「鯖街道見聞録」


[一日目][二日目]




○ はじめに

「鯖街道」紀行は、以前「青春18きっぷ」の 「敦賀・小浜散策」で小浜を訪れた時、「鯖街道・出発地点」の標識を見て、何時かは歩きたいと考えていた旧街道だ。
今年の1月から8回9日間で「伊勢本街道」を小学校以来の友人O君と踏破し、次の目標を話している時に「鯖街道」が候補に上がり、 具体化することになった。しかしながら、「京は遠(とお)ても十八里」と云われている「鯖街道」を1泊2日で歩くのは、我々の足では 困難だ。1日九里(36km)の山道・峠越えは無理なので、上手く交通機関を利用して、途中1ケ所しかない民宿に泊まる手立てを検討する。
サイトで調べていると、小浜観光協会が地図の請求に応じて、送付してくれるとのことで、お願いすると「鯖街道地図(概要図)」等を 送っていただき、準備は整った。

小浜市のHPには「鯖街道」について下記の様に記されている。
鯖街道ルート図  (小浜観光協会にて入手)
近年、鯖街道という言葉がしきりに聞かれます。若狭湾で取れた鯖に、一塩して、夜も寝ないで京都まで運ぶと、ちょうど良い味になって いた、とよく言われます。この道は、単に鯖ばかりを運んだ道ではありません。多種の海産物や北前船から陸揚げされた物資も、 盛んに輸送されました。
鯖街道の実質的な起源は、極めて古く、はるか千二百数十年昔の奈良の都、平城宮の跡から発掘された木簡に、 若狭から送られたタイの鮓を始め、既に十種に近い魚介(貝)の名が見えています。また、塩を送った多数の荷札が見出されており、 鯖街道は、まさに塩の道でもありました。
さて、鯖街道とは、決して単に、小浜と京都を結ぶ一本の道のみを意味しません。若狭湾岸の幾つかの地点から、多数の道が、 京都へ、遠くは奈良へ飛鳥へ、さらには丹波の篠山などへと通じていました。日本海の幸を送る通称鯖街道は、大陸などの文化をも届け、 また、都から幾多の文化を、この地方に招来しました。優れた仏教美術の存在を始め、今も若狭には、雅の言葉が残るといわれ、 都人の教えを受けた詩歌や、多くの芸能の伝わることも、その証といえましょう。 (小浜市HPより)


○ [第1日]、小浜〜久多(2011/08-31)

日程を決めてから、天気予報に注意していると、台風12号が北上しているが、関東地方に曲がって行くとの予報で、大丈夫だと判断し、 民宿を予約して実施することにする。
小浜での前泊をしないため、O君は始発で出発し、大阪廻りで京都駅で待ち合すことにする。京都6時59分発の湖西線の電車で 無事合流し、車内で最終打合せをする。
小浜に着いて、「鯖街道・出発地点」を確認し、時間節減のため、バスで遠敷(おにゅう)ま出戻り、県道を歩き始め、林道・山道を上り、 根来坂を越えて、小入谷からバスで民宿の近くまで進む予定としている。標高差も700m余りあり、 小入谷発17時18分のバスに乗らないと大変だと厳しい行程を確認する。
海産物の干物
8時03分近江今津に到着し、8時15分発のJRバスで小浜に向かう。途中、「鯖街道」のルートの一つである「熊川宿」の近くを通るが、今回 我々が進むのは「針畑ルート」と云われる京都までの最短ルートを歩くことにしている。
小浜で獲れた鯖に塩をふり、京都まで運ぶ間に丁度 良い塩梅になるために「鯖街道」と云われた由来の道だ。
今回進むルートの分岐点・遠敷を通過して、8時15分に小浜駅に到着する。観光案内所で同じ地図をgetして、急ぎ足で「いずみ町商店街」の 道路に埋められた「鯖街道・出発地点」の標識を確認し、出発する。
横の「鯖街道資料館」をさっと見て、駅に戻る。商店街には「焼鯖」が串に刺され売っている。海産物の干物も吊るされ、漁業の町小浜を 表現している。
駅への商店街に当時話題になった垂れ幕が張られている。オバマ大統領就任時、同じ「OBAMA」で祝電を打ち、歓迎の意を示す 「Ilove OBAMA」の垂れ幕だ。
鯖街道・出発地点の標識
鯖街道資料館 説明文
OBAMAの垂れ幕

