○ 「山陽道No8」見聞録(備前片上〜吉備津)・(距離 41.2km/ 263.6km) 1.備前片上〜上道・(19.9km) 2012.06.26 9:35〜16:10 晴れ時々曇り
梅雨入りと台風来襲と天候の変化が激しく、本来予定していた日程は延期し、今回は初めての1泊2日の紀行とする。予定した日程は台風の 低気圧が大荒れの状態で、延期は正解だった。 「山陽道」8回目の紀行は遠くなって来るので、格安のホテルを探し、交通費のアップ分をカバーするようにした。天気予報は変動して、一喜一憂 していたが、どうにか雨は避けられそうで安心して出発する。
O君と合流するが、尼崎から加古川まで降りる人がいなくて、彼は座ることが出来ない。姫路でいつものように「駅そば」を食べ、赤穂行に 乗車する。 赤穂での接続待ちが30分とロスタイムは多くなる。岡山行に乗り、備前片上駅到着する。 9時35分、本日の紀行をスタートする。前回通った地下道を抜けて、国道2号線を渡り、旧街道に戻る。 この辺りも旧街道が残っていて、狭い道を気持ち良く進むが、まだ空気も冷たく気持ち良い。立石川を渡ると右に「題目石」が祀られている。 しばらく進むと右に「天神宮」の鳥居が見え、前回の紀行で良く見た備前焼の狛犬が、ここにも鎮座している。地域に密着した狛犬だ。
旧街道は、国道を斜めに横切り、JR赤穂線の踏切を渡る。
法鏡寺の門前に「藤原審爾住居跡」と書かれた案内板があり、 「藤原家は大庄屋であった 秋津温泉は出世作となり「罪な女」で直木賞を 受けられ、晩年はこの地で暮らすつもりであった。」と記されている。O君と直木三十五は高校の先輩だと話しながら歩を進める。 旧街道は緩やかに下り、平坦になると右手に「宇佐八幡宮」が鎮座する。その前に「旧山陽道片上宿(方上津)」と書かれた 標柱が立っている。 立派な鳥居の両側に鎮座する大きな備前焼の狛犬は胴体と首は別々に造られ、貼り合わされているが、年代物の風格が感じられる。
京都への東上の途中大時化に遭い潟神村(現備前市片上)の富田松山に祀ることとし、その後応永元年(1394)に和鹿林の山頂に遷座し、 更に正保3年(1646)現在地に遷座された。
境内には本殿に向かう長い階段がそびえている。本当にそびえていると云う感じで、紀行の最後だととても上る意欲はないが、まだスタートして 直ぐなので 上ることにする。62段ある階段の上には立派な本殿が建ち、風格がある。良く見ると軒下に大きな蜂の巣がぶら下がっているのを発見。蜂の 姿は見えないが、大きな巣だ。 階段の上から写真を写すとその急勾配が分かる。手摺を持って降りないと転げ落ちそうだ。 HP作成時に調べていると毎年3月に、この石段で雛祭りを行うとのことで、 その光景を『岡山のお出かけ日記』HPから 借用する。迫力のある雛壇だ。 「山陽道」には南北時代の史跡が本当に多いことを改めて認識して、次に進む。
少し進んだ右に「津山街道(片上往来)」と書かれた標柱が立ち、左に「刀工備州祐高造之宅跡」の標柱が立っている。備前市は史跡の 標識が多いのは嬉しい。 少し進んだ橋の手前右に「往還名主跡(木屋岡島氏)」の標柱が「往来の行き交うものに対して厳重な調査取締りの権限を有していた。」と示している。 「片上宿」の商業が発展していたのだろう。店が開いていない寂しい片上商店街を進むと、右に商業施設跡ビルが建ち、その前に 「恵美須屋跡」と書かれた標柱が立つ。その先右に「片上脇本陣跡」がある。脇本陣は京屋中村氏だったと。 商業施設跡が途切れる右手角に「右恵美須 左大坂」と書かれた道標が立つ。旧街道は、ここを右折するのだが、、左に曲がって、 本陣跡を探すことにする。
