「ミステリー・ツァー(人吉・宮崎の旅)」
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○ [第1日]、人吉・宮崎神宮・シーガイヤ(2007/2/26)
国内の日帰り、宿泊ツアーで「ミステリー・ツァー」なるものの案内が時々ある。何処へ行くか、何処に泊まるか、 何処を見物するか、全く分からない状態で申し込むのだ。
前々から興味があり、一度トライしようと思っていた所、阪急トラピックスから案内があったので、申し込む。
2泊3日の日程で、飛行機で450mile以上先の観光地に29800円で行くと。
この時期だから暖かい地方だろうと推察し、多分九州だろうと思いながら興味津々。
一週間前に1枚の案内状が来る。集合場所と時間が書かれているだけで、行き先は不明だ。本当に ミステリー・ツァーなのだ。
本来の旅行ならば、ホテル・旅館の所在地・内容・周辺等々調べたり、観光地の概要をチェックしたりと事前の 楽しみがあるが、今回は全くのお手上げで身を任すより仕方が無い。
ただ、服装について暖かい方面に行くとのヒントだけがあり、集合時間から類推すると1時間後に出発する 熊本行があるので熊本に行くのではと推理し、気楽に過ごす。
伊丹空港9時25分集合に合わせて7時30分過ぎに出発する。
定刻前に受付に行くと早くも列が出来ている。年配の夫婦、女性連れ、少数だが男性連れも居られる。 申込み人数が多いので、バス2台で進むと云う人気のツァーなのだ。
熊本空港
受付で行程表をもらう。推察通り熊本空港に向かい、人吉見物後宮崎観光を行う予定だ。
定刻通り出発したANA523のB768-300機は2-3-2席の客席で80%位詰まっている。瀬戸内海の上を飛び、 岩国から周防灘・大分に上陸し、熊本に真直ぐ進み、11時30分到着する。
熊本は快晴で本当に暖かい。ジャンパーも脱いでベスト姿で十分だ。さすが九州だ。
現地添乗員が点呼しバスに進む。2台のバスに分かれ、我々のバスは34名の構成だ。宮崎交通のバスが迎えに 来ており、明るく可愛いS原沙織ガイドが楽しく案内してくれる。
すぐ九州自動車道に乗り、SAで一息入れた後、車内で昼食を食べ人吉に向かう。八代までの高速道路は鹿児島県 出水市に単身赴任していた時走ったことはあるが、人吉への高速は未経験だ。
人吉ICを降りて、永国寺に向かう。永国寺は幽霊寺とも云われ、古い幽霊の掛軸が飾られている。
寺伝によれば、開草の実底超真和尚が描いたと伝えられている。創建当時、近郷の知名の士が、妾を囲 ったが、本妻の嫉妬に悩み球磨川に身を投げて、非業の死を遂げた。しかしその恨みが幽霊となり、 本妻を苦しめた。本妻は実底和尚の法力を頼り、永国寺に駆け込んだ。和尚の前に現れた幽霊は、 和尚より因果の道理を説き聞かされ、和尚の描いた己の醜い姿に驚き、和尚に引導を渡して欲しいと 懇願し、実底和尚の引導により成仏し、それから現れなくなったという。
本堂で幽霊の掛軸を見る。よく芝居等で見る幽霊が描かれており、本人がその姿を見て驚いたのがよく 分かる。本堂の奥からは幽霊が現れた池も望める。
又、永国寺は明治10年の西南の役で西郷隆盛が本陣として滞在したそうだ。
永国寺
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説明
永国寺の幽霊が出た池
幽霊の掛軸
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説明
画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)
約1時間の自由時間に人吉の街並みを散策する。武家屋敷跡は知覧や出水ほど残っていないが、歴史ある 建物が所々に残っている。西郷隆盛の宿舎跡も残されている。
人吉城跡に向かう途中に米焼酎の醸造元・繊月酒造があり、構内には社が祀られ、足湯が設けられて いる。
出水在住時、人吉の温泉に来たことを思い出しながら城跡に進む。
西郷隆盛の宿舎跡の門
→
説明
繊月酒造の社
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説明
