○ 「東高野街道No1」見聞録 

1.石清水八幡宮〜野崎観音
 2004.04.26 07:00〜15:40 晴れ

「伊勢路」「大辺路」の紀行は順調に進んでいるが、「伊勢路」は余りにも遠く交通費もバカになら ないので、夏の「青春18きっぷ」販売まで中断することとした。
その間に先日訪れた「石清水八幡宮」の宮司さんからお聞きした、八幡が「紀伊路・中辺路」と 「高野路・小辺路」の分岐点とのお話に興味が沸き、調べると八幡から「東高野街道」が高野山に達っし ていることが分かった。

高野山には「高野山町石道」と云う趣がある古道もあり、「高野山」へのルートを踏破してから 山岳コースの「小辺路」を多少不安があるがスタートしたい。
「東高野街道」は生駒・葛城・金剛山の山裾である河内を北から南へ縦断するルートで、北・中河内は 訪れたこともあるが、南河内は未知なので「東高野街道」を歩きながら見聞を広めたい。

久し振りの近場の紀行だが、6時前に出発し、始発のバスで枚方へ。京阪電車との接続が悪く八幡市着7:00.
まだ出勤の人もまばらな中を「石清水八幡宮」に向かう。「頓宮」の門は開いていないので、「能蓮法師」 歌碑を見て、 表参道へ横から入り、静かな参道の石段を上る。竹の名産地である八幡の筍が参道横の竹林から にょきにょき顔を出している。散歩されている方と挨拶しながら本殿へ。(7:30)

能蓮法師歌碑 説明→

表参道


朝日を浴びて輝く本殿に旅の無事を願って参拝し、前回は訪れなかった本殿の裏へ廻る。校倉造りの 建物や神殿が祀られている。社務所で記帳を頼むが若い神官しか居らず、出来ないとのことで諦め、 裏参道から下る。

神門から本殿

本殿

校倉造り


裏参道の急な石段の途中に石清水のもとになる泉が湧き出る「石清水本殿」が祀られ、井戸には湧いて いるとは思えない水が溜まっていた。寛永の文化人である「松花堂昭乗」の庵跡の碑を見ながら下る。
下った所にある「泰勝寺」の門前には「松花堂昭乗」の説明があり、松花堂弁当の発案者として有名だ。 (7:50)

石清水本殿

松花堂跡

泰勝寺 説明→


道角に八幡市の「道しるべ」が設置されており「道しるべ」に導かれて進む。この辺りは寺町なのか 寺院が多く「善法律寺」「正法寺」と寺院の説明を見ながら進む。

八幡市・道しるべ

善法律寺 説明→

正法寺 説明→


街角には古い「道しるべ」が所々に残っているのに驚きながら南へ進む。豊臣秀頼が再建したと云われる 「八角堂」と石仏に参拝し(8:20)、「松花堂美術館」に行くが休館日。交差点には「高野街道」とはっきりと 刻まれた「道しるべ」が堂々と立っている。

八角堂 説明→

松花堂美術館

高野街道・道しるべ


南に進み国道1号線にぶつかり国道に沿って進む。坂を上ると「洞ヶ峠」の茅葺茶店が見える。 「洞ヶ峠」は筒井順慶が『洞ヶ峠を決め込』んだ場所とか。(9:05)
この辺りは何度か車で通っているが、茶店等あるのに気付かず、歩行する視点で眺めると見聞が 広まることを実感した。
淡々と国道を進むが歩道が広いので「中辺路」のR42を歩いた時の身の危険は感じない。暑くなって 来たのでベストを脱ぎ、ガイドブック通り少し国道を外れたりしながら「招堤の新大池」を見て 進む。

洞ヶ峠・茶店

招堤・新大池


出屋敷から国道を外れて小道に入る。「紀伊路」を歩いた時よく道が分からなくなったり、迷った。 その時の経験から、『古道は狭く・古い道』と学習したので、小道を進むと年配の女性と出会い 確認すると「東高野街道」の名前が出たので一安心。
出屋敷の集落は初めて古道らしい趣があり、旧家の垣根の間に「東高野街道」の「道しるべ」がある 街並みで「円通寺」の垣根に「東高野街道」の説明があり、歴史を感じた。

出屋敷の街並み

垣根の道しるべ

円通寺 説明→


古い街並みを出るとR18に沿って単調な道を歩くが、ドライブする道なので興味深く眺めながら進む。 四辻を過ぎ、村野浄水所の近くの「くら寿司」は時々行ったことがある。こんな所まで歩いて来たのに 驚く。

出鼻橋を渡って左に行くのをそのままR18沿いに進んだので、郡津の集落の古道を見落としたのを 京阪交野線を越えた所の「案内板」で気付くが後戻りはせずそのまま進む。
ガイドブックにある「掛松地蔵」を探すが分からない。R18から左に入る道が分からず、小道に入り、 おばあさんに聞くが知らない。戻って少し進んだ所で畑仕事をされていたご夫人に尋ねると親切に 教えていただく。大分行き過ぎていて約500m位戻ったキリン堂を曲がり、西松屋を右折して田舎道に 入った角に石碑があり、横の木陰に立派な「掛松地蔵」が祀られていた。
道端に「お地蔵さん」が祀られているのを見ながら、畑の中をJR星田駅を目指して進み、JRをくぐり 駅前で食堂を探すが一軒しかなくそこで昼食とする。(12:10)

