[洗馬宿〜塩尻宿][塩尻宿〜下諏訪宿]


○ 「中山道No16」見聞録(洗馬宿〜下諏訪宿)・(距離 18.5km(今回)/ 324.0km(累計)/ 209.0km(残距離)

前回まで
今回
残距離


16−2.(30)塩尻宿〜(29)下諏訪宿・(11.3km) 2010.10.13. 9:40〜17:25 晴れ


中山道全行程.Map
「塩尻宿〜下諏訪宿・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

「塩尻宿」を抜けて「塩尻峠」に向かう。

可愛い道祖神

仲町の信号を真っ直ぐ進むと可愛い「男女の道祖神」が祀られている。今回の紀行ではよく 見られる光景だが、この「道祖神」は女性が積極的に見える。微笑ましい姿に疲れが癒される。「道祖神」は祀ると共に旅人の癒しにも なったのではと思うほどだ。
小さな川を渡り、川に沿った小道を進むと仲町から分岐した道に「永福寺」の山門を見え、進むとその道と合流する下柿沢の交叉点に至る。 この辺りから穂高連峰が見られるとのことだが、雲に隠れて望めないのは残念だ。交叉点脇には「道祖神」が祀られている。
少しづつ勾配を感じられる「塩尻峠」への緩やかな坂道を上って行く。
車も通らない道には「道祖神」が祀られ、「高札場跡」の立て札が立っている。この辺りまで「塩尻宿」だったのであろうか。
緩やかで静かな坂道には立派な家が立ち並び、気持ち良く歩む。「雀おどり」の棟飾りした立派な家も建ち、「塩尻宿」の繁栄ぶりが 感じられる。

雲の中の穂高連峰

道祖神

雀おどりの棟飾りの家


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

この辺りのはずれに「首塚」があるとのことで、キョロキョロしながら上って行くと案内標識があり、それに導かれて右側の小道に 寄り道する。

首塚

小道から下を望むと「塩尻宿」の方向が小さく見え、青空と筋雲が広がり秋の風情一杯だ。畑の中に「首塚」が祀られているが、 説明板もなく、寂しく建っている感じだ。
南北朝時代には、塩尻峠をはさんでしばしば合戦があった。
戦国時代の最も大きなものは武田晴信(信玄)と小笠原長時との塩尻峠の 戦いである。天文17年2月武田晴信が小県郡上田原で村上義清に敗れると、信濃の武将たちは小笠原長時を中心として5000の兵で下諏訪に 攻め入った。
長時は7月19日、塩尻峠・勝弦峠一帯に大合戦をし、初めは優勢であったが味方の裏切りにより1000余人の死者を出して 大敗してしまった。
こうして晴信は、信濃攻略の足掛りを固めることができた。いまも峠下の永井坂に戦死者を弔った首塚・胴塚がある。 (塩尻市観光案内HPより)
やはり、この辺りに来ると木曽義仲から武田信玄に変わってくるのだと改めて東に来たことを認識する。
元の道に戻って、静かで緩やかな坂を上って行くと「道祖神・馬頭観音」がかたまって祀られている。

塩尻宿を望む

静かで緩やかな坂道

道祖神・馬頭観音


住宅街を抜け、坂道を進むと前方にたくさん車が停まっている。こんな荒涼とした所に何故?と。そこは今朝、バスで通った長野自動車道の みどり湖PAで、そこから高速バスに乗る方の駐車場だったのだ。長野自動車道の上を通って進む。

長野自動車道のみどり湖PA

国道20号線の地下道

いつの間にか、雲は少なくなり、太陽が輝いて来た。夏だと大変だが、この時期の太陽はまだ消耗させるまではないので助かる。木陰が 会ったので、道端の石の上で一息入れる。(10:20)
そろそろ峠に近付いたので、「熊野古道」紀行時から愛用している熊除けの鈴を取り付ける。 舗装道路の坂道を上って行くと国道20号線と交わり、その地下道を抜けて先に進む。
木立が茂る峠道の右側に「新茶屋立場跡」があるとのことで、探しながら進むが見つからない。住宅はあるが、史跡の表示がなく、 その前の山裾に「牛馬守護神」の碑が建っている。