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

駅に戻り、駅の売店で昼食用の「焼鯖寿司」を買い、9時55分発のJRバスで、先程通過した遠敷まで約4km戻る。
10時05分、遠敷から「鯖街道」紀行をスタートする。天気はギラギラの暑い日だ。台風の進路が関西に向かっているとのことだが、まだ その影響はなく、蒸し暑さが堪える。
緩やかな県道の坂道を上って行く。しばらく進むと「若狭姫神社」の鳥居が立ち、見事な杉が茂っている。「千年杉を育む御神水」で 有名な名水が流れているのだと。時間の都合もあり、鳥居の前で参拝し、次に進む。
周辺の田圃の稲穂は、少し色付き稔りの穂を垂れている。のどかな光景を眺めながら、陰を見つけながら上って行く。山裾に鳥居が 見られる。先程の「若狭姫神社」と対をなす「若狭彦神社」だ。
両神社は「若狭一の宮」で、上社を「若狭彦神社」、下社を「若狭姫神社」と呼ばれ、「若狭彦神社」は和銅7年(714)に創られ、 霊亀元年(715)現在の地に遷社されたと。
若狭姫神社
色付く稲穂
若狭彦神社

陽射しが段々と厳しくなって来る。県道は陰もなく下からの照り返しもきつい。
少し先に「森林の水PR館」があるので、そこには冷たい水があるだろうと歩を進めるが、休館で水飲み場も見当たらず諦めて進む。
右手に山門が見え、それが「神宮寺」と分かり、立ち寄ることにする。
神宮寺・本堂 説明
若狭一の宮の神願寺として成立、縁起によれば元正天皇の勅命により和銅7年(714)に泰澄大師の弟子沙門滑元の創建したといわれています。
本堂は、室町時代末期、天文22年(1553)越前守護朝倉義景が再建しました。大きさは間口14.34m、奥行き16.60mです。
仁王門は、神宮寺北の玄関口で、間口6.37m、奥行き3.64m、棟高5.5mで8本の柱の上にこけらぶきの屋根がのっていました。 両端に安置されている木造金剛力士像には、至徳2年(1385)の墨書がみえます。
毎年3月2日、奈良東大寺二月堂に香水を送る「お水送り」神事を行っています。若狭では、お水送りが終わると春が訪れると いわれています。(小浜市HPより)

県道を離れて「仁王門」に向かう。両側には立派な「仁王様」が睨みをきかし、桜並木の参道を進み、本堂に向かう。
受付の横に 清水が溢れているので、顔を洗い、頭から水を被る。冷たくて気持ち良く、生き返ったようだ。
受付の説明文を読むと奈良東大寺二月堂の「お水取り」の香水はここで採取して送るとのことで、若狭と奈良を結ぶルートとして、 「鯖街道」が当時から機能していたことを理解すると共に、「お水取り」のルーツを知ることが出来た。(10:40-45)
左・仁王像
仁王門
右・仁王像

本堂の参拝はパスし、気分新たに県道に戻り、緩やかな坂を上り始める。
鵜の瀬 説明
今夜、宿泊する久多の民宿・久乃屋に出発したことを報告するが、留守の様で、留守電に報告して置く。
県道は遠敷川と並行して上るようになり、水の流れの音で少しは涼しさを感じるが、暑さは厳しくなる。川の中州が広がる所が 「鵜の瀬」で、「神宮寺」の「お水送り」神事が行われる所だ。
奈良東大寺二月堂のお水取りは全国にも有名な春を告げる行事ですが、修ニ会の「お香水」汲みがその行事です。
その「お香水」は、若狭鵜の瀬から10日間かけて二月堂「若狭井」に届くといわれています。
毎年3月2日に、お水取りに先がけて行われるお水送りは奈良と若狭が昔から深い関係にあったことを物語る歴史的な行事です。 (小浜市HPより)

鳥居をくぐって河原に降りる。遠敷川の水は澄んでいてきれいだ。この水を奈良まで送るのだと思うと、古人のロマンを感じる。 何故、ここ若狭から奈良なのだろう?
子供が数人、水着で水遊びをしている。気持ち良さそうなので、顔を洗うが、水は生ぬるくて気持ちの良いものではなかった。 (11:15)
再び川沿いの県道を進むと曲がり角の側壁に大きな「鯖街道の壁画」が描かれていて、「鯖街道」の文字を見て間違いない道だと確信する。 今まで、「鯖街道」の道標は見当たらなかった。
鵜の瀬の河原
石燈籠
鯖街道の壁画 拡大

川沿いの道は日陰かなく、時々水を飲みながら上って行く。ウネウネとした道は単調で、川の流れがないと退屈な道だ。
「八幡神社」の鳥居を過ぎて、下根来に入ると、道端に「鯖街道休息場所」と書かれた看板の下に、用水があり、水が少しだが流れ落ちている。 リックを置いて、水を掬って顔を洗い、頭に水を浴びるが、余り冷たくないのは残念だ。緩やかな坂を上り、木陰になっている道端で休憩する。 (11:40-45)
川沿いの道
八幡神社
鯖街道休息場所

