○ 「大峯奥駈道No1」見聞録 

1.柳の渡し〜青根ケ峰
 2006.05.01 7:55〜15:50 晴れ

「大峯奥駈道」を歩く前段階として、京都から吉野への「吉野道」を歩き出して1年以上経過した。 「大峯奥駈道」を検索していると小生の体力・経験からはとても無理な行程に驚く。サイト上でも 吉野から「本宮大社」まで5泊6日、7泊・・・と一気に進むにしても大変だが、分けて進むにも エスケープロードが限られており、1500-2000mの尾根道を進む「大峯奥駈道」に上り下りするのも大変だ。
一気に進むことは断念し、どの様にトライして行くかは進めながら考えよう。

本来は「吉野道」で吉野に到達してから進む考えだったが、前回の飛鳥から芋峠の麓まで歩いた 「風人さん」達と以降の行程を歩こうと考え、先行して「大峯奥駈道」の第一歩を進めることにした。

「大峯奥駈道」は修験道の開祖、役小角(えんのおづぬ=役行者)が8世紀初めに開いたとされる 修験者の修行の道で、吉野山を北の起終点とし、熊野までの約170kmの間、山上ヶ岳や弥山、 八経ヶ岳、釈迦ヶ岳などの標高2000m近い山 々の尾根を歩く修験道の中でも最も厳しい修行の行場と云われている。
この行は奥駈修行と呼ばれ、幾日もの間、崖をよじ登り谷を渡って歩き続け、またその道中には、 大峯75の「靡(なびき)」と呼ばれる拝所があり、修験者たちはそれを一つ一つ巡拝しながら峻険な 山々で修行を続けると。

この「大峯奥駈修行」は、吉野側を金剛界、熊野側を胎臓界に見立て、その場所を巡拝しながら即身成仏 し生まれ変わるという、擬死再生の修行を行う場所とされ、今尚多くの修験者達が厳しい修行を行じ ている。
奥駈道も熊野から吉野へは「順峯(じゅんぶ)」と、吉野から熊野へは「逆峯(ぎゃくぶ)」と 云われている。 「本宮大社」で山伏姿の修験者の姿を見た時、驚くと共に修行の厳しさを乗り越えた 神々しさを感じたのを憶えている。どれだけの「靡(なびき)」と出会えるかトライして行こう。

近鉄・六田駅

「吉野道」で芋峠を越えたと仮定し、「大峯奥駈道」を「逆峯」で「本宮大社」を目指そうと考え、 まず始めの「靡」である「柳の渡し」へ出発する。
地図やガイド本でおよその距離は把握しているが、余裕を持った行程を計画し、無理であれば、まだ 人家も近いので戻ろうと。
予定した日は雨が降り、延び延びになったが、晴れの予報で実行に移す。5時過ぎに家を出て、大阪乗換で 天王寺に。近鉄・吉野行急行の一番の6時34分に十分間に合い、駅で弁当を購入しがら空きの電車で 吉野へ。先日歩いた飛鳥を通り、ウトウトしながら六田駅到着が7時55分。

いよいよ「大峯奥駈道」のスタートと気合を入れる。吉野川沿いに進むと木陰に常夜灯があり、「柳の渡し」と 説明板が立っている。ここが「75靡」のスタートでもある「No75.柳の渡し」だ。
「紀伊路・中辺路」を歩いた時、「九十九王子跡」を探したと同じ感覚で進めようと・・・・。
吉野川を美吉野橋で渡る。修験者はこの川で水垢離をして「大峯奥駈道」の「靡」を熊野に向かうとか。 川を渡った所にも「柳の渡し」の標識と「役の行者」の像が祀られている。この辺りは修験者・花見客・ 吉野杉の筏流しの拠点として宿場となっていたとか。

