○ 「高槻市」見聞録

1.樫田地区・(15.6km)
 2016.09.27 10:00〜16:30 曇り


「高槻市見聞録・樫田周遊MAP」

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見聞ルートに沿って歩行出来ます。
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「奥州街道・仙台道」紀行も福島県二本松市まで進むことができ、薩摩(鹿児島)から「薩摩街道・旧山陽道・中山道・日光街道・奥州街道」の旧街道・ 約1800kmを踏破することができた。最終目的の「奥州街道・松前道」の津軽半島・竜飛岬までは、まだまだ距離もあり、何時到達できるかは分からない。
「旧街道日本縦断」を達成するまでの合間に、「都会・田舎の街」と云われる地元高槻市の自然・史跡等を探索しようと考え、第一回目として、 市の最北部・樫田地区の散策を実施する。

高槻市最北部までのバスの便は少ないので、高槻駅発9時34分発に乗ろうと8時40分頃、家を出発し、駅まで歩くことにする。秋雨前線の停滞で、ここ数日雨模様 だったが、今日は晴れ間が広がるので実施することにしたが、蒸し暑く汗が出て来る。 初めての紀行なので、高槻しの玄関口であるJR高槻駅の写真を写し、途中食事処があるはずだが、用心のため軽食弁当を購入する。 バス停に向かうと、予定時間 の1本前の原大橋行のバスが来たので、原大橋まで行き、そこから予定の中畑回転場行に乗換えることにする。

JR高槻駅

第二名神高架橋

原大橋までは、市内運賃(120円)で行けるが、それ以降は山地料金となり、距離制に運賃が設定されている。高槻市から70歳以上に配布される「高齢バス乗車証」 を見せて無料で乗車できるのは有難い。
原大橋は、子供たちが小さい時に、ハイキングで訪れた以来で、上を見ると「第二名神高速道路」の橋桁が、府道を横断して通じている。家庭菜園近くの 高槻JCTからここに通じ、神戸に向かう高速も来秋には開通するようだ。
中畑回転場行のバスは10人余りのハイキング客で賑わっている。シニアハイカーは手前の空谷橋駅で降り、北部林道コースを歩き萩谷バス停まで進まれるようだ。高槻市北部には たくさんのハイキングコースがあるのは嬉しい。
10時07分に出灰(いずりは)停留所に到着する。出灰を「いずりは」とは読めない。その由来は、昔、石灰岩を朝廷に献納したことだそうだが、 出(いずる)灰(はい)が訛ったのであろうか?
10時10分、府道6号線から右に入る舗装された細い道に入って行く。木陰の細い道は涼しさを感じさせ、道標が示してくれるのは嬉しい。少し進むと視界が開け。 田園風景となり、黄金色に輝く稲穂が頭を垂れている。稲刈りが終わった田圃もあり、豊作の秋のようだ。稲穂の向こうに建つ昔の茅葺の家屋は、まさに 「田舎の町・高槻」の象徴のようだ。

出灰バス停

道標

稲穂と田舎屋


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車も通らない静かな舗装道路の道の左に「素戔嗚(すさのお)神社」への道標があるので、左の地道に入って行く。山裾の木立の中に「素戔嗚神社」が静かに 鎮座している。
蔦に絡まれた鳥居の横には、堂々と太いカツラの木が頂も見えない位にそびえている。本殿の前には、真新しい板を敷き詰めた能を舞うのかと思える舞台が 設けられている。石段を上り、本殿に参拝する。落ち着いた本殿だ。案内板によれば、 高槻市北部出灰に建ち、出灰川・田能川・渓谷川の合流地点付近に鎮座する。創建は元禄年間(17世紀末)と伝えられ、 その名の通り素盞嗚尊(すさのおのみこと)を祀り、高い立木に囲まれ静寂に満ちた境内には、神仏習合時代の牛頭天王の灯籠が残る。 また鳥居左にある御神木の巨大なカツラの木は、府の天然記念物に指定されるもの。(高槻市観光協会HPより)と記されている。

素戔嗚神社・鳥居 カツラの木

素戔嗚神社・本殿

素戔嗚神社・舞台?


