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○ 「中山道No21」見聞録(大宮宿〜日本橋)・(距離 29.2km(今回)/ 533.0km(累計)/ 0km(残距離)

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今回


21−4.(01)板橋宿〜日本橋・(9.8km) 2012.06.09 10:20〜14:20 雨


中山道全行程.Map
「板橋宿〜日本橋・行程MAP」

地図の左下の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(夢街道HPより)

さあ、いよいよ最終行程だと気合を入れて、小雨降る国道17号線を日本橋方向に進む。
広い道路で、旧街道の雰囲気は皆無だが、まずは息子と孫二人との待ち合わせ場所「東大・赤門」目指す。雨が降り、傘を差しているので 地図も濡れて滲み出し、史跡が分からないのではないかと不安を持ちながら歩む。
国道脇に「日本橋まで5km」の標識を発見。後5kmで到達だと意気を高めるが、しばらくの間は史跡もなく、淡々と進む。東京の土地勘は 全くなく、この辺りも初めて通る所で、地名も親しみがない。
白山上交叉点を過ぎた左側に「大圓寺」があり、境内に入ると「ほうろく地蔵」が祀られている。「八百屋お七」の霊を慰めるために 造られたもので、火あぶりの刑を受けた 「お七」 を供養するため建立されたと。お七の罪業を救うため熱した焙烙(ほうろく)を頭にかぶり、 自ら焦熱の苦しみを受けているのだとか。千羽鶴の奉納され、参拝者が多いことが分かる。
少し進み、右の坂道を下る。この坂は「浄心寺坂」またの名を「お七坂」と云い、下って行くと「お七」が火事の時に避難した円乗寺が の小さな御堂があり、「お七の墓」が祀られている。「お七」の史跡が点在する場所なのだ。

日本橋まで5kmの標識

ほうろく地蔵

お七の墓の御堂 説明


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

旧街道に戻り、国道を進む。土曜日なので車の量は少ないが、国道歩きはつまらないと思いながら本郷通りと合流する。 ここが本郷追分で、本郷通りを,右に行けば日本橋,左は「日光御成道」である。この追分には,宝暦年間創業の酒屋「高崎屋」の建っている あたりに,一里塚があったと。「高崎屋」の横に「中山道」「日光御成道」の最初の一里塚にあたる「本郷追分一里塚跡」の碑が立っている。
本郷通りを右に進むと東大の正門があり、銀杏並木と赤レンガ塀に沿って進むと「東大・赤門」が迎えてくれる。
「東大・赤門」は加賀藩の「旧加賀屋敷御守殿門」で、11代将軍家斉の子溶姫(やすひめ)が前田家に嫁入りしたとき建てられたものが 現存しているのだと。(11:30)

高崎屋と本郷追分一里塚跡 説明

東大の銀杏並木

東大・赤門


息子に電話すると渋滞で少し遅れていると。三越の駐車場に車を置き、妹と合流した後、妻・息子の嫁・孫娘(2才)を置いて、息子と孫娘(6年生)と 孫息子(3年生)が「東大・赤門」で合流することになっている。

東大・安田講堂

時間があるので、東大構内を散策することにする。学生時代に一度訪れ、「三四郎池」の畔で漱石の小説を思い出しながら、時間を 潰したのはもう50年前になると思うと凄い年月が経過したと、傘をさしてブラブラと歩く。

三四郎池

「安田講堂」は当時、余り知らなかったが、 学園紛争で良く見た建物だと思いながら構内を見学し、「赤門」に戻る。
12時15分、息子と孫二人が到着し、握手!!京都から歩いて来たことの距離感は分からないだろうが、最後を一緒に歩くことには積極的 だったのは嬉しい。
息子の提案で東大の学食で昼食をすることにし、彼が調べてくれていた「安田講堂」の地下の学食に向かう。東大の構内の広さに孫達も 驚きながら、食堂に向かう。地下の食堂は土曜日なのに満員で、行列が長く、孫達も好きな献立を頼み食べる。量が多いので、さすが 若者の学食だと思いながらしっかりと食べる。横には外国の若者がパソコンを操りながら食べている等、外国人が多いのを見ると、さすが 東大だと思ったりする。
初めての学食を経験した孫達も満足し、雨の降る中、「赤門」に向かい、記念撮影の後、「中山道」紀行の最終行程をスタートする。