舗装道路の山側の壁面に、時々「地蔵尊」が祀られている。「中山道」のように「馬頭観音」はないが、道中の安全を願ったのだろう。 少し上ると立派な木造の祠が建ち、「谷口地蔵尊」と。それぞれの集落毎にこのような祠が祀られているようだ。
勾配がきつくなり、道幅も狭くなった川沿いの道を上る。前方に大きなダムが見え、上って行くとダムの上に出る。水は溜まっていなかったが、 貯水ダムだろう。
谷口地蔵尊
道幅の狭い川沿いの道
貯水ダム

12時も過ぎ、そろそろ昼食にしたいが、河原に降りて食べようと場所を探しながら坂を上って行く。「中の畑地蔵尊」の祠の前から、 川原に降りて、岩の上で弁当を広げる。
「焼鯖寿司」の香りはなかなかのもので、水のせせらぎの音を聞きながら、疲れを癒す。先程から、タンポポではないが、背の高い草の 種がたくさん飛散していて、うっとおしい。生命力が強いなぁと話しながら昼食を食べるが、食欲はあまり進まない。(12:35-55)
「鯖街道」は遠敷川から離れて上根来の杉木立の静かな道を上って行く。「上根来山の家」らしき建物を見て、蛇行する道を上り切ると 古い民家が建ち、その前のベンチで一息入れる。(13:25)
焼鯖寿司
杉木立の道
古い民家


「鯖街道1日目@」の「スライドショー」

県道はここまでなのか、砂利道の林道に進む。
鯖の形をした鯖街道・道標
広い牧場の様な草原を見下ろしながら進むと昔、牛か鶏を飼っていたと思われる牛舎・鶏舎が見られる。
川を渡り山沿いに進むと鯖の形をした「鯖街道・道標」が山道を示している。
本格的な道標を初めて見て、いよいよ山道・峠越えに向かうのだと気を引き締める。
牛舎・鶏舎跡?
今回の計画段階で困ったのは詳細な地図や目印がなく、距離感が分からない点だった。先達の旅行記で時間を記入しておられる方の健脚度・ 所要時間から予測しなければならなかった。平均年令68才の7人グループの方の旅行記を参考にし、ここまではほぼ予定通りの時間で来ている。
この山道を上り、林道まで1時間の予定であれば、予定しているバスに乗れると目算し、山道に進む。(13:45)

舗装道路・砂利道から初めての地道で足には嬉しい。しかし、スタート直後から、山道の勾配は厳しく、ペース配分に注意しながら上って行く。 初めは快調に上っていたが、その中に息切れがして来て、水を飲んだり、塩飴をなめたりと小休止を繰り返す。
途中の目標物もなく、ただ1時間で林道まで上らねばならないと焦りもあり、疲労度が増す。上方が明るくなれば、林道かと期待し、 裏切られることが何度もあり、坂道・尾根道・坂道とひたすら上る。
やっと地図にある「ゴザ岩」らしき岩を見て進むとやっと砂利道の林道に出た。1時間5分と少しタイムオーバーしたが、疲労度はそれ以上に 激しい。(14:50)
急な山道
尾根道
ゴザ岩

林道に到着し、水を飲んだ後、直ぐに林道を上って行く。山道の勾配に比べると緩やかだが、砂利で歩き難い。
少しづつ息の乱れを落ち着けるように深呼吸をしたり、風景を眺めたりと体調を整えるが、心肺機能はなかなか良くならない。
再び、山道に入る道標が見えて来たので、一息入れることにする。
到着した林道
山道への上り口
林道に腰を降ろし、水を飲み次の行程に備えていると、両足のふくろはぎに 違和感があり、軽いこむら返りの症状が出たので、足を引っ張りたり、マッサージをしたりと。(15:05-10)
少し落ち着いたので、意を決して山道に挑む。しかし、少し上った所で、再び、足の調子がおかしい。どうしょうかとO君と相談し、 山の中で動けなくなるといけないので、林道を迂回することに決め、元の林道に戻る。
残念だが、「鯖街道」紀行はこの時点で断念せざるを得ない。O君には本当に申し訳ない。
林道で休憩し、O君がリュックを持ってくれ、足を引きづりながら林道をゆっくりと進む。民宿に電話して、迎えに来てもらえないか頼もうと 話しながら進むが、携帯電話の電波が入らない。
砂利道の林道が舗装に変わり、「鯖街道」から迂回して進む。この山の上の道を進んでいるのだと思いながら進み、再び休憩し、舗装道路の 上で寝転がっていると少し眠ってしまう。(15:45-55)
携帯の電波を確認すると2本立っている。民宿に電話し、足を痛めて林道を進んでいるので、迎えに来てもらえないかとお願いすると、息子 さんがOKとのことで、お願いする。助かった!!
足を引きづりながら、林道を下っていると、視界が広がり、日本海が望まれ、小島が海に浮かんでいるのが見られる。小浜方面なので、 あそこから来たのだと思いながら林道を進む。ガードレールが上に向いて壊れている。多分、雪が深くて谷側に壊れたのだろうと話しながら 進む。
林道が迂回する所に立派な「おにゅう峠」の碑が建ち、「高島トレイル」と書かれている。O君は高島市のボランティア活動にも参加していて、 「高島トレイル」も歩いているそうで、何時かここにも来るのかと。
日本海を望む
壊れたガードレール
おにゅう峠の碑

