「春の富田林・寺内町散策 」



◎ 「春の富田林・寺内町散策」(2023.03.26.)

2005年に実施した「スイス・ドイツ旅行」のメンバーとは、毎年春と秋にハイキング や懇親会を企画し、長年交流を深めて来た。
しかし、コロナ禍の拡大により、2019年12月実施の「百舌鳥古墳群見学&てっちり忘年会 」 以来実施できず、延び延びになっていたが、コロナ禍も落ち着いた状況になったので、幹事さんのご努力で 「春の富田林・寺内町散策」を3年振りに実施することになった。
今春のイベントは、富田林のAさんの幹事で、富田林の中世の宗教都市・寺内町の散策となった。
10時10分、近鉄・富田林駅集合に合わせて、7時30分頃過ぎに家を出る。天気予報では、菜種梅雨の影響で小雨模様なのは仕方がない。
久し振りの近鉄・長野線に乗り、富田林に向かう。幹事のAさん、大津のIさん、塚口のTさん、神戸のMさん、堺のAさんと久し振りの出会いにご挨拶をして 6名でスタートする。
寺内町の街並み
近くのスーパーに立ち寄り、昼食の弁当・ビールを購入して、小雨の中「じないまち交流館」に向かうとボランティアガイドが待っておられ、荷物を 預けて「寺内町散策」をスタートする。
永禄初年頃(1558~1560年頃)、興正寺門跡証秀上人によって創建された興正寺別院を中心とした寺内町として誕生し、商売の盛んな在郷街として 発展しました。
現在も創建当時の六筋七町(後に八町)の町割りや、重要文化財旧杉山家住宅、大阪府指定文化財仲村家住宅など往時の繁栄を偲ぶ重厚な町家が数多く 残されています。また、大阪府内で唯一の重要伝統的建造物群保存地区に選定されています。
江戸時代 から 昭和 初期の町並みが残ることで知られ「 日本の道100選 」のひとつとなっており、東西約400m、南北約350m 面積約13.3ha の楕円形に広がる周辺よりも一段高い台地上に、近世の町割りを残しています。(富田林市観光協会HPより)

小雨の中、人通りもない「寺内町」の狭い道をガイドさんの案内の下、傘を差して進む。
ガイドさんからいただいた「じないまち散策絵図」を見ながら区割りされた小道を進むと立派な「奥谷家住宅」建っている。建物の横には、丁寧な 説明表示もあり、江戸時代半ばからの材木商とのこと。
ガイドさんから建物の説明があり、屋根の上には竈からの煙突に相当する「煙出し」が備わっており、排水路は防火用の「用心堀」となっていたと 構造や町の防火体制の 説明を受ける。
じないまち交流館
奥谷家住宅
煙出し

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

「奥谷家住宅」の向かいには「東奥谷家住宅」が建っている。かって油屋を営んでいた文政時代(19世紀前半)の建築で、土蔵や納屋も現存しているのだ。
ガイドさんから屋根の瓦についての説明があり、瓦には「巴紋」の模様があり、時代の変遷により中の模様の太さが変わるのだと。初期は細く、 段々と太くなっているのだ。
通りを進むと二階の白壁に明り取りと風通しの「虫籠窓」の建屋が続く。この窓も寺内町の特徴で、二階から下を見下ろしては無礼に当たるとの時代の窓で、 明治になると 二階の窓が大きく広がったと。余り気付かない説明を受け、ありがたい。
東奥谷家住宅
巴紋の瓦
白壁と虫籠窓の建屋 明治時代の建屋

小雨の中を細い道を進むと焼板塀の上には、防犯のため「忍び返し」の付いた家が建ち、その先には、19世紀中頃に建築された三階建ての蔵を持つ 「南葛原家住宅」がひと際高く建っている。
その向かいには江戸後期に酒造業を営んでいた「葛原家住宅」が建つのを観て、寺内町の繁栄度合いが良く理解できる。江戸時代には幕府の直轄地となり、 石川の水運、東高野街道等の陸運に恵まれて商業が発展したそうだ。酒造業も盛んで、近隣で採れるブドウからブドウ酒も醸造していたと。
焼板塀と忍び返し
南葛原家住宅
葛原家住宅

更に進むと蔵が立ち並ぶ「田守家住宅」が建っている。18世紀前半の建築で、明治の中頃まで木綿屋を営んでいたそうだ。
その向かいには油屋を営んでいた「杉田家住宅」が建ち、屋根には厄除けの「鐘馗(しょうき)様」が祀られている。油屋なので防火と厄除けを 願ったのであろう。他のお屋敷にも祀られているのを確認する。
田守家住宅
南葛原家住宅
鐘馗様

更に進むと広い一画に出て、重要文化財にも指定されている「興正寺別院」の立派な区画に出てくる。
興正寺・山門
富田林興正寺別院は、富田林町に所在する真宗興正派の寺院で、大阪府内で唯一、国の重要伝統的建造物群保存地区に選定されている富田林寺内町の中核 となる寺院です。
戦国時代の後半にあたる永禄初年頃(1558~1561)、浄土真宗の有力寺院であった京都興正寺第16世 証秀上人は、石川左岸の荒地を購入し、 寺内町の開発に着手するとともに、その中核となる寺院を建設しました。
本堂は寛永15年(1638)に再建された大規模な建築で、江戸時代初期の浄土真宗本堂を知る事ができる遺構として 建築史上においてもきわめて重要な建築物です。
鐘楼は文化7年(1810)の建築で、鼓楼は鐘楼より古い18世紀後期の建築で、文化7年(1810)に移築されました。
山門は安政4年(1857)に興正寺の本山より移築された薬医門形式の門で、元は伏見城の門であったとの伝承があります。
御成門は江戸時代末期に移築された棟門形式の門で、山門の北側に並び立っています。(富田林観光協会HPより)

