○ 「伊勢本街道No1」見聞録(高麗橋〜花園)・(距離 15.6km(今回)/ 15.6km(累計)/ 154.4km(残距離)

今回
残距離


  1.高麗橋〜花園・(15.6km) 2011.01.05 10:00〜16:30 曇り


伊勢本街道全行程.Map
「高麗橋〜花園・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(≪kaz≫さんのホームページより)

「中山道」紀行も「下諏訪宿」まで到達し、関東圏に突入した感が深くなった。次の行程は「中山道」の中でも最難所と云われる 「和田峠」越えとなるが、冬季は雪が深そうで来春まで凍結せざるを得ない。
その間を利用して、所謂「旧街道」を歩こうと考え、まず初めに、「熊野古道・伊勢路」を歩いた時、田丸で遭遇した「伊勢路・ 伊勢本街道」追分の道標や、先日志摩半島にドライブした時、「伊勢本街道」の一部を走り、所々に道標を見ていたことから 「伊勢本街道」にトライすることにした。

熊野古道MAP

また、年末には「玉造」から「伊勢神宮」に向かう「お伊勢参り」のイベントがあることも報道で知っていたので、大阪から伊勢への 旧街道を踏破し、「熊野古道・伊勢路」に繋げ、大阪・京都から「熊野古道」に通じる旧街道を全て歩きたいと思った次第だ。
「熊野本宮大社」へのルートは、大阪からは「紀伊路」→「中辺路」から「熊野本宮大社」へ。
京都からは「東高野街道」→「高野街道」→「高野山」→「小辺路」から「熊野本宮大社」へに加えて 「吉野道」から「吉野」を経由して、まだ踏破出来ていないが「大峯奥駆道」から「熊野本宮大社」へ。
そして、今回トライする大阪から「伊勢本街道」→「伊勢神宮」→「伊勢路」を経由して「熊野本宮大社」へとの全てのルートを 踏破しようと計画した。

「伊勢本街道」についてサイトで調べると、紀行記がたくさんあったが、MAPを探していると 「≪kaz≫さんのホームページ」には詳細な地図もあり、メールでMAPの使用と HPへの転載をお願いした所、快諾していただいたので、大いに活用させていただく。感謝!!
サイトで調べていると、「伊勢本街道」のスタート地点に二説あり、「玉造稲荷神社」と「高麗橋」だと。途中の説明碑には高麗橋から○○kmとの 記述もあるらしいので、「高麗橋」から歩くことにする。
「高麗橋」から「玉造稲荷神社」までのルートも色々あるようだが、「熊野古道」紀行時には無かった 「大阪府・歴史街道ウォーキングマップ」のルートをベースに 歩行することにする。スタートは「熊野古道・紀伊路」で歩いた場所で、久し振りに楽しめるだろうと。

本来、このコースを昨年暮れの中学校同窓生有志の忘年会の前に小学校以来の友人であるO君と歩く予定であったが、前日にギックリ腰になり、 断念した。年が明け、腰の調子も回復基調にあるので、予定を合わせて一緒に歩くことになった次第だ。

里程元標跡

今年の初歩きが「伊勢本街道」となり、10時、地下鉄北浜駅改札口で待ち合わせる。新年の挨拶を交わした後、今日の打合せをする。O君も JRの街歩きMAPを持参してくれ、まずは高麗橋橋詰に建つ「里程元標跡」の碑に向かう。
北浜付近は余り行く機会もなく、三越デパートが撤退し、空白地帯となっていた。高麗橋も初めて渡り、橋の東に建つ「里程元標跡」の碑を 「伊勢本街道」のスタート地点とする。ここから約170kmの行程を進める。

高麗橋 説明

江戸時代の里程計算の起点は、高麗橋の東詰にあった。ここが京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の起点となった。
明治9年道路の制度公布によりひきつづき里程計算の起点となり、高麗橋の東南詰に元標がたてられた。
現在は道路元標として 梅田新道交差点西北角に移されている。
また高麗橋は、江戸時代から公儀橋のなかでも重視され、西詰には町奉行所の制札場があった。 なお高麗橋は大阪で最初の鉄橋(明治3年)である。(大阪市・歴史散歩道HPより)
「里程」と云う言葉も初めて知り、大阪からの街道の起点がこの地にあったことも認識出来た。「京街道」「中国街道」と旧街道の名称にも 出会え、この見聞録の進化に結び付けたいものだ。
「熊野古道」紀行時の出発地点である「八軒家船着場跡」に向かう。土佐堀通を天満橋方向に進み、永田家昆布店の前に懐かしい 「八軒家船着場跡」の碑が建つ。2003年3月にここから「熊野古道」紀行が始まったのだ。当時は、紀行記をwordでまとめていたが、後日、 「熊野古道、紀伊路・中辺路見聞録」とHPにまとめた。当時の稚拙な 見聞録を読み返すと懐かしい。
O君に先輩ぶって説明した後、道横に立つ「熊野古道標識」を確認して、第一王子跡である「窪津(くぼつ)王子」を祀る「坐摩神社」に 参拝して、今回の紀行の安全を祈る。 上町台地を上り、御祓筋を南下し、南大江公園の第二王子跡である「坂口王子跡」へ進む。

