[深谷宿〜熊谷宿][〜鴻巣宿][〜桶川宿][〜上尾宿][〜大宮宿]


○ 「中山道No20」見聞録(深谷宿〜大宮宿)・(距離 46.0km(今回)/ 501.6km(累計)/ 31.4km(残距離)

前回まで
今回
残距離


20−5.(05)上尾宿〜(04)大宮宿・(7.9km) 2012.04.19 12:40〜15:50 曇り


中山道全行程.Map
「上尾宿〜大宮宿・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

「上尾宿」の見聞を終え、「大宮宿」に向け、県道歩行を始める。
今日の予定は「大宮宿」か「浦和宿」まで行き、大宮の銭湯で汗を流した後、大宮発の夜行バスで帰宅する予定にしている。次回が最終行程と 考え、出来るだけ距離を稼いでおきたいが、舗装道路歩きで足へのダメージは大きく、無理をしないことにして歩を進める。
県道の歩行には少し苦痛を感じながら進むと「さいたま市」に入る。大宮市から変わったのであろうが、仮名文字の市町村名は珍しいと 思いながら歩むと「不動尊」の祠が祀られている。
交通量がそんなに多くない県道歩行を続けると左手に赤い鳥居の「南方神社」が鎮座し、宮原中学校を過ぎたその先の右の角には 「馬頭観音」が祀られている。史跡は少ないが、旧街道だと。

不動尊の祠

南方神社

馬頭観音


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

県道は国道17号線の高架下を抜けて進むと左にこんもりとした森が見え「加茂神社」が鎮座する。境内も広く、静かな雰囲気が漂っている 鳥居の下で一息入れる。(13:15-13:20)
元気を出して歩き始めると右に「天満宮」の質素な祠を見て、この辺りに「天神橋跡の碑」があるはずだと探すが分からない。横道も 探すが分からず、丁度出て来られた郵便局の人に聞くと「天神橋は天満宮の前にあったが、碑は知らない」と。「天満宮」まで戻り、探すと バス停の前のフェンスの下に「天神橋跡の碑」が置かれていた。ここが天神橋だったのだと、捜索した努力に拍手をする。

加茂神社 説明

天満宮

天神橋跡の碑


JR宮原駅に近付き、県道は混雑して来る。史跡の少ない道を進むとR17を渡り、新幹線の高架下を抜けて進む。都市部に近付いたことが 分かる程、交通量が多くなる。
新幹線の高架を抜けた右側にひっそりと「猿田彦大神」の赤い鳥居と祠が祀られている。更に県道を進むと右手道角に「大山御嶽山道標」が 立っている。やがて県道の旧街道は東北本線の高架下を抜けて「大宮宿」に向かって進んで行く。

猿田彦神社 本尊

大山御嶽山道標 説明

東北本線の高架下


高架下を抜けた道角に大きな「氷川神社の石碑」が立っている。
真っ直ぐ旧街道を進むか、寄り道をして「氷川神社」に参拝するか思案し、まずは「氷川神社」に参拝し、旧街道の途中の場所に 戻ることにし、左の参道に進む。

氷川神社 拝殿

参道は裏参道で住宅地の中を進み、深い森の中の鳥居を抜けて「氷川神社」の境内に入る。池があり、緑豊かで落ち着いた聖地の雰囲気がある。
氷川神社は今から凡そ二千余年前、第五代孝昭天皇の御代三年四月末の日の御創立と伝えられます。
当神社は、景行天皇の御代 日本武尊は東夷鎮圧の祈願をなされ、成務天皇の御代には出雲族の兄多毛比命が朝命により武蔵国造と なって氷川神社を専ら奉崇し、善政を布かれてから益々神威輝き、格式高く聖武天皇の御代武蔵一宮と定められ、醐醍天皇の御代に 制定された延喜式神名帳には名神大社として、月次神嘗案上の官幣に預り又臨時祭にも奉幣に預っています。
武家時代になってからは鎌倉、足利、徳川の名将軍家等相継いで尊仰し、奉行に命じて社殿を造営し社領を寄進する等、 祭祀も厳重に行われていました。 明治の御代に至っては明治元年、都を東京に遷され当社を武蔵国の鎮守・勅祭の社と御定めになり天皇御親ら祭儀を執り行われました。 次いで明治四年には官幣大社に列せられました。  (さいたま市観光協会HP他より)

静かな境内には参拝者も多く、さすが「武蔵の国一の宮」と思いながら、本殿に参拝する。
なかなか立派な神社だ。拝殿・舞殿もあり、静かで重々しい雰囲気に浸りながら一息入れる。(14:35-14:45)
本来の参道を進むと「二の鳥居」が立ち、その向こうに真っ直ぐにケヤキ並木の参道が続く。「一の鳥居」は見えない位長い参道だ。

氷川神社の石碑 池と森

神橋 神楽殿

二の鳥居 参道


参道を進まず、旧街道に戻ることにし、住宅街の中を縫って旧街道の県道に到着する。
大栄橋交叉点近くに「御影堂」の赤い屋根を確認して、大宮の市街地を通る賑やかな旧街道を進むと居酒屋風の店の前に「本陣跡」の 案内板が立っている。繁華街の真ん中で、とても本陣があったとは思えない変わりようだ。大宮の街も電柱がなく、街灯が整備され 空間が広く感じる。北関東の街は電柱の地中化が進んでいるのだと。