牛馬守護神

「新茶屋立場跡」の標識を探していると家からご主人が出て来られ、色々とお話する。この家の先祖が茶屋だったと。78才の ご主人の子供の頃は茅葺の建屋があったが、お父様が戦死されたため、補修が出来なかったと。その時小さかった木が大きく茂って来た のだと。
時々、資料参考に歩いている人があると云われるので、塩尻市教育委員会が作成した「しおじり学びの道」を取り出し、地図を 見せると「新茶屋立場跡」の表示があるのをご覧になって、教育委員会もこんなことをやっているのかと感心しておられた。標識を だして下さいよとお願いもしておく。

木立が茂る峠道

新茶屋立場跡の家














この辺りは熊の心配はないかと尋ねると、ここには熊はいないが、日本鹿が畑を荒らすと。向こうの山には日本カモシカが住んでいるのだと。 「牛馬守護神」が建つ山も戦後は畑として食糧を作っていたのだと20分以上話す。
先達の方の話で、西には「馬頭観音」が祀られているが、東には「牛頭観音」が祀られているとお聞きした。今まで「馬」はあったが 今回初めて「牛」の表示を見た。「牛馬守護神」を見て、これからの「馬頭観音」「牛頭観音」に期待しよう。
ご主人とお別れして坂道を上ると「小さな石祠」が道脇に祀られている。先程のご主人が、見つけられて旧道横に祀られたと話しておられた 祠だ。少し下り坂になり、再び国道と合流する。
地図では国道から迂回する小道があるらしいので、探しながら進むと坂の小道があるので上って行くと民家の道で、そこのご主人に 「中山道」ですかと聞くとそのまま下って、直ぐに左に行く道があると教えていただく。
再び国道に出て、少し進むと小道があるので 左に曲がり、その辺りにある「犬飼の清水跡」があるらしいが、分からない。小道は国道まで出てしまうので、戻って探すが 分からず、諦めて進むと左の木の陰に「犬飼の清水跡」の木碑が立っている。見難い場所だ。「江戸時代、公卿の犬が病気になったとき、 この水を飲ませたら直った」という。
国道に出て、直ぐの小道を左に進むのが旧道で、道標が立っている。少し勾配がきつくなって来た旧道を上って行くと「りんご果樹園」が 広がり、実が赤く稔っている。

小さな石祠

犬飼の清水跡

りんご果樹園


少し暑くなって来た坂道を上る。
木立の中の道は気持ち良いが、舗装道路なのは残念だ。少し汗ばんできた所で、前方に立て札が見える。

東山一里塚跡 説明

「東山一里塚跡」だ。
東山一里塚には1基だけ塚が残っている。東山のこの一帯は、旧中山道の塩尻峠をはじめ、茶屋本陣や立場茶屋跡、犬飼清水の伝説等、 旧中山道の面影が偲ばれるところとなっている。(塩尻市観光案内HPより)
峠道での一里塚は安心感を与える。間違いないと思って進んでいる時に明確な目印が現れた時はホッといる。水を飲んで一息入れるが、 長袖のシャツを脱ぐまではいかないが、暑い。
木漏れ日が気持ち良い坂道を淡々と進むと上からご夫婦らしい方が下りて来られご挨拶。直ぐに行かれたのでお話する間がなかった。
少し上ると道脇に木碑とお地蔵様が祀られている。「ある美しい娘が岡谷の男と親しくなり、毎夜この道を通った」と云う「夜通道」の 碑が立つ。なかなか情熱的な話だが、夜の峠道は厳しかっただろうと。
横には「親子地蔵」が祀られている。赤いよだれ掛けが印象的なお地蔵さまだが、由緒は分からない。「塩尻峠」には色々な 物語が埋もれていることが想像出来る。

