[三木里〜二木島」[二木島〜熊野市]


○ 「伊勢路 No7」見聞録 

7-1.三木里〜三木峠・羽後峠〜曽根次郎坂太郎坂〜二木島
 2004.08.09 12:00〜17:30 晴れ

少し後味の悪かった「八鬼山」越えを終え次のステップと考えていたが、7月末は東から西に進む台風 10号が発生し、その後の天候の回復が遅れた。8月になると熊野灘沖で低気圧が発達し台風11号になる 珍しい台風の影響で三重地方は雨の予報ばかりで紀行の実行を断念していた。
熊野川が増水し濁流として流れている映像は信じられない位の熊野地方の雨量だ。やっと天候が回復 したので出発する。

今回は泊りがけで次の「三木峠・羽後峠」越えと「曽根次郎坂太郎坂峠」越えをし、二木島 で宿泊。翌日は「二木島峠・逢神峠」を越えて波田須経由で「大吹峠」から「松本峠」を越え、 出来れば「花の窟」まで行きたいと計画した。

いつもの様に高槻発 5:24 で出発する。この半月で日の出は遅くなったが、日が輝き始めるガラガラの 電車で草津に向かい、草津発 6:15に乗る。眠らないよう気を付けて柘植に到着。接続の 7:12 発の 亀山行きはいつもの通学客が夏休みで居ず、ユックリと亀山で乗り換え多気へ。
多気での約30分の時間待ちも観光客で一杯だ。半数以上は「青春18きっぷ」利用の乗客のようだ。

9:32発の紀勢線はいつも4人席を独占出来る空きなのだが、年配のご夫婦と同席になる。 浜松から「青春18きっぷ」で「ツヅラト峠」越えを目指すハイカーで、色々と話しながら進む。 名古屋から快速に乗る予定で来られたが、快速は土日のみなので多気まで特急で来られたとのこと。 梅が谷で見送り、車窓から今までの紀行を思い出しながらノンビリと過ごす。下車前に昼食用の おにぎりを食べ、前回乗車した三木里駅で下車する(12:01)。
朝5時前に家を出て、乗り換え・時間待ち等々で7時間かかっている。東京なら往復出来ているのだ。

「八鬼山」の姿を見ながら反対方向に三木里の海岸沿いにR311を進む。ガイドブックではまだ先だと 思っていた「三木峠」の入口が見え驚く。後で気が付いたが新たに地元の方が発掘された「ヨコネ道」 の入口だった(12:20)。(地図を改定しなくては・・・・とその時は思ったが、帰りに熊野市駅の 観光案内所で入手したガイドブックでは「ヨコネ道」が記入されていた。さすが!!)

「三木里駅」

「八鬼山を望む」

「ヨコネ道入口」


入口に置いてある杖を借りて木の階段を上り始める。雨が多いのだろ岩や木には苔が生え、シダと 苔の石畳を上ると木々の間から真っ青な三木里の海が望まれ、そよ風が気持ち良い。 「ヨコネ道」を下ると再びR311に合流する(12:40)。国道沿いには「世界遺産登録記念・植樹」 も植えられ、国道をテクテク。

「苔の岩」

「三木里の海」

「苔の石畳」


国道を進むと本物の「三木峠」入口があり、立看板の説明を読み、新たに設置された案内碑に導かれて 峠を上る。「シダと石畳」が美しい峠道からは時々「紺碧の海」が望まれ疲れを癒してくれる。やがて 120mの「三木峠」に到達し、ここで一息入れ汗を拭う。もうTシャツは汗で色が変わっている (13;00)。
「木の根と石畳」の道を快調に下る。「ヨコネ道」「三木峠道」共に地元の「賀田ルーパーの会」の ボランティアの方々の細かい気配りが感じられる展望の利いた快適な峠道だ。古道を吸収した農道に 降り(13:25)、ツクツクボーシの合唱する中を次の「羽後峠」入口を目指す。やはり立秋を過ぎ、 前回より風が気持ち良く感じる。

「三木峠入口」 説明→

「シダの道」

「三木峠頂上」 説明→


農道を少し進むと「羽後峠」入口に至り、「木立の峠道」を上るとすぐに140mの「羽後峠・頂上」に 到達する。この峠の特徴は山あいにまで開墾した畑を猪から守るために「猪垣」が延々と続く様は 当時の生活の厳しさを教えてくれる。見事な「猪垣」の横を下り、「尾根道」と「猪垣」を楽しみ ながら「賀田羽根の五輪の塔」を見て、賀田の集落に降りる。

