○ 「中国街道No1」見聞録(大阪〜甲子園)・(距離 22.7km(今回)/ 84.4km(累計))

  1.大阪・里程元標跡〜甲子園・(22.7km) 2012.01.20 9:55〜16:50 曇り


西国・山陽道全行程.Map

「大阪・里程元標跡〜甲子園・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

「西国街道」の京都〜高槻〜西宮神社までを新春の初紀行で踏破した。次の行程として西宮〜下関の「山陽道」に進むのだが、昨年の 初紀行「伊勢本街道」のスタート地点である大阪・高麗橋の 「里程元標跡」に「中国街道」の起点とも示されていた。
「伊勢本街道」を一緒に歩いた小・中・高校の同級生O君も「山陽道」から「山陰街道」「萩往還」に興味があるので、昨年のスタート地点から 同行し、伊勢神宮と「山陽道」を結ぶ行程を企画した。
中学校同窓生有志の同窓会が夕方からあるので、その前に「中国街道」紀行をスタートすることにし、10時に北浜駅で待ち合わせする。

里程元標跡

新年の挨拶をして、少し冷えて寒い中、「里程元標跡」に向かう。1年前も1月に訪れた場所で、写真を写して「中国街道」スタートとする。
江戸時代の里程計算の起点は、高麗橋の東詰にあった。ここが京街道・中国街道・紀州街道など諸国への道のり、車馬賃の起点となった。 明治9年道路の制度公布によりひきつづき里程計算の起点となり、高麗橋の東南詰に元標がたてられた。 現在は道路元標として梅田新道交差点西北角に移されている。 また高麗橋は、江戸時代から公儀橋のなかでも重視され、西詰には町奉行所の制札場があった。(大阪市・歴史散歩道HPより)
元来た道を戻り、堺筋を進むと思っていたが、先達の方の地図ではその西の筋を北に向かう。この道は初めて通ったので、「大阪美術倶楽部」の モダンな建物を見て、ライオン橋として有名な「難波橋」を渡る。
ここから本来の「中国街道」から離れて、中之島公園を通って、梅田新道の交叉点に向かう。
「山陽道」の詳細な行程は未確認だが、基本的には国道2号線沿いに進むと考えられるので、現在の「里程元標」でもある国道1号線・2号線の 起点である梅田新道交叉点の「大阪市里程元標」を確認したいと。
土佐堀川を渡って、「中之島公園」を抜け、「中央公会堂」へのレンガ建ての道を進む。今月末の大阪マラソンはここを走るのだと話しながら。 堂島川を「水晶橋」で渡って、裁判所横を国道1号線に向かい、西の梅田新道交叉点の陸橋を渡る。何処かに「大阪市里程元標」があるのだと 探すが、上からは分からない。

難波橋 土佐堀川

中央公会堂 水晶橋

梅田新道交叉点


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

大阪市里程元標 説明

梅新交叉点の周辺を探すと北西の芝生の中に金色に輝く「大阪市里程元標」を見つける。北浜にあったものがここに変わったのだと。
大阪市北区梅田1丁目にある道路元標。道路元標は、現在の道路法では道路の付属物となっているだけで起終点とは関係なくなって しまったが、この大阪市道路元標は重要国道の起終点となっている梅田新道交差点にある。
東からは国道1号の終点、西へは国道2号の起点、南からは国道25号の終点、北からは国道176号の終点となる。 四方に異なる国道が出ているのはここだけだそうだ。(Road to Road HPより)

ここが、国道1号・2号の分岐点で2号線は下関と思っていたが、説明では北九州市までだそうだ。いつか、その地点にも訪れたいものだと。
これからは国道2号線と並行に進むだろうと思いながら、本来の「中国街道」に戻る。近松門左衛門の「曽根崎心中」ゆかりの地である 「お初天神」(露 天神社)の境内を抜けて、時々訪れる立ち飲みバーの 前を通って、「太融寺」に向かう。境内に入ると「淀君の墓」が祀られている。こんな所に祀られているとは知らなかったが、歩いていると 知識が増えるのだ。
扇町線を越え、夜だと賑やかな阪急東通りを抜けて、進むと「綱敷天神社」の鳥居が迎えてくれる。境内には天神さんに因んで大きな「筆塚」が 祀られている。

