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○ 紀行を終えて

2003.03.10 まだ肌寒い天満橋の「永田屋昆布店」前を出発し、「熊野古道」への第一歩を踏み出 してから8ケ月。2003.11.11に延べ14回・22日間で「熊野古道・中辺路往路」紀行を 完全歩行達成することが出来た。嬉しい限りだ!!

この紀行の「道しるべ」とした『熊野古道を歩く』(宇江敏勝氏監修・山と渓谷社発行)の本は セロテープで補修され、縁は汗と雨でボロボロになってしまった。このガイドブックとの出会いが 「熊野古道」踏破への挑戦を決意させてくれ、計画・実行の指針として活用したバイブルのような ものだ。
「九十九王子」を一つ一つ巡る紀行は目標を設けるのに最適であり、双六の様に一歩ずつ 「熊野三山」に到達する・・・とゲーム感覚で進められると考えたが、実際に歩き始めると、 回を重ねる毎に歴史の重さや奥の深さを感ぜざるを得なくなった。 平安時代から皇族が武士が庶民が「蟻の熊野詣」に魅せられるのは・・・・。 又、同好の方々、地元の方々との交流を通じ、意義深いものになった。

大阪市から始まり、堺市→和泉市→貝塚市→岸和田市→泉佐野市→泉南市→阪南市→和歌山市→ 海南市→下津町→有田市→湯浅町→広川町→日高町→御坊市→印南町→南部町→田辺市→ 上冨田町→大塔村→中辺路町→本宮町→新宮市→那智勝浦町→熊野川町と巡り、再び本宮町へ の26市町村・約310kmの紀行だった。
大阪府下の「王子跡」は開発が進み、保存状況が満足ではないが、「小栗街道」と親しまれ、 堺・泉南近辺には立派な神社・仏閣が残っているのを見聞することが出来た。和歌山県に入ると 「王子跡」の石碑が整備され、「五体王子社」を始め「王子社」も古色蒼然と現存し、

藤代王子社

切目王子社

稲葉根王子社

滝尻王子社

発心門王子社



「道しるべ」も各自治体で工夫されており、「世界遺産」認定への熱意がひしひしと伝わる。

特に、田辺からの「中辺路」は趣が深くなり、余り有名ではないが「鮎川王子跡」から「清姫の墓」 までの富田川沿いの「古道」はそれ以降の山岳コースと違った風情を感じることが出来た。 もちろん、「滝尻王子社」からは本格的な「古道」の雰囲気で、厳しい道のりであったが、 魅了された。「本宮大社」までの草履峠・岩神峠・三越峠越えは厳しかったが、 「発心門王子社」に到着した時、そして、初めて「本宮大社」に到達した時の感激は忘れ難い。

『熊野古道を歩く』の本に沿って忠実に進もうと考え、「潮見峠越え」「赤木越え」のルートも 踏破した。この間、「三鍋王子社」の場所を地元の奥さんに尋ねた時、親切に数百m車に 乗せてもらった時と最後の請川から「本宮大社」までの国道をバスに乗った以外(「つぼ湯」に はいること を優先し)は、多少のずれはあるが(迷って遠回りすること再三)この本の行程を完全歩行した ことは自負出来る。

最後の「大雲取越え」は厳しいと同好の方から忠告を受けていて、それなりに覚悟・準備を して臨んだが、激しい雨の中、苔の石畳を滑ってばかりで本当に厳しかった。 古人も長い行程の中では、もっと過酷な自然との戦いをしながら進んだのだろうと思いながら・・・

「本宮大社」「速玉大社」「那智大社」それぞれの雰囲気を味わい、

本宮大社

速玉大社

那智大社



「熊野三山」参拝の証しとして、「朱印帳」への記帳と各大社の厄除けの 「牛王神符」を受けたことは素晴らしい記念の品となった。

朱印帳

本宮大社・神符

速玉大社・神符

那智大社・神符



「牛王神符」:(詳細は 「みくまのねっと」参照下さい)


何はともあれ、第一段階の「熊野古道・中辺路」踏破を達成した。今回はあくまでも往路であり、 古人はこの道を再び京に戻った・・・と思うと大変なことだ。 「熊野古道」を後白河上皇は34回、後鳥羽上皇は28回も行幸されたとか。 江戸時代には「伊勢へ七度、熊野へ三度」と伊勢参りから熊野へ足を伸ばしたとか。 現在と違う悪路を・・・。

次のステップとして、田辺から新宮までの「大辺路」、伊勢神宮から「本宮大社」までの 「伊勢路」、高野山から「本宮大社」への山岳コースの「小辺路」、吉野から「本宮大社」 への山伏修行コースの「大峯奥駆け道」がある。 「大辺路」「伊勢路」からトライし、季節の良い時に体力と相談しながら「小辺路」に挑戦。 「大峯奥駆け道」は体力のあるうちに行きたいが・・・じっくりと検討したい。

まずは「熊野古道・中辺路」を踏破出来たことに感謝・感謝!!(2003.11.15記)
    
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