[宇都宮(上金井)~今市][今市~神橋・東照宮]


○ 「日光街道No3」見聞録(宇都宮・上金井~今市~神橋・東照宮)・(距離 26.7km(今回)/ 150.4km(累計))

  1.「日光街道」(宇都宮(上金井)~今市・18.2km) 2015.11.17. 10:25~17:00 曇り


日光街道マップ
(幸手観光協会より)
日光街道・奥州街道(宇都宮~白河)宿場一覧
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「宇都宮(上金井)~今市・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。

8月末に、2回目の「日光街道」紀行を実施し、秋の紅葉の頃、最終の日光東照宮に到達しようと考えていた。
妻が「中山道」紀行と同様に、最終ゴールで待ち受けたいとの希望もあり、日程を考えていた。しかし、秋雨前線・台風の影響で鬼怒川が氾濫し、常総市は 大きな被害が出て、東武鉄道も不通になる天災が起こり、その計画は中止することになった。
「日光街道」踏破後、「奥州街道」に進み、その後も「奥州街道・仙台道」「奥州街道・松前道」を進み、津軽半島・竜飛岬まで行きたいとの計画 なので、冬場の東北地方の歩行を避けるとこの秋に、少し先まで進みたいと考え、具体的な計画を進めた。 まずは、「日光街道」の踏破をし、前回通った「日光街道・奥州街道の追分」から、「奥州街道」に入り、「氏家宿」or「喜連川宿」まで進もうと 柔軟性を持った計画とした。
10月末に、小学校の同窓会があり、カメラマンをしてくれた東京在住のOK君と連絡を取り合っている時、「日光街道」紀行の計画の話をしていると、ぜひ 同行たいとの嬉しい要請があり、喜んで承諾し、東京駅で待合せ、全行程同行することになった。

9時過ぎに家を出発し、梅田の居酒屋で睡眠導入剤を飲み、停留所に行くとたくさんの老若男女が待っている。
23時10分発の夜行バスは、定刻通り出発する。満席で、通路側に座り、直ぐに眠ってしまう。1回目のトイレ休憩は知らず、2回目のトイレ休憩で目覚め、バスを降りると 駒ヶ岳SAの表示に驚く。東名高速を進んでいると思っていたが、道路工事のため、中央自動車道を通っているのだと。 その後、ウトウトと眠り、高速を降りた所から渋滞に巻き込まれ、大幅に遅れそうになり、東京駅で待つOK君と連絡を取り合う。
6時20分到着予定が、約1時間遅れ7時15分頃到着し、東京駅へ急ぐ。ホームで彼と合流して握手し、7時50分発の快速列車に乗ることにして、彼が買っていて くれたランチパックの朝食を食べる。
しかし、快速列車も赤羽駅で遅れ、宇都宮駅到着は、9時40分となり、急いでバス停に行くと、9時50分発のバスに乗ることができ、予定より、1時間20分遅れと なった。

上金井バス停

残っている紅葉

1時間に1本程のバスに間に合い、車窓から、前回歩いた行程の話や今日の計画を話しながら、目的地・上金井バス停に到着する。
10時25分、本日の紀行をスタートする。曇天だが、暖かく、雨の心配はなさそうなのは有難い。もう紅葉も終わり、落葉になっているかと思っていたが、所々に 見頃の紅葉や黄葉が残っているのは嬉しい。これから先も、楽しみだ。
車道を真ん中に、両側の堤が歩道となっている旧街道を進む。車の心配がなく、安心して歩けるのは有難い。少し進んだ交叉点の左に、植木垣で囲まれた空間の 中に「大谷道の道標」が立っている。垣根で文字が見えないが、左の道が「大谷観音」に通じていると。
気持ち良く進むと右に瀬戸内海料理の店がある前に鳥居のようなものが立っているので、左に入って行くと「薬師堂」が建ち、周辺にはたくさんの石仏が 祀られている。屋根の下に、三体の石仏が祀られ、右の馬頭観音の側面には「右山道 左氏家・白沢道」と刻まれているそうだが、判別は難しい。
少し先に、徳次郎交叉点があり、その左角に、上部が欠けた「田中道の道標」が立っているが、神社の文字が読めるだけで、これも判別できない。交叉点を 左折し、少し先右の小道に「痣地蔵堂」が祀られている。あざやいぼが治ると云われていると。

