○ 「伊勢本街道No8」見聞録(外城田〜伊勢神宮)・(距離 20.8km(今回)/ 170.0km(累計)/ 0km(残距離)

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今回


  1.外城田〜伊勢神宮・(20.8km) 2011.07.21 10:25-15:30 曇り時々晴れ


伊勢本街道全行程.Map
「外城田〜伊勢神宮・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(≪kaz≫さんのホームページより)

「伊勢本街道」紀行もいよいよ最終行程になった。前回、多気までの予定を外城田まで行くことが出来たので、日帰りで「伊勢神宮」に 参拝できる見通しがついた。交通費のことも考え、「青春18きっぷ」で行こうと決め、初日の7/20に実施予定にしていたが、時期外れの 台風6号襲来の予報もあり、一日伸ばした7/21に実施した。

外城田駅

O君は関西本線で、小生は草津線で8時30分柘植駅で集合することにする。6時過ぎに家を出て、高槻から京都・草津で乗換え、O君の乗る 列車に柘植駅で乗換え亀山へ。乗換え時間の間に、駅前の食堂でざる蕎麦で腹ごしらえをし、外城田駅に向かう。10時21分に到着し、 身支度を整え、最終回の歩行をスタートする。
昨日の台風の影響で、湿度は100%あろうかと思う程の蒸し暑さだ。水分補給を怠らないようにしようと話しながら、前回の旧街道に 向かう途中、踏切でカメラを持つ人を見る。何か特別な列車が走るのかなと思いながら、旧街道に戻る。
こんもりと茂る里山には見慣れた「おいせまいり」の白い道標が吊るされ安心する。里山の中に祀られているであろう「朝久田神社」の 周辺を通り、田圃道に向かう。曲がり角に注意をしながら、緑一面の田圃道を進む。蒸し暑くて汗が噴き出してくる。

おいせまいりの白い道標

朝久田神社の里山

緑一面の田圃


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

淡々と田圃の広がる道を進む。山側にはため池があるようだが、藪で遮られて見ることが出来ない。「山の神」を祀る小さな石碑や 「常夜燈」もあり、旧街道であることが分かる。
道角にきれいに掃除された「供養地蔵」が祀られている。文化9年(1812)から、地元の方々から信仰されていたのであろう。しばらく進み 広い道との角の草むらの中に「はせ街道・道標」が立つ。「道標地蔵」があるそうだが、見つからず、説明を読むと盗難にあったとか。

山の神

供養地蔵

はせ街道・道標 説明


田丸神社

田丸の街並みに入って行く。
ここには1336年北畠親房・顕信父子が南朝義軍の拠点として砦を築いた「田丸城跡」があるが、今回はパスする ことにする。
広い道を右に曲がり進むと「田丸神社」のこんもりとした森が見え、「不動堂」が迎えてくれる。
大きな「常夜燈」と鳥居・長い石段が立派な神社の風格を表している。石段を上ると思ったより質素な「本殿」が鎮座し、参拝する。
色々な神社が合祀されたそうで、「天神さん」の牛が祀られたり、「筆塚」が立っていたりと。
細かな雨が降って来たが、蒸し暑い静かな境内で一息入れる。(11:50)
階段を降り、真っ直ぐに進み、右に曲がると、かっては京口橋と呼ばれ、橋のたもとに大門が設けられていた「玉城橋」を渡る。橋の上 からは「蓮の葉」が生い茂った池が見られ、蓮の花を探すが、数個の蕾しか見つけられなかった。
次の熊野街道と伊勢本街道の分岐点の「道標」に向かうが、道を間違えてウロウロと。少し行き過ぎていたようだ。市街地の道は迷い易い。

田丸神社・常夜燈と鳥居

田丸神社・筆塚

玉城橋の蓮


道を訪ねながら、やっと熊野街道と伊勢本街道の分岐点の「道標」に到達した。
この「道標」は懐かしい思い出がある。「熊野古道・伊勢路」を 「伊勢神宮」から歩き始め、この「道標」から「伊勢路」に向かったのだ。2003年12月だったので、8年も前になるのだと。
この「道標」の元の「道標」は田丸城跡の中学校の校庭に保存されているので、見に行ったことも鮮明に覚えている。
道角の鰻屋さんが店先で鰻を焼いている。良い香りが辺り一面に立ち込め、思わず立ち寄って話す。田丸駅前に当時はなかった「熊野古道 参拝者像」が建っていることをサイトで見ていたので、駅への道を聞き、田丸駅に向かうと、駅前に目的の像が建っていた。
改めて、この田丸駅に到達した時のことを思い出し、「熊野古道」と「伊勢本街道」の交叉点・分岐点を再度踏破した想いを深くした。

