「熊野古道」Map


○ 「伊勢路・大辺路」紀行を終えて 

2003.11.11に14回・22日間をかけて「紀伊路・中辺路」を完全歩行踏破した。
その紀行の途中、「中辺路」に向かう紀伊田辺の商店街に「大辺路」の分岐点の「道しるべ」と 出会い、「大辺路」トライを刺激された。
その後、「本宮大社」「速玉大社」を参拝し、那智駅の「浜の宮王子跡」を訪れた時、「大辺路」と 「伊勢路・中辺路」との合流点を示す「振分け石」を見つけ、「大辺路」の始点と終点を確認し、 「大辺路」を踏破する意欲をかきたてられた。

「那智大社」を参拝し、「熊野三山」の参拝を終え、「大雲取越え」「小雲取越え」で「本宮大社」 へのお礼参りの途中、「小雲取越え」で「伊勢路」との合流地点の「道しるべ」と突然出会い、 驚くと共に「伊勢路」を踏破して、再びここに戻ろうと決意した。

「紀伊田辺・道しるべ」(大辺路・始点)

「那智・振分け石」(大辺路・終点)

「小雲取越え・道しるべ」(伊勢路・終点)


「紀伊路・中辺路」を踏破したので、「伊勢路」「大辺路」を歩行して「那智の振分け石」と 「小雲取越えの道しるべ」にもう一度訪れようと「伊勢路・大辺路」紀行を計画した。
「伊勢路」「大辺路」は紀伊半島の東側と先端部にあるため往復時間・費用がかかるので、 時間に余裕のある自由人として「青春18きっぷ」を活用して踏破することにした。
又、「中辺路」のように「九十九王子跡」はなく、国道沿いの歩行時、何度も危険を感じた経験から 史跡が少ない国道はJR・バスを活用して進むこととし、「伊勢路・大辺路」紀行をスタートした。

ガイドブック


2003.12.16「青春18きっぷ」を利用して「伊勢神宮」から「伊勢路」をスタートした。
「伊勢路」は「紀伊路・中辺路」に比べると近代の参詣道で、「お伊勢参り」の後、「熊野詣」をする 道として発展したので、石畳が整備され、太平洋・熊野灘の半島の峠越えをする展望の開けた古道が 続く道だ。
しかし、「伊勢神宮」からのガイドブックがなく、サイトで色々と調べ資料を取り寄せた。「東紀州地域活性化 事業推進協議会」からの「熊野古道・伊勢路」のマップを基に進むことにした。
又、「三重県のダイビングと 熊野古道など」の「フミキさん」は「伊勢路」を完全歩行されており、 このサイトも参考に木枯らしの吹く「伊勢神宮」からスタートをきった。東紀州以降は 「くまどこネット」 のサイトを道案内として十二分に活用させていただいた。

一方「大辺路」についても観光協会でマップを取り寄せたが、スタート時点の記述がなく同好の先達 「tatubouの熊野詣の道」 と「中辺路」歩行の時、参考にさせていただいた 「KIKUO'S HOMEPAGE」を印刷して参考にさせていただいた。

「伊勢路」と「大辺路」を「青春18きっぷ」で交互に進むことにした。
2003-2004年の冬休み期間は「伊勢路」を3回に分けて、「伊勢神宮」から紀伊長島まで進んだ。 国道筋の栃原〜三瀬谷、滝原〜梅が谷間はJRを利用したが。
「伊勢路」始点の田丸から 内陸部の峠道「女鬼峠」「三瀬坂峠」を越えて、初めて太平洋を望む「ツヅラト峠」から紀伊長島へ 行き、そのまま近世の「荷坂峠」を梅が谷まで戻った。
内陸部から「ツツラト峠」に上り、輝く太平洋を望んだ時の感動は古人も同様の感激を味わった だろうと。

「女鬼峠」

「ツヅラト峠からの眺め」

「荷坂峠」


◎「伊勢路・伊勢神宮〜紀伊長島紀行」の「紀行スライド」

2004年春休みに「大辺路」をスタートした。
「大辺路」始点の紀伊田辺から歩き始めた。田辺近辺は道が分かり難く迷ったりしながら、 「富田坂」を越えて「安居渡し跡」まで完歩し、バスで日置まで。
「伊勢路」は海岸線の峠巡りとなり、「一石峠・平方峠」「三浦峠」「始神峠」「馬越峠」と太平洋の 展望と見事な石畳を楽しむ。「馬越峠」から足を伸ばして「天狗倉山」「おちょぼ石」からの景観は なかなかのもので、尾鷲まで歩く。
春うららかな古道を桜を見ながら歩くのは快適だ。
「大辺路」 「伊勢路」共に峠から広々とした太平洋を望める開放感は「中辺路」とは違ったやすらぎだ。

