○ 「高槻市No2.」見聞録

1.三島江・津之江地区・(13.9km)
 2016.10:07 9:00〜15:00 晴れ


「高槻市見聞録・三島江・津之江MAP」

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台風18号は日本海を進んだため、関西には影響がなく、台風一過の素晴らしい秋晴れとなった。
「高槻市見聞録」は地元のため、実施することは即決できるので、第二回目を実施することにする。前回は、最北部の山間の集落に向かったので、今回は 南の淀川に行こうと検討し、南西部の摂津市・茨木市との境界線にある三島江地区から北に進み、JR高槻駅までの散策をする。

8時41分発の柱本行バスに乗るため、8時過ぎに家を出て、高槻駅まで歩く。三島江には「コスモスロード」と呼ばれる「コスモス園」があるので、妻は 後のバスで出発して、現地で合流ことにする。

興楽寺

高槻市の道標

柱本で降りると直ぐ淀川の堤防だ。
その曲がり角に「興楽寺」が建っている。淀川の堤の下に、こんなに立派な寺院が建っているのに驚く。案内によると、奈良時代に行基上人が創設したと。 そんなに古い時代から淀川沿いに集落があり、人がたくさん住んでいたのだと想像する。
その前に、「淀川堤・くらわんか舟発祥地碑」の道標か立っている。
前回も感じたが、高槻市の史跡への案内表示道標はポイントの場所に設置されているのは 嬉しい。各地の旧街道を歩いているが、史跡等を大切にしている自治体はその標識も整備されているので、自治体の評価の基準にしているのだ。

淀川堤・くらわんか舟発祥地碑

正面に淀川堤防が高くそびえ(?)、その道には豪邸が立ち並ぶ。この辺りの集落は繁栄していたのだ。
堤防の上に立つと視界が開け、淀川とその河川敷に広がるゴルフ場が見え、下流方向には新淀川大橋が見える。その先は摂津市となる高津氏の南西の端だ。 堤防の横には「くらわんか舟発祥の地」碑が立っている。
江戸時代、淀川は経済の中心地・大坂と都・京都を結び、さらに琵琶湖を経て東海や北陸地方とも通じる、物流の大動脈でした。大坂・伏見間の旅客専用船・ 淀川三十石船をはじめ、淀船・伏見船・過書船などの貨物船が、人々の生活と経済活動を支えていたのです。
それら淀川を往来する船に酒や食べ物を売る小舟(煮売茶船)を、くらわんか舟といいました。発祥地は柱本、関が原の戦い以後、徳川軍の物資補給に協力し、 幕府から営業特権を与えられたといわれています。 「食らわんか、くらわんか」と呼びながら三十石船に漕ぎ寄せるさまは、当時の小説や浮世絵にも登場。広く知られた東海道の名物でした。(高槻市観光協会 HPより)

淀川堤を下流に向かって歩く。地道の堤防上からはゴルフ場、新淀川大橋が望まれるが、河川敷が広くて淀川本流は見えない。反対側を望むと真っ青な空の下、 高槻市の町が広がっている。風も気持ち良く、秋の訪れを感じる。
「くらわんか舟発祥の地」碑まで戻り、しばらくは淀川堤を進もうと考えていると「三島江浜へ」の道標があり、それに従って淀川堤を進む。

河川敷のゴルフ場と新淀川大橋

高槻市を望む

三島江浜への道標


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

陽射しは強いが、秋風が気持ち良い淀川堤を進む。対岸は、春に友人たちと歩いた 「京街道」の寝屋川付近となる。淀川左岸は「京街道」で歩いたが、 右岸は歩いていないので、この機会に少しでも踏破して行きたい。
堤防の上を歩いていると新しい石碑が建っているので確認すると「河口まで23km」の碑だった。ここから淀川河口まで23kmあるのだと確認する。 河川敷のゴルフ場は終わり、公園となりスホーツ施設が並んでいるが、平日なので人影は見えない。集落の中に「三島鴨神社」が鎮座しているので、参拝のため 堤防を下りて神社を探す。

三島鴨神社

直ぐに鳥居が見付かり、参道を本殿に向かう。
参道を右に曲がると広い境内があり、本殿が建っている。手水場の所に、同じ地図を持った同好のシニアの方が居られ会釈した後、本殿に参拝する。
延喜式神名帳にも記載されている、日本で最初の三島神社で、大山祇神と事代主神を奉る。
仁徳天皇の頃、百済より大山祇神を迎えて淀川鎮守の社を造ったのが始まりとされ、伊予と伊豆の三島と並び「三三島」と呼ばれる。 (高槻市観光協会HPより)

