「熊野古道」Map


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○ 「高野道・小辺路」紀行を終えて

3-1.「高野山町石道」

7月に「高野山町石道」から高野山に上る予定を「高野街道」で上った後「伊勢路」を巡っていた。 先達から「高野山町石道」は秋・柿の季節が良いとの話を聞いていたので季節の到来を待ち、10月に 九度山から歩き始める。

駅から橋を渡り県道を進み「真田庵」の静かな神社に参拝する。大坂冬の陣で活躍した真田幸村の 「六文銭」の旗印が門にも飾られている。
歴史街道の標識に導かれ、弘法大師が母親の没後、伽藍を建て、弥勒菩薩を安置したため、女人 禁制の高野に対し、「女人高野」とも呼ばれ「慈尊院」に到着し、本殿に参拝する。

「慈尊院」の境内から長い階段が「丹生官省符(にゅうかんじょうぶ)神社」に通じている。この 階段の真ん中に「高野山町石道」のスタートとなる「180町石」が堂々と立っている。
「町石」は「慈尊院」から高野山の「大門」への道筋に一町(約109m)ごとに高さ3mを超す 五輪塔形の石柱が連綿と続く。当初は木製の卒塔婆であったが、鎌倉時代に石造りに建て替えられ その数180基。その内150基は鎌倉時代に創建されたもの。

真田庵

慈尊院・本堂

丹生官省符神社・石段と180町石


コンクリートの農道を進むとすぐに「179町石」があり、「勝利寺」の高い階段が見え、柿が鈴なり なっている柿林の中を上って行く。
柿林の「町石」を巡りながら進むと視界が開け「紀ノ川」の流れが展望出来る。 柿林の中の「160町石」を過ぎるとコンクリートの道が地道に変わり、杉木立の道を進む「144町石」 と「一里石」が並んで立っている。

柿の木と178町石

紀ノ川の展望

144町石と一里石


杉木立の地道を進むと「六本杉」の分岐点に到着する。ここから「丹生都比売(にゅうつひめ)神社」 に通じる道となるが、寄り道はせず「町石道」を進む。「130町石」、「古峠」の「124町石」を 過ぎると東屋の休憩所があり、横に高さ5.6mの「二ツ鳥居」が堂々と立っている。山の中に見事だ。
木漏れ日の小道を進むと木製の鳥居が立つ「白蛇の岩」が祀られ、ゴルフ場と「応其池」の横に 「神田地蔵堂」が立つ。再び林に入り「108町石」を過ぎた所に「二里石」が木立の中にひっそりと 立っている。

六本杉

二ツ鳥居

二里石



◎「真田庵〜二里石」の「紀行スライド」

緑の小道を進み「100町石」を過ぎ、丁度中間になる「90町石」に至る。気持ちの良い古道を 進むと「三里石」と「72町石」が並んで立っている。
小さなアップダウンがあるが、平坦な木漏れ日の道を進むと自動車の音が聞こえ 岩肌に小さな「見守り地蔵」が優しく微笑んでいる。坂を下ると国道にぶつかり矢立の里の 茶店が建っている。

急な坂を上り始める。すぐに「59町石」と横に「六地蔵」が祀られている。 「55町石」の近くに「袈裟掛石」が道脇に鎮座し、進むと「押上石」が立つ。
木陰の気持ち良い小道を進むと視界が開け山々を展望し、「50町石」に到着する。 なぜか二基立っている「44町石」を眺め、しばらく歩くと国道に下りる。
国道の下の笹の中に「36町石」があり、次に「四里石」が笹の中に隠れたように立っている。

見守り地蔵

59町石と六地蔵

四里石


「20町石」を過ぎて、笹や木々の小道を進むと「大門」の手前から上り坂が急になり「10町石」を 過ぎ、急な坂を上り切ると真っ赤な大きな「大門」が迎えてくれ、「仁王」さんの姿にしばし 見惚れる。
「大門」を越えた境内に「6町石」が立っている。ここから「根本大塔」に向かう道筋に順次 「5・4・3町石」が109m進まない内に立っている。 「根本大塔」の境内の柵の中に「2町石」が見つかり、少し行くとやはり柵の中の杉林に最終ゴールの 「慈尊院側・1町石」が見易い文字で堂々と立っている。やっと「180町石」から「1町石」までの 行程を踏破した。
「根本大塔」に参拝し、進むと「奥の院」までの「36町石」のスタートとなる「奥の院側・1町石」が 立っている。次回はここから「奥の院町石」を辿って進む予定だ。ここがスタートだと確認して 「金剛峰寺」に参拝する。

大門

慈尊院側・1町石

根本大塔



◎「二里石〜根本大塔」の「紀行スライド」

柿の季節に「高野山町石道」を歩くのはベストとの情報で実行に移した。好きな武将の一人である 真田三代の幸村の「真田庵」も訪ね、「女人高野・慈尊院」からの「180町石道」を堪能した。