繊月酒造の足湯
人吉城は明治維新まで人吉球磨地方を統治していた相良家の居城で、またの名を繊月城と云われ、 城の北側は球磨川、西側は胸川、東、南側は険しい山々に囲まれた難攻不落の自然の要塞であったが 、1862年に城下町の大半を焼き尽くしたとか。
胸川の橋を渡ると白壁と石垣が見られるが、城跡の遺構は見られないのは残念だ。
自由時間の許す範囲で散策する。少し足を伸ばして球磨川まで行くが、この時期は水量も少なく 雄大な流れは見られなかった。
人吉城跡の石垣と白壁
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説明
人吉城跡の石垣
球磨川
人吉の街並みを眺めて、再びバスは九州自動車道を宮崎に進む。
大きな虹
九州山脈を長いトンネルで抜けると晴れた空が曇り、小雨がフロントガラスを濡らすようになる。熊本は快晴なのに 宮崎は小雨なのだ。
宮崎自動車道を進んでいると大きくてきれいな虹が半円を描いている。車窓から眺め、眠っていた人も 歓声をあげる。
清武JCTから東九州自動車道に入り、宮崎西ICを降りて「宮崎神宮」に向かう。下車する時には雨も止み 参拝には影響ない。
「宮崎神宮」は地元では「神武さま」と呼ばれ親しまれている。神武天皇の孫で、筑紫を開拓した 健磐龍命が創建したと伝えられている。神武天皇が東征する前に宮を置いていた高千穂宮が宮崎の 神宮・下北方一帯であるという説があると。
神武天皇に対する崇敬により、歴代の領主から深い崇敬を集めてきた。明治維新により、神武天皇の 最初の宮の地として重視されるようになり、現在の本格的な社殿が整備され、宮崎神宮と改称した。
バスを降りる前にガイドの沙織ちゃんから参拝のマナーを注意深く教えられる。ここまで丁寧に教えるガイドは 初めてだ。
道は左側を通り、手洗いも左手で杓を持ち、右手・左手を清め、左手の杓で右手に水を入れ口をすすぎ、 杓を立てて柄を清めると。
木立が見事な境内に入ると「ラクウショウ」の大木がそびえる。樹齢100年・高さ24mの松の大木だ。落葉を見ると 鳥の羽根のようなので「落羽松」と呼ばれるとか。
立派な鳥居をくぐり参道を進む。杉木立が美しく「橿原神宮」の趣がある。途中に神武天皇が東征時に 使ったとされる古代船「おきよ丸」が飾られている。西都原遺跡から出土された埴輪をモデルに作られた そうだ。
玉砂利の参道を本殿に向かって進む。
ラクウショウの大木
宮崎神宮・鳥居
東征の古代船おきよ丸
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説明
手洗い場でガイドに教えられた作法で清め、落着いた神門をくぐって拝殿に進む。現在の社殿は明治39年 に造られ、材料は檜ではなく宮崎県産の狭野杉で造られているそうだ。
荘厳な雰囲気の中、参拝する。拝殿には「神武天皇」の額が飾られ、柱の間から本殿が望まれる。
宮崎神宮・神門
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説明
宮崎神宮・拝殿
宮崎神宮・本殿
「宮崎神宮」を参拝し、本日の宿舎に進む。何処に泊まるかも分からなかったが、宿舎はシーガイヤの中に 建つ「サンホテル・フェニックス」に向かう。
シーガイヤの経営難は聞いていたが、再建され高層のフェニックスホテルやゴルフ場が通常通り営業している。プロ野球の キャンプ地でもある宮崎にはソフトバンク・巨人・広島が合宿しており、隣のフェニックスホテルにはソフトバンクが泊まって いるとか。
17時にツァーは少し離れたサンホテル・フェニックスに到着し、部屋割り通り指定の部屋に行く。値段的にも期待して いなかったが、部屋は広々としていて海外のホテル並みだ。ただ、海側ではないのは止むを得ない。
早めの到着で、温泉ではないが大浴場でユックリと疲れを癒す。夕食はバイキングで和食と洋食処の選択が 出来るので和食を選び、刺身から天婦羅等々ビールと芋焼酎で美味しくいただく。
ガイドが云っていたが、チャンネル数の少ない(民放2社)テレビを見ながら眠る。
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