「富田坂」

「始神峠からの眺め」

「馬越峠の石畳」


◎「伊勢路・紀伊長島〜尾鷲紀行」の「紀行スライド」

2004.7月に「熊野古道」が世界遺産に登録され、世の中の注目を浴びるようになった。登録以前に 「紀伊路・中辺路」を踏破し、「伊勢路」「大辺路」にもトライしていることに満足しながら計画通り 一歩づつ進もうと再確認した。

2004年の夏休みの「青春18きっぷ」で精力的に「伊勢路」を攻めた。尾鷲を過ぎると往復の時間が 接続時間も含めると15時間にもなる。朝5時前に出発し、23時過ぎに帰宅する強行軍だが、列車の中で 十分眠ることにも慣れて来た。
「伊勢路」最大の難所「八鬼山」では心身の苦しさを味わった。あの落書きは・・・・。
「三木峠」「羽後峠」「曽根次郎坂・太郎坂」を海の展望を楽しみながら二木島で宿泊。 「二木島峠」「逢神坂峠」「大吹峠」「松本峠」を越えて、「七里御浜」の展望を望み「花の窟」へ。
それぞれの峠は個性があり、竹林・猪垣・石畳等々楽しみながら歩いた。木々の間から見る熊野灘は 限りなく広く、特に「松本峠」からの「七里御浜」の長い長い海岸線は見事なものだ。

熊野市から「伊勢路」は新宮の「速玉大社」に向かう「浜街道」と「本宮大社」に向かう「本宮道」に 分かれる。分岐点の「立石の道標」を確認した後、「浜街道」の海岸線を堪能する。途中からバスに乗り 熊野川手前で下車して三重県と和歌山県の境である熊野川を渡り、「速玉大社」に参拝した。
2004.9.9、8回、9日間の行程で第一段階の「伊勢路・浜街道」を踏破した。

「八鬼山・七曲りの石畳」

「曽根次郎坂・太郎坂・猪垣」

「大吹峠・竹林の道」


「松本峠・七里御浜の展望」

「立石の道標」

「速玉大社」


◎「伊勢路・尾鷲〜新宮紀行」の「紀行スライド」

「伊勢路・浜街道」を踏破したので、「大辺路」紀行を急ぎ、「那智・振分け石」での合流を目指 そうと2004年秋・冬休みは「大辺路」に向かった。
「大辺路」は紀伊半島最先端部のため、列車の便が悪く時間がかかるのと秋・冬で日暮れが早いので 制約は多い。
「世界遺産」登録後、「大辺路」関連も含めJRや観光協会のガイドマップが充実され計画が立てやすく なったのは嬉しい。新しいガイドマップで前回の続き「仏坂」「長井坂」を楽しみ、海岸線を串本の 橋抗岩を眺め、小さな「休平峠」「市屋峠」「二河峠」を越えて 湯川まで進んだ。途中国道沿いの田子〜田並、古座〜紀伊浦神はバスで移動した。
「大辺路」は「伊勢路」に比べると起伏が少なく歩き易いが単調だ。でも、太平洋の眺めが気分を 紛らわせてくれる。冬の南紀の歩行は寒さを感じることなく快適だった。

「仏坂・周参見湾展望」

「長井坂・標識と道分け石」

「橋抗岩」


2005.3.14、2005年春の「青春18きっぷ」で、湯川から「那智・振り分石」に到達し、紀伊田辺からの「大辺路」を 踏破した。
以前「中辺路」歩行時に歩いた新宮〜那智と合わせると「伊勢路」「中辺路」「大辺路」で 紀伊半島の三重県・和歌山県の海岸線は全て踏破したことになった。