お初天神

淀君の墓 太融寺

綱敷天神社 筆塚


狭い道を抜け、都島通り渡り、環状線の高架下を抜けると道を縫って進む。旧街道の道とは思えない複雑な道なのは仕方がないだろう。 少し間違っている道かもしれないが、「道引地蔵堂」が祀られているので、旧街道だと思いながら、新御堂筋・JR東海道線を抜けで 茶屋町近辺に進む。
まだ昼前なので静かな街中を通り、JR貨物の高架下に向かうと「元萩之橋」の古い石碑が立ち、その先の高架下を抜けて、阪急の高架を抜けて 十三筋の中津浜交叉点に出る。

道引地蔵堂

元萩之橋の石碑

JR貨物の高架下


常夜燈 道標

淀川の堤防に上ると立派な「常夜燈の道標」が立っている。淀川を見下ろすような高さで、常夜燈の礎石には「池田四里 伊丹二里半 ・高麗橋一里」と刻まれている。高麗橋の「里程元標跡」から一里歩いたのだと。
風がなかったので、淀川を渡るのは苦にならなかったのは幸いだ。水鳥が川面に群れている。淀川大橋を渡るのは学生時代以来だ。のどかな 川を見ながら川を渡り切ると堤の上に「十三渡し跡」の碑が立っている。
当時の淀川は現在と違っているが、それなりに幅が広く、渡るのは大変だっただろうと案内板を見ながら思う次第だ。

淀川大橋

十三渡し跡の碑 説明














そろそろ昼食を食べようと旧街道から離れて、十三の商店街の中の「王将」で昼食とする。(11:40-12:10)
十三の商店街を進み、旧街道に向かう。十三バイパスを進み、十三筋にぶつかって、左に向かう。広い道の歩行は面白くないが、旧街道が 何処なのか注意して歩かねばならない。田川北1丁目の交差点から右に入り、直ぐの道を左に進む。
左右の道の分岐点に「長楽寺」の古い石碑が立ち、左の道を進むと山陽新幹線の高架に当たるが、その下にJRの線路が走っている。こんな所に JRがあるのは認識していなかったので、後で調べると淀川の北側にある新大阪駅と塚本駅を結ぶ路線だった。何か事故があった時に退避する ために敷設されたのかと。三津屋中国街道踏切と記され、丁度、特急の車両が通過するのを目撃する。初めて見る「中国街道」の標識だ。
道なりに狭い道を進むと再び十三筋に三津屋南2で合流し、再び右に折れぐるっと廻るような旧街道を進み、再々十三筋に当たる。また、右の 旧街道も中小企業の工場が密集した大阪の町工場街で、少し進むと、またまた十三筋に当たる。

長楽寺の古い石碑

三津屋中国街道踏切

工場の密集地域


十三筋を少し進み、美津島中学校を過ぎた地点から再び右に折れて細い旧街道に向かう。阪神高速の高架下を抜けて進むと「香具波志神社」 の鳥居が立っている。その先も工場が続くが、1軒趣きのある旧家が残っているので、旧街道だと安心する。
「富光寺」の前を通り、山陽新幹線の高架下を抜け進むと神崎川の護岸堤防に当たる。この辺りから、昔は私がったのだろうが、今は その面影もなく高い堤防が続くのみだ。堤防沿いに進むと「神崎橋」が架かっている。

香具波志神社

趣きのある旧家

神崎橋



「中国街道@」の「紀行スライドショー」

「神崎橋」を渡って尼崎市に入る。昔の神崎川は汚なくて臭くて大変だったが、今は水質も良くなっているようだ。橋の上はやはり寒いが、 水鳥を見ながら渡り、神崎川の渡し跡を探しに上流に向かうが分からない。
地元の方に尋ねると、思っているよりもっと上流で、「金毘羅さんの石灯篭」が立っている。この辺りが船着場となっていて、渡し船と 金毘羅参拝の船着場でもあったのだろう。
旧街道は少し西に進み、再び南に廻るように神崎川沿いに下って行く。十三筋の高架下を抜けると小さな公園があり、その端に大きな 「一心地蔵尊」が祀られている。説明文によると楠正成が一心を込めた戦いで、足利軍に圧勝したと。
その先の少し右に入った所に「西川八幡大社」が祀られている。境内には尼崎藩の領土の教会を示す「尼崎藩領界碑」が立ち、当時の藩の 勢力分布の境界線を示しているのだと。
境内の大きな木の下で一息入れる。(13:35)

