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○ 「中山道No6」見聞録(加納宿〜鵜沼宿)・(距離 16.8km/ 137.8.0km/ 395.2.0km)
6−1.(53)加納宿〜(52)鵜沼宿・(16.8km) 2008.09.01 7:45〜13:35 晴れ
前回の紀行は暑さとの戦いだった。「韓国旅行記」「中山道紀行記」を作成しているとオリンピックが始まり、連日、テレビ観戦で 応援するオリンピック三昧を楽しんだ。 ソフトボール・柔道・レスリング等、女性軍の健闘が目立つ大会だった。特に、星野JAPANの惨敗は情けない限りだった。上野投手の 心意気をプロが学ばねばならない位だ。フェンシング・体操に新星が出て来たのは今後に期待出来る。まあ、無事オリンピックが終了して 良かったと云うのが実感だった。 「青春18きっぷ」を用いて「高松・讃岐うどん食の旅」に行ったので、切符の残りは2枚だ。春の「越前大野散策」時、 列車で同席した「青春18きっぷ」同好の方と話した中で、真夜中の「おわら風の盆」見物は風情があるとのアドバイスがあり、 今年の夏に実行したいと思っていた。 この「おわら風の盆」見物と「中山道」紀行を合わせて実行すべく、9/1-3の間に計画し、天気予報から9/1出発とした次第だ。 今回は日帰りの紀行ではなく、「中山道」を歩いた後、美濃太田駅から高山本線で越中八尾駅に向かうので、時間の制約が ある。17時発に乗らねばならないので、目標は「太田宿」とするが、25kmあり、風呂に入り、夕食を食べたいので、 手前の「鵜沼宿」までになるかも・・・。 前回と同じ様に、前日からポカリスウェットの粉末から飲料水を作り、冷凍して置いたペットボトル2本を持って、4時半頃、出発する。 前回は少し明るくなりつつあったが、まだ真っ暗だ。季節は徐々に秋に向かっている。
平日なので米原乗換は少し時間が早くなるが、空いた車両で少し雲がたなびいている伊吹山を眺めながら進む。 田圃の稲も黄色く色付き、一部は稲刈りも終わっている。暑くて台風もなかったから豊作だろう。 今回は岐阜駅近くの「加納宿」から「鵜沼宿」までの長い宿場間の約17kmを踏破し、時間があれば次の「太田宿」まで行く予定だが、 夜の「おわら風の盆」でも歩かなければならないので、無理をしないことにする。 7時45分、岐阜駅を出発して、前回歩いた場所まで戻り、「中山道・加納宿」の中心に進む。 駅前の広い道にも「ここハ中山道加納宿」の古い道標が立ち、「中山道」への角には地図と説明板が方向を示している。事前に 調べた地図では枡形の道が多く、迷い易いので要注意だ。 「加納宿」は「中山道」の宿場の中でも数少ない城下町で、「美濃十六宿」の中で最大規模の宿場で、当時は賑わっていたそうだ。 本通りから左折して東に向かう。まだ人通りのない街並みは静かだ。 「加納宿・脇本陣跡」の石碑が立っているが、古い家はなく、史跡は少ないようだ。サイトの紀行記で見た街角の象の展示物は シートがかけられていて、目的は分からない。少し門構えの立派な家の前にも「加納宿・脇本陣跡」の石碑が立っている。
朝日を浴びて東に向うが、前回に比べれば陽射しも弱くなっているのはありがたい。
丁度、NHK大河ドラマ「篤姫」では、皇女和宮のお輿入れを放映しているので、良いタイミングだ。今までの行程でも皇女和宮の 史跡が多く、「姫街道」と呼ばれるのが納得できる。 「加納宿・当分本陣跡」の当分の意味が分からない石碑を見て進むと「二文字屋」と云う料亭に出会う。ここは 本陣に泊まった皇女和宮の本膳を提供した料亭で、今でもその本膳を注文できると。 少し進むと古びたコンクリート造りの建物が、廃墟のように建っている。 「旧加納町役場」で、旧街道に建っていると趣があるが、 他の場所であれば・・・・。 広い道に突き当たる歩道橋の下に、「加納城・大手門跡」の大きな碑が立ち、南に向かうと 「加納城址」があるようだが、今回は立ち寄らず先に進む。
ここで左に直角に曲がる枡形になっており、清水川を渡った三叉路の薬局前には「南広江の道標」が立つ。江戸時代からの 道標で、「中山道」と「岐阜道」との分岐点になっている。再び右側に進む。 前回、岐阜駅の観光案内所で入手した地図がなければ、枡形の道を進むのは難しい。曲がった所の古い家屋には「岐阜問屋跡」の 説明がされている。斉藤氏、織田信長の時代から岐阜の物流の中心として発展したようだ。 しかし、空襲で当時の旧家は全て焼失したので、面影はないが、曲りくねった旧街道だけは残っている。広い道を斜交いに渡り、 善徳寺の前を左折すると再び先程の広い道に当たる所に「東の番所跡」碑が立っている。枡形の道は複雑だ。
