[播磨高岡駅~播磨新宮][播磨新宮~三日月駅][リベンジ紀行(東觜崎駅~播磨新宮駅)]


〇「出雲街道.No1」見聞録(播磨高岡駅~三日月駅)・(距離 36.5km(今回)/ 36.5km(累計))

  1.「出雲街道」(播磨高岡駅~播磨新宮・20.3km) 2017.12.06. 10:00~16:30 晴れ


出雲街道マップ
(出雲街道を歩こう
HPより借用)
出雲街道宿場一覧
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「播磨高岡駅~播磨新宮・行程MAP」

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見聞ルートに沿って歩行出来ます。

今年(2017年)10月に「奥州街道・松前道」を岩手県一関市まで踏破し、「旧街道・日本縦断」も鹿児島から岩手県まで線で結ぶことができた。 最終地点・津軽半島までは、まだ300km以上あり、東北地方の冬の間は進めそうにもない。その間に、 「旧山陽道」を一緒に歩き、その後 「京街道」にも同行した小学校以来の友人、O君・N君と会った時、「出雲街道」を歩いて、日本海側から下関に 向かおうと意見が一致し、 実行に移すことになった。久し振りの三人での珍道中が楽しみだ。

「出雲街道」の行程を調べるが、先達の紀行記を見ても色々なルートが記述されており、どれが正解か分からない。 三人の合意の下、「出雲街道」のスタート地点は、姫路の夢前川を渡った所が「旧山陽道」と「出雲街道」の追分だったこと思い出し、その追分から スタートすることにする。
日程調整をし、初回は一泊二日で進むことにし、O君が宿舎の手配をしてくれる。彼の友人で、「旧山陽道」も数回一緒に歩き、最終地点・下関で、 「ふぐ料理」を食べたSさんも参加することになり、楽しい旅の門出になりそうだ。

姫路駅の駅そば

12月6日9時40分、姫路姫新線ホーム集合に合わせ、7時過ぎに家を出る。晴天だが、寒波襲来で、冷え込みも厳しい。 少し早目に姫路駅に着き、恒例の「駅そば」を久し振りに食べる。少し味が変わったのは気のせいか?
姫路駅の姫新線ホームは大きく変わっており、改札口でSさんと3年振りの再会。待合室で待っているとO君・N君も到着し、予定通りの9時46分発の 列車で、一駅先の播磨高岡駅に向かう。
10時、身支度を整えて、「出雲街道」紀行の第一歩を踏み出す。駅前のと食堂は「旧山陽道」紀行時、昼食に「かきフライ」を食べた場所だと懐かしみながら、 「旧山陽道」を姫新線の高架を越えて進む。
高架橋を越えて少し先右に入ると旧街道が通っている。以前歩いた道だと話しながら進むと古い建屋が建ち、「西国街道」と記された新しい道標も 立っている。「西国街道」の風情を残す旧街道だ。この辺りは「西国街道」と呼んでいるが、岡山県に入ると「旧山陽道」と呼ばれ、所々で「西国街道」と 呼ばれているのに、驚いたり、面白かったりした思い出がある。 少し先の道角に「國光大師二十五霊場」の石碑が立ち、側面には「左 たつの道」と記されている。ここから右に曲がって「出雲街道」に行くルートも あるようだが、我々は、夢前川の対岸にある追分を目指す。
夢前川の堤防の手前の道角に「常夜燈」が立ち、夢前川の渡し場を示しているようだ。

旧街道の旧家 西国街道石碑

たつのへの道標

夢前川の常夜燈


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夢前川の堤防に上ると青空の下、紅葉の山々と清流が望まれ、気持ちの良い光景だ。

旧山陽道への道標

出雲街道への道標

左折して、夢前川を夢前橋で渡り、直ぐ右折して進むと次の角に立派な石造りの道標が立っている。これが「旧山陽道」と「出雲街道」の 追分でもある「青山の道標」だ。

夢前川を望む

道標の左側面には「左 備前 九州 金毘羅 宮島 往来」「すぐ姫路 大坂 京 江戸 往還」と記され、 右側面には「右 因州 伯州 作州 雲州 往来」と記されている。
前回の「旧山陽道」紀行では、この辻を左折して進んだが、今回は直進して、夢前川に沿って進むのが「出雲街道」だ。前回は、真っ直ぐ行けば、 「出雲街道」だとも知らなかったのは勉強不足だった。
県道724号線を北上すると左の姫新線余部駅への交叉点を過ぎ、少し先飾西交叉点を右に入り、直ぐの細い道を左に進む。少し進んだ二股の花壇の横に 「道標」が立っている。「右 書写山」「右 ひめち」と記されているようだ。
左に進むと「出雲街道」最初の宿場「飾西(しきさい)宿」の街並みが続く。「本陣跡」と思われる古い建屋や立派な家が立ち並ぶ雰囲気の良い 宿場だ。「奥州街道」では、宿場の名前はあるが、史跡が残っていない所が多く嬉しい。
街道筋には、祠も祀られ、播州屋台の倉庫もあり、宿場の趣きが残っている。

花壇横の道標

飾西宿・本陣跡?

