○ 「伊勢路 No6」見聞録 

6.大曽根浦〜八鬼山(やきやま)〜三木里
 2004.07.20 12:00〜16:45 晴れ

7月1日「熊野古道」が「紀伊山地の霊場と参詣道」として世界遺産に登録された。 地元の方々と行政のご努力の賜物と古道を歩いているものとして嬉しい限りだ。
登録以前に「紀伊路・中辺路」の完全踏破、「伊勢路・大辺路」のスタート、「高野街道」で 高野山参拝と世界遺産の息吹に触れられたことは幸いだった。

春から中断していた「伊勢路」紀行に再トライする。「青春18きっぷ」が発売され、初日にこれを 活用して「伊勢路」の最大難所と云われる「八鬼山(627m)」越えを計画するが、連日の暑さに無理はせず 熱中症に気を付けて・・・・と。

いつもの様に高槻発 5:24 で出発する。春には薄明るかった時間も今は日が昇りつつあり、 ガラガラの電車で草津に向かい、 草津発 6:15に乗る。前回はここで寝過ごし慌てたので窓の外を眺め、眠らないようにして無事終点の 柘植に到着。接続の 7:12 発の亀山行きは通学客で満杯で亀山で乗り換え多気へ。
多気での約30分の時間待ちの間に駅前のお店でおにぎりとお茶を購入し、朝食とする。

9:32発の紀勢線は「青春18きっぷ」を利用している学生やシニアの方々の姿が散見される。久し振りの 「伊勢路」の道中を車窓から眺めながら、ウトウトとしながら尾鷲に。ここから歩くことも可能だが、 暑さ対策のため次の大曽根浦駅から戻る方が近いので大曽根浦駅へ。着11:49。
もう出発から6時間以上経っているのだ。遠い。駅舎もない無人駅に降り、「伊勢路」最大の難所 「八鬼山」に向かう。

陽射しはきつく暑い。舗装道路の照り返しを陰を選びながら海岸沿いに進む。水対策としてお茶と スポーツ飲料を冷凍庫で凍らせていたが、これでは足りないと自販機でスポーツ飲料を購入する。
前回歩いた「馬越峠」を尾鷲湾越しに見ながら進む。「大曽根注連(しめなわ)掛神事」の碑と 「夫婦岩」を眺め、道路標示の「八鬼山」に導かれて左折する。「向井のバス停」は世界遺産仕様の 案内で世界遺産登録の地元の熱意が伝わる。

「馬越峠を望む」

「大曽根注連掛神事の碑」

「夫婦岩」 説明→


「尾鷲節歌碑」の角を曲がり、石油貯蔵槽の大きなタンクを見ながら「八鬼山入口」の案内板に至る。 ここから約4時間の行程だが、この暑さではもっとかかることを覚悟して進まねば。(12:20)
まずは緩やかな「木陰の道」を進み、「石垣の道」、「しだの道」を上る。

「尾鷲節歌碑」 説明→

「八鬼山入口」 説明→

「木陰の道」


「八鬼山」越えで行き倒れとなった「巡礼供養碑」を過ぎる前後から「石畳の道」が始まる。きれい とは云えないが歩き易い大きさと並び方で快調に進む。「木立の道」と「石畳の道」を交互に進む。

「巡礼供養碑」 説明→

「石畳の道」 説明→

「石畳」


道端に「駕籠立場」と「町石」の標識があり一服する。(12:55)
「町石」は一町毎に道程(みちのり)を印した道しるべで「八鬼山」の頂上まで50体立てられている 地蔵尊だ。汗を拭い、水分を十分補給する。木陰が多いので直射日光に触れないのはありがたいが 余り風も無く汗でTシャツの色は変わっている。
「石畳」を汗を拭いながら上ると伊勢神社内宮の復興に尽力した「清順上人供養碑」が静かに立っている。 ここで一息。

「駕籠立場」 説明→

「町石地蔵」 説明→

「清順上人供養碑」 説明→


「石畳」と「木立の道」を上ると今回の紀行で先達の方のガイドにあった悲しい事実が出現した。 檜の幹に「世界遺産反対」の赤ペンキが次々と現れる。何故???
考え方は色々あっても良いが、「伊勢路」のメインルートの自然を汚す行為は恥ずべきことだ。 目をそらしながら、足先の石畳を見て進む。

林道と交差する「道しるべ」を過ぎるとペンキに塗られた「石仏」や「供養仏」が祀られ、やがて 「八鬼山」越えの最大難所と云われる「七曲り」の坂道にかかる。坂道は標識では280mとあるが、 一気に上り切ることが出来ず途中で休憩する情けなさだ。(13:15)

「世界遺産反対の落書き」

「供養仏」

「七曲りの石畳」 説明→


「石畳」の厳しい道を上り切ると「平坦な道」になりホッとする。木陰で汗を拭い一休み。坂や石畳は きついとは思わないが暑さとの戦いだ。やがて「桜茶屋一里塚碑」を過ぎると古道がせせらぎを 横切る。水音が涼しく感じられリュックを投げ出し顔を洗い、頭から水をかける。(13:43)
水と戯れながら一息入れる。お腹が空いてきたが見晴らしの良い所まで我慢しようと決心し、出発する。

「石畳」

「平坦な道」

「桜茶屋一里塚碑」 説明→


「町石地蔵」に導かれ山を上って行く。前に大きな「蓮華石・烏帽子石」が現れ驚く。何か休む理由が ありそうな場所では腰をおろし汗を拭い一休みする。ここはそのような場所だ。
「九木峠(522m)」の道しるべを見てもう少しと自分に激を入れる。