木漏れ日の峠道

夜通道の碑と親子地蔵

親子地蔵


道なりに坂を上ると左に建物が見えて来た。

明治天皇塩尻嶺御膳水の井戸

茶屋本陣跡 説明

その手前右側に「明治天皇塩尻嶺御膳水」の石碑が立ち、その奥に井戸がある。この井戸で 水を汲み、お飲みになったのだろう。
その前に「茶屋本陣跡」の家屋が立っている。奥には古い建物があるようだが、街道筋のは立て変えられたのであろう新しい家で、 その時気付かなかったが、屋根には「雀おどり」が飾られていることが分かった。
写真でははっきり写っていないのは予習不足だった。 峠道に史跡が点在しているのは嬉しいものだ。
坂道の勾配がきつくなり、「塩尻峠」の頂上に近付いたことが分かり、広場に向かう。展望台が見え、取り敢えず展望台に上り、 景観を確認する。

塩尻峠からの眺め 地図

江戸初期の中山道は、下諏訪から三沢を経て小野峠小野盆地に入り牛首峠を越え桜沢に抜ける小野街道を利用していたが、15年ほどで 塩尻峠越えの道に変更された。
塩尻峠には、一里余り人家がなく、参勤交代も難渋したので、諏訪側の今井村と塩尻側の柿沢村とに 御小休所(茶屋本陣)が置かれた。峠から諏訪方面は、中山道有数の絶景で、渓斎英泉は「木曽街道六十九次」にここからの眺めを 描いている。(塩尻市観光案内HPより)
少し曇っているが、眼下に諏訪湖が広がり、浮世絵に描かれていた光景を思い出す。
展望地図の案内板があり、南アルプスや八が岳を見るが雲に隠れて見えない。先日登頂した富士山も見られるようだが、雲の中だ。残念!!
反対側も雲に隠れて、北アルプスや御嶽山も見られないが、気持ち良い山並みが望まれる。
展望台の上は涼風が気持ち良く、しばらく山の下に広がる岡谷市・諏訪湖と山並みの姿にぼんやりと魅入る。「信濃路」の一つの難所を 克服した感が深く、次の「和田峠」方向を見て、気持ちを奮い立たせる。
展望台の上には影がないので、下の木陰に移動して、松本のコンビニで買った弁当を食べる。(11:40-12:10)

塩尻峠の展望台

塩尻峠からの眺め(北アルプス側) 地図

弁当



「塩尻宿〜下諏訪宿」の「紀行スライドショー@」


「塩尻峠」でゆっくりと昼食を取り、諏訪湖に向かって下って行く。

富士浅間社・石祠 説明

諏訪湖への下り坂

頂上の広場に富士登山に関連する「富士浅間社・石祠」が祀られている。 ここから富士山が眺められるので祀られているのだろう。先日の登頂達成のお礼を述べて手を合わせる。
諏訪湖への下り坂は、西から上って来る勾配より倍ほどきつく感じる。東から上るのは大変だと思いながら下って行く。舗装道路の 下り坂は膝に堪えるので、慎重に足を運ぶが、どうしても足早になり、膝に厳しい。
下り坂の途中に養蜂場があり、ネットを被った方が作業をしておられる。今年はスズメバチの被害が多く出ているので、山歩きは気を付け なければと。少し紅葉している木々を見ながら快調に下る。 右側に大きな岩が現れる。山から転がり落ちた「大石」がここに留まり、その昔は盗賊が隠れて旅人を脅していたと。

岩船観音 馬頭観音

急な下り坂を後ろ向きに下ったりするが、ペースが早く心肺機能がきつくなる。途中から手前に広がる岡谷の街並みや諏訪湖が間近に 見えて来るが、坂道はまだまだ続く。 峠道を下り切り、一般道と交差する所に「岩船観音」が建つ。
本尊馬頭観音が、船の形をした台石の上に祀られているところから石船観音と呼ばれ、とくに足腰の弱い人に対して霊験あらたかで あるといわれている。
境内を鳴沢清水といって、豊富な清らかな水が流れていて、参拝者の喉をうるおしている。 (人力HPより)
神社横の鳴沢から「金明水」が流れ落ち、飲んでみると冷たくて美味しい。石段で腰を降ろして一息入れる。心臓がバクバクとして、 ペースが早すぎたことが分かる。
急な石段の上には「馬頭観音」「道祖神」が祀られ、その上の階段を上ると「岩船観音」の祠が建ち、草履がたくさん奉納されている。
再び石段に座り、呼吸を整える。今回の難所「塩尻峠」を踏破したことに満足する。目の前には諏訪湖が広がり、紅葉し始めた木も見られ 気持ち良い。