柳の渡し.. 説明→

吉野川

柳の渡し.. 説明→


道角には祠が祀られている。「大峯奥駈道」修行時参拝したのか?
旧道を進みMapでは右に曲がるが、細い道で民家への道に見えたのでそのまま進む。しばらく行っても 道がないので、近くの方に道を尋ねるが分からず、直進する。結果的にはあの細い道が正解だった ようだが、「吉野神宮」に向かうため近鉄・吉野神宮駅からの道を進むことにする。
吉野杉の貯木場が吉野を象徴しており、舗装された道を進み、駅からの曲がりくねった急坂を登り 切った所に「吉野神宮」の鳥居が立つ。
「No74.丈六山」は間違った道にあるのかと鳥居から正しいと思われる道を戻るが標識とか分からない。

諦めて「吉野神宮」の境内に進む。緑豊かな参道の玉砂利を踏みしめて表門に至る。「吉野神宮」は 1889(明治22)年、明治天皇によって創られた後醍醐天皇を祀る神社で、社殿は京都に向かって建て られている。 この地は、大塔宮(後醍醐天皇の皇子、護良親王)が吉野に挙兵した時、北条幕府方に占拠され本陣に なったと伝わる所とか。
本殿に参拝し、「大峯奥駈道」歩行の無事を願う。表門の中に「吉野丈六平」の看板が見られたが、 ここが「No74.丈六山」ではなさそうだ。(8:55)

吉野神宮・鳥居

吉野神宮・境内

吉野神宮・本殿.. →丈六平標識


裏門を出て舗装道路の坂を上る。不動坂と呼ばれる急坂を進むと「峰の薬師堂跡」の石碑と小さな広場に 出会い、その先に足利軍に攻められ、護良親王の身代わりとなり蔵王堂・仁王門で自刃した 「村上義光(よしてる)の墓」が祀られている。宝篋印塔の前には鎧が飾られているのが印象的だ。 吉野は南北朝時代の歴史の山であることを再認識する。
「下千本見晴台」から周辺の山々と半月前には見事だったであろう桜を想像しながら一息入れる。
「芭蕉句碑」が緑の木々の間に立つ。俳人も好んだ吉野なのだ。
更に上ると道脇に小さな祠が祀られその横に大きな「道しるべ」が立っている。「右.いせ、左.かうや」と 印されている。伊勢への道と高野山への道の分岐点なのだ。伊勢参りや高野詣から吉野へ参拝したので あろう。

村上義光の墓.. →説明

芭蕉句碑.. →説明

道しるべ


舗装道路の上り坂は足には余り良くない。新緑を楽しみながら進むと赤く塗られた「大橋」が現れる。 吉野三橋のひとつで護良親王が吉野城に立てこもった時の空堀にかかる橋で歴史的にも貴重な橋だとか。
ロープウェイの吉野山駅に到着し、帰りのロープウェイの時間を確認しておく。
吉野葛を売る店が立ち並ぶ、緩やかな坂を上ると金峯山寺の総門である「黒門」が迎えてくれる。更に 上ると石段の上に高さ8mの「銅(かね)の鳥居」が大きく立つ。安芸の宮島の木の鳥居、大阪・ 四天王寺の石の鳥居と並ぶ、日本三大鳥居のひとつで、東大寺大仏鋳造の残りの銅で作られたとか。
修験者はこの鳥居から俗世間から離れると。鳥居をくぐると祠があり、「役の行者」が祀られている。

大橋.. →説明

黒門

銅の鳥居.. →説明


旅館や土産物屋の宿場町の坂を上ると正面に堂々と「仁王門」がすっくりと立ち、両側に仁王像が 見守る楼門は「大峯奥駈道」の入り口として凄い存在感だ。

左・仁王像

仁王門.. →説明

右・仁王像


「仁王門」をくぐり「No73.金峯山(きんぷせん)寺・蔵王堂」に向かう。(9:45)
金峯山寺修験道の根本道場にふさわしい東大寺大仏殿に次ぐ木造の大建造物で、現在の本堂は1592 (天正20)年に再建された、室町末期を代表する建造物とか。
正面に廻り、カメラを構えるが全容を写すには境内の端まで行かねばならない位に大きいのに驚く。小学 5年生の時、吉野で林間学校があり、朝もやの中で「蔵王堂」の大きさに感動したことを思い出した。