金毘羅さんの石灯篭 説明

一心地蔵尊 説明

西川八幡大社 領界碑 説明


神崎川から離れて西に進み、浜小学校のある交叉点を左に進む。道標もないので少し不安だが、東海道本線の高架下を抜けて行くと 「皇大神社」が祀られている。後で気付いたが、本来の旧街道はその少し手前から曲がるようだ。
神社の前を通り、常光寺元町の交叉点を右折して尼崎工業高校の前を通り、尼崎小田高校に向かって左折する。小田高校の前の 緑地帯に沿って右折すると小さな公園があり、その中に「立派な道標」が立っている。中国街道と伊丹有馬道との分岐の道標で 「左 尼崎 西宮」「右 大坂 京道 左 伊丹有馬道」と刻まれている。
道標に従って、左に折れ、狭い旧街道に入って行く。

皇大神社

立派な道標

狭い旧街道


旧街道の雰囲気を残す道を進むと国道2号線に当たるが、分離帯の柵があるので、交叉点で渡り、細い道に戻って進む。県道に合流して進むと 阪神電鉄・大物駅の高架下を抜けて進むと右手に「大物主神社」が鎮座する。境内には「義経・弁慶隠家の碑」が立ち、昔はこの辺りから 海が広がり、港としても発展していたようでここから船出したようだ。
少し進んだ所には「大物橋跡」の石碑が立ち、昔の面影を残している。先に進むと阪神高速と国道43号線の広い道を高架橋で渡る。

大物主神社 説明 隠家の碑

大物橋跡

阪神高速


少し道が分からなくなり、運河に当たり、それに沿って進み、運河を渡り、再び高速道路沿いに戻る。広い道を高架橋で渡って西に向かうと 「貴布禰神社」が鎮座し、その西から北に向かい、阪神電車の踏切を渡る。すぐ西には出屋敷駅がある。
竹谷小学校の角を曲がり、西に向かう。この辺りに道標があるらしいが分からない。琴浦通りを西に向かっていると歩道の一部に「中国街道」の タイルが埋め込まれている。初めて見た「中国街道」の文字にホッとする。その先に「琴浦神社」が鎮座する。

貴布禰神社

中国街道のタイル

琴浦神社


琴浦通りを西に真っ直ぐ進み大庄小学校の先で、右側の細い旧街道に入ると、武庫川の堤に当たる。堤の下には「雉が坂」の 案内板が立つ。本能寺の変発生で、秀吉が戻る時の逸話がこの辺りにも存在するのに興味を持ちながら、武庫川を渡り、西宮市に入る。 前回の紀行ではこの上流を渡って「西宮神社」に向かったのだと思いながら。橋を渡った所で一息入れる。(16:10)
橋を渡った所には「岡太神社」が鎮座し、広い道を西に向かう。

雉が坂 説明

武庫川

岡太神社



「中国街道A」の「紀行スライドショー」

同窓会の開始時間が18時からなので、時間的にも「西宮神社」まで進むのは難しい。甲子園まで行き、今日は終わろうと話して、甲子園5番町の 交叉点から阪神・甲子園駅に向かう。少し時間があるので、駅前の居酒屋でビールで今日の健闘を称えて乾杯。(16:50)
阪神電車で尼崎まで行き、まだ乗ったことのない奈良まで直通になった阪神なんば線で九条駅まで行き、18時からの同窓会に間に合わせる。 有志10数名が集まり、「てっちり」で新年会兼同窓会を楽しみ、22時過ぎに帰宅する。 今日の紀行は22.8km、38000歩だった。寒い時の歩行は筋肉が硬くなり、疲れが増すようだ。






    
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