八軒家船着場跡 説明

熊野古道標識 説明

窪津王子を祀る坐摩神社 説明


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

公園があり、この隅に祀られていると思い探すが「坂口王子跡」は見つからない。10分ほど手分けするが分からず、地図で再確認すると この公園は中大江公園で、南大江公園はもっと南だと。先入観や記憶力はあやふやなものだと反省する。
中央大通を越えて進むと南大江公園があり、その片隅に小さな神社があり、その横に「坂口王子跡」の説明板が立つ。公園を間違ったが、 場所は記憶通りだった。
長堀通の手前には道の真ん中に「榎木大明神」の祠が祀られている。大樹が道に張り出しているので、ここは車両通行禁止になっている 由緒ある神社のようだ。
長堀通の1本北の筋を東に進む。谷町筋を渡り、まだ古い家々が残る知らない道をのんびりと進む。O君が、近くに立派な教会があった との話で、立ち寄ることにする。大阪女学院の前を通り「聖マリア大聖堂・大阪玉造カトリック教会」に到着する。この辺りは初めて訪れるが、 静かな環境の中にクリーム色の教会が建つ。この大聖堂の近くに細川家の屋敷跡があり、キリシタンの細川ガラシア夫人を記念して建てられたそうだ。 正面には細川ガラシア像と高山右近像が建ち、教会内に入るとステンドグラスの他、当時の様子を描いた絵画も飾られる厳粛な雰囲気だ。 座席に座り、一呼吸入れ、静かに教会の雰囲気を味わう。

坂口王子跡 説明

榎木大明神 説明

聖マリア大聖堂 右近像 ガラシア像


直ぐ近くの「玉造稲荷神社」に向かう。一般的には「伊勢本街道」のスタート地点はここで、毎年末にはここから「伊勢神宮」を目指して 「伊勢詣」が企画され、初詣をすることは新聞でよく読む所だ。(11:50)

玉造稲荷神社


伊勢迄歩講起点の碑 ルート図

鳥居をくぐって参道に入るが、参拝者は少なく静かな境内だ。正面には朱色の本殿が鎮座し、その前には「伊勢迄歩講起点」碑、 「伊勢本街道の旅」碑が建っている。ここが「伊勢本街道」のスタート地点なのだ。
説明板には玉造から伊勢までのルートが示されている。170kmの行程を改めて認識する。
昔、お伊勢参りには玉造稲荷神社に参り、道中安全の祈願をして旅立ったといわれ、この旅を引き継いで始められた「初詣・伊勢迄歩講」 (主催 大阪ユースホステル協会)の出発点がこの石碑である。
側面に「是より神宮まで百七十キロ」とあり、裏面には「勾玉の造(みやつこ)たちの頸飾り、菅の御笠にいざ旅立たむ」と歌が刻まれて いる。(玉造稲荷神社HPより)
本殿に旅の無事を願って参拝し、境内を散策する。

豊臣秀頼公奉納鳥居 説明

境内には大阪(大坂)・浪速の歴史的な史跡が集まっているのに驚く。
境内の奥に石の鳥居が埋まっている。「豊臣秀頼公奉納鳥居」で 400年前のものだと。
慶長8年(1603年)に秀頼公より奉納され、400年の歴史を刻む。大阪での石製鳥居としては、四天王寺正門の鳥居と共に古いといわれている。
玉造稲荷神社が豊臣時代に大坂城の守護神として祀られ、特に居城された秀頼、淀君らの崇敬が厚かった。この鳥居はそれを物語っている。 (玉造稲荷神社HPより)
横には「秀頼公胞衣(よな)塚大明神」の祠があり、近くには「千利休居士顕彰碑」が建ち、大阪の笑いを伝えた「秋田實笑魂碑」と 戦国時代から昭和までの大阪に係わる人物の史跡が集まっている。