金峯山寺・蔵王堂.. →説明


「金峯山寺・蔵王堂」のHPには
『吉野山から大峯山山上ケ岳にかけての一帯は古くは金峯山 (きんぷせん)と称し、古代より世に広く知られた聖域でした。この金峯山に役行者神変大菩薩が 白鳳年間(7世紀後半)に修行に入り、修験道独特の本尊・金剛蔵王大権現を感得されます。 この姿を桜に刻んで、山上ケ岳(現:大峯山寺本堂)と山麓の吉野山(現:金峯山寺蔵王堂)に 祭祀されます。これが金峯山寺の開創と伝えられています。
蔵王堂は金峯山寺の本堂。秘仏本尊蔵王権現(約7m)三体のほか、多くの尊像を安置しています。 重層入母屋造り、桧皮葺き、高さ34メートル、四方36メートル。堂々とした威容の中に、優雅さがあり、 たいへん勝れた建築という高い評価を得ています。金峯山寺内では古くから、白鳳年間に、役行者 (えんのぎょうじゃ)が創建されたと伝えており、また、奈良時代に、行基菩薩が改修されたとも、 伝えています。』
と記述されている。

「蔵王堂」に入場し参拝する。寺内は撮影禁止で目と記憶でしか残らない・・・・。神秘的な荘厳さに 圧倒されながら参拝する。事前にもう少し勉強しておけば・・・と後悔する。昨年、大阪で開かれた 世界遺産登録記念の「祈りの道」展示会で蔵王権現像に圧倒されたことを思い出しながら巡る。
もっとゆっくりと見学したいが、先の行程に不安があるため朱印帳に記帳していただき外に出る。 もう一度振り返り本殿の大きな提灯、階段を下りて奥に向かうと広がる「南朝妙法殿」の塔を眺め、 裏門から上千本に向かう。(10:15)

蔵王堂の提灯

南朝妙法殿

蔵王堂・裏門



再び舗装道路を少し上ると「韋駄天山」の標識があるので、小高い丘に上る。丘の上には祠があり、 真下に今参拝した「蔵王堂」の堂々とした姿が望まれ、改めてその大きさを確かめる。
「役の行者」が開基と云われる「東南院」の前から、後醍醐天皇、楠木正成らを祀る「吉水神社」に 参拝する。この神社は源義経・後醍醐天皇・豊臣秀吉ともかかわりがある初期書院造りの傑作と いわれる書院建築だとか。境内からの中千本の眺めは素晴らしいそうで、新緑を楽しむ。

韋駄天山.. →説明

東南院.. →説明

吉水神社.. →説明


「大峯奥駈道」から離れて吉野の歴史を巡ることにする。
地図では「吉水神社」の前の道を下ると「如意輪寺」に向かうようなので、急な細道を下る。新緑の 中で気持良い下りだ。下った所に「吉野温泉元湯」の建物があり、日帰り温泉も出来るようだ。
ひとつ谷に下りて、再び林道を上って行く。暑くなり新緑の影を縫って歩むと水場があり、顔を洗って 一息入れる。
「如意輪寺」の参道の石段を上ると後醍醐天皇の勅願寺とされた素朴な山門と本堂が迎えてくれる。 南北朝時代の歴史ある本殿に参拝し、後ろの石段を上る。
石段の周りは杉や桧の美林におおわれて清々しい雰囲気で、円墳の「後醍醐天皇陵」が天皇の悲願を 伝えるように、北の京都の方を正面として築かれている。参拝して石段の木陰で休憩する。 汗が滲んで来るので長袖シャツを脱ぎ、Tシャツになる。(11:00)

新緑の林道

如意輪寺.. →説明

後醍醐天皇陵..


