「道後温泉・宮島・錦帯橋・広島周遊の旅」


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○ [第3日]、錦帯橋・広島散策(2016.05.09)

5/10(火)、5時過ぎに目覚め、外を見ると雨が降っている。
ベランダに出ると静かな瀬戸内海の小島や牡蠣のいかだははっきりと見えるが、宮島の弥山の頂上は雲の中だ。昨夜訪れた「大鳥居」は霞んで見えない。 今日は雨模の一日になりそうだ。
今日の予定は、JRで岩国に行き、「錦帯橋」見学の後、広島に戻り「原爆ドーム」「広島平和記念資料館」を見学し、広島市内を散策して新幹線で帰阪する計画だ。
部屋からの眺め
朝食
早速、朝風呂に行く。まだ誰も居ない湯船でゆっくりとくつろぐ。
湯上りにホテル周辺を散歩しようと思い、階下に降りるが、雨が激しく降っているので諦める。「錦帯橋」では、もう少し小降りになればと。
7時に朝食に向かうと団体旅行の方たちが早くも食べている。個人旅行なので、急ぐ必要もなくバイキング方式の朝食をしっかりといただく。お粥もあり、 野菜もたっぷりと味わう。
9時発のシャトルバスで宮島口まで送ってもらうため、荷物と花束を持ち、生ビールをご馳走になったことに礼を云って、チェックアウトする。
宮島口から予定より1本早い列車に乗れ、ガラガラの列車で、岩国に向かう。友人と歩いた 「旧山陽道」紀行は、もっと山側を歩いたことを話しながら、車窓から雨の降る光景を眺める。
岩国駅に到着し。ロッカーに荷物と花束を預け、小雨降る中、バスで「錦帯橋」に向かう。約15分程で「錦帯橋」に到着するが、小雨はまだ降り続いている。 美しい曲線の「錦帯橋」が錦川に架かり迎えてくれる。山々が霧に煙り、小雨の中の幻想的な光景だ。
「旧山陽道」紀行時、バスの中から眺めた時は、もっと新しい木材の色合いに感じたが、すっかり落ち着いた貫録ある色合いになっているのには驚いた。 霧に覆われた山々との対比は水墨画のようで美しい。山上の「岩国城」は雲の中に隠れ、見ることができない。
錦帯橋
錦帯橋は山口県最大の河川である錦川(川幅200m)に架かっている5連の 木造橋であり、今から約330年前の1673年(延宝元)第三代岩国藩主吉川広嘉 によって創建されました。
岩国藩の悲願である流れない橋として誕生したこの橋は、創建翌年1674 (延宝2)年5月の梅雨の洪水によりあえなく流出してしまいましたが原因を 徹底的に究明し、同年10月末に二代目錦帯橋が完成しています。
それから、276年間不落を誇った錦帯橋でしたが昭和25年9月に岩国地方を 襲ったキジア台風によって2度目の流出をしてしまいます。しかし、岩国市 では橋脚に近代工法を取り入れるなどして直ちに再建工事に着手し、三代目 錦帯橋は昭和28年に完成しました。
以来、半世紀にわたって人々を渡し続けて きた錦帯橋ですが、木造橋の宿命である腐朽による傷みが見られるように なったため、平成13年度から平成15年度にかけて50年ぶりの「平成の架替」に 取り組み、総事業費約26億をかけた大事業は、平成16年3月20日に完成しました。 (岩国市観光協会HPより抜粋)

少し小雨になった錦川の堤防から、景観を堪能する。錦川の河原は増水しているので小さくなっているが、階段を降りて河原からも眺める。五重の 「錦帯橋」が川面に映り美しい構図になっている。
雨で滑り易くなっている「錦帯橋」を渡る。急角度のアップダウンの五重橋を昔の方は造ったものだと感心しながら、橋の真ん中で錦川の流れを眺める。 「岩国城」はここでも見ることはできない。
河原からの錦帯橋
橋の袂からの錦帯橋
太鼓橋 錦川の流れ