「町石地蔵」

「蓮華石・烏帽子石」 説明→

「九木峠」 説明→


薄暗い山陰の道を進むと「荒神堂」のお堂が見られ、その横に清水の水呑み場が設けられている。 お腹が空いて見晴らしの良い所まで持たないのでこの水呑み場で昼食とする。後で写真を見ると 「荒神堂」や説明文はブレていて・・・・(失礼)。おにぎりを食べ、清水をゴクゴク飲み、 顔を洗い、頭に水をかけ・・・いつもの儀式を行い休息する。元気が出た所で出発。(14:30)
「墓地」のような「お墓」の集まりを過ぎ、「木立の道」「尾根の道」を緩やかに上ると八鬼山の 頂上となる「三木峠茶屋跡」に至る。ここで「江戸の道」と「明治の道」に分かれるが、今回は 熊野灘を望める海側の「江戸の道」を進むこととする。

「荒神堂」 説明→

「尾根の道」

「三木峠茶屋跡」 説明→


ここから「熊野灘」を望む展望も良かったが、もう少し進んだ「さくらの森エリア」の展望台は 気持ち良い。本来ここで昼食をしようと考えていたが、空腹でここまでもたなかった場所だ。 東屋から少し霞んで いる太平洋・熊野灘を堪能する。「九鬼湾」「伊勢半島」「熊野灘」を海からの涼風にリュックを 投げ出して休息と展望を楽しむ。(14:40)

「さくらの森エリア・東屋」

「九鬼湾」

「伊勢半島」


ここからは下り道だ。今まで余り無かった広葉樹の林を下るのだが、「石畳」の上に枯葉が覆い 膝にはOKだが時々滑りながら快調に下る。そろそろ帰りの列車の時間を気にしながら。
しかし、坂が急になりスピードがスローダウン。ペースが落ち列車の時間が心配になる。「十五郎 茶屋跡」の説明板を過ぎると又嫌なペンキの木が現れうんざり。疲れてきたので怒り心頭。(15:28)
足下に目をやりながら、「江戸道」と「明治道」の合流点にやっと到達。

「落葉の道」

「十五郎茶屋跡」 説明→

「江戸道・明治道合流点」



帰りの列車は17:09発なので少し急がねばと思うが汗が目に沁みる位の疲労感で、所々にある せせらぎで顔を洗ったりしながらひたすら急な坂道を下る。感覚的には三木里から上る方が 急なように思える坂を下る。

上り道と同じ様に「籠立場」の標識を過ぎると集落としての世界遺産反対の立て看板がある。 この様な看板での主張は理解出来るが、木々や石仏ににペンキで書くのは地元として猛省が必要だろう。
「伊勢路」を歩いてこの様な経験は初めてであり、「ツヅラト峠」の地元の方々は親切に応対して いただき、花園や池や農産物販売所も設置され、「おもてなしの心」が満ち溢れていた。
この温度差は同じ「伊勢路」でなぜこんなに違うのだろう。
古道を歩く者として「おもてなし」を求めていないが、その気持ちはすごく嬉しいもので親しみが 倍増する。外国に行った時でも同じだ。・・・・・・

疲れと憤りで歩は遅れがちだがひたすら下る。横道に入った所に「名柄一里塚」の標識が立つ。(16:15)
標識を真っ直ぐ進むと「猪垣」と思われる石垣が続く。しかし、草がボウボウで整備されている とは思えない。 標識ではこれが古道のはずだが。木に落書きをするなら、下草の刈り取りをする方が先だと・・・・。

「籠立場」 説明→

「名柄一里塚」 説明→

「猪垣?」


川沿いの道を下り、橋を渡る時に「八鬼山」を振り返る。あの山を越えて来たのだ。 橋の上から反対側を見ると美しい「三木里の海岸」が望める。美しい景色だ。
人の姿が見られない道を駅を目指して歩く。途中、酒屋の自販機を見つけロング缶を買い乾杯!! 喉にしみわたる。まだ距離がありそうなので急ぐ。年配の方に会い、駅までの時間を聞くと 大分ある・・・とのこと。ビールを飲みながら進む。
坂を上り「三木里駅」に到着。(14:50)

「八鬼山」

「三木里の海岸」

「三木里駅」


駅の水道で顔を洗い、体を拭き、Tシャツを着替える。暑いが一息付き無人駅のベンチで列車を待つ。 17:09発に乗り「八鬼山」をぐるっと廻るように「九鬼湾」を見て進みトンネルをくぐると降りた 「大曽根浦駅」で車窓から歩いた道を眺めながら進む。
「尾鷲駅」での待ち時間は1分で、売店に行く間もなく喉の渇きを我慢。「紀伊長島駅」で15分程 停車するので売店に行くと閉まっていて、駅前には何もない。我慢。
前回は尾鷲のコンビニで飲み物を仕入れたので問題なく進んだが。
19時前「三瀬谷駅」に着き、特急待機で20分停車。駅員に尋ねて駅から数分の酒屋でビール・酒・ つまみをget。列車でホッと一息付く。美味い。

多気で20分位待ち乗り換えて亀山・柘植・草津と経由し家に着いたのは23時30分。ご苦労様。

「伊勢路」最大の難関と云われる「八鬼山」越えは暑さとの戦いだったが無事踏破出来た。 石畳は山の上まで整備され、古人の智恵と技術はすごいといつも思う。
見晴らしも最高だった。少し霞んでいたが熊野灘・伊勢半島の眺めは疲れを癒してくれた。反面、 初めての「古道反対」の自然を壊すペンキ。主張は良いが行動のやり方は汚点そのもの。
後味の悪い思いを残した少し残念な紀行だった。次に期待しよう!!







    
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