再び右の小道を進むと広い道に出会い渡って進む。今日は月曜日でこの辺りはゴミ収集日のようで、辻々にはゴミ袋が積まれている。 道角に「安良町の道標」の石の道標が立っているが、その周りはゴミの山で史跡が見えない位だ。「右、岐阜・谷汲」は見えるが 後ろはゴミで見えない。 また右に曲がり、新荒田川を渡る。その欄干には「中山道」を歩く旅人の様子や大名行列が描かれている。ここは「中山道」だと 確認できる。再び左に曲がり、すぐの小道を曲がった所に「茶所の道標・鏡岩の碑」が立っている。鏡岩は江戸時代の関取で その供養塔が祀られている。 家の陰で一息入れる。前回より陽射しが弱いとは云え、額からは汗が流れるので、いつものように鉢巻をし、次の行程への 準備を整える。(8:25)
枡形で直角に曲がりくねった「加納宿」から「鵜沼宿」への長い街道に進む。すぐに名鉄・名古屋本線の踏切を渡り、 踏切で渋滞している車の列を横目で見ながら東へ歩む。
この辺りは衆議院岐阜1区なので、前回の選挙戦は白熱したようだ。 「野田聖子」さんの選挙掲示板が方々に見られる。(この時は夜に福田首相の辞任は想像出来ていない) JR東海道本線の高架下を抜けて真っ直ぐな道を進む。 それまで見られなかった古い家並みも散見され、「中山道」の趣きが感じられる。少し進むと右側からの道との交叉点に 「地蔵堂道標」が立っている。右からの道は伊勢に通じる近道とか。「伊勢・名古屋、ちかみち」と深く彫られている。 (8:40)
「一里塚」が残っているのも珍しいし、まして 両側に保存されているのは見事だ。 植えられているエノキは代が代わっているが、塚があり、立派に育っているのは嬉しい。 暑くなって来た街道(R181)を進む。 所々に旧家が旧街道を表すように建ち、「馬頭観音」の祠も祀られている。 道沿いに「中山道」の石碑が立ち、説明板がある。 この辺りは切通(きりとおし)の集落で、当時は交通の要所として賑わったと記述されている。 旧街道が突き当たる所に大きな鳥居があり、その横に「左、木曽路」の道標が立っている。初めて「木曽路」の名前が出て来た。 「美濃路」も後半に入り、「木曽路」に近付いて来たのだと嬉しくなる。 大きな鳥居は「手力雄(てじからお)神社」の一の鳥居で、その陰で一息入れる。融け出した冷たい飲料水を飲み、汗を 拭うが、水がないので濡らすことが出来ないのは残念だ。(9:05)
「加納宿〜鵜沼宿@」の「紀行スライドショー」 鳥居に突き当たって左に曲がり進む。「加納宿」から「鵜沼宿」への行程はJR高山本線、名鉄各務原線に沿って進むことになる。 桜並木がきれいな境川を渡る。単調な街道歩きでは、気分が滅入るが、自然との接点が感じられると疲れが癒される。橋の上で、 きれいな水と春には美しいであろう桜並木を見入る。 街並みが途切れて、緑一杯の田圃に進む。前には東海北陸自動車道の高架道路が見え、昨年この道を通って郡上八幡に向かったのだと 思い出しながら、遠くまで来たことを実感する。 高速道路の高架下を進むと名鉄各務原線の線路に沿って進むことになる。関西人にはなじみが薄いが、真赤な名鉄電車がスピードを あげて走っているのをパチリ。
田園地帯から新加納の集落に入る。道脇にははっきりと確認できない「道標」が立ち、静かな落ち着いた街並みが続く。
その合流点に「新加納一里塚跡」の碑が立っている。 この新加納は「加納宿」と「鵜沼宿」の17km余りの中間点になり、 正式の宿ではないが、「立場(たてば)」と呼ばれる小休所が設けられていたそうだ。 「間の宿」としての機能と発展が あったように思われる。 名鉄の新加納駅にも近く、「中山道」に沿ってJRや名鉄が設置されたことが良く分かる。 旧街道は市街地に入り、「各務原市民公園」の緑の木立を眺めながら進む。朝が早かったので、お腹が空いて来たが、食堂は 見当たらない。前回の経験からも見つけたら時間は早いが食べようと。 ここ各務原市は航空自衛隊の基地があるので、時々、戦闘機の離発着での轟音に驚く。毎回だとこの騒音は大変だろうと。 各務原市役所に入りトイレを拝借する。入って驚いたことに来訪者に外人が多い。窓口にはポルトガル語表示もあり、ブラジル人が 多いのが分かる。(10:40) 市役所のトイレで顔を洗い、タオルを濡らして鉢巻にし、首にかけて出発する。 交差点の角に怪獣が立っている。交通事故「ナッシー」の像で、警察の敷地に設けられているのだ。思わず微笑んで通る。 商店が疎らに点在する商店街を進むと道横に「六軒一里塚跡」の木碑が寂しく立っている。一里塚も保存状態や地元の意識で 木碑・石碑・塚と様々だ。行政の文化への姿勢が良く分かる。 国道21号と合流して進み、すぐに名鉄各務原線の上を高架で渡る。