境内には、他の神社の末社も祀られているが、目に付いたのは歌碑だ。案内板によると、昭和20年7月9日、空襲警報が発令され、家路を急ぐ小学生達に 戦闘機が狙い撃ちをすると云う非人道的な攻撃をされ、神社に逃げ込むと神社にも砲撃がされたが、15名程の学童は無事であったが、神社は焼失したと。
この歌碑は地元柱本出身の高崎達之助氏が設置され「三島江の よしあし しげき 昔より この民まもる この神やしろ」 と記されている。
昔から信仰の厚い集落の人々に祀られていたことが良く分かる。
「三三島」と云う言葉は知らなかったが、伊豫(愛媛県大三島)の「大山祇神社」、伊豆(静岡県三島市)の「三嶋大社」を云うらしい。しまなみ海道・大三島の 「大山祇神社」には、「しまなみ海道・サイクリング」時に訪れたことが あるのを想い出した。(このサイクリングの前に訪れていたので、この時はパスした。)

河口まで23kmの碑

三島鴨神社・鳥居

歌碑


次の史跡「三島江浜」に向かうが、なかなか分からず、地元のお婆さんが居られたので尋ねると「私の家だ」と案内していただく。「三島鴨神社」の 次の筋を淀川堤防に当たった所に、案内板とともに「妙見宮常夜燈」と「神峯山寺道標」が敷地の中に立っている。

お婆さんの案内で

三島江の浜跡 説明板

お婆さんの話では戦後直ぐに嫁いできた時は、家はもっと淀川沿いにあり、堤防も低く、川面が見える位だったと。堤防増強のため、家が後ろに下がった そうだ。
案内板に描かれている藁葺きの家は、もっと昔で、瓦屋根だったと当時を想い出しながら話していただく。敷地の中の常夜燈等の史跡が、高槻市の案内地図に 掲載されているのに驚ろいておられたので、観光協会に置いてあると伝えると喜んで貰いに行くと。
案内板によると三島江浜は、淀川の河港で物流の拠点として栄えるとともに、大阪商人の「妙見宮」「神峯山寺」参拝の入口としても賑わったそうだ。また、三島江は 葦や萱が生い茂る淀川の光景を万葉集にも和歌として読まれてる風光明媚な所だったと記されている。
お婆さんに礼を云って「コスモスロード」見物に淀川堤下の道を戻る。道脇に幟が立ち、人影が多い地点を目指して進む。もっとコスモスが咲き乱れていると楽しみに していたが、休耕田に種を蒔いているだけのようで、畦道もなく、田圃の外からしか見学することができないのは残念だ。
妻がバスに乗ったとの電話で、周辺の田圃を観ながらバス停に向かう。刈り入れの準備をしている方に、今年の出来は?と尋ねると白穂(?)が出来て問題だと。 白穂とは何かと尋ねると実が黒くなる米がまざることのようだ。
バス停で、妻の到着を待ち、渋滞で遅れたバスが到着し、「コスモスロード」に向かう。途中、青空の下「ザクロ」が大きく稔っている。コスモス園で、しばらくコスモスを 鑑賞する。カメラ片手のシニアの方が多く集まられており、賑やかだが、コスモスは少し寂しい。
先程の「三島江浜」を案内しようと戻る途中の水路の柵には、万葉集を初めとして歌集に詠まれている「三島江」の和歌が記されている。さすが、歌枕の里と 呼ばれている三島江の集落だ。

コスモスロードの幟

コスモス園 コスモス

柿本人麻呂の和歌 ザクロ


先程行った「三島江浜」の史跡を訪れ、妻に説明をした後、淀川堤に上り広々とした光景を見せる。
秋風は気持ち良いが、陽射しが強いので、妻は散策を止め帰ることになり、バス停まで見送り、一人で見聞の散策を続ける。新幹線の高架下を抜け、 府道から西面集落の細い道に入って行く。
この辺りも初めての場所で、突き当たりに玉川が流れている。玉川は芥川からの用水らしく、揚水塔も設けられ、高低毎に水路が通じ、上の土地、下の土地に 水を供給しているようだ。その玉川沿いは、木立が茂り、地道の気持ち良い遊歩道で、老若男女が黙々と歩いている。
この辺り一帯を「玉川の里」と呼び、高槻市花となっている「卯の花」が初夏には咲くそうで憩いの場だと。
少し進むと遊歩道の右に立派な「芭蕉の句碑」が立っている。「うのはなや暗き柳のおよびごし」は、芭蕉が故郷の 伊賀上野から、大坂や京に頻繁に出入りしていた頃に詠んだ句だと。芭蕉も訪れた「玉川の里」なのだ。

