[田辺〜富田」[富田坂]


○ 「大辺路 No1」見聞録 

1-1.田辺〜富田
 2004.03.08 9:40〜15:00 晴れ時々曇り

「伊勢路」は3回に渡り歩行し、紀伊長島まで到達した。「伊勢路」「大辺路」を両方から攻め、 那智の「振分け石」で合流させるためには「大辺路」を進めねばならないと考え、スタートする。

「大辺路」も国道沿いの古道が多く、史跡の残っている所も少ないので、JR・バスを上手く活用して 進めるつもりであるが、スタート地点は歩かねば・・・と思い、田辺スタートとし、「大辺路」の第一番目の 「富田坂」越えも行うべく泊りがけで進めることとする。
しかし、スタート地点のガイドブックは「中辺路」歩行時に観光案内所で得たものしかなく、 多少不安でもあったので、同好の方のホームページを参考にさせていただく。 「大辺路」を全て歩行踏破された地元の、 「tatubouの熊野詣の道」と「中辺路」歩行の時、参考にさせて いただいた、 「KIKUO'S HOMEPAGE」を印刷して持参する。

春の「青春18きっぷ」が販売されたので、いつもの様にこれを活用して進める。
久し振りに田辺に向うべく、5時過ぎに出発して高槻まで歩き、新大阪発 6:29 の快速に乗る。 日曜日なのでガラガラの車内で居眠りをしながら、伊勢に行くのとは違い、乗り換えも無く田辺着 9:34。 途中、一年前からの歩行時、通過した古道を車窓から眺めながら当時を思い出す。

弁慶像 説明→

道しるべ


駅前の観光案内所で「大辺路」のパンフレットを求めると行程の一部が詳しくなっており、ありがたくいただく。 駅前の「弁慶像」は田辺が生誕地であることを示し、時節柄、確定申告のたすきをしめているのは面白い。

寒波が残り、時々みぞれが降ってくるが、コンビニでおにぎりを買い求め、商店街の中程に「潮見越え」の時、 立ち寄った「中辺路」と「大辺路」の分岐点である「道しるべ」から今回の紀行をスタートする。

すぐ近くの「蟻通神社」に参拝する。入口には「明治22年水害時の最高水位碑」が立ち、この辺りの水害の 恐ろしさを示す。「神馬」が立ち、「大樟」が茂り、「蟻通しの由来」を読むと微笑み納得する。

水害水位跡

蟻通神社 説明→

蟻通神社・神馬 説明→


みぞれの降る中を商店街を南に歩み「闘鶏神社」の大きな鳥居に迎えられる。「闘鶏神社」は「熊野三山」の別宮的な 神社で、ここに参拝して三山参拝に替えることが出来るそうだ。又、弁慶の父・熊野別当湛増が源平合戦の時、紅白の 鶏を戦わせ、白い鶏が勝ったので源氏に味方した故事もあり、勝負の神様とか。弁慶誕生の地も近くにあるそうで、 「弁慶父子の像」も立てられている。
昨秋、奥州・平泉に行き、「弁慶の墓」を参拝したことを思い出す。生誕の地と戦死した地を訪れたことになる。

朱印帳に記帳してもらうと、宮司さんが「『しもつま』さんと呼ぶのですね」と云われ、めったに呼ばれないので 驚くと「石山本願寺攻めで・・・」としばらく話す。

闘鶏神社・鳥居

闘鶏神社・本殿 説明→

弁慶父子像 説明→


(参考)「弁慶の墓」(奥州・平泉にて)

弁慶戦死の衣川

弁慶の墓 説明→

五輪の塔


神社を後に歩を進める。天気も回復し、陽射しを暖かく感じながら、県道・国道42号に沿って淡々と進むが、 「大潟神社」への道が分からない。ガイドブックと 先駆者のHPを見ながら川沿いに方向を絞って進むと「南海大地震潮位跡碑」を発見し、ホッとする。
道しるべは全く無く、HP頼りで集落を進むと左側の奥に「大潟神社」の鳥居があり、階段を上り参拝する。 同好の年配の方に会い、しばし話す。天満橋から歩いておられ、今日は草堂寺まで行かれるとのこと。同じ行程だが 別れて進む。「大潟神社」を出て、元の道に戻り進んだが、これが間違いだったようだ。神社のすぐ横の道を 進まねばならなかったようだ。