東大の学食と孫達

雨の東大構内

赤門での記念撮影


雨の中を「中山道」の話をしながら進む。本郷3丁目交叉点の手前右奥に「本郷薬師堂」が祀られている。写真を撮りに走ると、 孫達は何をしているのか分からず、けげんな表情だ。
交叉点を渡った角には シャッターが閉まっているが「かねます」が建っている。「かねやす」は享保年間からの老舗で、歯磨き粉を売り出し大評判となったことが 始まりで、今は洋品店となっている。案内板には「本郷も かねやすまでは 江戸の内」とあり、この先は寂しくなると示しているのか。
道なりに国道を進む。雨の降りが激しくなり、下の孫は後どれ位聞き、後3kmと答え、3kmは何mですかと、算数の問題を出しながら 楽しみながら進む。一人歩きとは違った紀行で新鮮だ。
「神田明神」の手前に旧街道が残っているとのことで、注意しながら進むと左に小道があるので入って行く。旧家の塀に見覚えのある 「中山道道標」が掛かっている。間違いないと確信し、小道を進んで元の国道に戻る。 

本郷薬師堂

かねます 説明

残っている旧街道


雨が激しくなって来た。左の参道を進み、「神田明神」に参拝する。

神田明神

山門まで行くが、本殿までの境内は雨が激しく、山門から参拝する。雨のため、参拝者は少ない。
「神田明神」として親しまれていますが、正式名称は神田神社です。東京の中心―神田、日本橋、秋葉原、大手丸の内、旧神田市場、 築地魚市場―、108町会の総氏神様です。 神社社伝によると、天平2年(730)に出雲氏族で大己貴命の子孫・真神田臣(まかんだおみ)により創建されています。
その後、平将門を合祀し、戦国時代になると、太田道灌や北条氏綱といった名立たる武将によって手厚く崇敬されました。
慶長5年(1600)、関ヶ原の戦いが起こると、徳川家康が戦勝のご祈祷を行ないました。すると、 9月15日、神田祭の日に見事に勝利し、これ以降、将軍家より縁起の良い祭礼として絶やすことなく執り行うよう命ぜられました。 (千代田区観光協会HPより)

祇園祭,天神祭,神田祭と日本三大祭りの神社に参拝出来、「中山道」紀行のお土産になったと思いながら参道を戻ると角に 江戸時代から甘酒を売る「天野屋」が店を開いている。現在でも合格祈願の甘酒を売っているようだ。
旧街道の反対側には、江戸時代に学問・教育の総本山であった「湯島聖堂・昌平坂学問所」の「明神門」がこちらを向いて建っている。 その横の坂が「昌平坂」で途中の碑を確認して下って行く。

天野屋

湯島聖堂・明神門

昌平坂 説明


昌平橋を渡り、再び国道17号線を進む。史跡があるようだが、雨と孫達との会話で、寄り道をせずに日本橋に向かう。JR神田駅横の 高架をくぐり、今川橋を過ぎた道端に「今川橋由来」の碑が立っているのを確認し進む。
雨が激しくなって来た。ゴール間近なのに残念だと思いながら、「石町時の鐘」や「与謝野蕪村居住地跡」の案内板を見て、三越の獅の像の 前を過ぎると目の前には「日本橋」が見えて来る。
橋の上には妻・息子の嫁・孫娘・妹がゴールのテープを持って迎えてくれる。孫二人と一緒に両手を上げてゴールイン。息子はその様子をビデオ撮影と 家族全員で、「中山道踏破達成」を祝ってくれたのだ!!