玉川 揚水塔

玉川の里の遊歩道

芭蕉の句碑


「玉川の里」の遊歩道は、玉川橋団地から市街地に変わる。強い陽射しの中、かって知らなかった新しい道路が出来ているのに、高槻市の進歩を感じながら 進む。玉川の対岸に立派な大阪医大三島南病院を観ながら、広い府道14号線の唐崎西交叉点を渡るが、方向感覚がおかしくなる。方向を定めて、 唐崎交叉点を府道16号線を渡って細い道に入って行く。
昔の趣きを残す街並みを進むと右道角に「石田梅岩母たね生誕地」の石碑と小さな祠が祀られている。やはり、唐崎集落は歴史のある街だ。通りには、 大きな寺院が立ち並び、「三島江」と「唐崎」が淀川の河港として栄えたのだ。
その先、右角に見落としそうな石碑が立っており、判別し難い文字が刻まれている。横に小さな案内板があり「茨木街道道標」と記され、大塚の渡し場から 唐崎を経て茨木に通じる道で、三島江方面との分岐点だと。

石田梅岩母たね生誕地の石碑

唐崎集落の寺院

茨木街道道標


新幹線の高架手前を右に曲がると広場があり「唐崎神社」が鎮座し、その前の道に「唐崎地蔵堂」か祀られている。唐崎集落の鎮守がこの辺りに集まり 寺院や立派なお屋敷が建っているのが良く分かる。
広場を左折すると新幹線の高架があり、くぐった直進する。正面に「地蔵堂」があり、左折すると元の細道に合流し、坂道を上ると淀川の堤に出るのだ。

唐崎神社

唐崎地蔵堂

新幹線の高架 地蔵堂


淀川堤に上ると上流に高槻ゴルフ場があり、対岸には全国的に有名になった枚方パークの観覧車が見えている。芥川との合流地点も望まれ、雄大な淀川流域の 景観を堪能する。秋風が気持ち良い。
ここからは芥川沿いを上って行く。芥川に架かっている橋を左右に渡りながら進むのだ。まず鷺打橋を渡り、芥川の左岸堤防を上流に進み、新幹線の高架下を抜ける。 新幹線が高槻市の南部を斜めに走っているので、時々方向感覚が乱れるのは小生だけか? 作業者が堤防の雑草刈に精を出し、昼休みの休憩する方にご苦労様と挨拶して進む。先程横断した府道14号線の高い芝生大橋(?)の下をくぐり、その先の次郎四郎橋を 渡って右岸を進む。
12時も過ぎているが、昼食処は今まで見つかっていないので、次の芥川大橋を渡って、堤をりて食堂を探す。堤防の下にラーメン屋があったので、そこで 餃子定食を食べ、一息入れる。(13:00-13:20)

淀川堤から枚方を望む

芥川との合流地点 芝生大橋(?)

餃子定食


芥川大橋に戻り、芥川左岸を上って行く。芥川橋の上流で、左の女瀬川と芥川が合流する三角州は「津之江公園」と呼ばれ、水生植物・野鳥の楽園として 市民の憩いの場となっているそうだ。
芥川左岸の堤の下に桜並木の遊歩道が続いている。一度訪れたことがあるが、見事な桜並木だ。堤防の下なので、少し見晴らしが良くないのが残念 だったと想い出す。芥川の中州に白鷺が獲物を狙って待ち受けている。静かな光景に、しばし足を止めて、魚を獲るのを見極めようとするが、 静かな空間が続くのみだった。芥川堤の地道を進み、城西橋を渡り、堤を下りて行く。

津之江公園

桜並木の遊歩道

白鷺


堤を下って、少し迷いながら阪急京都線の高架下を抜けて「あじゃりの杜」に向かう。新しい家が並んでいる奥、JR東海道線の手前に、 こんもりとした杜があり、中に「稲荷神社」が祀られている。
祭神は倉稲魂神であるが、広い境内の奥にある約60体近くの石塚が有名。この神社の森は「阿舎利(あじゃり)」と云われ、 昼なお暗いミステリーポイント。安閑天皇時代の河内の豪族・大河内直味張(おおいこうちのあたえあじはり)ゆかりの神社であり 、この味張がなまって「あじゃり」となった説が有力とか。 (高槻市観光協会HPより)
杜の中はひんやりと空気が漂っていて疲れが癒されるようだ。元来た道を戻り、芥川を歩行者専用の「芥川歩道橋」を渡って市内中心部に 向かう。国道171号線に当たり、高槻市役所の前を通って、JR高槻駅で本日の紀行を終える。今日の歩行歩数は30600歩だった。

あじゃりの杜

芥川歩道橋 歩道橋から芥川を望む

高槻市役所



前回は高槻市の北部の山の集落を散策し、今回は西南の淀川・芥川流域を散策した。高槻市の自然豊かなことを見聞して再認識した次第だ。 まだ、中心部の散策は出来ていないが、「都会・田舎の高槻市」を体感したい。






    
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