緩やかな川沿いの上り坂を上って行く。木漏れ日の道をせせらぎの音と野鳥のさえずりを聞きながらゆっくりと進むのは気持ち良い。 「奥州街道」等の旧街道紀行時はどうしても時間の制約があるので、急ぎがちになるが、近場の散策なので余裕を持って歩めるのは嬉しいものだ。
やがて、右側に「せせらぎの里・今城文化民芸館」が現われるが、本日は定休日と。陶芸体験もできるそうだが、見学しようと思っていたのに残念だ。 散策道には、彼岸花も所々に咲き、秋の風情を感じながら進むと対岸の山から伐採した木を運ぶ小さなロープーウェイもあり、林業には励んているのだと。 その先の橋に道標が立っている。橋を渡って山を上って行くとポンポン山に行けると示している。こんな所からもポンポン山に行けるのだと認識する。 高槻市の史跡案内の道標も立ち、自治体の史跡に対する姿勢は評価できる。

木漏れ日の道

せせらぎの里・今城文化民芸館

ポンポン山への道標


川沿いの細い道を進む。陽射しのある所は暑く、日陰になるとホッとする。道端に小さな「地蔵尊」が祀られているのは、旧街道の趣きでもあり、思わず 微笑んでしまう。杉木立と川のせせらぎ沿いの小道は、自然一杯で気持ち良い。
この辺りは、高槻市と京都市左京区の境界線となり、この出灰川を境界としているようで、橋を渡る京都市、戻ると高槻市となっているようだ。右に 高槻市の「樫田浄水所」が設置されている。高槻市の水道の一部は、ここから引かれているのだろう。以前は、夏の冷たい水が自慢だったが、最近は 生温かくなつたのは、淀川からの水が多くなり、ここからの水量が少なくなったのかと?
道横に丸太作りの小屋が建ち、休憩所になってるのも嬉しい。ここで一息入れる。(11:10)

小さな地蔵尊

小川と杉木立の道

樫田浄水所 丸太小屋


せせらぎの音と野鳥の鳴き声を楽しみながら緩やかな坂道を上って行くと視界が広がり、中畑の集落に入る。

中畑集落の田圃

道標

この辺りの田圃は、すでに稲刈りが終わっており、二番穂も伸びている。
高槻も北部に進むと冬の訪れは早くなるので、稲刈りも早くなるようだ。 田圃には畦道の草刈りをしておられる方が居られ、初めて人の姿を見た次第だ。
やがて、府道733線にに当たる。道角には「大神宮社」への道標も立っている。
高槻の史跡案内は充実していることが分かる。車の往来がほとんどない 府道を左折し。「大神宮社」に向かう。
府道の右に常夜燈が二基立ち、山裾を縫って「大神宮社」への参道が通じている。緩やかな参道を上って行くと道沿いに桜が植わっており、 春には美しい桜並木になるだろうと思いながら本殿に参拝する。
静かな雰囲気の中、階段から中畑の集落を眺める。案内板によれば、
祭神に豊受姫命(とようけひめのみこと)をいただき、創建の年月は不詳だが、社伝によれば、元禄11年(1698)に 本殿を造営したとされる。毎年2月に祈念祭、10月に秋祭り、12月には新嘗祭などが行われ、今も伝統の儀式に基づく神事が守り伝えら れている。(高槻市観光協会HPより)と記されている。

大神宮社の常夜燈

大神宮社の参道

本殿


高槻市最北部の集落にも地元の神社・史跡が残っているのだ思いながら、陽射しがきつくなった府道を進む。

食事処 柿の木と彼岸花

小鉢の定食(ピンボケ)

この府道を西に進み、北に曲がると京都府亀岡市になるのだ。
右に山、左に畑を見ながら車の心配もない道を進む。道脇の柿の木は少し色付き、その下には 彼岸花が赤く咲いている。秋の風情だ。
この先に食事処があるはずだと思いながら進んでいると中畑西バス停の前に丸太小屋造りの食事処「いろり」があり、弁当を買って来たが、 ここで昼食とする。
お婆さん二人で切り盛りしている店で、定食しかないようなので頼むと20分程待った後、小鉢に地元の惣菜を入れた健康的な料理が 運ばれて来た。
小鉢の山菜・佃煮・魚等々を美味しくいただく。コーヒーも付いていて、ゆっくりと英気を養う。(11:45-12:25)
府道を西に進むが、陽射しと湿度が高いので、汗が噴き出す位の暑さになって来た。
道脇左に石碑が立っているので、注意深く読むが、なかなか分からない。「右 あなうてら 左 XXX」と記されているように見える。 その先を右に行くと亀岡に通じ「西国21番穴太寺」に行く道標のようだ。左の行き先が読めないが、推測すると茨木市にある「西国22番総持寺」と 記されているのではと。「西国三十三所参り」の道標とすると、古人もこの道を進んだのだろう。
その先の道横には、コスモスの花が咲いている。今年初めて見るコスモスに秋の訪れ再認識した次第だ。 少し進むと右山裾に「樫船神社」の常夜燈と鳥居が見える。今回の散策の目標としていた神社だ。

西国三十三所参りの道標?