大石

諏訪湖が間近に

金明水


「塩尻峠」を越えて新たな気分で歩き始める。
緩やかになった坂道を下り、岡谷ICの上を橋で渡り、旧道に進む。道脇に「不動尊」の大きな石碑が立ち、旧街道だと教えてくれる。 少し進むと「中山道」の石碑が立っている。岡谷の街に入ったようで、道の両側にはロープで繋がれた紙片(?)が飾られ、何かお祭りのようだ。
前方に木立が見え、立派なお屋敷が建つ。これが「茶屋本陣・今井家」で「雀おどり」の棟飾りがあるらしいが、外からは分からなかった。 「塩尻峠」の両側に「茶屋本陣」があり、英気を養った後、峠越えに向かったことが分かる。 近くには「明治天皇御膳水の碑」が立ち、「塩尻峠」の東の玄関口だったことを改めて認識する。

岡谷ICの上を橋

中山道の石碑

茶屋本陣・今井家 説明


陽射しがきつくなり、暑く感じるようになって来た。

火の見櫓 道祖神

静かな岡谷の街並みを進むと前方に昔懐かしい「火の見櫓」が立っている。田舎の 集落に時々見ていたが、街中で見るのは珍しい。

おやきと茸汁

その櫓の下に「道祖神」が祀られている。少し進んだ木の下にも「道祖神」も 祀られ、信仰の深さが偲ばれる。
通りの横に食事処があり、お腹は空いていないが、休憩をしようと入ると店の方が食事をしておられた。食事はいらないと 云うと「おやき」を薦められたのでお願いする。
洗馬から「塩尻峠」を越えて来たと話すと、それはお疲れ様と採りたての茸汁を サービスに出していただき、野沢菜の「おやき」と茸汁を美味しくいただく。これで160円とは感謝だ。
道脇に飾られている紙片について聞くと「御柱祭」の飾りだと。岡谷でも「諏訪神社」のお祭りをしているのに驚く。 休息と美味しい「おやき」と茸汁に満足して出発する。(13:10-13:30)
一息入れたので、疲労度は少し軽減したが、暑さが増して来たので余り急がずに進む。
道角に「常夜燈」が立ち、遠くの「諏訪大社」と関係しているのであろうと想像する。「道祖神」を見て進むと丸い型の「一里塚」碑が 立つ。江戸から56番目の「東堀一里塚」だと。
生垣の続く静かな旧道を歩くのは気持ちが良い。「御柱祭」の飾りが連なる道を進むと「雀おどり」の軒飾りがある立派な邸宅もある。 優雅な街並みを楽しみながら進む。

常夜燈

東堀一里塚

生垣の続く旧道 雀おどりの家


国道20号線と合流するが、そのまま渡って真っ直ぐ進む。静かな道を進むと道角に古い道標が立つ。「伊那道道標」で「右中仙道  左いなミち」と彫られている。伊那方面との分岐点なのだ。
道なりに進んで行くと道が細くなり砥川にぶつかる。橋がないので、すぐ横の国道の橋を渡って元の道の延長線に戻ると細い道があり、 少し戸惑いながら進むと旧道に出て一安心。少し進むと道角に4本の柱が立ち、その真ん中に「道祖神」が祀られている。「諏訪大社」の 御柱を立てた真ん中に祀られている様子に、「下諏訪宿」に近付いたことを予感させる。