大谷道の道標

薬師堂 三体の石仏

田中道の道標 痣地蔵堂


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

徳次郎(とくじろう)交叉点に戻り、旧街道を進むと左に大谷石で造られた家が建っている。銀杏の黄色い落葉を踏みながら進むと右に 「徳次郎智賀都(とくじら・ちかつ)神社」が鎮座する。近辺の徳次郎六郷の鎮守だと。入口の2本の大欅は、樹齢700年という大木で県の天然記念物に指定されて いる。
「徳次郎」の読み方は、交叉点には「とくじろう」と記され「徳次郎智賀都神社」で「とくじら」と示されている。この辺りの宿場は「 徳次郎(とくじら)宿」と 呼ばれているのだ。OK君と何故だろうと話しながら進んだ。この疑問が、宿泊した宿で同宿となった方が、この「徳次郎智賀都神社」の方に聞いた話では、 初めは「徳次良(とくじら)」だったが、「徳」と「良」と良い言葉が続くのは良くないと考え、「良」の後ろに「こざと編」を付けて「郎」にしたのだと教え ていただく。感謝。
「徳次郎智賀都神社」で、今回の紀行の無事を祈願する。神社の先の車道の中には「徳次郎六本杉」が植わっている。バス停の名前にもなってる有名な杉だが、 まだ若木のようなので、これからの成長が楽しみだ。。

大谷石で造られた家

徳次郎智賀都神社と大欅 本殿

徳次郎六本杉


徳次郎宿・桜並木

宝木用水二宮堰

この辺りは「徳次郎宿」だと思われるが、宿場らしい雰囲気はなく、きれいな桜並木を進む。春には、美しい光景だろうと思いながら。
更に進み、右の 小道を入って行くと田川を堰き止めた「宝木用水二宮堰」が造られている。ここで取水し、宇都宮市まで通じているようで、何と、有名な二宮尊徳の設計で、 安政6年(1859)に完成したものだと。二宮尊徳がこのような治水に貢献していたことは知らなかった。
旧街道に戻り、宿場の雰囲気を求めながら歩むが、何も見当たらない。やがて右に「石那田の一里塚」が立っている。日本橋より30里で、右の塚だけが残って いる。今日、初めての一里塚で、OK君も街道歩きの楽しみ味わってくれたようだ。 直ぐ左に「十九夜塔の如意輪観音」が祀られている。「○○夜塔」の碑が、方々に祀られているのは、地域性が出ていて面白い。その先左の草むらの中に 「馬頭」と刻まれた小さな碑が祀られている。「馬頭観音」に関する碑は、「日光街道」では、珍しい。
そろそろ昼食時になったので、地元の方に聞くと、少し先にスパゲティー屋さんがあると親切に先導して教えていただく。「すぱ屋」はお客さんも多く、 繁盛している店で、宇都宮一の濃厚な黒毛和牛スパゲティーをいただく。美味しい!!(12:05-12:40)

石那田の一里塚 (ピンボケ)

十九夜塔の如意輪観音 馬頭の碑

黒毛和牛スパゲティー


「日光街道(宇都宮・上金井~今市①)」の「紀行スライドショー」

昼食を食べ、元気よく出発する。「すぱ屋」の横の道を右に入って行くと「石那田堰」が、田川に堰を造り、取水口がある。広場には、いろいろな碑が立ち、 昔懐かしい「二宮金次郎の像」が立っている。この堰も、二宮尊徳が指導して設けたものだと。翌日の歩行で分かったのは、この先の今市の「報徳二宮神社」には 二宮尊徳のお墓が祀られているのを知った。晩年は、この地域に貢献された証しだろう。
地図を見ると田川沿いに進むと旧街道に合流するので、紅葉が美しい川沿いの道を進むことにする。しばらく進むと見事な林檎畑が広がり、実がたわわに稔っている。 林檎の香りを楽しみながら旧街道に合流する。
旧街道は、工事中の「石灘の大橋」で渡り進むと左に「石那田八坂神社」が鎮座し、緩やかな坂道になる。桜並木が始まり、左の歩道を進んで行く。 気持ちの良い杉並木を快調に、楽しみながら進む。

石那田堰広場 二宮金次郎の像

林檎畑 石那田八坂神社

桜並木の旧街道


所々に紅葉や林檎畑を眺めながら、桜並木を進むとやがて杉並木が始まる。気持ち良く進むと左に「庚申供養塔」や石碑が祀られているのを確認し、 その先には「うらない仏」が祀られている。この石仏に願をかけ、3個の石のいずれかを持ち上げて軽く感じれば願いが叶うと。試すことを忘れ、 進んでしまう。
快調に進むと左にこん盛りとした塚らしきものがあり、「上小池の一里塚」と推察する。その向かい側に「新渡(にわたり)神社」が、森の中に鎮座している。 落ち着いた神社だ。
杉並木の中に植わっている紅葉が赤く染まり、緑の中に美しい紅を彩っているのを眺めながら、日光市に入って行く。