ここで道を間違え、右の小道に入ると古い旅館もあり、史跡の標識もあるので進むと片上港に出てしまう。少しの間、明石以来の海を 眺めて、元に戻る。 元に戻り、右に曲がらず真っ直ぐ進むと左の家の前に石の箱に入った「道標」が立つ。その斜め前に「片上駅本陣小國氏邸趾」と刻まれた 石碑と案内板が立つ。ここが本陣跡なのだと確認して旧街道に戻る。
旧街道に戻り、直ぐ左に祠がある角を左折して緩やかな坂道を上って行く。狭い道なのに脇道なのか車の往来が多いので、車を避けながら 進む。右の山麓に立派な「三重塔」が見られる。地図で確認すると「真光寺」の三重塔と分かる。 緩やかな葛坂(くずさか)と呼ばれている坂に「お夏の墓」の標識があり、墓に参拝する。 あの井原西鶴が好色一代女に関係があるのだろうかと話しながら一息入れる。(10:25-10:35) 入口横に「前川哲蔵の墓」が祀られている。案内板には先程の宇佐八幡宮の備前焼の狛犬等も寄贈したと。 葛坂の頂きに「お夏茶屋跡」の井戸がある。峠の頂上で、休憩場所としては最適な茶店だと思いながら、坂道を下って行く。
「山陽道No8@」の「紀行スライドショー」 坂を下り切り、国道2号線を斜めに横切って後方を見ると「片上隧道」のトンネルがが見える。この隧道の峠を通って来たのだと思いながら、 国道の少し下の並行した旧街道を進む。国道と旧街道との傾斜は厳しく、雑草が生い茂っている。国道に 「旧山陽道 伊部一里塚跡」があるとのことだが、国道に上ることが出来ず、確認するのを諦める。
旧街道はカラーロードとなっている伊部の集落に入って行く。旧街道の両側には備前焼の店や工房に加え、レンガ造りの煙突が並ぶ街並みを楽しみ ながら進む。
鳥居の左右には備前焼の狛犬が祀られている。先程見た「宇佐八幡宮」の狛犬は頭と胴体が別々に造られ、貼り合わされていたが、 ここの狛犬は一体型になっている。よく割れずに出来たものだと感心する。
本殿の前の床は備前焼の陶板が敷き詰められて独特の色合いの床になっている。見事なものだ。 備前の窯元が信者に多く、たくさんの方の寄進によるものだろう。
カラー舗装された旧街道の両側の陶器屋さんの陳列を覗きながら西に向かう。陶器に興味のある人であれば、なかなか去り難い街並みだ。昔、 日本酒を楽しんでいる頃は、各地の猪口・ぐい呑みを買い求めたが、今はその趣味も無くなった。 陶器屋が少なくなった旧街道筋に、立派な茅葺きの旧家がそのままの姿で残っている。その先の橋の袂には「備前焼のお地蔵様」が祀ら れている。地元特産品とのコラボが多いのも楽しい。 少し進むとまた見事な茅葺きの工房が現れる。維持も大変だろうと話しながら、レンガ造りの煙突を横に、備前焼の街並みにお別れして 新幹線の高架に向かう。
新幹線の高架下を抜けて進む。陽射しがきつくて汗が溢れて来る。左に大きな大ケ池が水を湛え、新幹線も鉄橋でその上を走っている。 大ケ池の北西端に「大ケ池竣工の碑」が立ち、その前に地蔵尊が祀られている。 ここで、O君が持参したおにぎりを貰って休憩する。日陰はないが、池を渡って来る風が気持ち良い。上道駅で待ち合す予定のN君と 連絡を取ると閑谷学校に向かって歩いていると。予定通り落ち合えそうだと云うが、こちらの歩行が遅れているようだ。(11:50-12:00) 急ごうと、腰を上げ歩きだすと、右の溝脇に「臥龍松之道」の道標があるがそれらしき松は見当たらない。桃畑が所々に現れて来る。 さすが、果物の国・岡山県だと思いながら進むと畑の中に珍しい五角柱の石塔が立っている。先達の方の解説によると、「社日様」という 田の神様で、五穀豊穣を祈って、祀られているのだと。