◎「大辺路・紀伊田辺〜那智紀行」の「紀行スライド」

「伊勢路」の海岸線を踏破したので、熊野市から北へ向かう「本宮道」に進む。内陸部に入るため 日帰りでの紀行は難しく、宿泊しなければならない。今まではスタート地点から順次目的地「本宮大社」に 進めて来たが、交通の便の関係から前後することになる。
「大辺路」踏破の後、JR・バスを乗り継いで尾呂志で宿泊し、翌日は「横垣峠」「坂ノ峠」「風伝峠」 「通り峠」「丸田千枚田」と「本宮道」の峠巡りをする。日を改めて、熊野市から「横垣峠」まで 歩き、前回の空白区間を埋め、翌日に熊野川の「楊枝の渡し跡」までの「本宮道」三重県側を踏破した。
内陸部の峠道は海を見ることは出来ないが、それぞれの峠には個性があり、通る人も少なく古道の 趣が残っている。「丸田千枚田」は冬枯れで寂しかったが、田植え時の緑豊かな風景は美しいだろう と思いながら・・・・。

「横垣峠・頂上」

「坂ノ峠・石畳」

「風伝峠・杉木立と石畳」


「通り峠・東屋」

「丸山千枚田」

「楊枝の渡し跡」


◎「伊勢路・熊野市〜熊野川紀行」の「紀行スライド」

「青春18きっぷ」の発売されていない期間は近場の高野山への「高野道」や吉野への「吉野道」を 歩き、京都から「小辺路」「大峯奥駈け道」への古道を歩いていた。
2005年夏の「青春18きっぷ」でいよいよ最終行程の「本宮大社」を目指すことにした。しかし、 「楊枝の渡し跡」からのガイドブックがないので、熊野川町役場に問い合わして確認したが、時間配分が 不安なので、「伊勢路」の本ルートでないが、歩きたかった「観音道」を踏破した後、実施することと した。
2005.8.19、和歌山県側の熊野川沿い志古の「楊枝渡し跡」から「万才峠」を越えて「小雲取越え」 の「中辺路」「伊勢路」の合流点に進み、「伊勢路」の完全踏破を目指した。
早朝の熊野川からの林道・山道を1年8ケ月の思いを込めて一歩一歩踏みしめ、「小雲取越え」の時、 思わぬ「伊勢路の道しるべ」の出現に驚いた合流点に到達した!!
2年10ケ月振りに「小雲取越え」を思い出しながら歩き、「本宮大社」に4回目の参拝をし、「伊勢路・ 大辺路」の踏破を報告した。ご苦労様!!

「万才峠の頂き」

「伊勢路と中辺路・小雲取越えの合流点」

「本宮大社」


◎「伊勢路・観音道、志古〜本宮大社紀行」の「紀行スライド」

「熊野古道」を歩き始めた時は「伊勢路」「大辺路」の存在も知らなかった。「紀伊路・中辺路」を 歩いている中に「熊野古道」の歴史的な深さや魅了する雰囲気を身を持って感じ、「大辺路」 「伊勢路」の分岐点に遭遇して次への意欲をかきたてられた。
紀行の最中である、2004年7月「世界遺産」に登録され、周りの環境は大きく変わった。ガイドブック・ JR等々内容が充実したのには驚いた。

振り返ると「伊勢路」は11回、13日をかけて180kmを歩いた。「大辺路」は6回、8日で104km歩いた。
紀伊半島の海岸沿いを歩行する古道は開放感に溢れ、温暖で快適な紀行だった。大阪からは僻地とも 云うべき遠い場所だが、道中・紀行時と色々な方との交流に視野が広がった。
又、サイトを通じてたくさんの方々からご協力・助言をいただいたことに感謝したい。感謝・感謝!!

「熊野古道」の「紀伊路」「中辺路」「大辺路」「伊勢路」と踏破することが出来た。
残る「小辺路」は京都から高野山までの「高野街道」「町石道」は踏破し、「小辺路」の中間地点まで 進み、後二泊の予定で「本宮大社」に到達だ。
もう一つの「大峯奥駈け道」は京都から吉野までの「吉野道」を一部抜けているが飛鳥まで歩いた。 空白区間を埋め、飛鳥から吉野に進み、山伏修行道「大峯奥駈け道」に向かわねばならないが、 本格的な山岳コースのため慎重に進め方を検討したい。

「小辺路」踏破でもう一度「本宮大社」に参拝することを願って!!(2005.9.16.記)


(工事中)



    
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