3-2.「奥の院町石道」


秋・柿の季節に「高野山町石道」を歩いた。「小辺路」紀行前に「高野山奥の院町石道」を歩くの だが、どうも雪の季節が良いようなので、天気予報に注意していた。
2005.02.01.雪の予報なので出発する。

極楽橋でケーブルに乗り換えるとケーブルは線路も真っ白な中を上って行く。周りの山々も雪景色で美しい。 15cmから深いところは20cm以上積もっているようだ。
前回、慈尊院から上って来た「町石道」の場所に戻り、雪の「大門」を見上げ、 「慈尊院・町石道」を懐かしく辿って行く。
雪の「金堂」と「根本大塔」に参拝する。「奥の院・町石道」はここから奥の院まで「36町石」が 設けられ、根本大塔の境内を外れた所に「奥の院・一町石」が雪の中に立っている。

雪の大門

根本大塔

奥の院・一町石


雪の道を進むと「東塔」が落着いた風情で雪の中に溶け込んでいる。雪に覆われた「蛇腹道」を進む。 蛇腹道を出て広い通りに出ると福島正則が建立した立派な石垣の鐘楼「六時の鐘」が立ち、その横に 「四町石」が立つ。通りを進み「金剛峰寺」に参拝する。
千手院橋の交差点の看板の下に「七町石」が立ち、次に進む予定の「小辺路」への道を探す。 高野山大学の前を通り、金剛三昧院への道を確認し、春にはこの道を進もうと気を引き締める。

雪の東塔

根本大塔

金剛峰寺・正門


雪の通りには町石が雪の帽子をかぶり静かに立っている。朱色の「摩尼塔」を眺め、 「十三町石」を過ぎると右側に「高野街道」にもあった石童丸物語の「苅萱堂」が迎えてくれる。 雪景色が本当に美しい。

摩尼塔

雪景色

苅萱堂


県道との分岐点を左に進む。雪深い道に「奥の院・一の橋」が凍った川に架かっている。 「一の橋」を渡るといよいよ「奥の院・参道」になる。雪に覆われているが、中央部は掃いて雪除け された「一の橋」を渡り参道に入る。今までの道とは違って大杉が立ち並び神聖な雰囲気が一杯だ。 大杉と雪の石畳が続いている。石畳の分岐道を左に進むと小さな「お地蔵様」が雪に覆われ雪化粧 している可愛い姿を見ながら進む。
参道には「奥州伊達家の墓」「薩摩島津家の墓」を始め墓石が立ち並んでいる。墓石の上は雪が 積もり墓石と町石の区別が雪に覆われているのでなかなか見つけ難い。

奥の院・一の橋

雪化粧のお地蔵様

奥の院参道


雪に覆われ達磨さんのようになった印象的な「弘法大師像」を過ぎ、祠に祀られた「数取地蔵」から 「武田信玄・勝頼の墓」に至る。すぐ六角形の「弘法大師・腰かけ石」が珍しい形で雪の中に埋もれ、 「伊達政宗の墓」が立つ。
「子授け地蔵」「二十六町石」の向こうに雪と氷に覆われた「中の橋」が架かっている。

雪の弘法大師像

子授け地蔵

中の橋


「中の橋」を渡った所に「汗かき地蔵」が祀られ、横には「姿見の井戸」がある。ここからは 「覚ばん坂」と云われる緩やかな坂や石段で上って行く。「二十七町石」からの石段は雪とマッチして きれいだ。
参道の別れ道に至る。分岐点には「其角句碑」が立ち、分岐点を少し進むと「豊臣秀吉・秀頼の墓所」 「織田信長の墓所」が祀られている。有名な戦国大名が祀られている高野山の聖地のすごさを感じる。
宮川を渡る「御廟橋」の手前に「三十四町石」が立つ。

「御廟橋」を渡り、聖域に向かう。 階段の途中に「三十五町石」が周りの雰囲気と同じ様に粛々と立っている。階段を上り「燈籠堂」に 参拝し、回廊を通って後ろに廻ると「弘法大師御廟」がひそやかに建っている。 この場所に空海は今でも生き、生前と同様のお給仕が毎日行われている。
回廊にも雪が積もり滑り易く礼拝して地下の礼拝所から表に出る。

姿見の井戸

御廟橋

弘法大師御廟



◎「奥の院町石道」の「紀行スライド」


「奥の院・町石巡り」の「紀行スライド」

念願の雪の「奥の院・町石道」を歩いた。白い雪と朱色の伽藍、黒い板塀、生い茂った大杉、石畳と 美的には最高の季節だった。
昨年(2004)の春から夏にかけて、京都「城南宮」から「石清水八幡宮」を通って「東高野街道」→ 「高野街道」を「女人堂」まで上り、秋には「慈尊院・町石道」を「大門」「根本大塔」まで歩いた。 雪の季節に「奥の院・町石道」を歩こうと計画し、新雪の「奥の院・参道」を紀行出来嬉しい限りだ。

これで「小辺路」への前段階は完了し、「小辺路」への入口も確認出来た。いよいよ「高野山」から 「本宮大社」への「小辺路」紀行だ。(2005.12.06.記)


(工事中)



    
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