○ 「高野街道」見聞録 

1.河内長野〜学文路(かむろ)
 2004.05.18 07:10〜14:20 薄曇り時々小雨

梅雨のはしりと天気予報では云い、台風2号が発生したので今週の天気は晴れ間が少ない。 その中で、明日の天気は晴れるとのことで、河内長野からの「高野街道」をトライすることにした。
今回も三日市までは、前回活用させていただいた 「史跡を訪ねて楽しく歩こう」 のガイドで進め、以降は「高野山を歩く」を指針にして進めることとする。

前回と同じく5時過ぎに出発し、大阪・新今宮で乗り換え、時間待ちの間におにぎりの朝食を 食べて、南海電車で河内長野に着いたのが7時10分。
立派な「河内長野駅」を後に、前回の「長野神社」の横の細道に入る。土塀の落着いた道を進むと 天野酒の醸造元「西条酒造」の黒壁を眺め、前日の激しい雨で増水した「石川」を渡る。

河内長野駅

西条酒造

石川


狭い坂道を上り、国道を横断して進むと右側が丘になり小さな階段を上る。久し振りに古道の雰囲気が 感じられる「鳥帽子形山」の山道だ。「見晴台」があるが、木が茂り展望は望めない。この辺りは 古墳があったようで、枯葉の山道を下ると室町時代に創られた「鳥帽子形八幡宮」に至る。
静かな境内では黙々と落葉を掃いておられる年配の方に挨拶し元の街道に戻る。

鳥帽子形山の山道

見晴台 説明→

鳥帽子形八幡宮 説明→


丁度通学時間の小学生と挨拶を交わしながら喜多町の「地蔵堂」を見て、公園の横にある上田町の 「地蔵堂」がある「地蔵の辻」と隣の「増福寺」を通り、街道らしい小道を進む。
国道を越えて再び小道を進むと古い「交番」が懐かしい姿を見せ、旧三日市の町中を通り、川の手前の 「月輪寺」に参る。

喜多町の地蔵堂

増福寺

月輪寺 説明→


川を渡りすぐの右側の坂を下ると教会がある。これは三日市宿場で一番大きかった宿「油屋」の跡で 身売りされ教会になっている。
この辺りから「三日市の古い街並み」が残されている。格子と玄関の木の灯篭が印象的だ。
南海・三日市駅を越えて街道を進むと川の手前に「高野山女人堂へ八里」の里石が立つ。 「西高野街道」のスタート・堺が「十三里」だそうで、河内長野の東と西の街道の合流地点の堺寄りに 「九里」の里石があるそうだ。全部で13石あるそうで、これからの探索が楽しみ。

宿・油屋

三日市の古い街並み

高野山女人堂へ八里の里石


やがて国道に出て、車に注意しながら進み、石仏北の三叉路に到着。(8:20)
小さなガイド地図ではR371を通らないようで、三叉路の高架橋を越えるのが街道だ・・と見当を 付けて進むと正解だったようだ。国道の一丘横の細い道を越えると石仏南の交差点に出た。
ここからは国道沿いの危険な道を進む。歩道の無いところもありビクビク。国道は山の中腹を通り、 南海電車は石仏トンネルを走るので線路が見えない。国道から下った千早口駅の近くに史跡がある のだが、駅が見えるまで進むことにする。国道脇に「常夜灯」があり、写真をパチリ。
なおも進むと駅を発見するが、崖になっていて下る道が無く戻る。先程の「常夜灯」から下り坂があり 道なりに進むと「御所辻地蔵」が祀られ、すぐ近くの角に「右こうや・道しるべ」が「常夜灯」と立つ。

国道の常夜灯

御所辻地蔵

右こうや・道しるべ


千早口の駅を過ぎてから、ガイドブックに従い、国道を通らず南海の廃線跡遊歩道を歩く。舗装は してあるが南天や桜が植えられた快適な道だ。季節が違うので南天の実や桜の花は見られなかったが、 「あざみ」が群生していて楽しませてくれる。
「高野山女人堂へ七里」の里石が国道にあるようだが、残念ながら道がないのでパスする。南海・ 天見駅を越えた辺りからヘリコプターの音が渓流や鶯の声を消してしまう。道路工事の資材運搬に ヘリコプターを使っていてうるさい。
やがて遊歩道は国道と合流する「出合い辻」に至り、一息入れる。(9:30)
ガイドによれば、右の旧道に古い民家があるとのことで、進むがどうも方向が違う。 出合った方に紀見峠方面へ行けるか・・と尋ねると違うとのこと。 国道を進めとのアドバイスで元の「出合い辻」まで戻り再出発。約20分ロスだ。

あざみ

ヘリコプター

出合い辻


気を取り直して国道を進む。やがて紀見峠が姿を現わし、トンネルを通らず平安時代からのからの 峠道を上る。道幅も広く舗装されており時々砕石所のダンプが行き交うが、渓流と鳥の声を聞きながら 大阪府を後にする。
途中、道端に小さな箱が所々に置いてあり、よく見るとミツバチの巣箱だ。「紀伊路」では「雄ノ山峠」 を越えて和歌山県に入ったのを思い出しながら頂上を目指す。
「紀見峠」の案内板を見て和歌山県に到着。すぐそばに「高野山女人堂へ六里」の里石があり、横に 立派な説明板が立てられている。橋本市の史跡に対する考え方が良く分かる嬉しいものだ。
「岡潔生誕の碑」や「歌碑」を眺めて、峠の小さな集落の小道を進むと「地蔵堂」があり、ここで 休憩する。(10:35)