熊野街道・伊勢本街道の分岐点道標 説明

元の道標

熊野古道参拝者像 説明


田丸駅が人で一杯になっている。何事かと近くの人に聞くと「参宮線開通100周年記念号」が停まっているとのこと。外城田駅近くの 踏切で撮影していた人はこの列車を狙っていたのだと理解する。
ホームでもたくさんの人が記念列車を撮影している。我々の「伊勢本街道」到達記念日に、記念列車と遭遇する幸運に恵まれたことに 感謝し、記念撮影をする。ホームには田丸のマスコット人形も出迎え、賑やかなのに驚く。列車は満員で、記念列車を楽しんでいるようだ。(12:05)

田丸駅

参宮線開通100周年記念号

マスコット人形


思わぬ記念列車と遭遇し、気分良く「伊勢神宮」に向かう。この街道は、「熊野古道・伊勢路」で歩いた道を反対に進むのだが、 やはり記憶から薄れている。ただ、真っ直ぐに進むのだとの記憶は合っていたが。
少し涼風が感じられ、真っ直ぐな道を進むと、街道筋であることを示す「常夜燈」が立ち、JRの踏切を渡って向かうと広い緑地帯があり 東屋が建っている。お腹も空いて来たが、食べる処もないので、ここて一息入れ、お菓子などを食べる。亀山で蕎麦を食べて 置いて良かったと話し、次に見つかった食堂で昼食にしようと。(12:50-13:00)

常夜燈

JRの踏切

緑地帯の東屋


いよいよ宮川に近付いて来た。その堤の下に「尾崎咢堂記念館」の洋館が堂々と建っている。前回歩いた時は工事中だったが、立派な 建物だ。庭園の中を少しのぞいて、宮川の堤防に上る。
この辺りは「柳の渡し」が設けられていた場所で、対岸まで渡し船で渡り、「伊勢神宮」に向かったのだ。宮川は昨日の台風の影響で 濁った水が川原一杯に溢れている。この水量・水流だと、渡し船は欠航していたであろうと話しながら、度会橋を渡る。橋の上から 見ても、流れが速いことが分かる。

尾崎咢堂記念館 胸像

柳の渡し跡

渡会橋



「JR外城田駅〜渡会橋」の「紀行スライドショー」

渡会橋を渡って伊勢市内に入る。いよいよゴールは間近だ。
橋を渡った所から右手に坂を下って行く。広い道に出て、「筋向橋」の位置を歩いている方に確認して進む。途中に「かつ丼」の旗が 掛かっている食堂を見つけるが、開いていないので昼食はNG。「筋向橋」の前に有名なお菓子屋さんがあり、そこで葛饅頭を買い、 虫養いとする。

筋向橋 説明

江戸からの参宮街道と合流地点となる「筋向橋」き欄干だけの珍しい橋だ。
参宮街道と伊勢本街道・熊野街道が合流した所で、山田の玄関口でした。
江戸と山田の距離は江戸日本橋からこの筋向橋までを里程としていた。道に対して斜交いに木橋が架けられていたためこの名が 付けられました。
下を流れる清川が暗渠になっているため、昔を偲び形だけの欄干がコンクリートで作られています。
擬宝珠は嘉永2年(1849)の銘があり昔からのものです。(山田の世古HPより)
旧街道が合流した道を「外宮」に向かう。「げぐう」と思っていたが、道路標識には「げくう」と濁っていない。新発見だ。
広い道だが、両側には由緒ある建物が残っている。古い歯科医の建物、「神宮文庫の表門」、漢方薬の老舗「小西万金丹」の建物が 連なっている。
お腹も空いているので、何処かに食堂はないかと探しながら「外宮」に向かう。「外宮」の前に「鰻屋」が開店しているので、 少し贅沢だが、「伊勢本街道」到達のご褒美として、まち今日は丁度土用の丑の日なので奮発することにする。
「喜多や」さんは有名な店の様で、店内は満席だ。鰻丼を注文し、土用の丑の日を堪能する。美味しかった!!(13:50-14:25)