交野の案内板

掛松地蔵 説明→

道端の地蔵


昼食後出発する。(12:50)ここからの小道も落着いた感じで気持ち良い。古い石燈篭を見て、府道に出て しばらく歩き、左の小道に入り「弘法井戸」を探すと寝屋川市の道しるべ独特の「鉢かつぎ姫」の モチーフと井戸を発見。可愛いモチーフが疲れを癒してくれる。

星田の街並み

石燈篭

弘法井戸 説明→


府道を横切り、「鉢かつぎ姫」の道しるべに導かれて進むと「四ツ辻の道しるべ」が大きく目立つ。 東寝屋川駅(13:15)でJRを越え、狭い府道を歩く。

鉢かつき姫

四ツ辻・道しるべ 説明→


明和小学校を過ぎた道角に大きな「二月堂灯篭」があり、一休み。道なりに進むと「正縁寺」に至り 門が閉まっていたが木戸から中に入る。石仏がたくさんあり、「十三仏」の石碑が祀られている。
十三仏信仰は南北朝時代から普及し、死者追善法要で、配列は下段右から初七日(不動)、二七日 (釈迦)、三七日(文殊)。下二段左から四七日(普賢)、三十五日(地蔵)、四十二日(弥勒)。 下三段右から四十九日(薬師)、百日(観音)、一周忌(勢至)。四段左から三回忌(弥陀)、 七回忌(阿しゅく)、十三・十七回忌(大日)の仏に続き、主尊に虚空菩薩が配されているとのこと。

二月堂灯篭 説明→

正縁寺 説明→

十三仏 説明→


小道を鯉のぼりを見ながらJR忍ケ丘駅に向かう。(13:50)忍ケ丘から四条畷への「東高野街道」について 事前にサイトで調べていたので、そのルートにある「とんぼ公園」を探す。公園の「案内板の地図」を 参考に歩を進める。
小道をうねうねと進み、「三徳稲荷」を曲がって市民総合センターを過ぎた四つ角に角柱・石碑・地蔵の 「道しるべ」が立ち、角柱には「右清滝街道、すぐ東高野街道」と刻まれている。

とんぼ公園

案内板の地図

道しるべ


案内板の地図に従って進むと「墓の堂古墳」の共同墓地に至り、墓地内には「十三仏」「六地蔵」が 祀られている。
「六地蔵」は「人間は、前世の業によって、地獄・餓鬼・畜生・修羅・人間・天上界の 六道を輪廻するという。この六道世界での苦しみを軽減すべく、死後の守り神として六地蔵を祀る」 とか。
「歴史民俗資料館」を通るが休館日で、再びR170に出ると「楠正行(まさつら)」の家臣であった 「和田賢秀の墓」に至る。

墓の堂古墳

六地蔵

和田賢秀の墓 説明→


賑やかなR170を南下すると「四条畷神社」の大鳥居に迎えられ、山手の神社に向かう。参道を通り、 きつい石段を上ると楠正行を祀る「四条畷神社」の静かな境内に到着。社務所で朱印帳への記帳を お願いし、参拝する。子供の時ここに来たことがあったが、全て忘れている。(15:00)

四条畷神社・大鳥居

四条畷神社・石段

四条畷神社・本殿 説明→


落着いた境内を後に元のR170まで戻り、山沿いに歩を進めるが、歩道も無く歩き難い。国道から 左に入り「野崎参り」で有名な「野崎観音」に向かう。きつい階段を上り、本堂に進む参道はつつじが 美しい。境内には歌舞伎で有名な「お染・久松」の碑などもあり、河内平野を展望する。

野崎観音 説明→

野崎観音・本堂

お染・久松の碑


「野崎観音」の参拝を終え、参道をJR野崎駅に下る。さすがに足が疲れて来た。(15:40)
「四条畷神社」「野崎観音」は小学低学年の時に来たことがあり、子供の時住んでいた家が変わったのを 確かめるため、途中下車して確認した後、学研都市線で北新地まで行き、梅田の居酒屋で乾杯する。

京都府八幡市から大阪府枚方市・交野市・寝屋川市・四条畷市・大東市と歩いたわけで、ある程度知っている 所なのでよく歩いた・・・・と自分なりに驚く。今日の歩数は48000歩で「中辺路」の御坊〜田辺の 50000歩に比べると疲れは少ない。あの時は暑さと国道歩行の厳しさでバテバテだった。

順調に「東高野街道」をスタートすることが出来た。まだ行程が始まったところだ。大阪の知らない 所を見聞することも楽しみに高野山に向かって進めたい。「高野山町石道」は趣があるそうなので、 「西高野街道」との合流地点の河内長野に到達し、紀見峠峠を越え高野山の入口に!!









    
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