「山中渓の満開の桜見物」



◎ 「山中渓の満開の桜見物」(2023.03.31.)

今年の桜の開花は早く、コロナ禍で中断していた仲間との懇親会が合わさりお花見の連チャンだ。
3/26「富田林・寺内町散策」、3/29「京都桜巡り」、3/30「万博公園・観桜の宴」と続き、3/31は昨秋 「丹波篠山散策」や1月に 「シシ鍋の宴」を行ったO君・A君・ Sさんが揃って、阪南市山中渓に住むM君宅を訪れ、お花見・散策・懇親会を開くことになった。この会は、3年前に企画していたが、コロナ禍で中断していたので この時期に実施した次第だ。
大阪駅発8時03分の紀州路快速に乗車するため、7時過ぎ家を出て、大阪駅に向かう。
環状線内回り後方2両目の乗車位置が待ち合わせ場所だが、春休みでUSJに向かう人で大混雑だ。
山中渓駅
駅前の満開の桜
O君とSさんはここで合流し、A君は西九条駅から乗車することになっている。
列車に乗車し、バラバラに座り、西九条駅からA君も乗車したので、全員集合完了だ。
堺市を過ぎた辺りで4人が揃ってボックスシートに集まることができ、Sさんに「シシ鍋の宴」でお世話になっお礼や今日の計画等 話ながら、関空快速と切り離して和歌山方面に向かう。
山中渓駅の手前から、線路沿いに満開の桜が見られ期待が膨らむ。
駅にはM君と満開の桜が出迎えてくれていて、よろしくとご挨拶。花曇りだが、 見事な桜に「山中渓の桜祭り」の雰囲気いっぱいだ。
まずはM君宅にリュックを置くため、川沿いの桜並木を進む。提灯がが飾られており、「桜祭り」の準備が万全のようで、線路・川沿いの桜並木を 堪能しながら、ガード下をくぐり、反対側の川を渡って進む。 橋の上から眺める満開の桜の枝振りも美しく、山中渓は凄いと実感する。
彼の家で高校時代の写真を観ながら当時のことを話しながら談笑する。久し振りの高校時代の姿を観て現在との違いを再認識する。
桜並木と提灯
川沿いの桜並木
桜の枝振り

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

M君宅に荷物を置き、身軽な身体で山中渓の満開の桜巡りに出掛ける。
まず「子安地蔵」に向かい、石段を上り、境内の見事な満開の桜を愛でる。特に満開の「枝垂れ桜」の周りには観光客も多く、その立派な容姿に感嘆の 声を上げている。広くはない境内の桜は全て満開で、地蔵堂の社との対比も趣きがある。 ゆっくりと春爛漫の景観を楽しみ、記念撮影をする。
子安地蔵の桜 地蔵堂と桜
立派な枝垂れ桜
記念撮影 境内の桜

「子安地蔵」の石段を降りると石畳が敷き詰められた「熊野古道」になる。
この「熊野古道」は、リタイア直後から歩き始めた「紀伊路」だ。 2003年4月に紀行した「熊野古道・紀伊路」の大阪最後の「山中宿」で、 20年前になるのだ。当時も石畳が敷かれ快適に歩いたことを想い出す。大阪府最後のポイントで、坂を下って和歌山県に突入した記念すべき古道だ。
当時と変わらない石畳を進むと新しい「熊野街道・紀州街道」の道標が立ち、その先にも木製の道標が立っている。懐かしく歩くと土塀の「山中宿本陣跡」の 立派なお屋敷や「庄屋屋敷跡」が建ち、旧街道の雰囲気が残っているのを嬉しく感じながら歩を進める。
石畳の熊野古道
石灯籠の道標 木製の道標
本陣跡 庄屋屋敷跡

「熊野古道」から少し入った所に昔の小学校分校跡を山中渓集落の住民が趣味(以上の作品)で作成した木工・絵画・竹細工・陶芸等を展示するため 「ふれあい展示場」として活用されている。旧分校に入ると懐かしい校舎の趣きが残り、階段には九九の覚え方が記されているのに驚く。
展示場には、それぞれが素人離れする位の作品で、M君の竹細工も展示されている。彼の器用な才能を再確認した次第だ。 この集落の方は全て才能があるのだと感じ入る。
校庭に出ると満開の桜が見事に咲き誇り、鉄棒を見ると余りにも低いのに驚くと束の間の小学生時代を想い出す。
ふれあい展示場 階段の九九
M君の竹細工作品
校庭の桜