うらない仏 庚申供養塔

上小池の一里塚 新渡神社

杉並木の紅葉


杉並木が途絶えたり、また始まったりと繰り返される旧街道の道脇に、読み難いが「馬力○」碑が祀られている。

馬力○碑

杉並木寄進碑

「馬頭観音」関連碑なのだろうと推測し、 進んで行くと、国道は左のバイパスに逸れて行き、旧街道は直進できる。その入り口左に「杉並木寄進碑」が立っている。案内板によると、
杉並木は、松平正綱公が、杉並木を栽培して東照宮に寄進したことが記され、並木の起点となる神橋畔および各街道の切れる今市市・山口(日光街道)、小倉 (例幣街道)、大桑(会津西街道)の四か所に建っている。この日は、日光神領の境界に建てられているので境石と呼ばれている。 ここで一息入れる。(14:10-14:20)
杉並木の道は、車も通らず、両側の杉並木を満喫しながら、真っ直ぐな並木道を気持ち良く歩けるのは嬉しい。

杉並木

杉並木


車も通らない杉並木を独り占め(二人で)して、木立の見事さに感動しながら進む。何本植わっているのだろうかとか、高さはどれ位あるのだろうかと 話しながら、杉並木を堪能する。
やがて、大沢交叉点で、バイパスと合流して、国道を進む。この辺りから「大沢宿」が始まるのだが、宿場らしい史跡はないようだ。
大沢は、源頼朝が狩りに訪れ、広大な荒地だったのを見て4人の従者に開拓居住させたのが始まりだと。頼朝のご恩にちなみ恩沢と称され後に 大沢(おおたく)となり、さらに現在の大沢(おおさわ)なったと。
国道を少し進み、右に入ると「王子神社」が鎮座する。見事に黄葉に彩られた樹齢200年の大銀杏が眼に飛び込んでくる。見事だ。いろいろなアングルから 写真を写すが、全景を入れるのが難しいほど大きい。
その奥に入って行くと「竜蔵寺」が静かに建っている。ここは、将軍日光社参の御休所になった寺で、境内の市指定天然記念物の六尺藤が黄葉しており これも見事だ。藤の黄色を見たのは初めてだ。

王子神社 大銀杏

竜蔵寺

六尺藤


「日光街道(宇都宮・上金井~今市②)」の「紀行スライドショー」

旧街道に戻ると国道は右を通り、旧街道は杉並木を抜けるようになっているので、ゆっくりと楽しむことができる。
杉並木を入ると直ぐ右に「八坂神社」が鎮座し、鳥居前に「八坂の枝喰い杉」が植わっている。初めは、どの木か分からなかったが、2本の杉の根部が 癒着した二又になっている杉なのだ。
その前に「大沢の古杉」と呼ばれる松平正綱寄進以前の古い杉が数本ある。ここは、戊辰戦争で大沢の斎藤縫蔵と板橋の由五郎が 幕府軍の間諜を働いたとして処刑された所でもあると。
少し先左に「大沢の四本杉」が植わっている。4本の杉が四角形の各点からほとんど同じ大きさで立ち、均整のとれた箱型の樹相をなしている。お互いの 倒木を防ぐための植樹法だそうだ。杉並木のたくさんの杉の中の珍しい杉には、名前が付けられているのだ。

八坂の枝喰い杉

大沢の古杉

大沢の四本杉


誰も車も通らない杉並木に、銀杏の黄葉が目立つのを楽しみながら進む。「大沢御殿跡」の標識を探しながら進むが分からない。 途中、可愛いお地蔵様が祀られている。
標識を見付けたので「大沢御殿跡」かとチェックすると「大沢の一里塚跡」だった。日本橋から32里目で、左右とも塚があり、右の塚に二本の大杉が植わっている 標識がないと分からなかったが、塚として両側共に残っているのは嬉しい。左の塚には「水無一里塚」の標識が立っている。大沢・水無と地名に因んだ 二つの呼び名があるようだ。

