[三日月駅~壱本松旅館][壱本松旅館~作東]


〇「出雲街道.No2」見聞録(三日月駅~作東バス停)・(距離 28.9km(今回)/ 65.4km(累計))

  1.「出雲街道」(三日月駅~壱本松旅館・14.5km) 2018.01.28. 9:25~17:00 曇り時々雪


出雲街道マップ
(出雲街道を歩こう
HPより借用)
出雲街道宿場一覧
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「三日月駅~壱本松旅館・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。

昨年12月「出雲街道」紀行をO君・N君と歩き始めた。初日は、道を間違えたりの散々な紀行だったが、播磨地方の自然と宿場の雰囲気が残っているのを 楽しむ快適な紀行だった。「旧山陽道」を歩いた小学校以来の仲間との紀行は、単独とは別の楽しいものだ。
「津山城」のお花見を観るためには、事前にもう一度実施しようと日程を調整し、厳しい寒波襲来で、関東地方も積雪する厳冬の中、一泊二日で 実施する。計画の過程で、「因幡街道」の「平福宿」や鎌倉時代に関所が置かれ、後醍醐天皇が隠岐に流される時に通った「杉坂峠」に立ち寄る案もあり、 当日の状況を見て判断することにした。

1月28日(日)8時・姫路駅姫新線ホーム集合のため、5時過ぎに家を出る。
この10日間の寒さは、数年来の寒波襲来のためで、日本海側・関東地方以北の積雪には驚くほどだった。大阪も積雪はなかったが、氷点下の気温と 北風で寒さに震えた。少し緩んだとは云え、早朝の出発は厳しい。天気予報では、雨の心配はないとのことで、一安心だが、顔を刺すような冷気は 尋常ではない。

姫新線と三日月マーク

三日月駅

高槻発一番の快速電車で姫路に向かう。電車の中で、寒さ当たりか気分が悪くなり、姫路の「駅そば」を食べる気もせず、集合場所に向かう。 定刻には、全員集合して8時16分発の播磨新宮行に乗り、前回歩いた行程を振り返る。道を間違えた付近も・・・・
播磨新宮駅で乗り換えて進むと山々には雪が積もり、積雪があったのだと認識しながら、三日月駅に到着する。ホームにも雪が残っており、丘の三日月マークに 再会の挨拶をして、駅舎で身支度を整える。
8時25分、駅前でイルミネーションの撤去作業しているボランティアの方に送られて紀行をスタートする。
「出雲街道」のルートは色々あるらしいが、今回は、国道179号線を通る卯ノ山峠を越えるコースは止めて、佐用町HPに示されているハイキングコースの国道から 離れた旧街道を選択することにした。
前回の最終地点から静かな「三日月宿」を進むと右に「三日月村道路元標」が立っているので、旧街道だと認識する。その先の志文川(しもんかわ)を渡り、 右折する。本来の旧街道は左折するらしいが、丘の上に建つ「三日月藩乃井野陣屋跡」に向かうのだ。

三日月藩乃井野陣屋跡

緩やかな坂を上ると立派な家が立ち並ぶ乃井野集落の上に、荘厳な雰囲気の「三日月藩乃井野陣屋跡」が建っている。
元禄10年(西暦1697)、津山藩森家の改易に伴って、その分家である森長俊が現在の佐用町三日月の地に移住。佐用町だけでなく宍粟・揖保郡の一部を 含む1万5千石の藩主となりました。以後明治までの174年間、乃井野地区を城下に、政治・文化の中心地として栄えました。
整備された物見櫓は、三日月藩の乃井野陣屋で唯一現存する江戸時代の建築遺構で、現存する陣屋の物見櫓としては、全国的にも希少で大変貴重な 建築遺構であると評価されています。(佐用町HPより)

陣屋の側に行くと堀もある立派な建屋で、当時の藩政の中心部であったことが良く分かる。丁度、開門され、中に入るが内部は 空地が広がり、広大な陣屋の敷地が分かる。
堀には薄く氷も張っており、寒々とした景観だが、大きな鯉が泳いでいるのに驚く。
左の長屋門を入ると案内所があり、土日曜日しか開館しないので、 タイミングが良かった。入口の表札も風格があり見事なもので、さすが藩の中心的な建物だと認識する。