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

注意深く太鼓橋を渡り、予定では「岩国城」にロープウェイで上ろうと考えいていたが、山上からの景観は望めないと判断し、周辺を散策して 戻ることにする。
橋を渡ると広い公園になっており、「錦帯橋」を創建した第三代岩国藩主「吉川広嘉像」が立っている。「錦帯橋」創建者として 崇拝されているのだ。きれいな公園の右に「香川家長屋門」が建っている。岩国藩家老である香川家の立派な長屋門だ。 すぐ史跡が目に付くのは、旧街道紀行時の史跡巡りをしている感じで面白く思う。
その先の公園中央に「大噴水」があり、水量豊かな水が噴き出している。錦川の流れや噴水を見て、岩国は水の豊かな都市だと思う。その先には 「岩国美術館」が建ち、「日本刀展」が開催されている。
吉川広嘉像
香川家長屋門
大噴水 岩国美術館

ロープゥェイ乗場があり、出発のアナウンスをしているが、「岩国城」見学はパスして、公園を廻るように戻る。振り返るとロープゥェイが山頂に上って行く姿が見られる。 晴れていれば、乗っていたのにと思いながら見送る。
雨が止み、左に濠が水を湛え、右は白壁の気持ち良い道を進む。新緑が気持ち良く桜・紅葉の名所のようだ。
曲がり角に太刀を振りかざした「佐々木小次郎像」 が立っている。何故ここにあるのだろうとチェックすると佐々木小次郎は岩国生まれで、「錦帯橋」の畔の柳や燕を相手に「燕返し」を編み出したされているの だと。知らなかった。
川沿いの道に「岩国人形資料館」が建っているので立ち寄る。老主人の説明を聞くと、錦川には「ニンギョウトビケラ」という昆虫が川の中の小石や砂を集めて 巣を作ったもので、 人の形をしているため石人形(人形石)と呼ばれているのだと。有名人もたくさん立ち寄っているようで、壁には色紙がいっぱい飾られている。 いろいろな種類の小さな石人形が展示してあるので、夫婦の石人形を買い求めるが、小さくて上手く写せない。
岩国城へのロープゥェイ
白壁の道
佐々木小次郎像 石人形

「錦帯橋」まで戻り、橋を渡ってバス停に向かう。雨のため観光客は少ないが、リュックを背負った西欧人カップルも訪れている。海外でも有名なのか。 「錦帯橋」で昼食を食べようと考えていたが、「岩国城」に行かなかったので、岩国駅まで戻り、そのまま広島に行くことにする。
JRに乗り、ウトウトしていると広島に到着する。ロッカーを探し、荷物と花束を入れ、市電で八丁堀まで進む。「原爆ドーム」に行くルートとして、 「旧山陽道」紀行時に歩いた大通りのアーケードを進むことにする。
広島焼きもどき
賑やかな商店街が旧街道なのには驚いたことを話しながら、また雨が降り出したので、アーケードがあって良かったと。
商店街には修学旅行の中学生が、グループ毎に分かれて行動している。ショッピングするグループや地元の方にインタビューしているグループがあり、その行動を見ていると 面白い。
昼食をしようと適当な店を探すが、商店街には見付からず、スーパーマーケットの地下にあったお好み焼き屋で広島焼きもどきを食べる。ボリュームもあり、美味しく いただく。
商店街を抜けて、まずは「原爆爆心地」に向かう。今朝のニュースで、オバマ大統領が伊勢志摩サミットの後、広島を訪問することを伝えていたので、その露払いを しているようだ。「原爆爆心地」の前には、西欧人観光客が通訳の説明を受けている。皆さん、説明を静かに聞き、パネルの写真をじっと沈痛な眼差しで 見つめている。
元安川に沿って「原爆ドーム」に向かう。大勢のの人が説明板を読んだり、ドームを眺めたりしている。西欧人の姿が多く、頭を垂れる人もおり、全員が原爆の 恐ろしさを目の当たりにしている。オバマ大統領はここに来て、どの様な表情をし、何をコメントするのだろうか。
原爆ドーム
「原爆ドーム」の横側に廻ると建物が崩れかけているので補修しているようだ。70年の風雪に耐えたが、後世に残すためには補修も必要だろう。
二度とこの様な悲惨な戦禍がないことを願い、「原爆ドーム」を後にする。
原爆爆心地 説明
原爆ドーム側面
