銀杏と杉並木 お地蔵様

大沢の一里塚跡・右

大沢の一里塚跡・左


少し先の水無の交叉点で杉並木は途絶え、国道歩きとなる。車道を真ん中に、両側の歩道を進む。

薄暗い杉並木

来迎寺

その先で国道と別れ、再び右の杉並木に入って行く。曇天と日没が近付いて来たので、杉並木の中は薄暗い。
小生のカメラでは、鮮明に写せない暗さだ。 地道になった杉並木は、静かで静寂そのもので、杉の落葉を踏む音が聞こえる。やはり、地道は嬉しい。先日の大雨の影響で、路面が崩れて、全面通行止めの 区間もあり、改めて、鬼怒川氾濫時の豪雨の凄さを認識する。
再び、国道と合流するとその先右に「来迎寺」が建ち、森友交叉点から右の杉並木に入って行く。
この杉並木は長く、「桜杉」と「一里塚」である「並木ホテル」と云われる杉があるので、薄暗い中、左右の杉をチェックしながら進む。薄暗い杉並木の中で、標識が なければ、どの杉か分からないなぁ~と話しながら、随分進んだ左に、柵で囲われ、標識のある杉を発見する。これが、割れ目から桜の木が出ている珍しい杉で 「桜杉」と呼ばれている杉だと。珍しい杉があるものだ。春には、桜が咲くのだろうかと?
その先直ぐ右の垣の上に、日本橋から33里の「一里塚跡」でもある「並木ホテル」と呼ばれる大杉の根元に大きな空洞のある杉が堂々と立っている。見事な空洞で、 人が数人は入れる広さに驚く。この空洞の広さで、ホテルと呼ばれるのだろう。ここの地名に因んで「七本桜の一里塚」とも呼ばれると。

薄暗い杉並木

桜杉

一里塚跡・並木ホテル (OK君写真借用)


杉並木は、東武鉄道の高架下を抜けて進む。真っ暗になって来たので、左の国道にエスケープして進むことにする。

真っ暗な杉並木と東武線高架

追分地蔵尊

次の目的地は、「例幣使街道」との合流点にある 「追分地蔵尊」なので、明るい国道を選んだが、結果的に、これが失敗だった。
少し先に、左からの広い道と交差したので、これが「例幣使街道」と思い、「追分地蔵尊」を探すが分からず、通りかかった女学生に道を尋ねる。もっと先だと 教えられ、国道を進むと旧街道の杉並木と左からの杉並木が合流する小倉町交叉点の角に「追分地蔵尊」が祀られている。 左からの杉並木が「例幣使街道」だったのだ。 「追分地蔵尊」は大きなお地蔵様だ。写真を写すが、上手く写せないので、翌朝に再度訪れることにし、今夜の宿屋に向かう。
今夜の宿「竹美荘」は、今市のサイトで見つけ、サイトでは予約できず、電話で予約した宿で、どんな宿かと心配したが、立派なホテルだ。

竹美荘の夕食

17時に宿舎に到着する。OK君とはツインの同室だが、部屋も広く問題なく、早速、浴場に行き、足腰を伸ばして今日の疲れを癒す。
18時からの食事なので、ビールを部屋に運んでもらい、乾杯!!。初めての街道歩きを経験したOK君も楽しんでくれた様子で、美味しく飲む。
18時からの夕食も美味しく、ビール・芋焼酎で、出発が遅れたが、行程を迷いながらも予定通り到着したことを喜ぶ。
ここで、嬉しい出会いがあった。隣のテーブルで食事をしておられたシニアの方も、「日光街道」を歩いておられ、話が弾んだ。我々が、女学生に道を 尋ねていたのをバスの中から見ておられ、同宿するとは思わなかったと。
男性は、80才を過ぎておられ、百名山踏破・街道歩きのベテランで、その紀行記を自費出版され、10数冊になるとか。明日は、バスで少し戻り、日光を 目指すそうだ。我々が、「奥州街道」に進むと話すと、お二人も行かれるそうで、情報交換もする。
同好の方と会い、情報交換できたことに喜び、部屋に戻って、持参した芋焼酎で、明日以降の行程等々話し合い、ワールドカップ予選のサッカー観戦をしながら 眠ってしまう。今日の歩行歩数は、37500歩だった。

「日光街道(宇都宮・上金井~今市③)」の「紀行スライドショー」

バスや列車の遅れで、計画より、1時間以上スタートが遅れたが、真っ暗の中、道にも迷ったが、予定通り今市まで到達できた。OK君も、初めての街道歩きの ポイントを熟知されたようで、次の史跡ポイントを積極的に探してもらい助かった。
今までの「日光街道」は、国道歩きが多く、少し物足りなかったが、今日の杉並木の見事さが、全てを解消してくれた。果たして何キロ、何本植わっている のかと戸惑う程の杉並木を堪能した。徳川家康の威光を、改めて感じた次第だ。明日は、「日光街道」踏破、「東照宮」参拝し、「奥州街道」を スタートする予定だ。


[宇都宮(上金井)~今市][今市~神橋・東照宮]







    
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