三日月村道路元標

三日月藩乃井野陣屋全景

陣屋の長屋門 通用門の表札


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

陣屋に並んで丘の上には、藩主の森家先祖を祀る「列祖神社」の鳥居が立ち、その横には、京都の石清水八幡宮の播磨別宮として「八幡神社」が鎮座 している。石段が長そうなので、鳥居の前で黙礼して次に進む。
「三方里山公園」と名付けられた丘の上には、小学校が建ち、下り坂の角には「地蔵堂」も祀られている。静かな空間だ。
坂の中腹には「味わいの里三日月」が、地域の物産を売っており、食事処もある。(10:00)

列祖神社

八幡神社

地蔵堂


坂道を下ると国道179号線に合流し、しばらくの間、国道歩きとなる。雨は降っていないが、気温が低く、冷気が漂う寒い中の歩行が続く。 市ノ上の交叉点を過ぎ、少し進んだ所から右の細い道に入って行く。
静かな新宿の集落を進むと右に「十二世神社」が鎮座する。山の方向に長い階段が通じているので、参拝はパスして進む。集落には、立派な家が立ち並び、 旧街道の趣きが感じられる。左に「大廣村道路元標」を確認する。
この辺りに「宝篋印塔」が祀られているはずだと、注意深く探索して行くと右に「宝篋印塔↑」の張り紙が貼ってあるのを発見し、道とは思えない 隙間を入って行くが、途中で行き止まりとなっている。周辺を探すが分からず、戻る途中の崩れた塀の中に「地蔵堂」が祀られている。 旧街道に戻って、地元の方と会い「宝篋印塔」の場所を尋ねるが、分からないとのことで、諦めて進む。少し残念だ。

国道から旧街道へ

十二世神社 立派な家

大廣村道路元標 地蔵堂


やがて、国道179号線に合流する。「出雲街道」のひとつが、この国道を進み卯ノ山峠を越えるルートであるが、歩道もないようなので、今回は志文川 沿いのルートを進むことにする。
少し国道を戻った右に「新宿廃寺跡」の道標が立っているので、細い道に入って行く。この辺りから雪が降り出した。道なりに進むと県道に合流し、 「新宿廃寺跡」は見当たらず、そのまま県道を進むと右奥の畑の中に立札が見える。多分「新宿廃寺跡」だろうと遠くからパチリと。少し早く県道に 出過ぎたようだ。
雪が激しく降り出し、風も冷たくなって、県道歩きは厳しいものになった。辺りは薄暗くなり、寒さが増して来る。

新宿廃寺跡の道標

新宿廃寺跡

吹雪の県道歩き


旧街道は、姫新線沿いに進んでいると滅多に通らない列車に遭遇し、慌ててパチリと。この辺りは、旧南光町の「ひまわり畑」が広がっているが この時期は殺風景だ。
県道を進むと右に「長田の地蔵」が祀られている。県道は土井第一踏切で姫新線を渡り。屋根のある家屋を見付けたので、そこで一息入れる。 温かいお茶を飲み、お菓子を口に入れ、雨具を着けたりと。(11:25-11:35)
地図上の橋の名前が違っていたりで、多少のロスはあったが、無事播磨徳久駅に到着する。雪は少し弱くなったが、まだ降り続き「佐用宿」までの 佐用坂を越えるか否かの判断をする。播磨徳久駅の佐用行列車の時刻で判断することにし、時刻表を確認すると7分後に来ることが分かり、特に 史跡もない佐用坂の歩行はパスし、寄り道の候補であった「因幡街道・平福宿」に立ち寄ることにし、列車で佐用駅に向かうことを決断する。(12:15)