林道は迂回して、日本海側から内陸方向に向かう。山々の峰が折り重なり、山深い様子が良く分かる。足の調子が回復し、リックも自分で担ぎ、 林道を進むと土砂崩れで、車は通れず、人が抜けるだけの細い道が付いている。
土砂崩れの向こう側はきれいな舗装道路になっていて下り坂を進む。民宿から電話が入り、息子さんがそちらに向かったが、土砂崩れで 行けず、戻って来たと。経った今、その場所を通過して下っていると話すと、もう一度行くと。有難いことだ。
「鯖街道」の「根来坂峠」はこの上の方だと思いながら舗装された林道を下ると、下に続く林道が尾根伝いに走るのが見られ、「鯖街道」が 少しだけ林道と合流する所と出会う。道標もないので、ここだろうと推測して下ると「焼尾地蔵祠」があり、道が間違っていないことを 確認出来、一安心。息子さんの携帯と連絡が取れ、こちらに向かってくださると聞き、気分を新たに下る。
土砂崩れ
下に続く林道
焼尾地蔵祠

先程、上から見ていた林道を下っている途中で、民宿の息子さん運転の車に出会い、感謝・感謝で乗せていただく。
民宿・久乃屋
土砂崩れの場所まで行き、呼んでいただいたそうだが、返答がなく戻ったと。携帯の電波が届かないので、届く場所まで戻って交信すると 何度も往復して頂いたようだ。申し訳ない気持ちでお礼を云う。
「鯖街道」の小入谷登山口のバス停の前を通る。17時18分のバスに乗らねばならないのが、17時40分と大幅に遅れている。
ここから久多の 民宿までも17kmあるので、迎えがなければ、大変なことになっていたのだ。車でも20分程掛かり、18時過ぎに、やっと民宿・久乃屋さんに 到着した。息子さんに大感謝して、民宿に迎え入れてもらう。
立派な民宿で、今日は我々2人だけなので、大広間に通してもらう。
廻り廊下の戸は開け放たれ外気がそのまま入って来る純日本風の 座敷に荷物を置き、早速風呂で疲れを癒す。
今日の疲れを取ってしまおうと足をしっかりとマッサージし、塗り薬をたっぷりと塗る。
食卓には地元の鮎や山菜料理が並べられ、早速ビールで乾杯。申し訳なかったとのお詫びを込めて、改めて乾杯。美味しい!!
夕食
鶏すき
女将さん・若女将さんと話しながら夕食をいただく。息子さん(若旦那)も一緒にと誘うが、飲み過ぎるとのことで来ていただけなかったが、 感謝の気持ちで、焼酎もいただく。
鶏すきが用意され、地鶏のすき焼もしっかりといただいている中に、疲れもふっ切れたようだ。
美味しい夕食を終え、明日の作戦会議をするが、どうも雨が降りそうだ。最終は明日の朝の天気しだいにすることにするが、計画では 「オグロ峠」越えで「花背峠」まで行き、15時08分or17時42分のバスで鞍馬・出町柳に向かうことにしている。
今日は残念な結果に終わったしまった。「熊野古道」「中山道」「伊勢本街道」紀行時でも、体調が悪くなったことはあったが、少し 休憩することで、大幅な計画変更することはなかった。今回は、バスの時刻に間に合わせなければならないとの時間的制約と道標的な 目標物がなかったので焦りが原因だろう。心肺機能の悪化から足の筋肉にきたのは残念だ。
何時かリベンジしなければいけないなぁと話しながら眠ってしまう。

「鯖街道1日目A」の「スライドショー」


[一日目][二日目]






    
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