「羽後峠入口」 説明→

「木立の峠道」

「羽後峠頂上」


「猪垣」 拡大→

「尾根道」

「賀田羽根の五輪の塔」 説明→



賀田駅の裏側に「北の関所跡」があるが線路を渡る道が分からず、地元の人に聞くと線路下にトンネルが あり潜り抜けると祠が祀られていた。駅前から賀田の海岸を見ながら国道を進むと道筋に「首なし 地蔵」が祀られ、海辺に茂る森の「飛鳥神社」に至る。国道から古道に入ると「六地蔵の灯篭」とも 云われる「曽根石憧」を過ぎると「曽根次郎坂・太郎坂」入口に到達する(15:05)。

「北の関所跡」

「飛鳥神社」 本殿→

「曽根石憧」 説明→


峠の入口で一息入れ、「六地蔵」に送られて「曽根次郎坂・太郎坂」と呼ばれる「甫母(ほぼ)峠」 に踏み出す。昔、ここが「紀伊の国」と「志摩の国」の境で自領(じりょう)と他領(たりょう)が なまって次郎・太郎坂となったとのこと。
「曽根の五輪の塔」や「南無阿弥陀仏名号碑」を見てここにも続く「猪垣」に沿って上ると 「木立の道」「石畳の道」が緩やかに続く。

「曽根次郎坂・太郎坂入口」 説明→

「猪垣」 説明→

「石畳の道」


峠道には「巡礼供養碑」が祀られ所々から「賀田湾の展望」が広がる。「一里塚跡」で一休みする (15:35)。カナカナと蝉の声が気持ち良く汗を拭い水分補給を十分に行う。
「鯨石」と書かれた大きな石を過ぎ「木の根と石畳の道」を上ると「甫母峠」(305m)の頂上だ(15:55)。
昔、ここには「ほうじ茶屋」があったそうで、東屋の横には「峠の地蔵」が祀られている。 掃除も行き届き気持ち良い。ここでも一服する。段々暑さでの疲れの蓄積が感じられる。

「巡礼供養碑」 説明→

「鯨石」 一里石説明→

「峠の地蔵」 説明→


下り道は木漏れ日を浴び気持ちは快調だが、足や体力は時々ガクガクしながら進む。途中、「楯見ケ丘」 の見晴らし場から漁場と絶壁の美しい二木島湾が望まれ、ここでも水分の補給。
急な石畳やなだらかな尾根道を下ると「猪垣」が見られ、寛保元年(1741)に築かれた「猪垣記念碑」か ひっそりと立っている。農作物と猪の戦いが昔から続いていたことが良く分かる。

「木の根の道」

「木漏れ日」

「猪垣記念碑」 説明→



やっと「甫母峠」の出口に到達した。眼下には「二木島港」が輝き、もう少しだと分かっているが、 急な階段には膝が笑う感じだ。やっと港に下りるが、店も見当たらない。橋の上から魚釣りをしている 子供に酒屋さんの場所を聞くが、遠くにしかないとのことであきらめ、民宿の場所を確認して 到着(17:30)。 おばあさんに風呂前にビールを一杯やり、風呂で足腰をマッサージし、ゆっくりとくつろぐ。
夕食は刺身・ガシラの煮付け・手長エビ・サザエ・もずく・魚フライと豪勢だ。ビールとお酒で乾杯!!

昼から夕方までの短い歩行だったが、木影があったとは云え30度以上の峠道は厳しかった。
地元の方々が開拓された「三木峠」「羽後峠」から「甫母峠」と半島の山を越えて行く古道は海抜0m から峠の頂きまでの急な上り下りで後半はきつかった。今日の歩行は27000歩。体力が衰えて来たのか !?
TVを見ながらユックリと休む。さあ、明日は「花の窟」まで行くぞ!!

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見聞録を書き出すとアテネオリンピックが始まり、TV観戦が忙しくなかなか進まない。谷・野村 ・内柴の柔道や北島の水泳とメダルラッシュは嬉しい。男子サッカーは残念だった。
翌日分もユックリと仕上げる予定。







    
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