○ 「葛城古道」見聞録 1.風の森〜御所駅・(13.7km) 2013.03.17 10:10-15:30 晴れ
「山陽道」紀行を中断している中、O君から近郊を歩いて見ようとの提案があり、彼にコースを一任する。 近場で、自然を楽しめる旧街道として「葛城古道」紀行を楽しむことになり、近鉄・阿倍野駅集合となる。 8時50分発の電車に乗るため、7時過ぎに歩いて駅に向かい、弁当を買って、大阪経由で天王寺へ。日曜日なので、ハイキングを楽しむグループが たくさん乗っている。近鉄・阿倍野駅で、「伊勢本街道」紀行時にも活用した「てくてくまっぷ」を手に入れる。近鉄はハイキング応援のマップが数多く 整備されているのは嬉しい。 「葛城の道」のマップを手に入れた所で、O君が現れ、元気な姿に握手。時間があったので、反省会の場所を探索し、「東高野街道」「小辺路」紀行時に 利用して以来の近鉄・吉野線に乗り、尺土乗換えで御所駅に向かう。天気は最高で、暖かいのは嬉しい。
緩やかな山里の道を上って行くと、紅白の梅が咲き誇り、春の趣きが一杯だ。「山陽道」紀行とは違ったのどかな雰囲気を味わいながら上ると 「高鴨神社」が鎮座する。 本社は大和の名門豪族である鴨族の守護神を祀った社です。 弥生中期、この地から鴨の一族はひろく全国に分布してゆき、各地で鴨族の神を祀りました。 中でも京都の賀茂神社は有名ですが、本社はそれら 賀茂社の総社にあたります。建国の歴史にも本社御祭神は大きく物語られ、高天原の天孫降臨の説話の中でも、国造りの大業をなされたとあります。 (御所市観光協会HPより) 境内には木々が茂り、池には月見のためか舞台も設けられている。石段を上って、本殿に今日の紀行の安全を願う。マップには本殿の石垣の中に 灯篭の形が埋め込まれているとのことだが、分からず、社務所で教えてもらうと、なるほど、灯篭を発見する。
舗装道路の緩やかな坂道は、やがて山肌に沿う山里の道になり、山の方向を望むと青空と山々、道路の架橋が美しい。「葛城古道」の名の通り、 道端には「地蔵堂」も祀られている。 道標も曲がり角に設置されており、その模様もなかなかのものだ。山肌を縫って行くコースもあるが、今回は「高天彦神社」に向かうべく、きつい 坂道を上るべく、梅が満開の邸宅の横を上って行く。
坂道を少し上ると「高天彦(たかまひこ)神社」のシンプルな鳥居があり、そこからは急な杉並木の中を上る坂道や階段となる。木漏れ日も美しく、地道を歩く 気持ち良さを味わいながら進む。
古代豪族、葛城氏の最高神で、記・紀神話の中で、出雲へ国譲りのための使者を命令した高皇産霊神を祀り、 ほかに市杵島姫命・菅原道真を祀っています。
境内に入り、拝殿に参拝する。天孫降臨の舞台は宮崎県・高千穂にあると思っていたが、奈良のこの地にも存在することを知った。静かな 境内で一息入れ、神聖な空気を胸一杯吸い込む。鳥居の横には蛙に似た石が祀られ「福蛙」と名付けられ、お賽銭を入れる箱も設置されているのだ。 (11:25-11:35)
緩やかな下り坂は山沿いの道に沿って進む。山里の道を奈良盆地を眺めながら歩いていると草むらに土筆がたくさん顔を出している。梅の木には 鶯かメジロか分からないが、小鳥が枝で戯れている。春爛漫だ。 山里の道を下ると「橋本院」に出会い、その庭園で昼食とする。山並みを眺めながら、暖かい陽射しを浴びて美味しくいただく。(11:50-12:15)
「葛城古道@」の「紀行スライドショー」 昼食を食べ、庭園から木々の生い茂る木漏れ日の地道を下る。勾配はきつくて、滑り易いが気持ちの良い道だ。
下り坂は県道に当たり、少し進むと立派な鐘楼門を持つ「極楽寺」が迎えてくれる。 当寺開山一和僧都は、18才の時、南都西塔院の増利僧都の弟子として仏門に入り後、興福寺の座主に迎えられ、、学徳共に秀で、その徳望は広く 諸宗に聞えて居りました。 併し上人は名利を厭い、専ら修行修学の為静寂なる地を求めて居られました。 或る時、金剛山の東麓に、毎夜光を放つを遥かに望見せられ、そこから仏頭(弥陀仏の頭)が発掘されました。 上人は不思議な事に驚き、これこそ有縁の地と考へられ 仏頭山と呼び発掘の仏頭を本尊として草庵を結び、法眼院と名付けられました。 (御所市観光協会HPより) 石段を上り、鐘楼門をくぐると落ち着いた本堂が建ち、礼拝する。参拝者も居られ、静かな雰囲気を楽しんでいる。境内で一息入れる。(12:40)