山中渓の小学校の歴史を感じながら「熊野古道・紀伊路」に戻り、山中渓駅方向に進む
紀州街道道標
道祖神の祠
20年前に歩いた懐かしい石畳の道を進みながら当時を思い出す。
「熊野古道」を天満橋から歩き始めて初めての県境となる山中渓まで到達した印象は鮮明に残っており、駅前の食堂で昼食を食べ、もう直ぐ和歌山県だと 激励された記憶も残っている。
石畳の道横に洒落た「紀州街道」道標が立っている。多分、当時にはなかったものだと思いながら駅前近くまで進むと道端に小さな祠が祀られている。
当時は気付かなかった祠だ。M君の話によると山中宿の境界線に当たり、外からの悪病・災いが入らないよう祀ってある「道祖伸の祠」だそうだ。 地元の方が花を飾り、大切に信仰している様が理解できる。
山中渓駅から直ぐの所に「わんぱく公園」があり、たくさんの観光客が満開の桜の下で弁当食べ「観桜の宴」を楽しんでいる。 公園一面が桜に覆われる感じで美しい。気持ち良く散策する。
公園の一角に大きな恐竜が口を開けている。山頂から全長約200m、最大急斜32度のすべり台「ローラーエクスプレス」の執着地点で、恐竜の口からお腹に 潜り込んでゴールとなるようだ。
満開の桜の下の宴
公園の桜
すべり台のゴール・恐竜

M君の計画では、山に登り、周辺を散策してからこのすべり台で下るとのことだったが、体力を考えて、大阪湾が見える山頂まで登り、 下りはすべり台で降りるショートコースにして山登りをスタートする。
急な坂道には丸太が設置されており、フーフー云いながら進むと地道にはなるが坂は急だ。お互い励ましあいながら、すべり台の降り口を過ぎるが 頂上はまだ先だ。
根っ子の道を越え、裏白の緑に励まされ、やっとのことで頂上まで上り切る。
急な上り坂
地道の上り坂 木の根っ子坂
山道沿いの裏白

頂上には観光客もおられ、花曇りで視界良好とは云えないが、大阪湾が望まれ、関西空港がぼんやりと見える。晴天だと明石大橋や淡路島も眼下に 望めるそうだが、今回は止むを得ない。
頂上のベンチで一息入れていると「わんぱく砦」の木造りの砦が設置されている。その上に上り、景観を楽しむ仲間もおり、至福のひと時を過ごす。
頂上からの眺め
わんぱく砦と桜
わんぱく砦制覇

一息入れている間に雲が切れ青空が見えてきた。関空がはっきりと見え、明石大橋も微かに望めるようになった所で下山する。上ってきた 急な道を下り、すべり台の乗り口に到達する。
さあ、ここから200mローラーのすべり台を下るとなると少し躊躇するのは幼な心が失われてきたのかと。下を見ると長くてゴールが見えず 蛇行しているのが分かる。M君を先頭に間隔を空けて滑り始める。急な勾配では座っておられず、寝転んでしまう位だ。お尻がローラーとの 摩擦で痛い。痛いが止まることもできず、両足で側面を押して制御するが、少しスピードが落ちる位でお尻の痛さは変わらない。
やっとのことで、恐竜の口に入り、胴体を抜けてゴールする。やったと云う達成感に満足する次第だ。痛かった。
急な下り坂
すべり台の乗り口/b>
長く痛いすべり台 恐竜の胴体抜け

童心に帰ってのすべり台を堪能して「わんぱく公園」の桜を愛でながら帰路に就く。晴れ渡り、青空の下、M君の家まで明るい日差しの中、朝とは 違った満開の桜並木を眺めながらM君宅に向かう。
数日前、M君から山中渓の桜の撮影にNHKがきて、放映の時間を知らせてくれていた。その番組を観た時、桜便りの他に地元の果物を道端で売っているのを 観て、ぜひ購入したいと思っていた。橋を渡った所に無人の販売店があり、八朔が100円で売られていたので、土産に買う。
わんぱく公園の桜並木
青空と桜
青空に映える桜並木

M君宅に到着し、早速「観桜の宴」が始まる。
地元で有名なお寿司屋さんから取り寄せた上等な寿司を前に、ビールで2ケ月振りの再会を祝って乾杯。
観桜の宴・寿司
夜桜
美味しい寿司に加え、A君が持参した(名前は忘れたが)美味しいお酒、Sさんが前回残った「百年の孤独」持ってきてくれていてテーブルの上はいっぱいの宴が 始まる。
今日の桜の素晴らしさ、地元の方の暖かさ 、童心に帰ってのすべり台の楽しさとお尻の痛さ、そして寿司とお酒の美味しさを語りながら宴は続く。
前回同様、美味しい料理・お酒に酔っぱらって気持ち良さは最高だ。
宴がたけなわになってのM君のギター演奏と日が暮れて、あたりが暗くなるまで 懇親の宴が続き、M君の歓待にお礼を云ってお開きとする。本当にありがとうございました。
外に出ると真っ暗だが、桜並木には提灯やライトアップがあり、夜桜見物をしながら山中渓駅に向かう。
駅まで送ってくれたM君と握手してJR紀州路快速で大阪に向かう。西九条・大阪駅で皆さんと別れ、22時前に帰宅する。山中渓の満開の桜を堪能し、 仲間との「観桜の宴」を満喫した一日だった。本日の歩行歩数は、11800歩だった。M君、ありがとう。




    
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