南海大地震潮位碑

大潟神社・鳥居

大潟神社・本殿


春の陽射しを浴び、道なりにまだ満開の梅林を見ながら下って行くとR42にぶつかるが、渡るべき跨道橋が見当たらない。 見上げると「大潟神社」の屋根が見えるので下り過ぎたことに気付く。R42沿いに上ると跨道橋があるので向うが、 上るべき道が無く、R42脇の補強崖を上り、フェンスを乗り越えて跨道橋に到達し一安心。橋を渡ると竹林になり、 やがて舗装道路になる。

道なりに進むと見晴らしが良くなり、右側に祠が見えるが表示も無く「道分地蔵」だろう。暑くなり セーターを脱いで一息入れる。田辺湾の展望と微かな梅の香りが気持ち良い。

満開の梅林

道分け地蔵

田辺湾展望


ここからの道もガイドブックでは分からず、先駆者のHPを頼りに進む。坂を上り、「株式会社タカオ」の 標識を右に折れ、山沿いの道を進み、上りきる手前を右に行くと民家があり、左の竹やぶの小道は古道の雰囲気がある。 小道を下ると左側に階段があり上った所に「高地蔵」の祠が祀られている。
坂を下るとR42トンネルの出口になり、国道沿いに進む。「大師堂」「糠塚」を通り、JRを高架歩道橋で渡る。

高地蔵への小道

高地蔵

糠塚


R42横の道を進むとJR朝来(あっそ)駅が見える四つ角を左折し、櫟原(いちはら)神社に立ち寄る。道に迷ったり したので、ここで遅い昼食のおにぎりを食べて一服する。ここから潜水橋の山王橋を見たいのでトライするが、道が 分からず、途中であきらめてガイドブックのルートに戻ることとする。

R42と合流し、大きな「熊野古道の看板」の下には「みちびき地蔵」が祀られており、国道沿いに富田川に向う。 川の堤には又「みちびき地蔵」が祀られ、景色が気持ち良いので河原に腰をおろしてノンビリと上流の熊野の山並みを 望む。風は少し冷たいが陽射しには春の暖かさを感じ、草の上に寝転んで富田川の流れを眺める。

櫟原神社・鳥居

大辺路案内板と地蔵

みちびき地蔵


ノンビリとした休息の後、富田川の堤下の古道を下流に進む。道なりに郵便橋に至り、橋のオブジェに微笑む。 なぜ郵便橋と云ったのか分からないが・・・。堤の上を春風を味わいながら下る。河原の草むらから野鳥が飛び交い さえずっているのどかな富田川だ。

本来の古道はもう少し下流の「血深の渡し」で渡ったらしいが、手前の平橋を渡り、橋の上から本宮方面を望む。
橋を渡ると「石仏」が祀られ、下って行くと「大鰻生息地碑」がある。この辺りが「血深の渡し」らしい。

郵便橋・オブジェ

平橋から本宮方面展望

大鰻生息地 説明→


川沿いにR42の単調な道を下ると「平間神社」「満願寺」を通り、鯉に乗る「魚濫観音」の珍しい像を見る。 小さな森の中に「日(にち)神社」がたたずみ参拝する。
今日は白浜の民宿に泊まる予定なので、富田橋を渡りJR富田駅に向う。15:38発で白浜に向かい、バスで民宿に到着。 風呂に入りノンビリとくつろぐ。

満願寺

魚濫観音

日神社 説明→


田辺からのルートはガイドはあるが、道しるべは皆無で、多分、ガイドブックを作成した人もガイドだけでは歩けない だろう。世界遺産登録に向け、道しるべの整備は必要だと考える。
「大辺路」のスタートから歩き始めたことに乾杯してユックリと休む。本日の歩行は 30000歩だった。


[田辺〜富田」[富田坂]









    
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