[三日月駅~壱本松旅館][壱本松旅館~作東]


〇「出雲街道.No2」見聞録(三日月駅~作東バス停)・(距離 28.9km(今回)/ 65.4km(累計))

  2.「出雲街道」(壱本松旅館~作東バス停・14.4km) 2018.01.29. 8:00~15:00 曇り時々晴れ


出雲街道マップ
(出雲街道を歩こう
HPより借用)
出雲街道宿場一覧
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「壱本松旅館~作東バス停・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。

寒さによる疲れと「ぼたん鍋」と美酒の酔いで、ぐっすりと眠り、4時過ぎには目覚めた。 天気予報では、昨日よりは暖かくなりそうで、雨・雪の心配もなさそうなのは有難い。

美作市 出雲街道マップ

今日は、兵庫県から岡山県への県境越えの歩行となるが、このルートも いろいろとあり、鎌倉時代の「杉坂峠」越えや国道179号線の「万能峠」越えもあるが、県境の地道が通じているか心配な「萬ノ乢(まんのたわ)」越えの 道を選ぶことにしている。
「萬ノ乢」越えは、藪こきも覚悟して進もう話し合っているので、雪が積もっていれば大変だと。それも楽しいかとも考える。
岡山県に入ると美作市の紀行となるが、サイト上で素敵な地図を発見し、美作市役所に、その地図を送ってもらえないかと依頼すると友人の分を含め、 3部送っていただいた。
美作市を横切る「出雲街道」のルートや史跡が克明に記され、裏面には「土居宿」と「楢原宿」の詳細図が示されている 優れものだ。

朝食

後醍醐天皇が隠岐に流される時に通った「杉坂峠」には、昼食場所からタクシーで行くことも考慮することにし、柔軟に対応することにした。
帰路は、中国自動車道の高速バスを利用するので、美作インター・バス停まで進めればベストだと、これも柔軟に考えることにする。
7時から美味しい朝食をしっかり食べ、旅館のご主人に「萬ノ乢」ルートを尋ねるが、通ったことがないが、南斜面なので、雪はないのではないかと嬉しい推測に安堵する。 この旅館も、佐用川の洪水で、一階は水没して大変だったことを聞き、その大洪水の威力を再確認した次第だ。
8時、身支度を整え、サービス満点だった「壱本松旅館」を出発する。
佐用町の歩行は、昨日も用いた「佐用町ハイキングコース」のマップを活用することにし、 薄日が射し、空気は冷たい絶好の紀行日和だと国道を上月駅方向に向かう。
少し先左の太陽光発電盤の後ろに「一里塚跡」の松の木が植わっている。対にはなっていないが、一里塚の形を保っているのは嬉しい。 国道の歩道で、佐用方面に通う高校生の自転車とすれ違うが、全員、おはようございますと挨拶してくれるのには驚いた。小学生の挨拶は良くあるが、 高校生が挨拶してくれるのは珍しい。佐用の教育はgoodだ。
少し進んだ左の川沿いに立派な「速淵の里モニュメント」が立っているのを観ながら、国道歩きを続けると、前面の丘が「丸山城跡」だと思いながら 上月駅に向かう。

一里塚跡

速淵の里モニュメント

丸山城跡の丘


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

上月三差路の交叉点を右折すると少し先左にJR上月駅が建ち、無人駅だが農産物の物産店を併設している。トイレ休憩を兼ねて一息入れる。(8:35)
駅前から国道から離れて、右の旧街道を進む。上月町庁舎の横から左折すると「八幡神社」の鳥居と石段があるが、黙礼して次に進む。道なりに旧街道を 進むと国道179号線に合流し、金屋橋と力萬橋を渡り、右折して川沿いの道を進む。川沿いの静かな道を進むと「西庄屋小学校乃址」の碑が立っている。
道なりに進むと姫新線の力万踏切を渡り、大日山川の川沿いの国道をしばらく進む。。