秀頼公胞衣塚大明神 説明

千利休居士顕彰碑

秋田實笑魂碑


伊勢参宮本街道行程図 細部

本殿の前に絵馬奉納の棚があり、その表示が面白い。お稲荷さんに関連して「恋キツネ」と書かれた棚には夫婦(?)の狐が頬寄せ合う 可愛い絵馬が飾られている。夫婦・恋人が願いを書き、奉納しているようだ。
境内の一角で休憩する。O君がおやつを持参してくれ、それに加え、お正月だからとお神酒も。これからの「伊勢本街道」踏破の願いを込め、 静かに乾杯する。
もう一度「伊勢迄歩講起点」碑に行き、ルートを再確認すると、下に「伊勢詣」のポスターが貼ってあり、その中にルートマップを販売していると。 社務所に行き、尋ねるとこれですと「伊勢参宮本街道行程図」の冊子を出していただく。500円を払って購入し、中を見ると詳細な伊勢までの 地図の上にルートが赤線で描かれている。これは有難いと、「≪kaz≫さんの地図」と併用することにする。
「伊勢本街道」のスタート地点を確認し、いよいよ「伊勢神宮」へ心新たに進むことにする。
まずはJR玉造駅に向かうべく坂を下ると ここにも道の真ん中に大木があり、鳥居が祀られている。大阪の道にはまだまだ神木を切ることもなく祀られている所が多いのだ。地域の 地域に密着した信仰の深さには頭が下がる。
12時を過ぎたので、JT玉造駅に向かいながら、昼食の場所を探す。

恋キツネの絵馬

可愛い恋キツネ

道の真ん中の大木



「高麗橋〜玉造」の「紀行スライドショー」


玉造駅の横には賑やかな商店街があり、その一角にある「王将」で昼食とする。
昼食後、いよいよ本格的な「伊勢本街道」紀行が始まる。長堀通に出て東に進む。右側の商店街に曲がる手前に「二軒茶屋跡」の碑が立つ。 「つるや・ますや」という二軒の茶屋が建てられ、旅人等の休息の場として繁昌したそうだ。 石橋は猫間川に宝永8年に幕府の命によって橋が架けられたのが石橋だと。
長堀通から商店街に入ると「暗越奈良街道」の道標が立つ。この道標がこれからの行程を案内してくれればありがたいと。石碑の横には 「高麗橋元標から3.6km」と刻まれている。先達の方が「伊勢本街道」は高麗橋から始まると書かれていたのはこれだと納得し、高麗橋から 歩き始めたことを自負する。

二軒茶屋跡 説明

暗越奈良街道の道標

玉造の商店街


長堀通に出て、交叉点を渡り、長堀通から左に折れて進むと玉津橋を渡り、川沿いに進むと古い道標が立つ。ここでも高麗橋からの距離が 記されている。道なりに進むと小さい広場があり、「暗越奈良街道」の立派な標識が立っている。

暗越奈良街道の道標 説明

暗越奈良街道の標識

ここで、大きな過ちを犯すことになる。広場から3方向に道が別れていて、よく確認すれば良かったのだが、真ん中の道を進む。
今里通に 出て、これを渡ると今里新道商店街になっている。先達の紀行記の中に商店街を歩いた記述があったことも頭にかすめ、多分 これを進めば良いだろうと考えたが、一抹の不安があり、信号待ちの地元の方に東成警察署の場所を聞くと通って来た所の裏側だと。 そして、「伊勢本街道」のルートを訪ねると商店街を抜けて右に行くと良いと。
今里新道商店街はシャッター商店街ではなく、人通りも多く賑やかだ。この辺りはまだまだ商店街も元気がよいのは嬉しい。しかし、商店街は 長すぎる位長い。不安になり、商店の親父さんに次に向かう「熊野大神宮」を訪ねると、細い道を右に行けと。そこが「伊勢本街道」だと。 間違った道を進んだことが分かった。
まずは「熊野大神宮」に向かうことにする。神社に参拝し、産業道路に出て、地下鉄が走る国道を東に向かうと地下鉄の新深江駅に 至る。O君が持参したマップを確認すると、本来のルート上に「シルクロード東端」の標識が 記されているので、これは見なくてはならないと、「伊勢本街道」を逆に元の地点に戻ることにする。往復30分程のロスとなった。
地下鉄今里駅が目の前にあったので、新深江駅まで地下鉄に乗ることにし、間違ったコースで見聞した記録を、以下に、正式ルートに沿って記述する。