神宮文庫の表門 説明

小西万金丹の建物

鰻丼


外宮・正宮

お腹も満ちて、「外宮」に参拝する。
豊受大御神(とようけのおおみかみ)をお祭り申し上げる豊受大神宮は、内宮(ないくう)に対して外宮(げくう)とも申し上げます。
雄略(ゆうりゃく)天皇は、夢の中で天照大御神のお教えをお受けになられ、豊受大御神を丹波(たんば)の国から、内宮にほど近い 山田の原にお迎えされました。今からおよそ1500年の昔のことです。
豊受大御神は御饌都神(みけつかみ)とも呼ばれ、御饌、つまり神々にたてまつる食物をつかさどられています。このことから衣食住、 ひろく産業の守護神としてあがめられています。 (伊勢の神宮HPより)
静かな境内に参拝する。緑の木々が息遣いを優しくしてくれる。舗装道路の歩行ととは大いに違った気持ち良い歩みだ。
参詣者は思ったより少なく、静かな参道の玉砂利の音を聞きながら「正宮」に向かう。ここは撮影禁止なので、写真は写せず、静かに 「伊勢本街道」の無事到達を感謝して礼拝する。
一つの目的を達し、次の「内宮」に向かう。

外宮・参道

参道と鳥居

緑の境内


「外宮」前の観光案内所で、「内宮」への道を確認し、地図を貰い歩き出す。街中の道は迷い易いので、再確認したが、早速方向が 分からなくなり、目印まで戻ったりと。
近鉄のガードをくぐって進むと「小田橋」が架かっている。歴史のある橋の様だが、説明書もパスして、緩やかな上り坂を進む。 舗装道路の歩行が続くので、段々と足腰に疲労が蓄積されて来る。 古市の街並みに入る。この辺りは江戸時代歓楽街として賑やかであったらしい。「お伊勢参り」を済ませた信者(?)が当時の江戸・吉原、 京都・島原と並んで三大遊郭(or大阪・新町、長崎・丸山と合わせて五大遊郭)の一つとして「古市遊郭」で遊んだことは「東海道中膝栗毛」 でも登場していると。
「油屋跡」「芝居小屋跡」の石碑を見て、当時の繁栄を想いながら坂の頂上に到達する。芸能の神様として俳優さんが参拝する 「長峰神社」の鳥居を見て、坂を下り始めると立派な「雨宮常夜燈」が2基迎えてくれる。

小田橋 説明

長峰神社

雨宮常夜燈


牛谷坂

猿田彦神社

長い「牛谷坂」を膝がガクガクなっているが、快調(?)に下る。
小雨が降り出したが、傘を差す程でもないので、坂道を惰性で降りて行く。
下り切った所に「みちびきの大神」として、万事最も善い方へおみちびきになる「猿田彦神社」が鎮座する。
境内には縁結びの神様も 祀られていて、若い女性の参拝者も多い。
本殿に参拝し、いよいよ最終コーナーを廻った感じで、交叉点を渡り、「内宮」に通じる「おかげ横丁」に進む。
「おかげ横丁」に入ると急に人通りが多くなり、進むに連れてその数は増して来る。小雨が降っているが、ゾロゾロと観光客がお土産屋さんを のぞいている。
「五十鈴郵便局」の古風豊かな店構えを見たり、海産物屋さんの干物を焼く匂いを楽しみながら進む。お土産に「赤福」を買おうと 本店に行くと、何とお土産用は売り切れで、店内で食べるだけだと。本店で!?。後で考えると、土用の丑の日なので、あんころ餅を 食べる習慣があるので、土産用は売り切れたのであろうが、残念だ。

