○ 「伊勢本街道No5」見聞録(榛原〜山粕)・(距離 16.7km(今回)/ 88.7km(累計)/ 81.3km(残距離)

前回まで
今回
残距離


  1.榛原〜山粕・(16.7km) 2011.03.25 8:55-14:00 晴れ後雨


伊勢本街道全行程.Map
「榛原〜山粕・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(≪kaz≫さんのホームページより)

前回の紀行を終え、HPにアップした直後の3月11日、東北地方にマグネチュード9.0の大地震と想定外の大津波が押し寄せ、甚大な災害となった。 同時に福島の原発にも被害が発生し、東北・関東は大変な事態に陥っている。1万人以上の死者に加え、まだ行方不明の方も多く、 日本全体が沈痛な想いに陥っている。加えて、原発からの放射能漏れの被害も拡大傾向にあり、予断を許さない状況になっているのは 心配だ。一日も早い復旧・復興を願っている次第だ。

第5回目の「伊勢本街道」紀行は、いよいよ本格的な旧街道の自然中を歩くことになる。
今回もO君と早い時間だが、6時50分に鶴橋駅で待ち合わせることにする。今回は時間の制約はないが、次はバスに乗って今回歩いた所まで 行かねばならないので、榛原発のバスの時刻に合わせるべく、予行演習のつもりで早い時間となった。
高槻発6時の快速に乗る予定が、1本早い電車に乗れて、淀川を渡る頃、朝日が輝くのを眺め、鶴橋へ。

朝日の輝き

近鉄・榛原駅

O君も定刻前に到着し、駅中のコンビニで弁当を買い、 予定通り、鶴橋発6時55分発の電車で出発する。
車内で今日の行程の最終確認と次回の予定を相談する。今回と次回の予定を勘案して、 今日は山粕東口のバス停まで歩き、14時過ぎのバスで榛原に戻り、次回はこの電車で榛原まで行き、7時55分発のバスで、今日の最終地点・ 山粕東口までバスで進み、そこから「伊勢本街道」を歩き、敷津からバスで、名張へ進むことにする。
計画の話し合いを終える頃には、前回歩いた長谷寺から榛原へのルートが眺められ、寒かったなぁと話していると榛原に到着する。バス停に 向かうと次回乗車予定の曽爾村行のバスが停まっていて、時間的に余裕があることを確認できた。これで次回のスタートはバッチリだと。

伊勢本街道保存会事務局

7時55分、榛原駅を出発し、「伊勢本街道」に進む。前回、地図をいただいた「伊勢本街道保存会事務局」の看板が掛かっている旧家の前を 通って進む。今回はこのもらった「伊勢本街道の最大難所・大和高原『うだの難所を行く』」の地図を参照しながら進むことにする。

墨坂神社 本殿、 説明

旧道は宇田川に突き当たり、少し下流の朱色に塗られた橋を渡ると「墨坂神社」が鎮座している。六神が祀られ、健康の神と記された本殿に 参拝し、今日の紀行の無事を願う。
「墨坂(すみさか)神社」は、神武東征の砌、合戦のあった墨坂から、1450年(文安6年)に遷座されました。
本殿は、1864年 (元治元年)春日大社の本殿を拝領し、祭神は「古事記」に登場し、天地が開けた時に、始めて高天原に現れ出た天御中主 (あめノみなかぬし)神、次に現れた高皇産霊(たかみむすひ)神、更に現れた神皇産霊(かんむすひ)神の造化3神と、最後に現れ出た 伊耶那岐(いざなき)命と伊耶那美(いざなみ)命、更に大物主神の計6神の総称「墨坂大神」です。 (奈良観光HPより)
参道から国道369号線に出て、狭い歩道のある国道を緩やかに上って行く。今回の紀行はこのR369沿いに山道に入って行き、再び合流する ことになる。
しばらく進むと「弘法大師の石清水」の自動販売機の赤い建屋が建っている。まだ朝が早いので水を汲みに来る車は泊まっていないが、 日中には賑わうとか。自動販売機で売っているのは今時の風情だと。
まだ肌寒い空気の中を進むと横の川には魚釣りをする案山子が河原に立っている。ほのぼのとした光景を眺めながら淡々と進むと「山神」の 石碑が祀られている。これからも時々目にする碑で、山深い地域の信仰を感じる。「中山道」紀行時、長良川周辺で「水神」の碑が祀られて いたことを思い出す。
しばらく進むと「御井神社」の鳥居が建ち、長い参道が続いているのを見て、参拝はせず、前に進む。