陽射しの厳しくなって来た林道を元の「大峯奥駈道」に戻る。トンネルを抜けるとバス停があり、道なりに 上る。八重桜がまだ満開の道には石楠花も咲き、少し遅い春の趣だ。
「猿引坂」を上るに連れ、展望が開けてくる。義経の家臣佐藤忠信が追ってきた源頼朝の家来を倒した 「横川覚範の首塚」や「佐藤忠信の説明」がある「花矢倉」の丘を上る。この辺りは源平時代の遺跡が 多いのだ。
「花矢倉」の展望台から下を眺めると絶景だ。眼下に上千本、中千本、蔵王堂を見下ろせて、遠く金剛、 葛城、二上の連山が眺望できる吉野隋一の展望台で、観光ポスターでよく見る光景だ。ここからも 「蔵王堂」の壮大な姿が望まれる。本当に大きい。
ここで昼食とする。展望の良い場所は茶店の席が設けられ有料なので、木陰で弁当を食べる。 ここは「世尊院跡」とのことだ。(12:10-12:30)

上千本の八重桜

横川覚範の首塚.. →説明

花矢倉の展望.. →説明


しばらく上ると朱色の鳥居と楼門の「No72.吉野水分(みくまり)神社」に到達する。
“みくまり”が“御子守”となまって俗に子守さんとよばれ、子宝の神として信仰されて、 桃山様式のたいへん美しい本殿や楼門・拝殿などからなる神社で、豊臣秀頼の再建したそうだ。 本殿は一間社春日造り、左右の2殿は三間社流造りで、3殿を1棟続きにしてあり、庭を挟んで 左に拝殿がある素朴な造りに見惚れる。
朱色の鳥居・楼門と素朴な本殿の対比が面白い。中庭の枝垂れ桜はまだ少し花を残しおり、「西行の 像」も祀られている。

吉野水分神社・鳥居

吉野水分神社・本殿.. →説明

西行の像


次に大塔宮が吉野で挙兵した時、奥の詰城とした高城山に向かって上って行く。吉野三橋のひとつ である空堀にかかる「丈之橋跡」を進むと下って来る観光客とよく出会う。 「こんにちは」と挨拶を交わしながら気持良く歩む。高城山(701m)に上り 休憩しようと思ったが、東屋には人がたくさん居るので下った所で一息入れる。(12:50)

木陰が多くなった舗装道路を上る。奥千本までバスで行き、下って来る観光客が多いようで、連休の 谷間なのに人出が多い。「No73.金峯神社(金精大明神)」の鳥居が見えて来た。 奥千本の杉や桜の老樹におおわれて鎮座する古社の祭神は吉野山の地主神、金山毘古命で、 中世以降は修験道の修行場として栄えている。
素朴な本殿にこれからの「大峯奥駈道」紀行の無事を祈願する。鳥居の横の小道を下ると義経と弁慶が 追っ手から逃れるために隠れた事で有名な「義経隠れ塔」が建つ。この塔に入って扉を閉じると中は 真っ暗になり、大峯修行場の一つとなっているとか。(14:05)