県道を少し進んだ所から、細い道を下ると「住吉神社」が鎮座し、道なりに集落や山里の道を進むと古い「長柄の街並み」が続く。山里の道と 違った趣のある雰囲気は「旧街道」の宿場町の雰囲気だ。 街並みを楽しみながら進むと「葛城酒造」が建っている。杉玉が飾られた玄関から入り、お婆さんと話しながら試飲をさせてもらう。生酒・本醸造酒と 試飲する。なかなか美味しいので、生原酒「百楽門」を買い求めるとサービスとして酒粕をいただく。ラッキー。 その先に、御所市の現存するなかで最も古い重要文化財の「中村邸」が建っている。見学は出来なかったが、江戸時代の建物が残っているのに驚く。 その先の和菓子屋で饅頭を買い、お話する。昔は20軒余りの店が連なっていたが、今はここだけになったと。会話を楽しんで、次に進む。
「長柄の街並み」を楽しみながら突き当たると「一言主(ひとことぬし)神社」の鳥居が建ち、曲がって県道の高架下をくぐって神社に向かう。
本社に鎮まります一言主大神は、第二十一代雄略天皇(幼武尊)が葛城山に狩をされた時に、顕現されました。 天皇はこの一言主大神を深く崇敬され、大いに御神徳を得られたのであります。 そして、『古事記』が伝えるところに よると、一言主大神は自ら「吾(あ)は悪事(まがごと)も一言、善事(よごと)も一言、言離(ことさか)の神、葛城の一言主の大神なり」と、 その神としての神力をお示しになられております。そのためか、この神様を「一言(いちごん)さん」という親愛の情を込めた呼び方でお呼び申し、 一言の願いであれば何ごとでもお聴き下さる神様として、里びとはもちろんのこと、古く全国各地からの信仰を集めております。 (御所市観光協会HPより) 石段を上り、境内に入ると参拝者が多く、「お百度」をされている信者も居られ、順番に本殿に参拝する。「一言」と云われるように、「一件」だけ お願いが叶うとのことで、信者が多いのが良く分かる。 境内の中に、大きな銀杏の木が植わっている。古木で幹の真ん中が朽ちているが、枝から乳房が垂れるような気根がたくさん垂れている。面白い。 (14:00) 再び、山里の道を踏みしめ、景観を望んだり、紅梅の美しさや鶯の声を楽しみながら進む。
山里の道脇には立派な旧家も残り、味わいながら進むと「九品(くほん)寺」の山門に到達する。
九品寺を開いたのは奈良時代の僧、行基です。 九品寺はサンスクリット語で、その意味は布教でいう上品・中品・下品で、人間の品格をあらわしています。上品の中にも上中下が あって中品や下品にもそれぞれ上中下があります。全部で九つの品があるので九品と名づけられています。 楢原氏は南北朝の戦いのとき、南朝に味方していた楠木正成公のため一族を引き連れて参戦しています。その戦いに行くとき、 一族は身代わりのため石仏を彫って菩提寺だった九品寺に奉納したのが、いまに伝える千体石仏です。 (御所市観光協会HPより) 本堂の裏側の山に沿ってたくさんの石仏が祀られている。「千体石仏」と云われる石仏は南北朝・室町・桃山時代のものが多く、風化しているものが 多いが、通路に沿って何段にも祀られているのは凄い。 また、大きなお地蔵様の周りにもたくさんの地蔵が祀られている。「九品」とは面白い名前だと思ったが、人間の品格を表しているとは知らなかった。 自分は何品なのだろうかと?(14:25)
再び、山里の道を進む。山裾を並行に進む道は展望も良く気持ち良い。
この地域は古代から中世にかけて、兄川の出水等により、度々災害が発生し、伝承によれば、六地蔵が彫られた大きな石も、室町時代に 土石流が発生し、現在の場所に流れ着いたと言われ、その大災害に対し、村人は仏教の六道をもって衆生を救うという、仏法の精神に照らし 極楽浄土を願い、その頃に彫ったと思われると。 「六地蔵」は風化してはっきりと姿は見えないが、当時の信仰を表しているようだ。 山肌沿いに進んで来た「葛城古道」もここからは緩やかな下り坂となり、県道を越えて御所駅へ下って行く。 15時30分、御所駅に到着し、晴天の下、山里の史跡を巡った「葛城古道」紀行を終える。13.7km、歩行歩数は25000歩だった。 「葛城古道A」の「紀行スライドショー」 帰路も往路と同じルートを辿り、阿倍野駅近くの居酒屋で反省会を行う。O君も疲れはなく、ビールで乾杯し、日本酒で話が弾む。次回も 適当な場所を散策しようと約束し、環状線・京橋で別れ、帰宅する。 気持ち良い「葛城古道」を堪能した紀行だった。今日の歩行歩数は32500歩だった。
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