伊那道道標

細い道

御柱に囲まれた道祖神


広い道との交叉点に大きな「常夜燈」が立ち、向こうの交叉点に「諏訪大社下社春宮の大鳥居」が見える。

常夜燈

「下諏訪宿」に到着したことを実感する。道を渡り、旧道を進むと広場に「魁(さきがけ)塚」が祀られている。

魁塚 説明

徳川軍追討の先鋒として江戸を目指した赤報隊でしたが、薩長新政府は無情にも彼らを偽官軍として切り捨てる手段に出ました。
慶応4年(1868)三月三日氷雨の降りしきる信州下諏訪宿で、薩摩藩の画策する江戸市中攪乱(かくらん)作戦を実行し鳥羽伏見の 戦いへの導火線に火を点けた男、相楽総三率いる“赤報隊”の幹部たち八人の男たちが“偽官軍(にせかんぐん)”として処刑されました。 年貢半減令を布告し、民衆の支持を得て江戸へ進軍する赤報隊に年貢半減を翻す官軍総督府が口封じを行った事件です。 (下諏訪観光協会HP他)
赤報隊のことは知らなかったが、幕末の時期、「中山道」には色々な事件の伏線が張り巡らされていた歴史を改めて認識出来た。

下諏訪駅

旧道は国道20号線と合流して進み、JR下諏訪駅の観光案内所で「中山道」関連の資料の入手と休憩をしようと立ち寄る。しかしながら、 水曜日は観光案内所は休みでがっかりする。少し疲れたので、駅の待合室で一息入れる。(14:30〜15:00)
これからの行程について考える。先達の方が上諏訪温泉の「片倉館」の千人風呂に入ることを奨めておられたので、温泉好きとしては ぜひ訪れたいと思っていた。しかし、次回は「中山道」の最大難関と云われる「和田峠」を登らなければならず、夜行バスを利用して 今日と同じように行動すると足には厳しいと考え、「下諏訪宿」の史跡を今日の中に巡ろうと考え、残念ながら「片倉館」を諦め、 次ぎの機会に譲ることにする。
待合室で一息入れていると、昨夜からの疲れが出たのか、ウトウトと眠ってしまった。駅に置いてある下諏訪の観光案内地図を貰って 再び「中山道」に戻る。

「塩尻宿〜下諏訪宿」の「紀行スライドショーA」



国道筋を「諏訪大社・秋宮」方向に進む。「御柱」の大きなモチーフのある角を左に曲がるのが旧道で、すぐ「高札場跡」があり、「下諏訪宿」の 入口だと。緩い坂道の両側には古い街並みが残り、それらが旅館となっている。道角には、当時「脇本陣」であった建屋は旅館「まるや」に なり、旅籠の「桔梗屋」は今も旅館となっている。

御柱の大きなモチーフ

高札場跡

脇本陣・まるや 常夜燈


この辺りは「下諏訪宿」の中心部のようで、近くには「本陣・岩波家」の立派な門構えか見られる。

本陣・岩波家 説明

甲州街道の終点で、中山道との合流点である下諏訪宿は交通の要地で、難所である和田峠 と塩尻峠に挟まれていたこと、諏訪大社の お膝元であったこと、温泉が湧き出ていたことな どにより、 中山道最大規模の宿場で大変栄えていました。
中山道に69ある宿場のうち現存する本陣は数軒しか なく、 当時の子孫が実際に住んで管理・ 公開を しているの は下諏訪宿本陣だけで、 当主は28代の岩波太佐エ門 尚宏氏です。
本陣には参勤交代などの諸大名が宿泊する時に掲げた 関札が今も残っています。皇女和宮降嫁の際も宿泊され ています。
洗練された京風の建物と庭園は専門家の高い評価を得ています。特に、庭園は中山道随 一の名園と称され、茶室から建物を額縁に 見立て庭を眺めるよう造られています。 (下諏訪歩きネットHPより)
見学はパスしたが、立派な本陣が残っているのは素晴らしい。
「かめや」の向かい側には甲州街道との合流点となる「甲州道中中山道合流点」の碑が立ち、交通の要所として栄えたことを示している。
その横には「問屋場跡」の碑と「綿の湯」のモニュメントが立っている。街道の合流点であり、温泉としての宿場町であることが良く分かる。

