「熊野古道」Map


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○ 「高野道・小辺路」紀行を終えて

2-1.「高野街道」

「東高野街道」と「西高野街道」が河内長野で合流した「高野街道」は大阪府から和歌山県に 進み、紀ノ川を渡り学文路から高野山の「女人堂」まで続く。
「高野街道」は南海電車に並行して進むが、河内長野を過ぎると風景が古道にふさわしい静かな 道となる。「長野神社」から石川を渡り「鳥帽子形山」の枯葉の山道を下ると室町時代に創られた 「鳥帽子形八幡宮」が現われ参拝する。旧三日市の古い街並みを楽しみ、南海電車を時々眺めながら 南下する。
「高野山女人堂へ八里」の里石を探し、高野山まで後五里・20kmあるのだと歩を進める。国道や横の 細道には「常夜灯」が所々に設置され、街道の趣が残る。やがて、「紀見峠」を上ると「高野山女人堂 へ八里」の里石が立ち、「地蔵堂」が祀られ和歌山県に入る。

紀見峠を越えると紀ノ川が近くなり和歌山から奈良への大きな「大和街道・道しるべ」 を過ぎ、紀ノ川に突き当たるとそこが「東家(とうげ)の渡場跡」だ。立派な「大常夜燈篭」と「 高野山女人堂へ四里」の里石が立っている。この渡し場は大変賑わったことが偲ばれる立派な史跡だ。
広い紀ノ川の川風を楽しみながら橋本橋を渡る。

鳥帽子形八幡宮

三日市の古い街並み

紀見峠の地蔵堂


大和街道の道しるべ

東家・大常夜燈篭

紀ノ川と高野山


紀ノ川対岸の「三軒茶屋の渡場跡」の「大常夜燈篭」を探す。紀ノ川堤防沿いの清水の街道は格子の 「古い街並み」が残り、清水から高野町・桜茶屋までの間に六体の地蔵が祀られた「六地蔵の第一番」 に出合う。「六地蔵の第二番」が国道脇に立ち、旧街道と国道の三叉路には「高野山女人堂へ三里」 の里石と「慈尊院への道しるべ」が立ちいよいよ高野山の麓に到達した。

清水の街並み

六地蔵(第一番)

高野山女人堂へ三里の里石



◎「河内長野〜学文路」の「紀行スライド」

当初の予定では十分知識がなかったので、高野山には「町石道」で上ると考えていた。「東高野街道」 「高野街道」を歩き、この街道で頂上を極めるべきと学文路からの「高野街道」で「女人堂」を 目指すことにする。
4月に出発した紀行も7月になり、梅雨の中休みの30℃を越える暑さの中で坂道を上り始める。 「高野山女人堂への里石」と「六地蔵」を全てチェックし、「女人堂」から「金剛峰寺」まで踏破しようと。

「高野街道」は「京・大坂道」とも云われ、高野山への最短距離の道で近世以降主要道路として 栄え、「高野町石道」は九度山まで進み山頂へ五里、この道は三里と近いので用いられた。
緩やかな坂を上り、「石童丸物語」の舞台になった「西光寺・刈萱堂」に参拝する。 道なりに展望を楽しみながら進むと道端にひっそりと「第三地蔵堂」がたたずみ、坂を上って河根峠 の頂上へ。下り坂の途中に「第四地蔵・河根地蔵」が祀られている。 竹薮の急な下り道を下ると「河根丹生(にゅう)神社」と「日輪寺」が立っており参拝する。

西光寺・刈萱堂

第四地蔵・河根地蔵

河根丹生(にゅう)神社


河根の集落の丹生川を渡る「千石橋」のたもとに「高野山女人堂へ二里」の里石が立ち、再び 上り坂となる。作水の「第五地蔵堂」を過ぎ、しばらく行くと「第六地蔵堂」が祀られている。
「高野街道」を歩き始めた時、紀ノ川を渡った清水の集落の中に「第一地蔵堂」が祀られ、 この桜茶屋までに「六地蔵」があるとの案内にこれを極めてやろうと行程を変更し確認した。

「六地蔵」の「紀行スライド」

しばらく進むと「高野山女人堂へ一里」の里石を始め「京・大阪道」の「道しるべ」が迎えてくれる。これが「女人堂里石」の最後だ。
この里石を極めるべく堺からの「西高野街道」に進み、十三里からの全ての里石を確認出来た。

「高野山女人堂へ里石」の「紀行スライド」

千石橋

第六地蔵堂

高野山女人堂へ一里の里石


後4kmで「女人堂」だと気分新たに歩を進める。 川沿いに進み赤く目立つ「極楽橋」を渡り、「不動坂」の急な坂道をケーブルカーの高架下をくぐり 進むと「清不動」が高野山の入口のように迎えてくれる。 やがてバス道になり左に向かうと「女人堂」の大きなお堂が立つ。

高野山へは「高野七口」と呼ばれる道が通じており、「町石道」の大門口、今回歩いた不動坂口 の他、黒河(くろこ)口、大峯口、相の浦口、「小辺路」に通じる大滝口、龍神口があるそうだ。
高野山は女人禁制で「高野七口」には「女人堂」があり、厳しく取り締まっていたそうで、子供が 修行している姿を見ようとする母親や女性信者がこの「女人堂」を結ぶ「女人道」を通り、 祈りを捧げたとか。この「女人堂」もこの不動坂口しか残っていない。
バス道を「金剛峰寺」まで進み、真言宗の本山に参拝する。第一ステップの高野山に到達だ。

極楽橋

女人堂

金剛峰寺



◎「学文路〜女人堂」の「紀行スライド」

「熊野古道」が「世界遺産」に登録されそうで、「高野山町石道」「小辺路」も候補にのぼっている。 「紀伊路・中辺路」に次いで「伊勢路・大辺路」と並行して「高野山町石道・小辺路」を紀行しようと 考えた。
先達の方からのアドバイスもあり、京都から高野山への道を歩き始めた。その道中で「女人堂里石」や 「六地蔵」と遭遇し、予定を変更して「高野街道」で山頂を目指したのは正解だった。
実際に歩いてみると色々なことが実感出来、それらを見極める楽しさを教えられた。さあ、次は 「高野山町石道」でもう一度高野山に向かい、「小辺路」踏破の前段階を完了させようと。

「高野街道」から帰ってニュースを見ると「紀伊山地の霊場と参詣道」が世界遺産に登録された。
スタートした時はこの登録のことも知らなかったが、途中から早く登録されれば・・・・と思っていた。 登録の日に「高野街道」を踏破出来たのは嬉しい限りだ。 (2005.12.04.記)







    
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