今里通まで戻る。角にはセブンイレブンがあり、渡って戻ると東成警察署の前を通り、「暗越奈良街道」の立派な標識の広場に至るのだ。 セブンイレブンの前からは、先程、道を尋ねた交叉点が見える。一筋間違っただけが、大きなロスタイムとなったのだ。市街地歩きが久し振りなので、 これからは注意しなくてはならない。
この一角には「暗越奈良街道」の標識が集まっている。酒屋太一氏の銘のある大きな鋼板の標識には「暗越奈良街道」の説明の横に 「シルクロード終わるところ」と記されている。この街道がシルクロードの東の端として、平城京に向かったのだと納得する。

暗越奈良街道の標識 拡大

暗越奈良街道@

暗越奈良街道A


戻って来た道を正式ルートとして進み、先程通った「熊野大神宮」に戻る。「熊野神社」は全国に3000社あると云われている。「熊野古道」 紀行時にお世話になり、活用させてもらった「みくまのねっと」に「全国熊野神社参詣記」の コーナーがあり、賛同者が「熊野神社」に参拝した記録を投稿しておられる。小生も投稿せねばと思いながらしていない神社が3社になった。 この機会に・・・
鳥居をくぐり、本殿に参拝する。境内には「天照大神」を祀る社等も建ち、荘厳な雰囲気だ。柵の間からなかをのぞくと本殿らしき建物が 鎮座している。参拝したのは拝殿だったのか?

熊野大神宮・の鳥居

熊野大神宮・拝殿(?) 説明

熊野大神宮・本殿


地図上に記述されている隣の「妙法寺」を見て、産業道路の広い通りに出る。その角に「火袋式道標」と云われる上部を四角にくりぬいて 火袋(ひぶくろ)とし、上に笠をのせた珍しい道標で、夜間に火を入れて道標としたそうだ。
O君の地図に、少し反対側に行った所に「旧日本海軍指定ボタン工場の建物」があると示されているので、立ち寄るとそれらしき建物はない。木造の 壁を塗装したヘアサロンが改装されたもので、洒落た造りに変わっているので驚く。

妙法寺

火袋式道標 説明

旧日本海軍指定ボタン工場の建物


元の「火袋式道標」まで戻り、産業道路を東に進むと、玉造で眺めた生駒山が少し大きくなって来た。
「平野川分水路」の橋を渡ると地下鉄・ 新深江駅だ。先程はここまで来て、今里通まで戻り、正式の「伊勢本街道」を進んで来たのだ。
内環状線を過ぎて進むと、産業道路は左に曲がって行く。産業道路を離れて真っ直ぐな道を進む。地方に行くと拡幅された道から分岐する細道が 旧街道の例が多い。同じ様式で、分岐して真っ直ぐな小道に歩を進める。
少し進むと商店街に出会う。この商店街はシャッターが多く、人通りも少ない。郊外に行くに連れ、商店街は寂しくなって行くのだろうか。 商店街の一筋向こうの道を北に向かい産業道路に戻る。

平野川分水路の橋

分岐する細道

少し寂しい商店街


産業道路を渡った奥には「深江稲荷神社」があるようだが、パスして東に向かう。
高井田の交差点を渡った所から左の小道に分岐する。新しく造られた「歴史の道・暗峠越え旧奈良街道」の石碑を見て進むと 数年前に開通したJRおおさか東線の高架下を抜ける。道なりに旧街道を進むと「高井田地蔵」の祠が祀られている。 中をのぞくと可愛いお地蔵さまが祀られている。街道筋の人気者だったのであろうと想像する。