飾西宿の街並み 播州屋台の倉庫


「飾西宿」を出ると郊外に出た雰囲気となる。事前に昼食処を探していると因幡街道との合流点にうどん屋があるが、まだ11時過ぎなので、コンビニで おにぎり等の昼食を仕入れ、何処かで食べることにする。(11]10-20)
左に大きな干上がった長池を観ながら進むと池の端に「北向き地蔵」が祀られている。案内板によれば、 この街道は「因幡街道」と呼ばれていたそうだ。しばらくの間、「出雲街道」は「因幡街道」と同じ道を進むのだ。
県道724号線は、山陽道」の高架下を抜け、山陽道姫路西IC東交叉点まで進むと右に「車石歯痛地蔵」が祀られている。案内板によれば、寛文12年(1672) より幕末まで、揖東郡と飾西郡との郡境で、一里塚もあったと。「出雲街道」に、一里塚が残っているのかも楽しみだ。

北向き地蔵

山陽道に向かって

車石歯痛地蔵


少し先から因幡街道から右に細い道に入って行く。正面にとんがり山が望める田園風景と小さな集落が開ける気持ちの良い道を進む。 道沿いには、「地蔵尊」を祀る祠もあり、のんびりとした雰囲気だ。
少し先右に、赤い鳥居が連なる「石倉稲荷大明神」が祀られている。青空・岩山・赤い鳥居のコントラストが美しい。この辺りは、石倉 集落だが、昔は「石の鞍」と呼ばれている岩山だったと。
そろそろ、昼食を食べる空き地を探そうと川沿いの道を選び、草原を見付けて、ここで昼食とする。マラソン好きのSさん持参のコンロでお湯を沸かし、 豚汁を造って、美味しい昼食タイムとなる。日溜りで、風もなく、快適な昼食だ。(12:00-12:25)

田舎道 地蔵尊

石倉稲荷大明神

昼食


ここまでの行程は順調に進んだが、一回目の大きなミスを犯していた。
先程の「石倉稲荷大明神」の先を右に曲がって行かなければならないのを直進し、川沿いの昼食場所を探す時に反対に進んだようだ。間違いに気付かず、 そのまま反対方向に進んでしまい、どうもおかしいと人に聞こうとするが、誰も居ず、郵便局を見付けて尋ねる。全く反対側に進んだと指摘され、 県道を石倉交叉点まで戻る。約30分のロスタイムだ。地図を確認しながら、原因を分析するが、思い込み以外分からない。要注意だ。
気を取り直して、川沿いの道を進むと前には先程見たとんがり山が望まれ、紅葉が美しい。因幡街道を横切って川沿いの緩やかな坂道を上って行く。 念のため、作業している方に、この先に「姫路西霊園」があるかと確認する。
緩やかな坂道の右に「伊勢茶屋と因幡街道」の大きな案内板が立ち、この辺りに「伊勢茶屋」が建ち「飾西宿」と「觜崎宿」の中間地点として栄えていたと。 地図も示されており、「出雲街道」は播磨の国では、重複している「因幡街道」と呼ばれていたと。
坂を上り、変則的な五差路の一番左を上って行くと「姫路西霊園」の墓地に当たる。まだ造成している墓地の真ん中を「追分峠」に向かって進む。

とんがり山

伊勢茶屋跡の案内板

墓地への道 姫路西霊園


墓地の中を上り切ると金網が塞いでいる。この向こうが、「出雲街道」初めての峠「追分峠」なので、鍵を開けて中に入る。もちろん。入った後は 鍵を閉める。
「追分峠」は私有地となっているので、金網で囲まれている地道を上って行く。笹が生い茂り、細い道が通じているのが分かる道を笹を分けて進むと 少し広くなり、峠道の地道を楽しむ。昨年の台風の影響か、倒木もたくさんあり、木々をくぐって進むと下り道となり、「追分峠」の金網の門に 到達する。

追分峠の入口

追分峠の地道 倒木

出口が近い


「追分峠」を越えると視界が開け、神岡の集落が開ける。「出雲街道」初めての峠だったが、これからの道中、いろいろな峠道を経験することを 楽しみに道なりに下って行く。
右に「稲荷神社」の「常夜燈」を観て進むと三叉路の角に「追分の道標」が立っている。、「左 作州 雲州」「右 因州 伯州」と記されている。 同じ山陰地方でも、出雲国は左、因幡国と伯耆国は右とここが追分となっているのだ。
少し進むと広い道に当たり、左折するとその先に「縁切り地蔵」の案内板が立っている。左の小道に入った右に「縁切り地蔵」の社が鎮座する。 悪縁を切ることに霊験があるそうで、縁結びの神様である出雲大社への参詣の道なので、その道筋に悪縁を断つ意味もあるのかと。 ここで一息入れる。(14:00-14:10)