上月駅

八幡神社

西庄屋小学校乃址の碑 力万踏切


国道を進むと大日山川を渡った樫ケ淵橋から右に折れて、川沿いの旧街道を進む。
国道から離れた川沿いの旧街道には、桜並木が続き、まだ蕾は固いが、春には美しいお花見スポットになるだろうと想像する。右の大日山川の向こうには 姫新線が走り、山が迫り、気持ちの良い旧街道だ。
判官恋橋と名付けられた橋の上で一息入れる。お湯を沸かし、温かい紅茶を飲むと体が温まり、ホッとするひと時だ。休んでいると、地元のお婆さんが 来られ、いろいろとお話しする。毎日散歩で、この辺りを歩いていると元気な方だ。これから進む「萬ノ乢」の方向を聞くと方向を指さしていただき、 山上まで道が通じていると。実際に歩いたのことで、一安心だ。(10:45~11:00)

大日山川の桜並木

大日山川の景観

橋の上の休憩


休憩を終え、川沿いに進むと国道179号線に合流する。この国道を進むと「万能峠」を通る「出雲街道」の一つのルートであるが、本日は、国道から 離れて、左の細い道に進む予定である。
その道を探しながら進むと左に細い農道のような道があり、山際に道標らしい看板が立っているのが見えたので、その細い道に入って行くとはっきりと 「出雲街道」と記された道標が立っている。この道で、間違いないと確信して雪の残る地道に入って行く。

出雲街道・道標 左折する道

雪の残る地道

山際の旧街道


雪の残る地道には、人の足跡も残り、峠道を上った人がいることに安心しながら進むと残雪に獣の足跡が残っている。O君が独特の洒落て、指が10本 あるから「てん」だと。10本=tenの洒落に大笑いだ。猪なのか?
峠道は、杉木立の中に入り、右側には姫新線の線路が眺められる。線路の標識に「神戸支社・岡山支社」と記されている。ここが、JR西日本の兵庫県と 岡山県の県境なのだ。雪道を線路を見ながら進むと汽笛が聞こえる。万能トンネルを抜けた列車が来る合図だ。慌ててカメラを構えて、パチリと。粉雪を蹴散らし ながら1両の列車に巡り合ったのだ。

獣の足跡 杉木立

線路の標識

姫新線の列車


峠道を上って行くと横を流れる小川の水がつららとなって凍っている。寒いのだ。
前面に溜池の堤防が現われ、上り切ると大きな万能池が水を湛えている。驚いたことに、池の水は凍っていて、石を投げるとカラカラと氷上を転がって行く。 小川のつらら、池の氷と夜中の寒さが分かる光景だ。
先達の紀行では、この万能池から「萬ノ乢」までの間の上り坂が、ブッシュで覆われて歩き難いとあった。その紀行記に記されていたように「出雲街道」の 道標が立ち、その先には地道が続いている。お婆さんが云っていた通り、道は通じていることを確認し、一息入れる。(10:45)

小川のつらら

万能池

出雲街道の道標


「出雲街道」の道標から、開拓された地道・草道を上り出す。
上り坂の両側は、笹藪がそのまま残っており、地元の方の手入れされたことが良く分かる。

萬ノ乢の木柱

記念撮影

何時の時点で復元されたのか分からないが、 先達の方々には、藪を分けて数10m進まねばならなかった方もおられたのに、有難いことだ。
藪こきの苦労もなく、急勾配になって来た峠道を上って行く。
旅館のご主人が云われた通り、南斜面なので、全く雪も残っていない坂道を歩行に苦労することもなく、少し息を切らしながら上ると 前方に空が見えて来て、頂上が近いことが分かる。
兵庫県側の坂道を上り切ると平地になり、岡山県側の下り坂が通っている。
頂上の平地には「萬ノ乢」と記された木柱が立ち、両側に「右  播州姫路江十五里」「左 作州津山江八里」と距離を示す標識も立っている。
「乢」は山の鞍の部分で、一方から他方へ越えるところのことだという。「たお」または「たわ」と読む。 「峠(とうげ)」は「乢越え(たわごえ)」が、なまったものらしい。(先達のHPより)
「出雲街道」の播磨の国から美作の国に到達したのだ。不安だった旧街道を踏破したのだ!!
充実した気持ちで、リュックを降ろし、一息入れ、記念撮影をする。陽の光が気持ち良い。
これから進む「土居宿」の道標も立ち、少し上の山際には「供養塔」も祀られている。小さな広場で、お茶を飲み、お菓子を口に入れ、「萬ノ乢」到達に 満足する。(11:00-11:15)