御影堂

賑やかな旧街道

本陣跡 説明


人混みを縫って、「すずらん通り」の標識のある右の小道に入る。狭い通りは人でいっぱいだ。その奥に「本陣稲荷」が祀られている。 旧街道に戻り、大宮駅に向かう道角に高島屋が建っている。その屋上に「北澤稲荷」が祀られているとのことで、デパートの屋上に上る。 風が強い中、「北澤稲荷」が鎮座している。屋上のベンチで一息入れる。(15:25-30)
高島屋から再び旧街道を進むと「涙橋石碑」が置かれいいて、説明板が立つ。刑場へ送られる罪人と涙の別れとなった橋だったので、 いつの頃からか涙橋と呼ばれるようになったと。

本陣稲荷

北澤稲荷

涙橋石碑 説明


塩地地蔵・子育地蔵

少し進むと道路脇に「お地蔵様」のモザイク模様の案内碑が立ち、左の小道に入ると「塩地地蔵・子育地蔵」が祀られていると。
小道の奥右側に2つの祠が並んでいる。
左の「塩地地蔵」の由来は『昔,2人の娘を連れた旅の浪人が, 大宮宿で病に倒れてしまった。この病は なかなか治らなかったところ,ある日娘の夢に地蔵様が現れ,そのお告げにしたがって娘が塩断ちをしたところ,父親の病気は みるみる快癒したという。そこで,この浪人の2人の娘は,父親の病気全快のお礼として,たくさんの塩をこの地にあったお地蔵様に 供えた』と。
右の「子育地蔵」は三体のお地蔵様が祀られている。どちらも地元の方が良くお世話されているのであろう、きれいに祀られている。
旧街道に戻り進むと向かい側の道に立派な屋敷が建っている。「橋本家門」で、加賀藩上屋敷の門を明治時代に移築したものだと。やっと 宿場の雰囲気を残す建物に出会った感じだ。
広い道との交叉点の片隅に小さな「安藤橋の石碑」が埋まったように立っている。川が多く、橋もあったのであろうが、今は面影を 残していない。

モザイク模様の案内碑

橋本家門

安藤橋の石碑


氷川神社・一の鳥居

参道

更に旧街道を進むと左に小さな公園があり、その向こうに「氷川神社・一の鳥居」が重厚な雰囲気で建っている。
先程、参拝した「氷川神社」の参道がここまで続いているのだ。「一の鳥居」の下に行くと、真っ直ぐにケヤキ並木の参道が続いているのは 見事なものだ。改めて「武蔵の国一の宮」の貫禄を感じる。
直ぐ右前にはJRさいたま新都心駅が見える。ここで先に進むか思案する。計画では大宮駅近くの銭湯で汗を流して、食事をして、夜行バスで 帰宅することにしている。さて、どうしょうかと時間を見ると15時50分。ここまでの歩行歩数は44000歩だった。
前回は銭湯が見つからず、前々回は探して行くも廃業で、2日目の銭湯には恵まれていなかった。今回は地図で調べ、電話番号もメモして いたので、目的の銭湯に電話すると開業していると。
地図でJR高崎線の反対側にあることを確認していたので、行き方を尋ねると大宮駅より上尾寄りだと。JRを越えた当たりと思っていたので、 随分戻らねばならないが、先に進むより、汗を流すことを優先して戻ることにする。

日進湯

JR大宮駅

参道の並木を楽しみながら、途中から賑やかな旧街道を戻り、先程、歩いた大栄橋交叉点から左にJRの高架橋を越えて国道17号線沿いの 「日進湯」に向かう。30分余り歩いたか。
銭湯でゆっくりと足腰をマッサージするが、お湯が熱い。関東の人は熱い湯が好きなのだろう、平気で入っている。
風呂上がりに、女将さんが何処から歩いたのかと聞かれて、京都から歩き、今日は鴻巣からだと話し、礼を云って外に出ると、お疲れ様と オロナミンCを差入れして下さった。感謝して、ぐっと飲み干す。美味しい!!
大宮駅に向かう途中、道路標識を見ると東京30kmとある。後30kmだと今回の紀行の成果を実感する。
駅前でバス停を確認した後、居酒屋を探す。大宮駅前は高架橋が縦横に張り巡らされ、大阪の地下街と違った雰囲気だ。 1軒の居酒屋に入り、ビールで乾杯し、ゆっくりと時間を潰す。足腰は少し重いが心地良い疲労を気持ち良く感じながら芋焼酎もと。
9時20分発の夜行バスはほぼ満員で、女性客が多いのも特徴だが、リュックを担いだ同好と思われる人もいる。出発して直ぐに眠り、 途中のSAのトイレ休憩で降りると雨が降っている。紀行した間は雨はなくgoodだった。
6時過ぎに京都に着き、JRで高槻に行くと雨は激しく降っている。7時過ぎに帰宅して、もう一度風呂に入り、今回の紀行を終える。

「上尾宿〜大宮宿」の「紀行スライドショー」

今回の「中山道」紀行は20回目だった。前半は「青春18きっぷ」で進み、諏訪前後からは夜行バスで紀行し、やっと「大宮宿」まで 到達した。
北関東の「中山道」は国道・県道歩行が多く、史跡も少ないので疲労度は激しい。しかし、今回は荒川堤防の菜の花の絨毯を体感出来、 疲れが癒された思いだった。大宮で東京まで30kmの道路標識を見て、次回は「日本橋」に到達出来る喜びとともに帰宅した次第だ。
後1回。有終の美を飾りたいものだ。


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