神岡の集落 常夜燈

追分の道標

縁切り地蔵


「縁切り地蔵」の逸話を題材に、楽しく語りながら。県道を通り抜け、田舎道を進む。
林だ川に当たり、県道まで戻り、橋を渡って川沿いに右に曲がる。川沿いに立派な楠が立ち、その横には懐かしい火の見櫓が立っているその下に 「荒神社」が鎮座している。横には道標が立ち、「右 林田 安志 山崎」「左 因州 雲州 觜崎」と示されている。道標に従って、左の小道に 入って行く。

田舎道

大きい楠と火の見櫓 荒神社

道標


そうめんの里

素麺神社

集落の細い道を縫うように進むが、先程の間違いもあり、同行のひとりが足にマメができたようなので、県道に出て進むことにする。
少し先には、 「そうめんの里」の建物が建ち、「揖保の糸」で有名なたつの市の観光地点となっているが、平日なので、観光客も少ないようだ。
少し先左奥に「素麺神社」の鳥居と本殿が見えるが、パスして進む。
旧街道は、少し先から左に入り、姫新線觜崎駅方面に向かう。姫新線の踏切を渡ると「觜崎(はしさき)宿」となる。 静かな「觜崎宿」の街並みを進むと「本陣跡」らしき立派な建物や屋敷の中に鳥居が立つ家も連なっている。街並みを味わいながら進むと、 正面の揖保川に堤な当たる。
堤防には「寝釈迦の渡し跡」の碑が立っている。当時は、この揖保川を渡し船で渡ったのだと。

觜崎宿の街並み

本陣跡? 鳥居のある屋敷

寝釈迦の渡し跡


堤防沿いを觜崎橋まで戻る。揖保川沿いに上ると「磨崖仏」があるとの案内板が立っているが、夕暮れが早いのと足の痛みを考慮して、行くのを 断念して、揖保川を渡る。さすが、有名な川は美しい。
觜崎橋の上から、姫新線の手前に「觜崎磨崖仏」があり、線路の向こうには「觜崎屏風岩」があることを確認する。橋を渡って、堤防を左に 進むと「磨崖仏拝殿」が鎮座し、渡しを渡った所から拝んだのだろうと。
少し先には、対岸の「寝釈迦の渡し跡」から結んだ渡し場跡には、「寝釈迦の渡し跡」案内図が設けられている。川幅の広い揖保川の渡河は 難しかったのだろう。

磨崖仏の案内板 詳細

揖保川

磨崖仏拝殿 寝釈迦の渡し跡案内板


堤防から細い道を降りるのが旧街道で、新宮町觜崎の集落に入って行く。

新宮町觜崎の集落

明源寺

古い街並みが残る気持ち良い道の右に立派な鐘楼を持つ「明源寺」が建ち、旧街道の趣きを残している。集落を抜けると田舎道になり、視界が広がる。

間違いの検証

この先、悪夢の今回二度目の間違いを犯す。旧街道は右に曲がって、先程渡った觜崎橋からの県道724号線方向に向かうのだが、直進してしまい、 国道179号線まで進んでしまった。地図上では、県道を左方向に行き、国道との交叉点・船渡に向かうのだが、国道に当たり左に進んだのだ。全くの 方向間違いで、船渡交叉点と反対に行ってしまったのだ。
左に間違いの検証地図を示す。黒線が正規の旧街道だが、間違って緑線の方に行ってしまったのだ。
散歩する女性に尋ねると反対側に来ていると指摘されるが、納得できなかったが、反対方向に進むと船渡交叉点に出て、初めて納得した次第だ。
日没も近くなり、足のマメが痛くなるとのことで、今夜の宿泊地・国民宿舎「志んぐ荘」に向かうことにする。旧街道の歩行は諦めて、国道179号線を 北に向かう。コンビニがあり、買物をした後、タクシーを呼べるかと尋ねるとOKとのことで、タクシーに乗って宿舎に向かう。
揖保川を渡って、やっとのことで、暗くなる前に「志んぐ荘」に到着する。(16:30)

夕食①

夕食②

二度も迷って、道を間違えたので、ショートカットしての到着で、不本意だが止むを得ないと考え、気分を切り替えて、大浴場で疲れを癒す。国民宿舎とは云え、 立派な建物で、設備も行き届いているのは嬉しい。
18時から、食事処で夕食となる。反省会を兼ねての「出雲街道」スタートの乾杯をする。ビールが美味しい。
「旧山陽道」のゴール・下関での「ふぐ料理」の美味しかったこと、その道中の想い出話に花が咲き、楽しい宴となる。やはり、気の合った仲間との紀行は、 ひとり歩きと違った楽しさがある。
今日の大きな間違いの要因は、帰宅して分析の上、報告するとして、芋焼酎・ワインを楽しみ、今後の進め方についても話す。津山の桜は有名なので、 その時期に間に合うように計画しようと・・・・。
寝る前にもう一度入浴して、ぐっすりと眠る。

「出雲街道」紀行の第一歩は、二度の間違いで迷惑をかけてしまった。詳細な地図と大局的な地図の両方を加味した判断をしなければ・・・と 痛切に感じた次第だ。これを教訓に、これからの行程を考えたいものだ。
いろいろと迷ったので、本日の歩行歩数は、33600歩だった。


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