開拓された地道

萬ノ乢頂上付近

道標 供養碑


さあ、美作の国への出発と意気込んで坂道を下って行く。
ここからは、美作市役所から送付いだいた「美作市出雲街道マップ」を参考に進むことになる。佐用町側の上り坂と違って、美作市側の下り坂は整備されて おり、「奥州街道・松前道」で歩いた栗原市の旧街道 と同じように、地元の方のご苦労が感じられる地道が続いている。
下り坂は山陰になっているので、整備された道には雪が残っている。少し下った左の小さな丘の上に石碑が立っている。この碑は、寛政5年(1793)、 土居の俳人が松尾芭蕉の百回忌を記念して建てたという「梅香塚」で、
「むめ(梅)が香にのっと日の出る山路かな」と 記されている。「奥州街道」紀行時に良く見る「芭蕉句碑」をこの地で見るとは思わなかった。
快調に坂道を下って行くと、左に万能トンネルの出口も見え、更に下ると列車の音が聞こえるが、谷間を通っているようで、姿は確認できなかった。 坂道の途中には「出雲街道」の小さな道標も立てられ、「出雲街道を保存するためのお願い」の立て看板も立っている。このボランティアのご努力で、 道の整備や道標が立てられたのだろう。姫新線の線路を渡って、「土居宿」の中心地に向かう。

雪の下り坂

梅香塚

整備された下り坂


緩やかな坂を下って行くと小学校横の広場の奥に「四ツ塚」や「安東鐡馬の碑」が祀られている。「四ツ塚」は、 尊王派として活動していた志士4名を、 地元住民が死に追いやり、遺体を損壊したと。しかし、 4人と揉めた一人の住民が、彼らを強盗と偽った為に起こった事件だと分かり、 反省から碑を祀ったと。
小学校の塀には、大きな「土居宿案内図」が掲げられ、 国道の高架下を抜けると「東惣門跡」の標識を付けた家があり「土居宿」に入って行く。史跡の跡の家には、「脇本陣跡」「高札場跡」等の標識が 記されており、地域の「出雲街道」への熱意が分かる。
人通りのない「土居宿」の街並みを楽しみながら、史跡の標識を確認しながら進むと「本陣跡」の標識を発見する。民家の元は、本陣だったのだ。

四ツ塚・安東鐡馬の碑 土居宿案内図

土居宿の街並み 脇本陣跡

本陣跡


旧街道を進むと立派な「西惣門」が建ち、右に曲がると無人駅の土居駅が建っている。昼食場所から「杉坂峠」に行くためのタクシーの電話番号をメモして 、トイレ休憩も兼ね一息入れる。(11:45-11:50)

西惣門

旧街道に戻り、「西惣門」の見学に訪れる。
この惣門は、慶長年間(1596-1614)に幕府による出雲街道の整備にあたり、ここに美作七駅の1つとして土居宿駅を定めた際、東と西の出入り口に 関門を設け、朝夕門番によって開閉し、国境の警備のために建築されたもので、明治2年の関所廃止令により取り壊されたものを平成13年3月 復元建築したものです。
門の造りは、高さ6m50cm、幅7m88cmで高麗門形式です。宿場町の両端に惣門を備えていたのは、全国的にもまれな事例といわれています。
門のとなりには「四つ塚志士顕彰碑」が建てられ、周辺には一里塚など歴史に触れることができます。 (美作市HPより)

「西惣門」の中には、先程見た「四ツ塚」志士顕彰碑」が立てられており、「土居宿」住民の心情が良く表れていると思う。
「土居宿」を出て、次に進む。山家川を渡った右に「一里塚」の松が植わっている。佐用で見てから「萬ノ乢」を越えて一里を歩いたのだ。峠越えで、 少し長い気もする。
こうして「一里塚」が残っているのは嬉しい。これからの行程にも期待したいものだ。