暗峠越え旧奈良街道の石碑

JRおおさか東線の高架

高井田地蔵 説明 地蔵


道なりに進むと「西岸地蔵」の祠が建つ。

西岸地蔵 説明

放出停車場三十丁の道標

ここで一息入れ、同じ小学校以来の友人M君に電話し、紀行後の懇親会が出来ないかと問い合すと 17時以降上六駅だとOKとのことで、楽しみが増え、元気が出る。
こちらは旧道歩きを楽しんでいるのに、貿易商の彼は新年早々仕事に 励んでいることに低頭する。
狭い長瀬川を渡り、進むと道角に古い「放出停車場三十丁」の道標が立つ。「放出」=「はなてん」とは大阪人でもなかなか読めない地名だ。
旧街道は「小坂北口」の交差点で産業道路に合流し、しばらく進んで産業道路を渡り、右の小道に入る。静かな住宅地は古い家が多く、 昭和の時代を思い出させる。突き当たりを左折し、再び産業道路に出て、渡った所から左の小道に入る。 「伊勢本街道」は産業道路を中心に南北の小道を縫って行くようだ。
小道を入ると旧街道の趣きがあり、近くには「天神社」が鎮座し、お地蔵さんが祀られている。御厨集落の会館の前には 「大峰登山三十三度供養碑」や案内板が立っている。この「大峰登山三十三度供養碑」は「熊野古道」の前哨戦で臨んだ京都から吉野への 「吉野道」でよく見かけたものだ。「伊勢神宮」と共に「大峰山」も古人の信仰の聖地だったのであろう。
道なりに進むと広い府道に至り、その角に古い建屋が残っている。これが当時、大名の休息地であった「植田家住宅」だ。初めて残る 旧家を見た。これから先にもこの様な旧家が残っていることを期待して、府道を渡り、歩を進める。

旧街道の地蔵

大峰登山三十三度供養碑 説明

植田家住宅 説明


少し進むと濁った水が流れる第二寝屋川を渡り、再び産業道路に合流する。
産業道路の歩道橋には「第90回全国高等学校ラグビーフットボール大会」の横断幕が掛かっている。もう少し先の花園ラグビー場では、今日準決勝戦が 行われているのだ。二男が花園に出場したのは70回大会だったので、あれから20年経過したのだ。2回戦を勝ち、元旦の花園に応援に 行き、小差で敗戦したが、ベスト16になったことを懐かしく思う。今年は東福岡高校と桐蔭学園が同点で両校優勝になった。
東に進み中央環状線の高架下を抜ける。生駒山も随分近くに見えるようになって来た。17時に上六駅に向かうので、花園駅まで 行こうと歩を速める。

第二寝屋川

ラグビーフットボール大会の横断幕

中央環状線の高架


産業道路を東に進み、右側の小道に入る。少し不安だったが、前方に神社の森があるので、確信して進むと古い道標が立ち、「すぐ石切瓢箪ま、 左住道四条畷」と刻まれている。
直ぐに鎮守の森の中に「八剱(やつるぎ)神社」が迎えてくれる。静かな境内には道標が集められていて、特に瓢箪山には瓢箪の形で表して いるのは面白い。
17時の待ち合わせに合わすにはもう少しなので、ここで、「玉造稲荷神社」で乾杯したお神酒で、再度乾杯して次に向かう。

古い道標

八剱神社 説明

境内の道標群


最終コーナーに向かうべく歩き始めると「道開地蔵」の祠が祀られており、再び産業道路に出る。道路を渡り、左の小道に入って行くと 「もちの木地蔵」の祠と「おかげ燈籠」が並んで立っている。 「おかげ燈籠」はこれからの道中でも見られることを期待したいものだ。

道開地蔵

もちの木地蔵

おかげ燈籠 説明


再び産業道路に出て、東に向かう。
生駒山はもう間近に見える位になる。河内警察署の前を通る時に、O君と話す。東大阪市になってから 河内と云う地名を聞かなくなったなと。昔は北河内・中河内・南河内とそれぞれの地域性を表していたのが少し寂しい気持ちだ。 稲葉2丁目の交差点角にイトーヨーカー堂の大きなショッピングセンターがあり、ここでトイレを借り、ここで今日の紀行を終えることにする。花園ラグビー場に 行くには少し時間がかかるので、近鉄・河内花園駅に向かう。16時30分、駅に到着し、本日の歩行は終了する。高麗橋からここまでの歩数は 29000歩だった。
途中、道を間違って戻ったりとロスも多かったが、約16kmの街歩きを楽しんだ。さあ、次は暗峠を越えて奈良県に突入しよう。

「玉造〜花園」の「紀行スライドショー」

近鉄に乗り、上本町6丁目まで行き、M君と改札口で待ち合す。待ち時間の間に、案内所に行き「伊勢本街道」のマップがないかと尋ねると A43枚・裏表にイラスト入りの分かり易いマップで、これも参考に計画を楽しもうと思う。ただ、榛原駅までしかないので、それ以降は 三重県の近鉄の駅で訪ねてみよう。
M君が到着し、新年の挨拶をした後、彼の推薦する居酒屋で忘年会以来の杯を交わす。2時間余り楽しく懇談し、新春の 「伊勢本街道」紀行を終え、21時過ぎに帰宅する。
今月中にもう一度、花園から南生駒or富雄or尼ケ辻駅まで歩く予定で計画したい。






    
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