◎ 「京都市内お花見探索」(2022.04.06. 12.00km.) 4月になり、本格的な春の訪れを感じる。先日、「万博会」で万博公園の桜を観たが、まだ五分咲きほどだったが、満開の便りが多く聞かれるようになった。 天気も良く、お花見の絶好な日和なので、京都を散策することにする。妻は友人との懇親会なので、一人で京都に向かうことにする。 京都の桜の名所はほとんど(?)観ているが、街歩きも加えると京都駅周辺が盲点となっているので、京都駅周辺の街歩きと桜探索をすることにする。 9時過ぎに家を出て、安満遺跡公園の中を進むと数本の桜が満開だ。本数の少ないのは残念だが、開園一年経ち公園の緑も多くなり嬉しい限りだ。 JR高槻から各停で京都に向かう。車窓からも満開の桜が望め、京都市内の桜も期待できそうだ。 京都駅からどの様に街歩きを楽しもうと検討した結果、「東寺」→「梅小路公園」→「西本願寺」→「島原遊郭跡」→「壬生寺」と訪れてない名所を 探索することにした。その後の進み方は、現地で決めることにする。 油小路通りを横断すると「伏見稲荷大社御旅所」の朱色の鳥居が観られる。 「伏見稲荷大社」の祭事の起点がこんな所にあったのを知り参拝する。 前の東寺通りを進むと「東寺」の東門前に当たる。前夜のテレビで「東寺の夜桜」ライトアップの放映で、見事な夜桜を眺めたので、実際の桜を 眺めようとした次第だ。 「東寺」の正面に向かう塀の外の水路には大きなシラサギが羽を休めているのどかな風景をパチリと。 「東寺」には、何度か参拝しているが、「旧山陽道」紀行のスタート時に、京都三条大橋から「旧山陽道(西国街道)」の始点「羅城門跡」に向かう時に 外から眺めた 「西国街道No1・見聞録(三条大橋~高槻)」 のが印象に残っている。 まだこの時には意識していなかった「旧街道・日本縦断」実現まであと1ケ月となり、継続することの大切さを感じ入る次第だ。 立派な正門から入ると正面に金堂が迎えてくれる。真言宗の総本山の荘厳な雰囲気の中、右手に五重塔がそびえている。五重塔の周りには、満開の桜が 競うように咲き乱れているのは見事だ。境内の塀から乗り出している満開の桜も見事なものだ。 境内の観光客はまだ少ないが、夜桜見物のため五重塔周辺は柵が張られ有料区域となっている。入場口に向かうと団体客が 並んでいる。入場料の額は分からないが、柵内に入ることは断念し、外から鑑賞することにする。 遠目からでも、青空と桜に囲まれた五重塔は見事だ。昨夜の夜桜も見事だったが、昼間の青空の下の桜の方が美しいと思った次第だ。ゆつくりと柵の外から 鑑賞する。大きな桜の木の花も満開で、今が最高の状態を満喫する。下から桜の枝を見上げると青空に映え、これまた美しい。しばし、時間を忘れて 桜鑑賞に耽る。 段々と観光客も増えてきたので、池の石の上に集まっている亀の姿を観て、東門から「東寺」を後にする。 「東寺」から新幹線・東海道本線の下をくぐり「梅小路公園」に向かう。この辺りは初めて訪れる所で、東海道本線のガード下をくぐるのだ。 すぐ左に大きな「梅小路公園」があり、広々とした芝生の端には「京都鉄道博物館」や「京都水族館」があるのを車窓から見ているが、訪れたことがない。 広い芝生には、家族連れや学生がボール遊びをしたり、敷物を敷き楽しんでいる。周辺の桜は満開で、紅色の桜やソメイヨシノが見事だ。 青空の下、そんなに多くはない桜を愛でている。良きお花見日和だ。 「京都水族館」の前に行くと観覧客が集まっているが、コロナのため、入場券の 発売はスマホのみのようで、困っている人への案内に忙しそうだ。時代だと思わざるを得ない。 大宮通りを北上して「西本願寺」に向かう。本願寺の塀がある所から右折して塀沿いに進むと桃山時代の豪華な装飾彫刻を充満した「唐門」か立っている。 堀川通りに出て、左折すると立派な「御影堂門」が立ち、境内に進む。 正面に「御影堂」右に「阿弥陀堂」と落ち着いた荘厳な建造物が建っている。鎌倉時代の親鸞聖人によって開かれた浄土真宗の本山なのだ。境内の中央には 大きな銀杏の木が植わっており、秋には見事だろうと想像するが、桜の木は見当たらない。 信者の方もたくさん参られているようで、売店には西本願寺関連の資料やグッズが並んでいる。しばし、休憩し、横の門から出て「島原遊郭跡」に向かう。 四条通りを渡り、初めて訪れる「島原遊郭跡」への狭い道を西に向かう。 島原は、わが国最初の幕府公認の花街で、今では面影はほとんど残っていないが、当時は祇園よりも高い格式を誇っていたそうだ。 入口の横には石造りの水槽の上に木桶が並べられているのは、時代劇で観る光景で興味深い。 「島原大門」をくぐって中に入る。 「京街道」紀行時に歩いた「橋本遊郭」では、もう少し当時の趣きが 残っていたが、全く普通の街並みが続くのには少し驚いた。 少し先の道を右は入ると当時の雰囲気を残す「輪違屋」が建っている。「輪違屋」は、揚屋と置屋を兼ね備えた店で、日本で唯一「太夫」が居た所 だと。