土居駅

四つ塚志士顕彰碑

一里塚


美作市のマップでは、しばらくの間、国道179号線を進み、左の旧街道に入って行くのだが、先達の紀行でも分かり難いようだ。また、昼食場所と考えている 国道沿いの中華料理屋は、その先にあるので、昼食後、どうするか考えねばと。
右に山家川を見て、国道歩きとなる。国道横に、小さな「供養祠」が祀られており、横に「出雲街道道標」が立っている。この辺りから左に入って行く のかも知れない。新しい歌碑が立っていたり、古い石碑が祀られていたのを観ながら進むと目的の中華料理屋を発見する。
それぞれが好みの品と餃子を注文し、温かいチャンポンで、冷たくなった身体を温める。女将さんや地元のお客さんに「出雲街道」のルートを聞くが、 数人の方も知らないと。後ろの山の中の道も、余り知らないと。ただ、少し先から左に入る道があるので、確認してはとアドバイスをいただく。
ここから、タクシーで「杉坂峠」に行くことも検討していたが、時間の都合もあり、断念することにする。(12:40-13:30)

国道歩き

供養祠 古い石碑

昼食


地元の方に教えられた左に曲がる道を探しながら進む。

立派な碑と出雲街道道標

間違って山道を進む

右の山家川を渡り「杉坂峠」に向かう道を過ぎた先に、立派な「竣工記念碑」が建ち、その横に「出雲街道」の道標が立っている。道標の横には 「左 城近坂」と記されているので、この道を上り、西側に進むと美作江見駅に向かえると確信して、細い農道を上って行く。
突き当たりを右(西)方向に進み、地道に入って進むと大きな溜池があり、更に奥に進むと雪も残り、どうも間違いのようだと。諦めて、国道に戻る 途中で、地元の方に会い「出雲街道」のルートを尋ねるも知らないと。ただ、この先にある「六地蔵」は、国道を西に進むと左に上る道の頂上付近に 祀られていると教わり、礼を云って国道に戻る。
少し国道を進むと左に急な坂道があり、上って行くと「六地蔵(北向地蔵尊)」の祠が祀られている。その前に、細い道が東に通じているので、この道が旧街道なのだと 思うが、確認するだけの気力はなく、急な坂道を下って行く。
古い街並みを通り、吉野川を渡り、姫新線の踏切を渡って国道に出て、少し進むと右に旧街道が続いているのを確認して、美作江見駅に向かう。

旧街道への坂

六地蔵(北向地蔵尊)

吉野川


美作江見駅に到着して、今後の進め方を検討する。予定の美作ICまでは、まだ6km余りあるので、本日の紀行はここで終了することにする。(15:00)
中国自動車道の高速バスの時刻表で、作東バス停から乗車することにし、駅前の食堂で休憩する。ここで、初めての経験をし、楽しいエピソードとなった。 老夫婦が経営する駅前食堂で、ビール2本注文するが、なかなか出て来ない。お婆さんに聞くと奥に取りに行っていると。話をするが、少しピントがずれて いて、会話が続かない所に、お爺さんが、何と缶ビール・ロング缶2本持って来たのだ。何処かで買って来たと。食堂で、買って来た缶ビールを飲むのは 初めての経験で、外に出て大笑い。微笑ましいエピソードに満足する。
タクシーで作東バス停まで行き、15時59分のバスで大阪に向かう。ガラガのバスで、ゆっくりとくつろぎ、ウトウトと眠りながら。N君が千里ニュータウンで見送り、 大阪駅まで進む。軽く夕食兼反省会をして、次回の再会を期してお別れする。充実した気分で、20時半頃帰宅して、風呂で疲れを癒す。今日の歩行歩数は、 昨日と同じく33000歩だった。

二回目の「出雲街道」紀行は、雪の中の紀行、寄り道した「平福宿」見学と面白い一日目だった。二日目は「萬ノ乢」越えの心配があったが、無事踏破し、 岡山県に突入し、「土居宿」に到達した。それから先の行程は、地図通りでなく迷った結果、目的の美作ICまで届かず、作東バス停までとなったのは 残念だ。
次回は、所期の目標通り、「津山城」のお花見を目指したいものだ。今年の冬は寒いので、桜の開花は少し遅れるか・・・・??


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