姫新線の列車

長田の地蔵

播磨徳久駅


12時22分発の列車で、佐用駅に向かう。智頭急行の平福駅行の列車時刻を確認すると、約1時間あるので、ここで昼食を取ることにする。

佐用駅

平福駅

今では、津山の「ホルモン焼うどん」がB級グルメとして有名になったが、以前は、ここ佐用が発祥地だった。 2008年冬に、青春18きっぷを使って「カキオコ・ホルモン焼うどん探索の旅」 で佐用を訪れ、美味しい「ホルモン焼うどん」を食べた思い出がある。駅前の店で食べたはずだが、佐用町は2009年の死者も出る大洪水で、大きく 変貌し、駅前の飲食店は無くなっている。 仕方がないので、駅に近い食事処を探し、温かい「鍋焼きうどん」を食べる。冷たくなった身体には、その温かさが身に沁みる。
佐用駅13時32分発の智頭急行で平福駅に向かう。
智頭急行に乗るのは初めてだ。北に向かうに連れ、雪が深くなり、平福駅のホームは雪が積もり、滑り易くなっている。

平福宿・本陣跡の提灯

和風な佇まいの平福駅から佐用川を 渡って進むと右に大きな提灯が掛っているいる建物が建ち「本陣跡」を示す石の碑が正面に置かれている。「平福宿」の本陣なのだ。鳥取池田藩の 本陣として用いたと。
わずか30年で城下町としての用を終えた平福は、その後、江戸時代には因幡街道最大の宿場町として栄えました。城下町から宿場町へ。
当時を物語る古文書、遺構・遺物など伝承されてきた歴史の断片が、町並みや生活品などに残っています。千本格子や蔵造りの家並み、佐用川沿いに 点在する土蔵や川座敷が川面にしっとりと映え、そぞろ歩けば情緒豊かな歴史街道に…。 (佐用町HPより)

国道373号線を渡った所に「道の駅・平福」が建っているので立ち寄り、夜の宴会用のつまみ等を購入し、「平福宿マップ」を入手し、宿場町を巡ること にする。
国道を佐用方面に向かうと温度計があり、1℃と示している。積雪の寒さと冷気で、体感はもっと寒く感じる。雪が残る歩道を注意深く進むと 雪の積もった石段の上に「陣屋門」が建っている。石段の雪の上には、鹿と思われる足跡が残っているのには驚く。

平福宿・本陣跡

道の駅・平福

陣屋門


国道を南に進むと左の空地に「六地蔵刑場跡」があり、六地蔵が祀られ、周辺には墓地がある。昔、刑場がありその供養のため、六地蔵が祀られたと。
その奥には「宮本武蔵初決闘の場」があり、五輪書の序文の碑が立っている。
慶長元年(1596)武蔵13歳の時、新当流有馬喜兵衛の「何人なりとも望みしだい手合せすべし、われこそ天下無双兵法者なり」の高札を見て、初めて の決闘を挑み、一刀のもと倒したと。その高札も雪の中に立っている。この平福の北に宮本武蔵駅があり、この辺りには宮本武蔵の史跡がたくさん 残っているのに歴史的な地域だと思った次第だ。

六地蔵刑場跡

宮本武蔵初決闘の場と五輪書碑

宮本武蔵初決闘の高札


佐用川を金倉橋で渡って、対岸を北に向かって散策道路を戻って行く。ここからの川端風景は「平福宿」の代表的な景観で、雪景色と石垣に並ぶ川座敷・土蔵群は 見事で、薄氷が張る川面に映る建物にしばし魅入る。
また、背後の山に建つ「利神城跡」の標識も雪景色の中に映えている。「利神城」の名前も知らなかったが、慶長5年(1600)関ヶ原の戦いの後、領主池田氏 が平福の領主となり、5年の歳月をかけて利神山上に三層の楼閣を備えた城郭を築いたと。

平福宿・川端風景

利神城跡


静かな川端風景を眺めながら、川沿いの雪道を進んで行く。絵葉書に描かれているような風景は本当に美しい。
川面には、薄く氷が張っており、川に氷が張ることに驚きながら、魚を探すが、この寒さでは何処かに行ったのか姿を見付けることができない。

川端風景

雪の散策道路

石垣に並ぶ川座敷・土蔵群


天神橋を渡り「因幡街道」の落ち着いた街並みを眺めながら進む。所々の家には「因幡街道」と記され提灯が掛っている。旧街道の風情を感じさせる 街並みは嬉しいものだ。枡形もある旧街道を「本陣跡」まで戻る。
「本陣跡」の隣には「金刀比羅神社」が鎮座する。内陸部の平福に、海上安全を祈る神が祀られているのを奇異に感じたが、雨乞いの神でもあるそうだ。