おかげ横丁

郵便局

赤福本店


内宮・正宮

「おかげ横丁」を通り抜けて、五十鈴川に架かる「宇治橋」に到達する。
小雨が降り、ゴール地点の天候としては薄暗くて残念だ。快晴の下、堂々と渡りたかったが止むを得ない。
皇大神宮(こうたいじんぐう)は通称「内宮」とも申し上げ、神路山・島路山を源とする五十鈴川の川上に鎮座された『日本人の総氏神』 です。
ご祭神は、皇室の御祖先の神である天照坐皇大御神(あまてらしますすめおおみかみ)。
このご神名はお祭りに際して神前で畏まって 称え申し上げる最高のご名称で常には皇大御神や天照大御神と申し上げています。
天と地の続く限り、瑞穂の国が栄え行くために、皇大御神は高天原でご自身がおつくりになっている 田の「稲の種」を手渡されました。米をつくるくらしが、この国の繁栄と平和をもたらすとお教えになられたのです。 (伊勢の神宮HP他より)
宇治橋周辺は参拝者で一杯で、高校生に頼んで、「伊勢本街道」達成の記念撮影をしてもらう。多少疲れているが、暑さの中、170kmを 歩き通した達成感が感じられるか!?
雨が激しくなって来た。参道を急ぎ足で歩き、「五十鈴川の御手洗場」で清める。O君も小学校の修学旅行で「伊勢神宮」に参拝した時、 この五十鈴川で手を清めたことは鮮明に覚えているが、他のことは忘れていると。小生も全く同じで、ここで手を清めたことは良く 覚えている。
雨足が激しくなったので、木陰で傘を出し、差しながら「正宮」に向かう。
傘を片手に持っているたので、気付けば写真を写していなかったが、「正宮」の前で、記念撮影をしただけだった。「正宮」に長かった 「伊勢本街道」紀行の無事到達を感謝して参拝する。(16:20)

宇治橋

伊勢本街道達成の記念撮影

五十鈴川の御手洗場


雨の中の参拝だったが、170kmを歩き終えた満足感は何にも変えられないものだ。

旭湯

境内を宇治橋まで戻り、伊勢駅まで戻ることにする。シャツは汗と雨で濡れているので、銭湯に行こうとネットで検索していた所に向かおうと。
しかし、駅から離れているので、タクシーで銭湯に行き、入浴後、駅まで歩くことにする。
タクシーの運転手に「旭湯」が駅に一番近いかと確認し、乗り込む。大阪から歩いて来たと話すと驚いておられ、風呂上がりの居酒屋を 教えてもらい「旭湯」に到着する。
まだ、時間が早いので誰も居ない湯船で、足腰を伸ばして疲れを癒す。汗を流し、ぼんやりと湯船の上を見ると男湯と女湯の境の壁に 夫婦岩の絵が描かれ、男湯と女湯に綱が渡されているなかなかの趣きのある銭湯だ。さすが伊勢だ。
駅への道を確認し、タクシーの運転手に教わった駅前の居酒屋で達成の乾杯をする。美味い!! 居酒屋の親父さんやお客さんと「伊勢本街道」の話を肴にビール・焼酎とお奨めの料理を堪能する。気分も良く、楽しいお酒だった。

「渡会橋〜JR伊勢駅」の「紀行スライドショー」

19時45分発のJRで戻ることにする。ガラガラの車内で接続の時間を確認していると、亀山の到着時間が1時間間違っていたことに気付き、 今日中に帰れるか慌てる。O君がネットで確認してくれるとどうにかO君も帰れることが分かり一安心。申し訳なかった。
亀山で乗換え、柘植駅でO君と別れて24時前に帰宅する。

今年の1月5日に北浜の「里程元票跡」を出発し、8回・9日間の日程で、約170kmを踏破することが出来た。道にも欲迷ったが、 自然の道、史跡、地元の方々と楽しみながらの旅で、古人の苦労を感じた次第だ。
ひとつの旧道を初めから順番に踏破して行く行程は、何物にも代えられない達成感と満足感を味わわせてくれる。今回は一人旅でなく 小学校以来の友人O君と小学校の修学旅行で訪れた伊勢への旅だったので意義深い紀行だった。
次は二人で「鯖街道」を小浜から京都に向かおうと話して旅の終わりとした。今日の歩行歩数は38000歩だった。
なお、歩行距離は一般に云われている約170kmに合わせて表示しているので、誤差があることはご勘弁を。






    
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