高架橋を渡り進むが、食堂らしきものは見つからない。やっと中華料理屋があり、ホッとするが、11時30分開店で、 まだ閉まっている。少し悲壮感を持って進むと喫茶店があり、開いているが、ランチの時間はまだだ。ランチが出来るかと 尋ねると時間前だが、OKと。 サービス定食を頼み、冷たい水を飲んで一息入れ、美味しくハンバーク定食をいただく。国道筋といえども、食堂が 少ないことを再認識する。ハンバーグはなかなか美味しかった。(11:20-11:50) コップに残っている氷をタオルにくるんで鉢巻きにし、喫茶店を出る。 JR高山本線の線路を高架で渡り、東に向かうと 旧街道は右にカーブする国道21号を離れて、真っ直ぐに進む。静かな気持ちの良い道沿いには畑や栗林が続く。 栗の実が大きく育ちイガが痛そうだ。 落ち着いた家並みを歩いていると「衣装塚古墳」の標識があり、後ろに円墳があるようだ。
旧街道は高台を進んでいる。下には国道21号線、JR高山本線、名鉄各務原線が木曽川との間を通っている。
国宝の名城がぼんやりと霞んで見える。社会人に なって直ぐの社内旅行でライン下り・犬山城見学をしたことを思い出す。もう一度、訪れたいお城だ。 少し進んだ所に英泉の「鵜沼宿」の絵が掲示されていた。当時の姿と対比して眺めてみよう。 道沿いに「鵜沼宿」の標識が現れ、宿場の中心に向かう。舗装道路と石畳が混在してなかなか見事な街道になっている。 「加納宿」と違って古い街並みが「中山道」の趣きを残しているのは嬉しい。古い町屋が残る落着いた街並みを、時々 「犬山城」を眺めながら気持ち良く歩む。 少し進むと「脇本陣・芭蕉句碑」が街道脇に立つ。芭蕉の句碑も「中山道」にはたくさん残っている。今まで認識して いなかった芭蕉や皇女和宮の史跡を通じて、歴史を感じることが出来た。
「鵜沼宿」は落ち着いて古い街並みが残る宿場で、保存の良さが感じられる。立派な旧家が建っているので、説明板を見ると 「町屋館」として残されている。江戸時代からの旅籠を明治には郵便局として活用したそうだ。 少し進むと木製の「大安寺橋」が架かっている。手前には柳の木が茂り、木製の「常夜灯」と道標が設けられている。 反対側にも木製の「常夜灯」と「渓斎英泉(けいさいえいさい)」画の「鵜沼宿」が掲げられている。 今回の紀行では余り史跡や雰囲気のある古道が少なかったが、ここは趣きがあり心癒される場所で一息付く。
13時を過ぎてしまった。ここから次の「太田宿」までは約8kmあり、途中に「うとう峠」があるので、2時間以上はかかりそうだ。
少し進んだ三叉路に「これよりうとう峠」の道標を確認して、今回の紀行を終える。 ここから約1kmを歩き、JR鵜沼駅に向かう。途中の稲も頭を垂れる秋の風情が感じられる。 13時35分、鵜沼駅に到着する。今回の歩行歩数は33000歩だった。 今回は「青春18きっぷ」を活用して、岐阜の「加納宿」からJR高山本線に沿った旧街道を歩き「犬山城」を木曽川の対岸に見る 「鵜沼宿」まで到達した。戦災で史跡は少なかったが、ローカル色が溢れる道だった。 京都を出発して130km余り進んだことになる。次回以降は木曽川を渡って内陸部に入り、「木曽路」の入口に向かっていかねば ならない。 次回は冬の「青春18きっぷ」を使って「鵜沼宿」から「太田宿」を通り、木曽川を渡って進む予定だ。12月末になれば この辺りはきっと寒いだろう・・・と。 「加納宿〜鵜沼宿A」の「紀行スライドショー」 JR鵜沼駅から美濃太田駅に向い、その後「おわら風の盆」観賞に訪れた。その旅行記は 「青春18切符」・「おわら風の盆・観賞の旅」で 楽しんでください。
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