因幡街道の街並み

因幡街道の提灯

金刀比羅神社


道なりに旧街道を進むと立派な寺院がたくさんある。雪景色の「教岸寺」を観て進むと白壁が続く「旧田住邸」の立派な建屋や古風な家や醤油屋と 地域に根差した宿場の景観が続く。寒さは厳しいが、心温まる街並みを堪能する。

教岸寺

旧田住邸

古風な家 醤油屋


枡形を曲がると「平福郷土館・楼屋敷跡」が建っている。入場料を払って、館内の史料や昔の道具を見学する。寒さからか、この辺りの写真を写すのを 失念したようで、記録が残っていない。

正覚寺

利神城跡のモニュメント

宿場周辺を見学したので、駅に戻る途中、国道の向こう側に、立派な鐘楼を持つ「正覚寺」を確認し、寒さに震えながら戻る。
駅前の広場には、国指定史跡「利神城跡」の看板が立てられ、城跡から出たと思われる岩石が置かれたモニュメントもあり、町の観光資源としてPRしようとする 姿勢が感じられる。色々な史跡が残り、景観も美しい「因幡街道・平福宿」を満喫した。(15:15)
和風の平福駅待合室で少し待ち、15時31分発の列車で、佐用駅に戻る。有意義な寄り道だった。
佐用駅に戻り、「出雲街道」の「佐用宿」の入口である佐用峠を降りて来た上町まで戻る。播磨徳久駅からこの地点までの佐用坂を雪のためパスしたが、 「佐用宿」は進むことにした。
しかし、宿場の面影はなく、大洪水の影響もあり寂しい限りだ。まずは、県指定の天然記念物、根回り9.4m、樹高28mの「佐用の大イチョウ」を探すと JRの線路際に植わっているのを 発見し、雪の線路際に上る時、滑って転ぶアクシデントもあったが、ポイントを抑えることができた。
旧街道を佐用駅に戻るが、立派な鐘楼が建つ「常徳寺」を観る位で、史跡も見当たらず、寂しい限りだ。洪水の後遺症は、未だ回復していないようなのも 寂しい。しかし、佐用駅前には「少女像」が飾られているのは、明るくしようとしているのだろうか。

佐用の大イチョウ

常徳寺

佐用宿の街並み 少女像


佐用駅前から右折して、佐用川を渡り、国道179号線に出る。しばらくの間は国道歩きとなり、途中「佐用城跡」の標識があるが、山に登るようなので パスして進む。国道左に、小さな公園が整備されており、陶器製の案内地図が設置されている。
山脇大橋で佐用川を渡る。川幅も広く、水量も少ないこの川が、大洪水を引き起こしたとは思えない位で、自然の恐ろしさが良く分かる。川沿いの道を進み、 姫新線を踏切で渡り、少し薄暗くなった旧街道を進む。

国道沿いの小公園

佐用川

佐用川沿いの旧街道


佐用川が大きく右に蛇行する手前の踏切を渡り、佐用川を渡って、国道に戻る。

壱本松旅館

夕食のぼたん鍋

17時、本日の宿泊地「壱本松旅館」に到着する。
旧街道沿いで、佐用と上月の間に位置するこの旅館は、昔の旅籠ではと思ったが、ご主人の話では、50年ほど前に建った旅館だと。
部屋も広く、早速、部屋の風呂に入り、冷たくなった身体を温める。今夜の食事は、O君が事前に温かいものが良いとリクエストしてくれていて、 「ぼたん鍋」と聞き、豪勢なことだと喜んだ次第だ。
ビールで乾杯し、温かい「ぼたん鍋」を楽しみながら、今日の反省会。雪と「平福宿」見学の寄り道をしたため、「佐用坂」の歩行はパスしたが、変化に 富んだ紀行だったと。ビール以外は、持参の日本酒・ウイスキー・芋焼酎で、楽しい時間を過ごすことができた。
満足して、部屋に戻り、再び反省会。明日の予定や津山までの進め方等検討し、時間調整ができれば、後醍醐天皇が通った「杉坂峠」に立ち寄ることを 決めて、ぐつすりと眠る。
本日の歩行歩数は、33000歩だった。


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