孫と一緒にゴール

家族全員で記念撮影


日本橋の上で握手・ハグと到達の感激を分かち合う。2才の孫娘は何のことか分からず、キョトンとしていたが、握手するとニコッと笑ってくれた。 日本橋の「日本国道路元標」の写真を写すべく、車の切れ目を急いで渡りパチリと。方向が歪んでいるのはご愛嬌か。

日本国道路元標

橋の袂に立派な 「明治44年(1911)の道路元標」が建っている。当時の「日本国道路元標」も展示されている。

日本橋

明治44年道路元標碑














横には、日本橋からの距離が示されている。大阪市550km、下関市1076km、鹿児島市1469kmと。今歩き始めている 「山陽道」の下関、それから歩む予定の「薩摩街道」の 鹿児島までの距離は大変だと改めて認識する所だ。何時到達するだろうかと。
反対側の橋の袂には「日本橋・日本の道100選」の碑が立っている。日本橋は日本の中心地だと改めて感じ入る。

明治44年道路元標

日本橋からの里程標

日本橋・日本の道100選の碑 説明


家族の出迎えで、4年間、21回・29日間の「中山道」紀行を無事終えることが出来た。その間、いろいろなことがあったが、一歩一歩進んだ 結果が533km踏破となったのだ。家族に感謝だ!!

中山道踏破達成ボード

三越で妹が小学校以来の友人と出会うので、挨拶し、妹と別れて車で息子宅に帰る。
渋滞もなく順調に帰宅し、男3人で近くのスーパー銭湯で汗を流し、足腰をマッサ-ジする。心地良い疲れと満足感で温泉の中で体を伸ばす。 帰宅するとお祝いの料理が用意されていて、早速乾杯と思っていると、孫二人が少し待てと。
窓のブラインドが閉まっている前に行き、「ジージ、中山道踏破達成、おめでとう!!」と云いながら、ブラインドを開けて行くと何と 孫娘が書いてくれた「中山道踏破達成」のボードが現れ、思ってもいなかったので大感激。「ありがとう」の言葉しか出て来ない。 難しい構成も息子の嫁と孫娘が検討して書いてくれたそうだ。その上に孫達が、絵も描き入れ、楽しいものになっている。2才の孫娘も 落書きのように描いてくれた所を指さして、「アンちゃんが描いた」と意志表示しているのには脱帽だ。
ビールで乾杯し、料理をいただく。毎回、それぞれの場所で完歩を祝って乾杯していたが、今日の乾杯が最高だ。ありがとう!!

「板橋宿〜日本橋」の「紀行スライドショー」

今日の歩行歩数は38000歩だったが、雨の中のにもかかわらず、疲れは感じない。楽しい宴を終えて「中山道69次・533km」を思い起こ しながらぐっすりと眠る。
翌日、家族全員が「中山道踏破達成」のボードに寄せ書きを書いてくれた。上の孫娘は「じーじおめでとう!! 4年間もやってて、 大変だったと思うけど、おつかれさまでした!」と優しい言葉を。 孫息子は「じーじ、中山道踏破達成おめでとう! だいきは1時間だけど、 じーじは4年間歩いたからすごいなっと思ったよ」と嬉しい表現をしてくれている。下の孫娘は「○△×・・」と落書きだが、一緒に 参加してくれているのは嬉しい。

「中山道」紀行も長時間かかったが、無事達成る事が出来た。自然豊かな「美濃路」「木曽路」「信濃路」は地道も多く、気持ち良い 歩行を楽しめた。史跡や歴史的な物語と出会うことが出来、知識も増え、有意義な旅だったと思い起こす。
何時の日か、「中山道」紀行のまとめをしたい。次は京都から下関までの「山陽道」、それからの延びる現役時代単身赴任していた鹿児島 までの「薩摩街道」踏破に向け、計画・実践・整理と「一旅三楽」を楽しんで行きたい。


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(工事中)




    
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