金峯神社・鳥居

金峯神社・本殿.. →説明

義経隠れ塔



神社の横の杉並木の石段の道を上る。少し進むと道が分かれ、右は西行庵、左は山上ケ岳・西行庵と ある。 山上ケ岳方向に向かうので左に進む。ここから初めて地道になり、足はホッとしている。地道を上る 途中、リュック姿の登山姿の男性2人が降りて来られる。本格的な登山ルートに入ったのだ。
東屋の建つ広場に出る。「宝塔院跡」の標識が立ち、数人の方が休んでいる。ここにも「道しるべ」が 立ち、左は山上ケ岳、右・西行庵となっている。先程の分岐点を右に行き、ここに戻れば良かったのだ。 右の小道を下って行く。気持良い杉木立を快調に進むと清水が滴る竹筒がある。「奥千本苔清水」で ここで顔を洗い暑さを払う。
緩い上り道を上ると小さな台地が開け、西行がしばらく隠棲したといわれる「西行庵」が建ち、 周りは奥千本で桜の頃はもとより新緑が美しい。 庵の中には「西行の像」が静かに座っている。
今来た道を上り、元の「宝塔院跡」に戻る。疲れを感じるようになり、回り道をしたことに腹が立つ。

宝塔院跡.. →説明

杉木立の道

西行庵.. →説明


山上ケ岳方向に上って行く。この辺りに「No70.愛染宿」の「靡」があるはずだが、分からない。 先程の「宝塔院跡」がそうなのか・・・・?
杉木立の道を進むと「旧女人結界の碑」と石仏が立つ分かれ道に至る。ここから女人禁制地域に入る との標識だが、現在は山上ケ岳周辺薬4kmの範囲となっている。歴史的な名残としての石碑だ。

右はそのまま山上ケ岳に向かい、左は青根ケ峰への道となる。今回は青根ケ峰に向かうため、急な 木の階段を上って行く。途中、一息入れて「青根ケ峰」頂上(858m)に到達する。(14:20)
頂上からの展望が開けないので、早々に反対側に下ると展望が開け、次に進もうとしている 「大峯の山々」が霞んで望まれる。何時かはあの山々を踏破したい!!

旧女人結界の碑と石仏

青根ケ峰の頂上

大峯の山々


林道に出る手前で「旧女人結界の碑」からの道と合流する。林道に出て右に行くと山上ケ岳に向かう。 次の機会にはこの道を進みたいと思いながら、左に林道を下る。
林道から下る細い道の「道しるべ」が示す。ここを下れば蜻蛉の滝を経由して西河に至るのだ。 細い地道は真っ直ぐに下っているので急坂だ。始めは調子良く跳ねるように快調に下るが、段々と 膝に負担がかかってくる。
帰りのバスの時刻には余裕があるが、歩を早めるが段々とスローペースにならざるを得ない。やがてせせらぎの 音が近くなり、清流に当たる所で顔を洗い、頭を冷やす。川沿いに下ると林道に出て、再び木々の小道 に降りて進む。
滝の音が聞こえて来た。「蜻蛉(せいれい)の滝」が近付いた。遊歩道があり滝に近付くようで、 新緑の間から滝が望まれた。遊歩道は上に進むようだが、疲れとバスの時間が心配で元の道に戻り 林道からバス停に向かう。
バス停の位置を聞きながら到着すると40分位余裕があった。滝を見るべきだったが、戻るのは厳しい。 近くの店屋を探し、ビールを買い「大峯奥駈道」スタートが無事出来たことに乾杯する。(16:00)

蜻蛉の滝への道しるべ

杉木立の小道

蜻蛉の滝




バス停で待っていると女性が登山姿で来られ、色々と話すとほぼ同じ行程を歩いてこられたようだ。 名古屋から来られ、昨日は天川村を廻られたそうで健脚振りに驚く。
16:37発のバスで話しながら上市駅まで進む。彼女は特急で名古屋に向かうのでお別れして、急行で 阿部野橋へ満足感と疲労でウトウトしながら揺られる。阿倍野の居酒屋で本日の健闘を称えて乾杯し、 JRで帰宅する。本日の歩数は40000歩だった。

最後に残った「大峯奥駈道」のスタートをきることが出来た。今回の行程は今までの「小辺路」等と 同等であるが、次からは本当の登山コースになる。無理をせず、一歩一歩進めて行きたい。何処まで、 何時までに到達出来るか・・・・・!!??






    
SEO [PR] 爆速!無料ブログ 無料ホームページ開設 無料ライブ放送