紀見峠

高野山女人堂へ六里の里石 説明→

峠の地蔵堂


峠からの下り道は急だがハイキングコースとなっており一気に下る。R371に合流し、広い国道を歩く。 国道沿いに「高野山女人堂へ五里」の里石が説明板と共に立っている。ここで一息入れる。(11:20)
歩道のある国道を歩き、道路の高架下から狭い街道に入ると「石垣の街並み」を眺めながらノンビリと 進む。やがて御幸辻で国道と合流する。この御幸辻は高野街道と菖蒲谷を経由して慈尊院に向かう道との 分岐点となる。12時近くになったので、中華料理屋で昼食とする。(11:40)
昼食後しばらく休憩し、橋本の町へ出発。国道の歩行は単調だが、下るに連れて紀ノ川に近付く 感じがする。JRの高架には「高野街道の表示」があり、もう少しと期待を持たせる。

高野山女人堂へ五里の里石 説明→

石垣の街並み

高架の高野街道表示


南下すると大和街道の「道しるべ」を過ぎ、紀ノ川に突き当たるとそこが「東家(とうげ)の 渡場跡」だ。立派な「大常夜燈篭」と「高野山女人堂へ四里」の里石が立っている。この渡し場は 大変賑わったことが偲ばれる立派な史跡だ。
紀ノ川を眺めながら曇り空であるが、滲んだ汗を拭う。(12:45)

大和街道の道しるべ

東家・大常夜燈篭 説明→

高野山女人堂へ四里の里石


「紀伊路」を歩いた時の「川辺橋」より随分上流の「橋本橋」を渡る。橋から遥か「紀ノ川と高野山」 方面を眺め、対岸の「三軒茶屋の渡場跡」の「大常夜燈篭」を探すと少し下流に立派に立っている。

橋本橋

紀ノ川と高野山

三軒茶屋・大常夜燈篭 説明→


紀ノ川の堤防下の清水の街道は格子の「古い街並み」が残り、清水から高野町・桜茶屋までの 間に六体の地蔵が祀られた「六地蔵の第一番」に出合う。少し小雨が降って来た街並みを楽しみ ながら歩くと「清水不動」「成就寺」を通る。紀ノ川の堤防に上り一休みする。(13:40)

清水の街並み

六地蔵(第一番) 説明→

成就寺


国道に合流して進むと「二番目・六地蔵」のお堂が国道脇に立つ。再び街道の細道に入り 紀州徳川家と高野山天領の国境を示す「境界標石」が立ち、郵便局前には「右京大坂・・の 道しるべ」と街道筋であることが良く分かる。

六地蔵(第二番) 説明→

境界標石 説明→

右京大坂・・の道しるべ


旧街道と国道の三叉路には「高野山女人堂へ三里」の里石と「慈尊院への道しるべ」が立ち いよいよ高野山の根元に来た感じだ。国道向こうには「高野山女人堂」への道が見えている。 機会を見て、この「高野街道」で女人堂から不動坂口・金剛峰寺と進まねば!!
国道沿いに進むとすぐ南海・「学文路(かむろ)駅」だ。(14:20)

高野山女人堂へ三里の里石

高野山女人堂への道

学文路(かむろ)駅


天気予報では晴れだったが、薄曇りで時々小雨と歩くのにはラッキーな天気だったが、やはり 汗が一杯なので温泉でも・・・と聞くと紀ノ川の対岸にあるとのこと。ガイドブックで調べると 入浴料1800円。高すぎるので歩いて来た途中の紀見峠にある温泉に行くこととする。
電車で紀見峠駅で下車し、高台の国民宿舎「紀伊見荘」の温泉で疲れを癒す。(400円) なかなか気持ちの良い温泉だ。風呂上りに缶ビールで今日の紀行完歩に乾杯!!
今日の歩行は48000歩と結構あったが、平坦な道が多かったので疲れは少ない。

石清水八幡宮から河内長野までの「東高野街道」から「高野街道」に入り、高野山の麓「学文路」 まで到達した。
「熊野古道・小辺路」の前段階として「高野街道」をトライした。まだ麓までだが「熊野古道」と 違った趣がある。各地に弘法大師の足跡や地蔵堂がたくさんあり、京から高野山への参道として 繁栄した息吹を感じる。

次は慈尊院から大門への「高野山町石道(ちょういしみち)」を歩きたい。 又、今日の紀行で分かった「高野山女人堂への里石」を探索する「西高野街道」も魅力的だ。
先に「西高野街道」(堺〜河内長野)・「下高野街道」(四天王寺〜河内長野)・ 「中高野街道」(平野〜河内長野)の河内長野までの街道を踏破してから高野山に上るか、 町石道で高野山の山頂まで進むか・・・・考えよう。









    
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