○ 「高野街道(No2)」見聞録 

1.学文路(かむろ)〜女人堂
 2004.07.01 06:40〜14:20 晴れ

「東高野街道」を歩き始めた当初は、まだ詳しいことは分からず、「高野山町石道」を通り 「高野山」へ、その後「小辺路」を踏破して「本宮大社」へ行きたいとの願いだった。
河内長野からの「高野街道」を歩くと「高野山女人堂への里石」や「六地蔵」の史跡が現れ、 「女人堂への里石」のスタートを見るために「西高野街道」に寄り道をした。

高野山の麓から山上への道は色々あるが、「高野山町石道」の趣は出色のようなので、ここを 上る予定であったが、「高野街道」で「高野山女人堂への里石」や「六地蔵」を見極めようと変更して トライする。前々回の「高野街道」歩行時見落とした「女人堂七里里石」をチェックし、先達から 教えられた橋本駅の観光案内所で「高野山町石道」のガイドマップをゲットすることにする。

梅雨の中休みとなり30度を越えるという天気予報に少し恐れを抱きながら、早く出発する方が 良いと5時過ぎの電車で出発する。大阪・新今宮で乗り換え、時間待ちの間におにぎりの朝食を 食べて、南海電車で千早口駅に6時40分到着。
前々回はガイドブック通り、廃線跡を通ったので国道にある「高野山女人堂へ七里」の里石を チェック出来ていなかった。駅から川を渡り国道沿いに歩く。出勤時の車が多く歩道のない所は 危険極まりない。

10分位歩くと道端に「高野山女人堂へ七里」の里石が車の列に負けずに立っている。これで堺の 十三里から学文路の三里まで漏れなく見たことになり、残りは今日の課題だ。
そのまま次の天見駅に向かうが、国道筋は危険なので前回の廃線跡へ退避して駅を目指す。前回は ヘリコプターがうるさかったと思い出しながら。

天見発7:00過ぎの電車に飛び乗り、学文路に向かう。8時前スタートで高野山を目指す。
今回の「高野街道」は「京・大坂道」とも云われ、高野山への最短距離の道で近世以降主要道路として 栄えたそうだ。「高野町石道」は九度山まで進み五里、この道は三里だそうだ。

駅から緩やかな坂を上って行く。今日は山登りなので坂道は覚悟しているが、この暑さの中で 大丈夫かとあわてずにスローペースで歩を進める。歴史街道の「道しるべ」に導かれ、「石童丸物語」 の舞台になった「宿場跡」を通り、「西光寺・刈萱堂」に参拝する。境内には母・千里の墓等 祀られている。

「石童丸物語」の詳細は 「高野山霊宝館サイト」参照下さい

高野山女人堂へ七里の里石

道しるべ

宿場跡

西光寺・刈萱堂 説明→


緩やかな坂を上る。四つ角の道路の真ん中に「高野街道・道しるべ」が埋め込まれており、迷わずに 進めるのは嬉しい。
やがて、橋本市の展望が開ける簡易舗装された道を、徐々に陽射しが強くなって来る道を影を選び ながら進む。
「お地蔵さん」の小さな祠が点在し、これが「高野街道」だと認識させてくれる。「柿の木」は小さな 実を付けており、もう真夏の雰囲気だ。柿の木並木を進む。

道なりに展望を楽しみながら進んで行くと広い道に出会いトンネルがある。少しおかしい。近くで 農作業をして居られる老婦人に尋ねると道を間違えたらしい。どこかで左に行くのを景色に見惚れ 右に来たようだ。トンネルをくぐって行くと良いとのアドバイスでトンネルをくぐり、坂を下る。

出会った方に「第三地蔵」を尋ねるとすぐそことのこと。道端にひっそりと「第三地蔵堂」が たたずんでいるが、案内の説明文も読めない位古びている。(8:30)