コスモスの花

樫船神社の常夜燈と鳥居


「樫船神社」の鳥居を抜けると長い石段が続いている。100段以上あると思われる石段を上って行く。

樫船神社・本殿

長い石段を上り切ると朱色の鳥居が迎えてくれ、一息入れて、石段の下を見るとその長さが良く分かる。「奥州街道」紀行等で、疲れていたらパスしていた かも知れない石段だ。
ここからは地道の参道がウネウネと続き、また、少し長い石段を上ると本殿が見えてきた。
樫田を見守るように鎮座する神社で大己貴命を祭神とする貞応元年(1222)に田能の村人たちの手によって造営され、 神像と仏像が奉納されたといわれる。
社殿には木造の神像と船の模型が安置されている。「樫田」の名前の由来にもなったといわれる。今なお信仰厚き田能の鎮守だ。 (高槻市観光協会HPより)

森の中に建つ荘厳な「樫船神社・本殿」に参拝する。これから続ける予定の「高槻市見聞録」紀行の安全と達成を願って、静かに頭を垂れる。
「樫船神社」はこの辺り一帯の集落の氏神様だそうで、本殿の中には、木彫の神像と体と船の模型が安置されているそうだが、見ることができなかった。
静かな雰囲気と鳥のさえずりを楽しみながら一息入れる。風がなく。蒸し暑さと虫の来襲で、のんびりできず、早々に石段・地道・石段と下って行き、 本日のメインである「樫船神社」の参拝を終える。

朱色の鳥居

長い石段を見下ろす

地道の参道


「樫船神社」参拝を終え、今回の周遊散策は帰路となる。緩やかな田圃の下り坂を進んでいると道横に彼岸花の縦列開花状況が見られる。この辺りは、 赤い彼岸花が主だが、鹿児島に赴任した時、黄色・白色の彼岸花に接し驚いた記憶がある。季節の花を満喫して刈り入れの済んだ田舎道を進む。 静かな道には、立派なお屋敷が建ち並び、この辺りの農家は豊かであったことが分かる。
突き当たりを左に進み、山裾に入った所に「神宮寺」が建っているが、門の前が封鎖されており、参拝は出来ない。
案内板によれば 樫田地区を代表する社寺である樫船神社の宮寺として、鎌倉時代初期に造営されたとされる。本尊である金箔が施された寄木造りの 大日如来座像は、平安時代後期の作と見られており、市の有形文化財に指定されている。(高槻市観光協会HPより)と記されている。

彼岸花の縦列

立派なお屋敷

神宮寺


田舎道の紀行を終え、府道6号線に出て、車の往来の多い府道歩きで、スタート地点に戻って行く。
国道・府道・県道歩きは大嫌いだが、他の道が無いので仕方ない。道の右側を用心しながら、緩やかな坂道を下って行く。曲がり角は注意して進まないと 正面から車が突進して来て、慌ててハンドルを切るの経験済みだ。
府道の左にビニールハウスが続いている。何を植えているのだろうと考えていると看板が出ていた。「ブドウの産地をつくろう! パイロット農場」と記されている。 高槻産のブドウは全く知らないが、近いうちに市場にも地産地消として販売されるだろうと期待したい。
その先には、「高槻カントリー倶楽部」が広がっている。コースは木立に囲まれて見えないが入口が迎えてくれる。
単調で危険な府道歩きが続く。府道は田能川沿いにウネウネと下って行くと昔、子供たちと時々行っ来た椎茸狩り・バーベキューができる「高槻森林観光センター」が 建っているが、定休日なので立ち寄ること ができない。温泉もあるので、時間調整に入浴も考えていたのに残念だ。仕方ないので、そのまま下り、スタート地点の出灰バス停に戻る。

ブドウのビニールハウス

高槻カントリー倶楽部 府道6号線

高槻森林観光センター


13時55分、出灰バス停に到着する。「高槻森林観光センター」で時間を立ち寄る予定がNGになり、14時32分発のバスまで時間があるが、次の停留所まで進むことは止め、 バス停のベンチで待つことにする。ハイキングを終えた方が数人集まって来られ、この付近のハイキングコースが人気あることが分かる。
バスに乗車し、ゆっくりと景色を見ながらJR高槻駅まで戻るが。無料なのは有難い。
第一回目の「高槻市見聞録」を無事終えることができ、今後、何処へ行こうかと考えながら帰宅する。本日の歩行歩数は、26000歩だった。






    
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