後に御幸橋で木津川を渡り、淀川三川を横断した訳だ。この下流で、三川が合流し淀川となり大阪湾に注ぐのだ。約1時間の 淀川三川横断の珍しい行程を堪能する。
石清水大橋で宇治川渡る
宇治川と京滋バイパス
背割り堤の桜並木

京阪・八幡市駅前のコンビニでアイスクリームを買い、ベンチで一息入れて次の行程を検討する。山上の「石清水八幡宮」or「流れ橋」に 行くかを考え、案内所で「流れ橋」までの歩行時間を訪ねると1時間位かかるとのことで「石清水八幡宮」に参拝することにする。
先程訪れた「背割り堤」と「石清水八幡宮」は3年前の「スイス・ドイツ会」で訪れて以来で、その時のHP 「石清水八幡宮参拝と背割り堤のお花見」を参照しながら当時を 想い出す。
「石清水八幡宮」の「一の鳥居」を抜けて境内に入る。静かな境内は、参拝者も少なく、前回は「表参道」から上ったが、急な「裏参道」から 上ることにするが、急な九十九曲がりの石段に休憩しながら上る。汗ばむ位だ。
やっと山頂の本殿に上り切り、静かで荘厳な本殿に参拝する。国宝に指定され、本殿には参拝者も数多く参拝している。もう少し 雰囲気を味わいたいが、切り上げて展望台に向かう。
石清水八幡宮・一の鳥居
裏参道の急な石段
石清水八幡宮・本殿

展望台に向かう途中の広場に「エジソン記念碑」が立っている。エジソンがこの男山に茂る竹から電球のフィラメントを作った記念の 碑で、改めて発明王エジソンにこの竹が寄与したことを誇りに思う。
山沿いの静かな道を展望台に向かう。ウグイスのさえずりが上手になったのを聞きながらケーブル駅を越えて展望台に到着する。 展望台からは、青空の下、京都市街が見渡せて気分爽快だ。淀川三川・高速道路・高層ビルが望まれ、「石清水八幡宮」が設立された 頃の景観はどうだったのだろうと話す。
帰路はケーブルに乗り、楽に下りる。のぼりを歩き、下りにケーブルに乗る人は少ないだろうと話しながら下山する。
エジソン記念碑
展望台からの眺め
ケーブルカー

今回の散策の計画を終え、反省会を何処でするか検討し、伏見の酒蔵見学と試飲をしようと伏見に向かう。
京阪電車で中書島駅まで行き、人混みが増えている街中を濠の近くに向かう。濠には十石船が係留しているが、乗客は見当たらない。 観光解禁まではまだ時間がかかりそうだ。酒蔵を観ながら濠沿いに進み、寺田屋を遠くから眺めて、竜馬通りを進む。 さすが人通りは多くなっている。
黄桜酒造に立ち寄るが、見学も試飲もなく諦めて、食事場所を探すが、まだ開いていない所や休業しているトコロが多く、やっと小洒落た店が見つかり、そこで反省会となる。 冷たい生ビールで乾杯し、久し振りの紀行に満足した顔で、色々と話す。
肴も美味しく、日本酒を飲みながら、次回以降の紀行にも話題が移り、全員参加できる日程を調整することにする。
伏見の濠と酒蔵 竜馬通り
黄桜酒造
反省会

充実し気分で居酒屋を後にし、桃山駅から京阪電車に乗り、枚方でお開きにする。
初夏とも思える日差しだったが、爽やかな涼風を味わいながら、淀川の北から南を横断した珍しい行程の紀行だった。もう少し暑くなって いれば、三川を渡ることは大変だったが、有意義な散策を楽しむことができた。次回は、全員が揃って歩きたいものだ。本日の歩行歩数は、 24000歩だった。






    
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