○ 「伊勢路 No12」見聞録 

12.熊野市〜川端街道〜熊野川舟下り〜速玉大社
 2005.10:30 11:00〜15:00 晴れ

夏に「伊勢路」を踏破し、充実した気持ちで「紀行を終えて」をまとめた。その後もいつもお世話になっていた 「くまどこネット」をのぞいていた。 イベント紹介で「川端(川丈)街道ウォークと熊野川舟下り」の企画(無料)を知り、早速申し込む。

「川端街道」は熊野川左岸の古道で、現在では県道に取って変わられて面影が残っていないとのことを、聞いていたので 古道が残っているのであればありがたい。
「中辺路」紀行時、「本宮大社」から新宮の「速玉大社」への行程を古人は「舟下り」をしたとのことで、近隣の行政機関に 問い合わせたが、「舟下り」のルートはなく、仕方なくバスで熊野川を見ながら新宮に向かった。車窓からここを古人は舟で 下ったのだ・・・・と思いながら。

今回の企画は未知の行程を経験出来る素晴らしい企画だ。三重県の企画立案に感謝し、当選するよう願っていた所、 当選の通知をいただき大いに喜んで実施日を待っていた。
11時熊野市集合なので、いつもの「青春18きっぷ」ルートでは間に合わない。途中から特急に乗らないとダメだ。

草津から柘植への列車がないので、いつもと同じ高槻発 5:03 で出発しなければならない。京都で乗り換え、草津に向かう。 草津発 6:15に乗り、柘植で乗り換え、接続の 7:12 発の亀山行きで津で下車する。いつもは多気まで行くが、特急に 乗換える約1時間の間に立ち食いうどんの朝食をし、時間まで駅前をブラブラする。
9:02発の「ワイドビュー南紀1号」に初めて乗る。いつもは鈍行で追い抜かれていた列車だ。車窓から「伊勢路」の峠道・熊野灘を 眺めながら熊野市着11:00。鈍行の場合は12:27着なので1時間半の違いだ。

駅前の集合場所に行き、受付をする。行程表をいただき、グループ札(No4)を首にかけ、バスに乗り込むと参加者で一杯。 空いた席に座り、定刻通り11:15出発する。熊野市・尾鷲付近の方が多く、小生が一番遠くから来たようだ。
主催者の挨拶、語り部の方のコース概要説明を聞きながら「浜街道」を新宮方面に向かう。参加申込み100名以上からバス1台 40名が当選したとのこと、ラッキーだった。お隣の方は「伊勢路」を方々歩いておられるようで、色々と話ながら・・・・。

熊野川に出て、左岸を上って行く。この左岸が「川端(川丈)街道」だ。上皇や貴族らは本宮大社参拝の後、熊野川を 舟で下ったが、庶民は前回歩いた「小雲取り越え」から「万才峠」を越え志古に出て、「楊枝の渡し」で三重県側に渡り、 河口近くの「乙基の渡し」まで熊野川東岸の崖沿いの道を歩いたそうだ。
現在は県道開通によって古道の大半は失われたが、一部残っている所を散策するのだ。バスが進むのには狭い県道を対向車と 譲り合いながら上る。崖下には青い熊野川が望まれる。

12時過ぎに「飛雪の瀧」に到着し、昼食となる。丁度「浅里瀧まつり」が開かれていて、集落の方々や観光客で車が一杯だ。 正面に見事な「飛雪の瀧」が流れ落ち、広場には舞台が設けられ、歌手が来て歌っている。
瀧の側では高校生がヨサコイ踊りの練習をしていたり、太鼓の準備をしている。小さな集落の楽しいお祭のようだ。 「川の参詣道」熊野川の案内板も立ち、古道として徐々にPRされているようだ。
いつも和歌山県側を通るのでこの「飛雪の瀧」は知らなかった。昼食のおにぎりを食べ集合時間までブラブラする。

「飛雪の瀧」

「浅里瀧まつり」

「川端街道説明板」 拡大→


13:15集合で全部で10艘の舟に分かれて乗るので、グループ毎に分かれる。第4グループは4人で若いご夫婦と若い女性だ。その ご夫婦のご主人が「くまどこネット」の紀行記を書いておられる「ずんのすけ」さんで、初対面のご挨拶。いつもコース案内を 参考に歩かせていただいたことに感謝し、ライフジャケットを着用してスタッフの方と5名で乗船する。
石ころがゴロゴロしている河原に下りて舟に向かう。熊野川の水位が低いので、舟は平底船で川魚漁をしている舟だ。 まずは上流の「川端街道」が残っている場所に上っていく。10艘の舟が間隔を取って進むのは壮観だ。
岸の岩には名前が付けられ釣鐘の形をした「釣鐘岩」や白い「骨嶋」を見て上る。「骨嶋」の上の古道は「比丘尼(ビクニ) 転び」と云われる難所で、全国を布教・勧進していた女性が転んだとか。