太夫は正五位の位を持ち十万石の大名に匹敵するとされるほど格が高かったと。また、新選組隊士との関りも深かったそうだ。 その並びにも、当時の雰囲気を残す旧家が建ち、満開の桜が塀から覗いている街並みが残っている。 狭い道を巡って行くと有名な「角屋」が堂々と建っている。角屋は、1641年(寛永18年)に創業された店で、揚屋の遺構としては唯一のもの として重要文化財に指定されている。揚屋とは、芸妓などは抱えずに遊興の場所を提供する店の事で、 この揚屋から遊女を抱える置屋に招請状を出して太夫を呼ぶのだと。この途中、内八文字を踏んで歩く様子を「太夫道中」と云うのだと。 時々報道される「太夫道中」はここで行われるのだと認識する。 「角屋」の玄関先には、新選組局長芹沢鴨が酔って刀傷を負った出来事の碑が立ち、内部は「角屋もてなしの文化美術館」として 公開されている。 狭い道を北に向かうと道角に「東鴻臚館跡碑」が立っている。鴻臚館は平安時代、渤海国の賓客を接待するための施設だと。 平安時代の史跡がこの地に残っているのを観て、さすが京都と感じる次第だ。同国の滅亡(927)により鴻臚館も衰微したと。 その先には「北野神社」が鎮座し、横には「島原西門碑」が立っている。東の「島原大門」からこの「西大門」の間が島原遊郭なのだ。 初めての「島原遊郭跡」の見学は、日頃観る京都とは違った史跡だった。 次の目的地は「壬生寺」で、壬生川通りを北上し、広い四条通りを渡って進む。「壬生寺」は新選組で有名だが訪れたことがなく、 また、「奥州街道」紀行時に時々新選組の史跡があったので、見学することにした次第だ。 少し先を左折すると、立派な「壬生寺」の表門が迎えてくれる。参拝者も適当に居られ、人気の程が分かるようだ。境内には桜がたくさん植わっており、 満開なのは嬉しい。 「壬生寺」は、991年(正暦2年)に創建された律宗の寺院だと。新選組のことは知っていたが、展示場に入ると「壬生狂言」の資料が展示されており、 狂言で有名だったったことも再認識した。本堂に参拝し、売店に入ると新選組のグッツ壬生狂言の資料を売っている。 入場券を買って地下の資料室に向かう。 写真撮影禁止なので、お寺の歴史・壬生狂言・新選組等についての資料や展示物があるが写せないのは残念だ。 地上に戻ると裏に池があり、龍の噴水の桜も満開で美しい。 池の中之島は「壬生塚」と呼ばれ、新選組隊士の墓が祀られ、隊長・近藤勇胸像も立ち、新選組の屯所で暗殺された隊士・芹沢鴨ら7名の合祀墓も 祀られている。 新選組の駐屯地は壬生の町にあり、「壬生寺」は、新選組隊士たちの訓練場として使われたいたので、この寺が新選組の聖地となり、参拝者が 多いのを納得する。 知らなかった京都駅周辺の史跡を見学し、盲点の一つが解消された。昼時になるが、食堂らしき店もなく、四条通りに向かう。 お花見には少し寂しかったので、バスで嵐山か東山方面に向かおうとバス停を探すとすぐ傍にあり、嵐山行が到着しそうだ。 昼食は嵐山ですることにし、満員に近いバスで嵐山に向かう。 やがて、バスは渡月橋の東側の停留所に到着し、ほとんどの乗客は 下車する。 渡月橋付近の観光客は思ったより少ないが、桜は満開だ。 何時もは対岸の阪急嵐山駅から渡月橋を渡るので、こちら側からの景観は 珍しく、渡月橋と山々の姿を写す。 食堂を探しながら、渡月橋の通りに出るとやはり観光客は多く、和服姿のカップルが多いのに驚く。最近の流行りなのだろう。 時間待ちをして昼食を食べ、何時も歩くコースと反対に、天龍寺→竹林の小径→嵐山公園→渡月橋→嵐山駅と進むことにする。 「天龍寺」山門中の桜も満開で、人波を縫って「竹林の小径」に向かうと人力車がたくさん列をなしている。一般の「竹林の小径」から 離れて人力車専用の小径があるのを知り、人混みから外れた静かな小径を通る人力車の良さを感じる。 人混みが途切れた場所で、ほっと一息憑けるのは嬉しい静かな小径だ。 嵐山公園に上ると満開の桜と散り始めの桜が混在していて、なかなかの風情だ。何時もお花見弁当や紅葉弁当を食べるスポットは、 人が少なく穴場なのだ。嵐山公園の桜をしばし堪能する。 公園から保津川に下りる道からは、ボート遊びに興じる姿も眺められ、嵐山のお花見風情一杯だ。 保津川沿いまで降りて対岸の山を観ると緑とピンク色の桜が見事だ。最高の時期に訪れたことにあっぱれだ。 渡月橋を渡り駅に向かう川沿いの桜も満開手で、お花見客も多く嵐山の春を表している。嵐山の桜を満喫して、阪急嵐山駅に戻る途中に 「京奈和自転車道」のサイクリングロードを見付けた。これは先日 「木津川・流れ橋探訪」で歩いた道のスタート地点だ。ここから スタートしているのだと確認して駅に向かう。 阪急電車で高槻まで戻り、バスで自宅に塔遅着したのは15時過ぎ。京都駅近くの史跡と桜を巡り、嵐山の満開の桜を満喫することとができた 有意義な春の一日だった。今日の歩行歩数は、20500歩だった。
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