弘法大師の石清水

山神

御井神社


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

国道を進むと表面の字が読めない古い「道標」が立つ。横の説明書によると文政6年(1823年)の銘がある初生寺「はしゃうじ道」の道標だと。 少し進むと古い旧家の横に石碑が立ち、旧家には「刻煙草」の看板が掛かっている。この家のご主人の功績を記した石碑なのだろう。
道脇にお堂が建ち、その手前に説明板が立っている。確認すると「弘法大師爪書き不動尊」のお堂だと分かり、その横には爪で描いたと 云われる薄くなった「磨崖仏」が祀られている。弘法大師はこの辺りにも巡礼したおられたのだ。

はしゃうじ道の道標 説明

石碑

弘法大師爪書き不動堂 磨崖仏、 説明


国道から外れて旧道に進む道角には、頼りになる「伊勢本街道保存会」作成の「おいせまいり」の白い札が掛かっているので安心だ。下には まだ新しい「右、いせ本街道」の道標も立っている。
旧街道は地道になり、杉木立の中を歩くことになる。今回初めての地道は気持ち良い。切り株にも白い札が付けられていて、安心して 木立を楽しみながら進むと再び国道に合流する。
しばらく進むと高井の集落になり、国道から別れて左側の「仏隆寺」と書かれた道標に従って旧街道に入る。

おいせまいりの白い札 道標

杉木立

高井から国道に別れて左側へ


国道から旧街道に入ると車も通らない静かな坂道が続く。三叉路に「案内板」があり、古い道標と「仏隆寺」の道標を左側へ進む。 道横の家の紅梅が満開に咲き誇っている春の風情を感じながら、緩やかな坂を上ると「「右・いせ本街道、左・仏隆寺」の道標を 右に進むと急な坂道になり、息を弾ませながら上って行く。
当時、旧庄屋・旅籠であった立派な「松本家」の建屋を眺めて歩を進める。ひびの入った古い道標を過ぎると舗装されているが、 杉木立の道になり、気持ち良く上って行く。

古い道標 案内板

仏隆寺との分岐点 道標

松本家の建屋


千本杉

杉木立の坂道を上って行くと右に降りる階段があり、鳥居が立っているので、上を見上げると株が何本にも分かれている立派な杉の木が そびえている。これが「千本杉」なのだ。
「高井の千本杉」は約1m四方の古井戸(今は空井戸)の周囲に数本の蜜植された杉が成長するにつれて株元が癒着した蓮理材形式のもので、 地上約1m位から16本の枝幹が数えられ、各枝幹は大・小不同ですが、空井戸を取り巻く主幹を最大として、東南側が径55cm〜80cmで、 全体として目通り約25m、樹高約30m、枝張りは東西南北共に22mに達し、樹齢は主幹が推定600年で、井戸杉として県下で最大最古です。 (奈良観光HPより)

千本杉 説明

「千本杉」の周りを探索する。幹の数を数えるが、入り組んでいて10数本しか確認できないが、不思議な自然の生態に驚く。
見上げても杉のてっぺんは見えない位、葉に覆われている。
杉の根元には井戸があるが、今は水がないようで、扉で封鎖されている。
少し下にある水場からはポツポツと水が落ちている。横には コップも置いてあるが、水が溜るまで随分時間がかかりそうだ。
「千本杉」の下のベンチに座り、一息つきながら高い杉の木を見上げる。(9:20-30)

千本杉への道

空井戸

千本杉を見上げる



「榛原〜千本杉」の「紀行スライドショー」

一息入れて、暖かい陽射しを浴びて進むと津越辻に出ると立派な「津越家」が建ち、「古民家を大切にする会」の看板が掲げらている。 古民家を愛する団体があるのを知った次第だ。
津越辻には「伊勢本街道」の案内板と古い道標が立ち、方向を示してくれる。舗装道路だが、静かな山あいの道を陽射しを楽しみながら 快調に進む。

津越家住宅 説明

古い道標

静かな山あいの道


舗装道路でも周辺の杉林・田畑を眺めながらの歩行は気持ち良い。梅も盛りを過ぎかけているが、紅梅・白梅が迎えてくれる。
畑で農作業をしておられる女性に挨拶をすると、鹿や猪の被害がひどく、 ネットを張って防止しているので、種を蒔く暇もないと。獣の被害が深刻なのだ。
しばらく進んだ所に「菅野村行悦の道標」が立っている。これは御杖村にある菅野出身の行脚僧、行悦が建てた道標で、 徳川吉宗が倹約令を公布した頃に各地を供養して回った時に立てられたものだと。文字は読めないが、昔の旅人の指針として重宝された のだろう。いまの「おいせまいり」の札のように。