元安橋を渡り「平和記念公園」に向かう。
前方の「原爆の子の像」の前には、中学生の修学旅行の集団かたくさん集まり、説明を受け、作って来た千羽鶴を 手向けている。凄い人数に驚くとともに、静かに説明を受けている中学生の姿に感動を覚える。
修学旅行生
原爆の子の像
修学旅行前に、いろいろと学習し「原爆の子の像」のモデル・原爆による白血病で亡くなった佐々木禎子のことも学んだのだろう。 2歳の時に被爆し、12歳で白血病で亡くなったことは、中学生にとっては身近な仲間の死と感じるのだろう。同級生たちの努力で この碑が立てられたと。
横に設置されたガラスケースの中には、たくさんの千羽鶴が手向けられている。修学旅行生たちが織った千羽鶴なのだ。 なかなか前に行けなかったが、修学旅行生が交代する間に「原爆の子の像」に近付き礼拝する。外国人観光客が記念撮影をする平和な光景だ。
「平和記念公園」の中を「平和の灯」を見て「原爆死没者慰霊碑」に向かう。
「慰霊碑」から「平和の灯」を通して「原爆ドーム」も望める。礼拝する人の列に並び、静かに手を合わせる。
「広島平和記念資料館」に向かう途中、修学旅行生が口々に挨拶してくれる。富山・山梨等々、全国から広島に来ているようだ。 「広島平和記念資料館」は修学旅行生で満杯の状態だ。列の後に付いて進むが、なかなか前に行けない。中学生達は私語でうるさい位だ。 段々と進み、原爆の悲惨さを見学するに連れ、私語は止み、真剣な様子で見学している姿を見るとこの資料館の意義が分かる。
「原爆の子の像」のモデルになった佐々木禎子の写真の前では、涙する女子中学生もおり、自分と同じ年代の少女の悲惨な死を嘆いているようだ。 今回は、中学生の様子からこの資料設立の意義を感じ取れた。
また、外国人観光客も多く、英語の説明やイヤホーンガイドで熱心に見学している。この悲惨な資料から自国に原爆の恐ろしさを発信してもらいたいものだ。 見学を終え、渡り廊下で休憩する。窓からは「平和記念公園」の全景が望まれる。「原爆死没者慰霊碑」「平和の灯」「原爆ドーム」を 望みながら、改めて平和を願う。
原爆死没者慰霊碑
広島平和記念資料館
平和記念公園

小雨の中、「広島平和記念資料館」見学を終え、広い平和通りに向かう。
旧日本銀行広島支店
石見神楽・八岐大蛇
「旧山陽道」紀行時に宿泊したホテルを確認し、市電の走る通りを進み「旧日本銀行広島支店」に立ち寄る。
この建物は、原爆投下時に残った数少ない建物のひとつで、地下には「資料館」が設けられている。前回訪れた時は、ここで「石見神楽」を見学した 場所だ。狭い構内に舞台を設け、鑑賞した感動は忘れられない。(その時の石見神楽の写真を掲載する)
地下の金庫室が「資料館」となっており、肉筆で描かれた当時の悲惨な絵画が展示されている。平和公園の資料館とは違った悲惨さが伝わり、 ここでも原爆の悲惨さを再認識する。
市電で広島駅に向かう。指定の新幹線発車まで時間があるので、駅前のデパートをぶらぶらして、近くのビル地下の居酒屋に入り、夕食とする。 「厳島別邸花の舞」と今回訪れた「厳島神社」の名前の付いた居酒屋を見付け入ると驚いた。何と広々とした店内の真ん中に「大鳥居」が 立っているではないか。側に行き確認すると鏡の前に鳥居が立っていて、奥まで広く見えるようにしてある。上手く造ったものだと感心する。
お刺身を頼み、生ビールで二泊三日の旅の無事を祝って乾杯する。
初めての「道後温泉」「宮島」「錦帯橋」「原爆ドーム」を巡ることができ、息子夫婦から誕生祝の花束をもらって、充実した旅だったと妻は 喜んでいる。天候には恵まれなかったが、小雨の煙る「宮島」「錦帯橋」は別の風情もあり、十分に堪能できた。オバマ大統領が訪問する前に 「原爆ドーム」も見学できたのも嬉しいと。
芋焼酎を頼み、メニューを見ると広島名物「レモンハイボール」があるので、それも注文すると何とレモンの輪切りが5枚もグラスの上に 載っている。レモンたっぷりのハイボールも美味しくいただく。
居酒屋の大鳥居
新鮮なお刺身
広島名物レモンハイボール

夕食・乾杯を終え、広島駅に戻り、ロッカーから荷物と花束を取り出す。花束はしおれることなく元気なので一安心だ。
20時37分発ののぞみで大阪に向かう。旅の心地良い疲れとお酒の酔いで、ウトウトしながら新大阪に着き、23時前に無事帰宅する。 充実した「松山・広島周遊の旅」を満喫した二泊三日だった。


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