桔梗屋

甲州道中中山道合流点の碑

問屋場跡・綿の湯


近くの「諏訪大社下社秋宮」に参拝する。

御柱 説明

諏訪大社下社秋宮・幣拝殿

静かな境内には参拝者も多く、幣拝殿の横には、先日立てられた「御柱」も真っ直ぐ立ち、「諏訪大社」の趣きを強く感じさせてくれる。 神楽殿は工事中で幕で覆われていたが、幣拝殿に参拝する。
「諏訪大社」は「上社本宮」「上社前宮」「下社秋宮」「下社春宮」と諏訪湖周辺に4つの境内を持つ神社だと。
「上社」は諏訪湖の 反対側に祀られているので、参拝できないが、今日は「下社春宮」には参拝することにする。
2005年1月に「青春18切符」「甲府・諏訪紀行」 でここを訪れ、朱印帳に記帳してもらった。
その時に「中山道」の標識を見て、何時かは歩きたいと思った記憶がある。この思いが「中山道」紀行の発端に なったのは確かで、京都から下諏訪までの歩行に繋がったのは不思議なことだ。「初心 忘れるべからず」だ。
広い境内をゆっくりと散策し、正面の鳥居から退出する。「諏訪大社下社秋宮」の正面の池を眺めながら元の道に戻る。
しばらく国道を進み脇道に入る。「湯田坂」と呼ばれる緩やかな坂を下る。この坂は普通の宿場に設けられている「枡型」の代りに意図して 造られた坂道で、江戸時代の街造りの知恵だそうだ。坂を下った角に「番屋跡」の碑が立つ。この辺りが「下諏訪宿」の東の端なのだろうか と。
坂は平坦になり、やがて上り坂になる。きれいな石垣の神社が「御作田神社」で、その石組はカミソリの歯も入らない精密なものだと。その 一角に水が流れコップが置いてある。手を入れると熱い。温泉なのだ。さすが下諏訪と改めて感じる。
静かで気持ちの良い旧道を進むと道脇にひっそりと「一里塚跡」碑が立つ。「五十五里塚」と書かれている下諏訪宿の一里塚だ。江戸から 約220kmなのだ。

番屋跡

御作田神社 石組と温泉

静かな旧道 一里塚跡


風情のある旧街道を進む。右側の「龍の口」からは清水が滾々と流れ出している。この龍頭水口は江戸時代中頃の作だそうだ。多くの 旅人の喉を潤してきたことだろう。横の長い階段を上ると「慈雲寺」だそうだが、疲れた足では上る意欲もなくパスする。
旧道は上り坂になり、見晴らしの良い一角から、下諏訪の街並み越しに諏訪湖が見られる。諏訪湖の向こう側の山を越えて来たのだと 思うと良く歩いたものだ。
坂を上ると右手に立派な鳥居が見える。「諏訪大社下社春宮」の鳥居だ。目的地に到着したのだ。

龍の口 説明

諏訪湖展望

諏訪大社下社春宮の鳥居


立派な鳥居をくぐって「諏訪大社下社春宮」に参拝する。

下社春宮の神楽殿

わが国最古の神社の一つと言われる諏訪大社。祭神は大国主命の子の建御名方神(たけみなかたのかみ)と同妃の八坂刀売神 (やさかとめのかみ)、八重事代主神(やえことしろぬしのかみ)です。
古くは狩猟農耕の神、武士の時代は軍神、現在は産業、交通安全、縁結びの神として信仰されています。
秋宮の弊拝殿、神楽殿、 春宮の弊拝殿は国の重要文化財。8月のお舟祭り、7年目ごと一度に行われる御柱祭でも有名です。 (下諏訪観光協会HPより)
少し薄暗くなって来た境内は静かで、参拝客も少なく荘厳な雰囲気がある。
正面の神楽殿の太い注連縄は見事で、その奥には幣拝殿が鎮座し、2本の「御柱」が両側に堂々と立っている。
幣拝殿に参拝し、荘厳な空気に浸る。今日の行程の最後に、ふさわしい「諏訪大社」の雰囲気を味わい、他の史跡はパスして、神社の横から 浮島の方に向かう。