山あいの集落

鹿除けのネット

菅野村行悦の道標


「伊勢本街道」は舗装道路から「石割峠」への上り坂に進む。地道に杉の葉が積もり、クッションの役割を果たしてくれるので、歩き易く 膝の負担も軽減される。坂道は「諸木野関所跡」に続く。

諸木野関所跡 説明

「諸木野関所跡」は室町時代1158年(長禄2年)奈良の興福寺大乗院によって設けられ、関所の代官は興福寺の僧侶が務め、室町時代の 後半頃には廃止されたようです。
伊勢本街道(榛原町の角柄〜諸木野石割峠)の約12kmの間に、角柄関、萩原関(井足関)、高井関、 壱名関、下司名関、大久保名関があり、それぞれの荘園領主が経済政策の1つとして関税を取り、当時の旅人を悩ましていました。 (奈良観光HPより)
短い距離にたくさんの関所があり、それぞれが通行料を取っていたのには驚きだ。当時は厳重な取り締まりが行われていたのだろうと 想像しながら、地道を上って行く。
木漏れ日が溢れる杉林の峠道は気持ち良い。本来の古道の息吹が感じられる快適な歩行を楽しみながら上って行くと、道端に青竹の水道が 設置され、「すずみの水」と記されている。きっと地元の方が「伊勢本街道」紀行者にプレゼントしていただいた貴重な水源だ。
真夏の歩行だと、きっと顔を洗い、タオルに水を浸して鉢巻きにしていただろうと。これからの行程にも数カ所、この「すずみの水」が 設置されていた。感謝・感謝!!

石割峠への上り坂

木漏れ日の峠道

すずみの水


山道は集落に出て、明るい陽射しが気持ち良く感じる。 「石割峠」の文字が記された道標も現れ、いよいよ峠道に差しかかったことを示してくれる。石の道標は「右・いせ本街道、左・仏隆寺」と 地図と共に方向を示してくれる。道角に水場があり、座れる石があったので、ここで一息入れる。(10:20)
休んでいると、バイクに乗った郵便配達の方が来られたので挨拶すると、冬場は膝まで雪が積もり、徒歩で配る地域だと。ご苦労様です。 気付かなかったが、少し進んだ所に休憩所があった。ここで休めば良かったと。

石割峠への道標

石の道標

水場


「石割峠」の頂を目指しての割合急な坂を上り始める。

石割峠

「宇陀ケ辻」には苔むした道標が立ち、横には木の道標が「伊勢本街道」を示している。有難い。
杉木立に囲まれた地道の急坂の途中の水溜りは凍っていて、峠の寒さが分かる。
坂を上り切ると小さく「石割峠」の立て札が立つ 頂上に到着する。(10:50)
「石割峠」は標高695mで、「伊勢本街道」の最高地点だと。峠の頂上は 切り通しのようになっていて、風が良く通り寒い位だ。一息入れた後、寒くなり早々に急な坂道を下って行く。上りよりも下りの勾配が きついようでトントンと小走りになってしまう。
地道を下り切ると舗装された県道と出会い、そこに木の道標が立っているが、方向が定かでない。ここで「おいせまいり」の白い札が 見つけられれば良いのだが、分からず、右か左かと迷う。方向は右だが、道標の地名が「諸木野」と通って来た地名なのだ。丁度、 軽トラが来たので尋ねると「専明寺」は右だと教えてもらう。
後で地図を確認すると当たり前のことだが、道標の表示で迷ってしまった次第だ。

苔むした道標

石割峠の坂道

県道との合流


舗装された県道を進む。明るい陽射しを浴びながら点在する集落の中を進んでいると右手に小さな滝が流れ落ちている。畑を耕している 方に「オトバヤの滝」かと尋ねるとそうだと。
気持ち良い田舎の風情を楽しみながら進むと「旧旅籠街」に至るのだが、どの建屋が旅籠なのか分からず、花粉がいっぱいついている 杉の木を眺めながら進む。道端には「ふきのとう」が顔を出しているので、前回と同様摘んで行く。
「石割峠」の手前でも見た「菅野村行悦の道標」である「廻国供養碑」が建っている。この辺りが「田口の宿場」だったと。

オトバヤの滝

田口の宿場の道

廻国供養碑 説明


道端の「ふきのとう」摘みは楽しく、左右の草原の中から探し出して楽しむ。しかし、これが大きなミスとなってしまった。 昼食は「専明寺」でしようと計画していた所、「ふきのとう」摘みでその前の立つ石も確認しながら、丘の上にあるお寺まで 視線を上げずに、そのまま摘んで行く。