ガイドさんから寺内町の開発に伴い設立された寺院の説明を受ける。現在の本堂は、大阪府内最古のの浄土真宗の本道だそうで、山門は伏見城の門であったと。 この河内の片田舎に立派な寺院を中核に寺内町ができ、商業が発展したことを改めて知ることができた。
興正寺・境内
鼓楼
鐘楼 御成門

区割りされた細い道を進むと寺内町が高台にあることを示す急な下り坂に当たり、地理的な優位点を確認する。僧兵はいないが、外からの攻撃に対し 防御できる地形に町が設置されたのだ。
傍には「富栄戎」が祀られ、その先の「じないまち展望広場」から雨に煙る富田林の町を見下ろす。(写真失念)
晴れていれば、金剛山等和泉山脈の山並みが見られたのだが残念だ。
その先の角には「お地蔵様」が祀られ、商家であった「木口屋住宅」には、客が馬を繫ぐ鉄製の丸い輪が設けられているのが多いが、ここには「石の駒つなぎ」 が作られているのは珍しい。
急な下り坂
富栄戎 お地蔵様
石の駒つなぎ

仲村家住宅
東高野街道道標
その先、若かりし吉田松陰が泊った酒造業をしていた「仲村家住宅」の説明を受け進むと街角に道標が立っている。
「町中くわえきせる ひなわ火用心」と記されいる町の防火心得を記しているのだ。
また、「左ふじいでら」と示す「東高野街道」の道標なのだ。
幹事のAさんが用意していただいた資料に、小生が2004年5月に「熊野街道・小辺路」に向かって高野山を目指した 「東高野街道紀行」時のHPのコピーをしていただいていた。
この「寺内町」を歩いたことは鮮明に覚えていたので、19年前なのだと。当時は古市から河内長野まで歩いたことが記されている。元気だったのだと 当時の若さを想い出す。
きれいに区割りされた小道を中心部に戻ると寺内町のシンボルとも云える「旧杉山家住宅」が堂々と建っている。
旧杉山家住宅
杉山家は寺内町の創立にも関わったとされ、町の経営に携わり、造り酒屋をするなど寺内町の旧家として繁栄しました。
旧杉山家住宅は、富田林寺内町の中でも最古級の町屋建築で昭和58年に国の重要文化財に指定されました。
現在では酒蔵などは残されていませんが、広大な敷地には、主屋、酒蔵、土蔵など十数棟が軒を接して建てられていました。
屋敷内部の造りも贅を凝らしたもので、能舞台を模したともいわれる大床の間には狩野派の絵師による老松の絵が描かれ、 その奥には茶室も設けられています。
明治の末に活躍した明星派の歌人、石上露子(いそのかみつゆこ、本名は杉山タカ)はこの杉山家の出身です。 彼女は、旧家らしく伝統的なたしなみを身につけるとともにミッションスクールに学ぶなど新しい文化や思想にも影響を受け、 つぎつぎと短歌や詩を発表し文壇に注目され、作品「小板橋」は、当時の文学青年や詩人に広く愛読されました。 (富田林観光協会HPより)

ガイドさんの案内で邸内を見学する。見事な柱や梁で造られた室内は大きな台所が設けられ、大広間には狩野派の絵師による障壁画が飾られ、 二階と結ぶ螺旋階段もあるお屋敷だ。
大広間
障壁画
台所

ゆっくりと見学し「杉山家住宅」の模型で、その大きさを確認する。また、与謝野晶子らと活躍した「石上露子」については、案内板があり、 有名な明星派の歌人であることを知る。
見学を終え、全員で記念撮影を行い、スタートした「じないまち交流館」に戻り、ガイドさんに礼を云って散策を終える。
杉山家住宅の模型
石上露子説明
記念撮影

充実した「寺内町散策」を終え、幹事さんが会議室を借りていただいたので、昼食となる。幹事のAさんの奥様も参加していただき、旅行以来の 再会に当時の懐かしい思い出話をしながら懇親会が始まる。
昼食・懇親会
うめきた大阪駅探索
三年間の空白を埋める如く会話が弾む。
夫々の三年間のトピックを披露し、旅行に行かれた方、病気を患った方、元気に過ごされた方等々、時間が停まっていたような昔と 同じ感じでの会話に、この「スイス・ドイツ会」の歴史を感じる。
今回、欠席された方も次の機会にはお会いしたいものだと話し、秋は塚口のTさんのお世話で、何処に行くかを検討していただき、 再会を期そうとお開きにする。
まだ時間が早く、富田林の店が開いていないので、天王寺まで出て二次会をすることになり、全員近鉄電車で阿部野橋に向かう。 駅前の居酒屋で、改めてワイワイと話題が弾む。この「スイス・ドイツ会」の懇親のアジトを作っては・・・との話もあり、 この会の益々の発展を予見できるのは嬉しい限りだ。
今秋の再会を確認しお開きとなる。大阪駅方面に向かう方と新しくできた「うめきた大阪駅」の散策を行う。大阪駅の西口改札から 地下に潜り、新しい駅をチェックし解散となる。ありがとうございました。
本日の歩行歩数は、14200歩だった。




    
広告 無料レンタルサーバー ブログ blog