「平底船に乗船」

「平底船」

「骨嶋」 説明→


15分位で「川端街道」散策の岸辺に着き、ウオーキングをスタートする。古道はほとんど県道開通で崩壊したが、この部分だけが 残っている貴重な場所だ。川沿いの細い階段・岩道を熊野川を見ながら進む。
「熊野古道」は川沿いの道は少なく、今までも山の中のせせらぎは経験しているが、「中辺路」の鮎川からの岩田川沿いの 道だけだったと記憶する。熊野川の川幅は広く、崖の道はなかなか厳しい道だ。途中、後白河上皇の宣旨(命令文書)をもった 使者が引き返したと云われる「宣旨(せんじ)帰り」の難所を注意して歩く。
40数名が一列に並んで狭い崖の道を進む姿は、日頃一人歩きの紀行と違った趣がある。「ずんのすけ」さん達と話しながら 進んでいると和歌山県側の「熊野川舟下り」の舟が下って行く。のどかな光景だ。

「川端街道・川沿いの道」

「宣旨帰り」 標識→

「熊野川下りの舟」


数100mの短い現存する「川端街道」を歩き、県道に上り船着場まで進む。河原に降りそれぞれの舟に乗船し、本格的な川下りの スタートだ。
青空の下、水嵩の少ない熊野川を平底舟は時々浅瀬で底を石にゴツゴツと当てながら下る。
舟底が浅いので、川面と同じ目線で水面・河原・沿岸の岩・木々・山・青空を堪能する。古人も厳しい山道から舟下りで ホッとし、景色を楽しんだのだろう・・・・と。
学生時代、ボートで淀川の川面を上り下りしたことが思い出される。ビル街の真ん中より大自然の熊野川の方がずっと 趣がある。

10艘の川舟が進む姿はなかなかのものだ。浅瀬には水路が設けられている所もあり、大きく波立つ急流を下るスリルもある。 全般には緩やかな流れをエンジンをかけて下る。昔は櫓で漕いでいたのだろうが。

「河原の乗船場」

「熊野川下り」

「川沿いの岩」


「のどかな熊野川」

「青空」

「浅瀬の急流」


秋の気持ち良い陽を浴びての川下りをノンビリと楽しむ。川の中州に「昼嶋」が現われ、上陸する。「昼嶋」は熊野権現が 昼寝をした所、天照大神と熊野権現が碁を楽しんだ所と云われ、嶋の上には碁石のように大きな石が丸く亀裂している。
熊野川の中洲に立ち、上流・下流の流れを楽しむことが出来るとは思っていなかったので、至福の時だ。

「昼嶋」

「碁石のような石」

「昼嶋からの熊野川」


川舟下りは熊野川の河口を目指す。途中、船頭さんから沿岸の岩に大きな「すずめ蜂の巣」を教えられ、驚く。
10艘の舟のうち、前方の舟が島を廻るようにして後について来る。この島が「御船島」で 熊野権現・顕現の霊地として、毎年10月に「速玉神社」の例祭が催されるとか。「速玉大社」からの神輿が河原に着くのが 合図で、早船競争が始まり、「御船島」を3周してゴールするとのことだ。
平底船も1周して下流に進むと赤い「熊野大橋」が望まれ、右手には神倉山と「速玉大社」の森が見えて来た。約1.5時間の 心休まる川下りのゴールに近付いた。この辺りが「乙基(おもと)の渡し跡」で「川端街道」を下って来た古人が渡った渡しとか。

「御船島」

「神倉山と速玉大社の森」

「熊野大橋と平底舟」


「速玉大社」横の河原に到着し、「熊野川舟下り」は終了する。緩やかではあるが、広々とした熊野川を時間を忘れノンビリと 古人と同じ目線で楽しむことが出来、大満足だ!!
スタッフの方、同乗の「ずんのすけ」さんご夫婦、紀伊長島のMさんにお礼を云ってお別れする。本来のイベントはここから バスで熊野市に戻るのだが、小生は明日「小辺路」を歩くので、途中離脱の了解をもらい、別行動にさせていただいた。
事務局の方々にも色々とお世話になり、素晴らしい経験が出来たこと感謝・感謝!!

サイト情報で応募し、「川端街道ウォークと熊野川舟下り」のイベントに参加出来た。「川端街道」の存在は知っていたが、県道に 変わっているとの認識だったが、狭い川沿いの古道が少し残っており、それを歩くことが出来、「伊勢路」のすべての 道を踏破出来た。
「熊野川下り」は念願の行程だった。カヌーを持っている方が下った話を聞き、羨ましく思っていたのが、このイベントで 実現出来、「中辺路」「伊勢路」共通の「川の古道」を大いに堪能し、嬉しい限りだ。
古人が乗ったのと同じような平底舟で、古人と同じ目線で熊野川を下ったこと・・・・・・・!!

「伊勢路」は踏破したことにしていたが、嬉しい行程の追加が出来た。
三重県紀南県民局生活環境森林部生活環境室の方々始めスタッフの方に感謝します。







    
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