専明寺

ふきのとう

しばらく進み、橋を渡った辺りで、おかしいと感じ、地図を確認してもう少し進んだ所だと 行くが、やはり違っていそうだ。トラックを停めて確認するともっと手前だと。
橋の所まで戻ると家から出て来られた夫人に尋ねるとあそこだと指さしていただく。先程通って来た道の丘の上に「専明寺」が 建っている。お礼を云って戻ると、「ふきのとう」摘みの時見ていた石があり、そこから丘に階段が伸びている。オー・ミステイクだ。
階段を上り、本殿に参拝し、門の前の階段に座り、昼食とする。15分程のロスタイムになったか。
階段の端には「ふきのとう」が群生している。ここで空腹を満たし、一息入れる。(12:00-12:20)

「千本杉〜専明寺」の「紀行スライドショー」

「伊勢本街道」は「専明寺」の境内から小道になり、下って行くと県道に合流する。しばらく県道を進むと右の奥に一本杉が見える。 多分「不動杉」だとし、国道から左の舗装された林道に向かう。
林道の右に流れる黒岩川に流れ込む、小さな「不動滝」を臨みながら、今日最後の「山粕峠」の上り坂を進む。
先程までの晴天から、少し曇って来た。予報では宇陀地区は15時頃から小雨だとのことで、帰りまで降らないことを願いながら 緩やかな坂道を上ると道脇に「石の道標」と「伊勢本街道」の標識が立っている。

林道への分岐

不動滝

石の道標


「山粕峠」は「石割峠」に比べて勾配が緩い杉並木の峠道を上って行く。道横に、「山粕」を示す道標の横には「菅野村行悦の道標」が 立ち、「山粕峠」が近いことが分かる。
車の轍の部分以外は杉の葉が積もっている柔らかい感触を楽しみながら進む。
ポツポツと雨が降って来た。杉木立が傘の役割をしてくれるので、雨はかからないが、歩を速めて早く峠の頂上へと向かう。
視界が開けた田圃の中に大きな石が座っている。これが亀の形に似ている「どんがめ石」のようだ。ポツポツ降って来た雨の中を急ぎ足で 本来なら気持ち良く歩ける峠道を上って行く。

菅野村行悦の道標 拡大

山粕峠への林道

どんがめ石


林道は地道になり、杉木立の中には伐採された杉が散在していて、この辺りは杉林の伐採等行われていることが分かる。 小雨の中を急ぎ足で上って行くと「山粕峠」の頂上に出て一息入れる。(13:20)
帰りのバスの時刻は山粕東口が14時過ぎだから、その手前の山粕西口は14時10分頃と考え、バスの時刻に間に合わせないと2時間程 待たねばならない。
雨が強くなって来たので、地図を終い、傘を差さずに急ぎ足で下る。取り敢えず国道まで降りねばと考えていたが、これが間違いで 国道の手前に「伊勢本街道」の道があったのだ。

杉木立の道

山粕峠

下り道



「専明寺〜山粕峠」の「紀行スライドショー」

次の間違いが、国道に降りてからの方向を反対側に進んでしまった。
雨の所為だとしても、2つのミスが続いて、傘を差して慌てて元の道に戻るが、時間との勝負で急ぐ急ぐ。
途中で、本来の「伊勢本街道」の道標が、国道の山側にあったので、国道に出るまでに旧街道があったことを認識した次第だ。歩きながら バス停近くに酒屋さんがあれば良いなぁと話していた所、山粕西口のバス停は酒屋さんの前だった。バスの時刻を見ると14時12分発なので、 10分程余裕があるので、缶ビールを買って、今日の予定達成と反省の乾杯。
定刻通り、奈良交通のバスが来て、色々とあった今日の歩行も完了し、一路榛原駅に。途中、歩いた旧街道もあるが、ほとんどはバス道から 離れた山の中の紀行だったと改めて感じる。
榛原駅の観光案内所で、「伊勢本街道」の地図がないかと尋ねると今回用いた『うだの難所を行く』をいただく。部数が少ないようで、 これで2部となり、それぞれが持つことが出来た。横の食堂で、ほろ酔いセットを注文し、改めて乾杯し、今日の反省と次の計画を打合せする。 近鉄で鶴橋まで行くと、美味しい焼肉の香りにつられて、少し焼肉を食べながら3回目の乾杯と楽しい時間を過ごす。

今日は本格的な「伊勢本街道」の雰囲気を堪能出来る行程だった。地道も多く、峠越えも楽しむことが出来たが、道を間違えた所も 多く、最後は雨に降られて散々の紀行だった。この反省を糧に、次からも続く「伊勢本街道」の息吹を満喫したいものだ。
今日の紀行は16.7km、32000歩だったが、後半は雨のため写真も余り写せなかった。次回は間違った道を再トライしたいものだ。







    
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