○ 「奥州街道No1」見聞録(宇都宮(追分)~喜連川)・(距離 25.7km/ 25.7km/176.1km ) 1.「奥州街道」(宇都宮(追分)~宇都宮(堀切)・5.7km) 2015.11.18. 14:10~16:15 曇り後雨
「日光街道」踏破したとの喜びを胸に、JR日光線で宇都宮駅に戻る。同行してくれた小学校以来の友人OK君も2日間の街道歩きで、 その楽しさを理解してくれたようで、次の「奥州街道」への期待してくれているようなのは嬉しい。 宇都宮駅から「日光街道」「奥州街道」の「追分」までバスで行く。 「奥州街道」は、この「追分」から福島県の「白河宿」までの21里18町・85kmの行程で、 「白河宿」先の「女石追分」までは幕府の道中奉行が管轄する 「奥州道中(街道)」であるが、その先は。各藩が管轄する「仙台道」・「松前道」となり、青森県の津軽半島・三厩(みんまや)まで続いているのだと。
14時10分、雨が降りそうな空模様の下、「追分」から「奥州街道」紀行をスタートする。 前回、「日光街道」は左折して、日光に向かって進んだが、「奥州街道」は大通りを直進して、白河に向かって進む。 宇都宮市のメインストリートである大通りが旧街道で、少し先に「高札場跡」の碑が立っている。史跡は残っていないが、標識が存在しているのは嬉しい。 その先左のみずほ銀行付近が、本陣跡らしいが、ここには標識もないのは残念だ。 旧街道は、大通りを渡り、右折するのだが、その道が明確でなく、川沿いの石畳の細い道を入り、小さな公園を探すが分からず、そのまま アーケードのあるオリオン通りを進む。
商店街を進むと左の通りの奥に「宇都宮二荒山(ふたあらやま)神社」大きな鳥居が見える。 日光にも「二荒山神社」があるので、「宇都宮二荒山神社」と区別されているようだが、下野国の一之宮で、それがなまって宇都宮となったとも 云われている。 空模様が怪しくなって来たので、急ぎ足で長い石段を上り、本殿に参拝する。 これからの「奥州街道」紀行の無事を祈って。 参拝している途中で、パラパラと雨が降り出したので、急いで石段を降りはじめると雨足が激しくなって来たので、大通りを渡り、アーケードの下で、レインウェアの上着を 羽織って、オリオン通りに戻る。 アーケードのあるオリオン通りを抜けて、突き当たりを左折し、次の筋を右折して進むと少し先右に「おしどり塚」の案内板かあり、奥に入ると小さな広場があり、 「おしどり塚」の碑が立っている。案内板によると、鎌倉時代に無住法師の「沙石集」によって紹介された旧跡地で、猟師が雄のおしどりを射止め 、翌日雌のおしどりも撃つと、その身体の下に、前日撃った雄の首が抱きかかえられており、それ以来猟師は殺生を絶ったと。おしどりの夫婦愛を語る 話しが残っているのだ。(雨のため、ピンボケばかり)
そのまま直進し、広い通りを左折し、大通りを横断して進む。少し先の道を左折して「清巌寺」に向かう。 右側に立派な門構えの「清巌寺」が建ち、境内には、大きな「子育地蔵」が祀られている。大谷石の台座は、1714年に創建されたもので、地蔵尊は、戦時下に 供出されたが、平成7年に再建されたそうだ。 旧街道に戻り、田川に向かって進むと左に「三峰神社」が鎮座し「樋爪氏の墓」の標識が立っている。源頼朝に敗れた奥州藤原氏に連なる樋爪氏の墓が 祀られていると。 田川を幸橋で渡る。橋の欄干には、当時の幸橋を渡る大名行列や庶民の壁画が飾られ、田川を眺めながら、当時の風景を偲ぶ。
幸橋を渡って進むと県道125号線に当たり、左折して進む角に「旧篠原家住宅」が建っている。 江戸時代から続いた豪商の家で明治28年(1895)に建てられた主屋が残っている。外壁には、大谷石や黒漆喰が使われ、重厚な建物だ。内部見学も可能だったが、 日暮れも近いので、パスして県道を進む。 雨が激しくなり、薄暗くなって来た。広い歩道のある県道歩きが続き、右に「八坂神社」が鎮座するのを確認して進む。 新幹線の高架下の手前で、右に行く国道10号線があるが、旧街道は、県道125号線を真っ直ぐに進む。高架下で、傘を取り出して進むことにする。 歩道にも水が溜まりだし、注意して進まねばならない。雨の日の紀行は辛いものだ。 竹林町の交叉点の先左に、立派な長屋門の家が建ち、旧街道の面影を残しているが、史跡も少なく、淡々と歩かねばならない。
雨による暗さと日没が近付いた暗さで、初めの予定の「稚児坂」までは進めそうもないので、帰りのバスの時刻を確認しながら、進める所まで行くことにし、 歩を進める。 左に「宝蓮院」を確認し、次は「首切地蔵」を探すことにする。先達の資料では、栃木銀行近くの小道を入った辺りとなっているので、栃木銀行を見付け、 その前の小道とは思えない道の周辺を探すが見当たらず、付近の人に尋ねるも分からないと。
交叉点に戻り、渡って探すと駐車場横の細い道の奥に「地蔵堂」があるが、扉は閉まっていて、中を観ることができないが「首切地蔵」が祀られていると 確信する。「地蔵堂」の周りには、暗くて字も読めないが、たくさんの石仏が祀られており、昔の刑場だったと。 バス停の駅名が「地蔵堂」でなければ、諦めていたのを、執念深く探し当てた喜びをOK君と分かち合い、バス到着まで10分あるので、明日のことを 考え、先の慰留所まで進むことにする。
今夜の小生の泊まるホテルは、OK君が予約する時点で満杯で、別々のホテルに泊まらざるを得ないので、反省会をして別れることにし、駅前の 居酒屋を探し、「日光街道」踏破と「奥州街道」スタートを祝って乾杯する。 「日光街道」踏破、「東照宮」参拝時は、曇天で問題なかったが、「奥州街道」スタート時から、雨が降り出し、暗くて大変だったが、最後の 「首切地蔵」を探し当てたことで、街道歩きの難しさと楽しさを味わえたとOK君が話してくれたので、嬉しい限りだ。 地元の料理と地酒を楽しみ、明朝7時集合することにし、お別れする。 「日光街道(宇都宮(追分)~宇都宮(堀切)①)」の「紀行スライドショー」 OK君と別れ、駅の近くの「宇都宮ステーションホテル」にチェックインし、浴場で冷えた身体を温め、足腰をマッサージして癒し、ぐっすりと眠る。 本日の歩行歩数は39500歩だった。 「日光街道」を踏破した後、すぐに「奥州街道」をスタートすることができた。雨のスタートだったが、これから「白河宿」まで、天候にも行程にも 恵まれた紀行になればと願う。
|