道しるべ

お地蔵さん

第三地蔵堂 説明→


元の道を戻り、トンネルの広い道を越えて進むと大きな溜池があり、「弘法硯水」があるのだが 見つけることは出来なかった。
坂を上って河根峠の頂上で一服する。陽射しがきつくなるにつれ温度が上昇し、暑さが増す。 水分の補給を。ここから下り坂になる。下り坂の途中に「第四地蔵・河根地蔵」が祀られている。 ここの説明文も全く読めない。 第一、第二地蔵の説明文は明確だったのに・・・と行政の姿勢を感じざるを得ない。

竹薮の急な下り道を下りきる手前に「河根丹生(にゅう)神社」と「日輪寺」が立っており参拝。
下った河根の集落の角で休憩。下り道も結構きつい。暑さだけのせいではなく体力不足か。行商の トラックが食料品・日用品を一杯積んで店を開いている。過疎の集落の風景か!?

第四地蔵・河根地蔵 説明→

河根丹生(にゅう)神社 説明→

日輪寺


河根の集落を進む。この辺りも昔は栄えたのであろう「旧本陣跡」の建物が残っており、「塩竃」と 云う弘法大師が見つけた冷泉もあるそうだ。
小さい集落の端に丹生川を渡る「千石橋」があり、橋のたもとに「高野山女人堂へ二里」の里石と 説明文の標識がたたずむ。女人堂まで後二里だ。丹生川の流れは美しく橋を渡る時には涼風が 気持ち良く、しばし川面を見ながら休息する。

旧本陣跡 説明→

千石橋

高野山女人堂へ二里 説明→


川を渡ると上り坂となり歩を進める。上り切った作水に「第五地蔵堂」が祀られ又も休息する。 (9:30)
額に汗が滴り落ちる。一休みの後、なだらかな道を桜茶屋に向かって進む。道端に「第六地蔵堂」が ひっそりと立っている。
「高野街道」を歩き始めた時、紀ノ川を渡った清水の集落の中に「第一地蔵堂」が祀られ、 この桜茶屋までに「六地蔵」があるとの案内にこれを極めてやろうと行程を変更してこの道を上った。 「第六地蔵堂」には説明文もなく「第一地蔵堂」のような熱気を感じられないのは残念だ。

簡易舗装の小道を進むが、なぎ状態で汗が噴出しTシャツはびっしょりだ。木陰が出来る道に 来るとホッとする。やがて案内板があり、しばらく進むと道から少し入った所に「日本最後の仇討ち」 の墓が祀られている。
「紀伊路」の大阪府と和歌山県の県境にも同じ様な碑が立っていた。方々にあるのだろう。

第五地蔵堂

第六地蔵堂

日本最後の仇討ちの墓 説明→



ここでもしばし休息し、スタートする。しばらく行くと「高野山女人堂へ一里」の里石を始め 「京・大阪道」の「道しるべ」が迎えてくれる。これが「女人堂里石」の最後だ。
この里石を極めるべく堺からの「西高野街道」に進み、見落とした七里の里石を今朝フォローし 十三里からの全ての里石を踏破出来た。歩行の最中に出会う新しい史跡により、行動の範囲が 広がる・・・・楽しいことだ。
あと一里で高野山の「女人堂」に到着なのだと暑くてボーッとしている頭に喝を入れて出発する。
「御成婚記念・道しるべ」や「高野街道・道しるべ」が案内してくれる道筋を歩き、神谷の集落を抜けると 南海電鉄の線路が見られ、極楽橋駅が近くなって来たことが分かる。

高野山女人堂へ一里の里石

御成婚記念・道しるべ

高野街道・道しるべ



川沿い進み赤く目立つ「極楽橋」に到着する。橋の手前に通行止めの標識があり、不動坂が崩落のため 車も人も通行出来ないと。
さてどうするかと思案したが、もし行けなければ戻ることとし進むことにする。「極楽橋」を渡り 「不動坂の道しるべ」を見ながら、急な坂道をケーブルカーの高架下をくぐり進む。又、出て来た 通行止めの標識を無視して上る。途中小さな水の流れで顔を洗い、タオルを濡らして頭に載せる 「中辺路」歩行時の儀式を行い、路上に寝転んで休息する。「展望」は良いが本当に厳しい。
木の根っ子が路上に転がっている所があったが、他に崩落しているような所もなくあの通行止めの 標識は何だったのか・・・と怒りながら進む。中止していたらバカを見たことになった。