御柱

春宮の幣拝殿

御柱


前回訪れた時にも立ち寄り、その姿のユニークさに興味を持った「万治の石仏」は見ておこうと浮島に向かう。

万治の石仏 説明

高さ2mほどの半球状の自然石に頭が載ったユニークな石仏です。
言い伝えによると、諏訪・高島藩主が諏訪大社下社春宮に大鳥居を奉納するため工事を依頼し、石工がこの地にあった巨石にノミを 入れたところ、そこから血が流れ出しました。
石工は驚いて石に阿弥陀如来をまつったと伝えられています。胴には万治3年(1660年)と 刻まれており「万治の石仏」と名付けられました。
画家の岡本太郎さんや作家の新田次郎さんが絶賛。最近はメディアにも取り上げられ、訪れる人がひっきりなしです。 (下諏訪観光協会HPより)
奥まった所に鎮座する「万治の石仏」に横に記されている参拝方法に従って、3回廻って参拝する。
「下諏訪宿」を見聞し、「諏訪大社下社」も散策し、今日の行程は終わりとする。これで次回の「和田峠」越えの行程が楽になった。
この「春宮」から下諏訪駅に戻り、列車で松本に向かうが、下諏訪温泉で汗を流そうと歩いて来た道を戻る。湯田坂の途中にあった 「旦過の湯」に入ることにして、疲れた足を引きづりながら戻る。「旦過の湯」は220円と安く、入ると誰も居ず、2つの湯船を独り占めで 汗を流すが、お湯が熱い!! 水を入れ、少しぬるめてから入るが、熱くて直ぐに飛び出す。しかし、疲れを癒すのは温泉が最高だ。
暗くなりつつある道を駅に向かいやっとのことで、17時25分に下諏訪駅に到着する。今日の歩数は46500歩だった。疲れた訳だ。

「塩尻宿〜下諏訪宿」の「紀行スライドショーB」


列車が遅れたようで、待合室で待つ。松本で夕食をする時に乾杯したいと思い、ビールも飲まず、我慢する。18時過ぎの列車で 真っ暗な中を松本に向かう。途中、岡谷等、今日歩いた所を確認しようとするが、暗くて見えず、ウトウトしながら松本へ。
松本駅の近くで、馬刺しが食べられる居酒屋をサイトで探しておいた「居酒屋・ごんべ村」に直行する。馬刺し盛り合わせは980円で4種類の 馬刺しが盛られている。ビールで乾杯し、肉豆腐と芋焼酎を美味しくいただく。満足する店だった。
22時30分の夜行バスは7名とガラ空きで、自由に座ることが出来る。京都で降りる方がおられたので、京都で降りることにして、出発と 同時にぐっすりと眠る。歩行の疲労、温泉入浴、馬刺しとビール・芋焼酎の威力は大きい。
5時45分に京都駅に到着し、JRで高槻へ。7時過ぎに自宅に到着し、朝食を食べる行程となった。

今年の夏に開通した、大阪〜松本の夜行バスを利用しての紀行だったが、無事計画通り踏破することが出来た。「塩尻峠」を越え、 諏訪湖を見た時は「熊野古道・伊勢路」の「ツツラト峠」で、初めて熊野灘を見た時と同じような感動を覚えた。遠くまで来たものだと。
次回は難所の「和田峠」越えがある。松本まで夜行バスで行き、下諏訪駅から「春宮」まではタクシーで行き、「和田峠」を越え、何処かの宿場で 泊まって、歩き、バスで佐久平に行き、夜行バスで帰宅しようと考えている。
今年は熊の被害が多いので、峠越えは少し怖いので、来春に伸ばすかも含めて考えたい。江戸まで近くなったと思える今回の紀行だった。


[洗馬宿〜塩尻宿][塩尻宿〜下諏訪宿]








    
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