○ No15.見聞録

15.城南宮 2004.02.25 10:30〜15:30  晴れ

「中辺路」の紀行を終え、「伊勢路」に進んでいたが、同好の方から「城南宮」に参拝したとの話を聞き、 近くに居ながら「熊野詣」のスタート地点が抜けていたことに気が付き、早速実行に移した。

「城南宮」は「熊野詣」をする時、ここで7日間、身を清め、鳥羽の渡しから屋形船で淀川を下り、 大阪・八軒家浜船着場に上陸後、陸路「熊野三山」を目指した「出立ちの地」であり、「曲水の宴」で 有名な神社だ。

ここ数日は3月下旬の暖かさで気持ち良くスタートする。バスで枚方まで行き、京阪電車で丹波橋、近鉄に 乗り換えて竹田に着いたのが10時30分。京都の観光ガイドブックで「城南宮」を目指すと途中「白河天皇陵」 があり驚いた。白河上皇は12回「熊野詣」をされたそうなので、この地に御陵が出来たのであろうか。

「城南宮」参道の表示に導かれ、緑深い神社の鳥居に至る。梅の花がチラホラと咲き始めた境内は写真愛好家の 方々が三脚を広げ、熱心に撮影中。
本殿に参拝し、朱印帳に記帳してもらい、「熊野詣出立の地」の標識を探すと庭園入口近くに立っており、 白河上皇からの歴史等記されていた。横には「鳥羽伏見の戦い」の標識も立ち、明治維新の発端ともなった「戊辰 戦争」の戦場であり、古代・近代の歴史上重要な場所だったことが分かる。

「白河天皇陵」

「城南宮・鳥居」

「城南宮・本殿」 説明→


「熊野詣・出立ち」 拡大→

「鳥羽伏見の戦い」 拡大→

「城南宮・梅」


庭園では「春の山まつり」が開催されていたので入園し、しだれ梅や庭園を観賞する。春と秋には有名な「曲水の宴」が 催される小川はこの時期、水も流れていない状況で風情はなかったが、まだ咲き始めのしだれ梅や紅梅・白梅は春の 訪れを教えるかの香りを漂わせていた。

「城南宮・しだれ梅」

「城南宮・庭園」

「城南宮・枯れ山水」


「城南宮」を後に船出した鴨川に向う途中に公園があり、この辺りが「鳥羽離宮跡」との標識を見ると、「城南宮」を 含めて広範囲に渡る宮殿の存在に当時の貴族の栄華が偲ばれる。ここ栄華の地から厳しい道のりを越えて、「熊野三山」を 目指した思いは何なんだろう・・・

屋形船で下る途中に立ち寄ったと云われる「石清水八幡宮」に行こうと、土手沿いに雰囲気を味わいながら 鴨川の河川敷を下る。
土手の上はサイクリングロードとなっており、時々、自転車が通るが、ノンビリと暖かい川風を 受け、「土筆」が出ていないかと探しながら歩く。「土筆」はまだのようだ。
やがて、鴨川と桂川が合流した桂川の堤防をひたすら下る。蛇行した河川敷には野菜畑が一杯。
サイクリングロードの地図や「三川合流」からの距離を示す標識等整備されており、遠く天王山を望みながら、 桂川・宇治川・木津川の三川の合流地点を目指す。

「鴨川・桂川合流点」

「サイクリングロード地図」

「天王山」


京滋バイパスが山崎ジャンクションまで延長された高速道路をくぐり、宇治川・木津川を渡ると八幡駅に到着。(12:40) ここから「石清水八幡宮」の山に上るので、駅前の食堂で昼食とする。
鳥居から参道に沿って上ろうとしたが、横に「こもれびルート」の標識があり、ハイキングコースになっているので この道を上ることにする。「石段」「竹やぶ」「こもれび」「しだ」の道は本宮大社付近の古道と同じ様な趣があり 143mの鳩ケ峰山に上り、竹やぶの道を「石清水八幡宮」に向う。
境内の手前に「エジソン記念碑」が立てられており、この境内の竹からフィラメントを作り、電球を発明したことを 思い出した。

「石清水八幡宮・鳥居」 説明→

「竹やぶの小道」

「木漏れ日の小道」

「エジソン碑」 説明→


参道を通り本堂に向かい参拝した後、朱印帳に記帳してもらう。神官の方に「熊野詣」でこの神社に参拝した遺跡が あるかと尋ねると山の上まで来た記録はないが、表参道横にある「高良(こうら)神社」には立ち寄ったのでは・・・ との話であった。
又、八幡は高野山への高野道と難波への道の分岐点で、どちらから「熊野三山」に行くかの 休憩所でもあったとか。確かに下の道は東高野街道と呼ばれており、河内から高野山へ続いている。
その他色々と話を伺い、表街道を下ると「神馬舎」があり、白馬が居たのには驚いた。 下リ切ると先程話しのあった「高良神社」があり、「頓宮」に参拝して駅前に戻る。

「石清水八幡宮・本殿」

「神馬舎」

「高良神社」


今までは、ここから淀川左岸を下り、枚方に行く方法しかなかったが、今回、京滋バイパスが山崎まで延びたので 山崎へ渡る一般道路も出来た。これを渡って対岸の山崎に行くこととし、木津川・宇治川を渡り、初めて 新しい橋で桂川を渡り山崎に行く。山崎から阪急で高槻まで。本日の紀行は32000歩だった。

同好の方の言葉に誘われて「城南宮」を訪れ、「熊野詣」のスタート地点を踏破し、「紀伊路」「中辺路」の 全てを歩行出来たことに感謝したい。

学生時代、大阪・桜宮のボート部の艇庫から遠漕会で旧淀川を逆上り、毛馬の閘門から新淀川に入り、枚方付近の 中洲まで周航歌を歌いながら漕ぎ上ったのを思い出す。
中洲で持参の鍋ですき焼きをやり、気持ち良く下ったのは「熊野詣」の淀川下りの趣きだったのだろうか。当時は 何も知らずに川の流れに乗っていたのだろうが。
「熊野詣」をしなければ、この様な青春の一コマも思い出していないだろう。









    
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