極楽橋

不動坂の道しるべ

不動坂・展望


山側の通行止めの標識を過ぎると古めかしい「清不動」が高野山の入口のように迎えてくれる。 もうすぐだ。やがてバス道になり左に向かうと「女人堂」の大きなお堂が立っている。

高野山へは「高野七口」と呼ばれる道が通じており、「町石道」の大門口、今回歩いた不動坂口 の他、黒河(くろこ)口、大峯口、相の浦口、「小辺路」に通じる大滝口、龍神口があるそうだ。
高野山は女人禁制で「高野七口」には「女人堂」があり、厳しく取り締まっていたそうで、子供が 修行している姿を見ようとする母親や女性信者がこの「女人堂」を結ぶ「女人道」を通り、 祈りを捧げたとか。
この「女人堂」もこの不動坂口しか残っていない。 「女人堂」に参拝し、一服する。前には大きな「お竹地蔵」が優しく微笑んでいる。

清不動

女人堂 説明→

お竹地蔵 説明→


高野山は下界とは10度位低いとのことで、心持ち涼しく感じるが陽射しはきつい。「女人堂」の 方に「金剛峰寺」までどれ位かと尋ねると15分位とのこと。歩き始める。

高野山には小学生の頃、真言宗の祖母に連れられて奥の院まで参った記憶が微かにあるが、ほとんど 忘れている。落着いた広い道には自転車に乗った修行僧が行き交うが、一般の人は平日であり暑いので ほとんど会わない。
「金剛峰寺」に行くと観光客も多く、さすが真言宗の総本山だ。お寺だが何となく神社風の建物に驚く。 豊臣秀吉が母堂の菩提のため寄進したそうだが。参拝する。
12時30分過ぎだが、橋本駅でのパンフレット収集の目的があるので、今日の歩行はここまでとする。 バスで高野山駅に行きケーブルカーで極楽橋まで下る。

金剛峰寺・正門 説明→

金剛峰寺

ケーブルカー


電車で橋本駅に戻る。先達の方々のサイトに観光協会の「高野山町石道」のパンフレットが 道案内として優れものとの推薦で観光協会に訪れいただく。
次回、「町石道」を歩く時の大きな味方が出来た。

今日の予定は終わり14時も過ぎたので駅前の食堂で中華定食とビールで遅めの昼食とする。 汗がいっぱい出たのでビールが体中に沁み渡る。
昼食後、先達の方が「くまの」と書かれた道しるべがあるとのことで探索するが、分からない。 数人の人に聞くが分からず、前々回訪れた紀ノ川の渡し跡の常夜灯をもう一度タッチして駅に戻る。
昼食を食べた食堂で銭湯の有無を聞いたが、近くにはないので前々回訪れた「紀伊見荘」の温泉に 電車で行きノンビリと疲れを癒す。
久し振りの歩行であり、この暑さに本当にバテた。体力が衰えたのか・・・と思う位だ。しかし、 高野山を上ったことは評価したい。

本来は「高野山町石道」で上る予定を「女人堂里石」「六地蔵」を見極めるために「高野街道」から 上った。臨機応変・柔軟に思うままに歩く大切さを経験出来た。新しい出会いに興味を持って 今後も対応したいものだ。

温泉で疲れを取り、冷房のきいた電車でウトウトしながら20時前に帰宅。今日の歩行は32000歩。 歩数より疲れが厳しかった。暑い中の歩行のあり方を考えねば・・・・。
何はともあれ「高野街道」を2回に分けて完歩したことに乾杯!!

帰ってニュースを見ると「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録された。
スタートした時はこの登録のことも知らなかったが、途中から早く登録されれば・・・・と思っていた。 地元の方々のご努力には頭が下がる。
登録の日に「高野街道」を踏破出来たのは嬉しい限りだ。これからは「世界遺産」の「熊野古道」を 楽しもう!!
おめでとうございました!!









    
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