旧街道は香登(かがと)集落に入り、静かな道を進んでいるとO君が家の中で作業をしている婦人を見つけ、立ち寄る。広い家の中で漁網を 造っておられるのだ。細かい仕事を2人で熱心にしておられる。この辺りは漁網会社もあるので、その下請けでやっておられるようだ。 少し進むと右に「観音堂」が祀られており、その先には「大内神社」が鎮座する。境内の一段と高くなった石垣の上に「香登一里塚」の碑が立ち、 その横には「常夜燈」も立ち、集落の中心地のようだ。
静かな香登の街並みを進み、弓場川を渡った右に「古い醤油屋」さんがあり、店先にソテトクリームの看板が置かれている。暑くて、冷たいものが 欲しくなり、中に入ると可愛い奥さんが、醤油とポン酢のソフトクリームがあると。1個づつ頼み、椅子に座って美味しくいただく。(12:25-12:30) 一息付いて歩き始めると左に、「地蔵堂」があり、更に進むとこの地域には珍しく景観に似合わない「教会」が建っている。面白い構図に思わず 魅入ってしまう。街並みには旧街道を思い起こさせる旧家が続くのは嬉しい。
旧街道を進むと右に「石長姫神社」が鎮座し、鳥居の前にはの自然石の常夜燈が立っている。この形の常夜燈は「山陽道」で 初めて見たのではないだろうか。 その先の小川にかかる橋にも同じような「常夜燈」が立っている。この地域の特徴なのだろうか。更に進むと「最上稲荷」の 鳥居が立っている。 次に食堂があれば入ろうと話していると小さな店に暖簾が掛かっているが、呼んでも誰も出てこないので、 諦めて進む。 田園風景が広がる陽射しの強い道を進み、新幹線の高架下を歩いている時は日陰と心地良い風でホッとする。新幹線高架下を抜けて国道2号線に 出る。昼食時間も過ぎているので、近くのドライブインに入り、一息付く。ランチバイキングもあるが、量的に余り食べられそうもないので、 皿ウドンを頼むが、ドライバー相手なので量が多く、少し残してしまう。(13:10-13:35)
「山陽道No8A」の「紀行スライドショー」 しっかり水分を補給して、暑さが厳しくなった吉井川に向かうが、国道の歩道が狭くて恐ろしいので、早々と河原に降りて進む。 涼風が気持ち良いが、草からの熱気が厳しい。 堤防の上の騒音を尻目に、草原を進むと堤防から下る道横に「常夜燈の土台」が残っている。この辺りから渡し船があったかと。 「備前大橋」に上ると橋の袂に「刀の鍔」のモニュメントが飾られている。さすが「備前長船刀」の地元だと話しながら広い吉井川の 歩道橋を渡る。
備前大橋を渡っていると途中に「岡山市」の標識が現れる。岡山市に入ったのだと。 橋を渡り左折して、堤防上の国道を行くが、歩道がなくなり車がビュンビュンと飛ばすので怖い。一日市(ひといち)信号の所から 堤防を下って行く。その道端に「山陽道道標」が立っている。兵庫県は「西国街道」と「山陽道」が入り交じっていたが、岡山県は 「山陽道」に統一されているのかと話しながら下る。 すぐ左に古い「常夜燈」が立ち、旧街道の雰囲気を感じながら細い道を進むが、暑い。ふとマンホールの蓋をみると岡山らしい模様が刻まれ ている。桃・ぶどうと果物の国=岡山を表しているのは面白い。木陰を見つけて一息入れる(14:20-14:25) 右には水を湛えた小川が流れている。水が豊富な県だと話しながら進むと「御休(みやす)小学校」が建っている。御休みが多い学校だと 笑いながら進むが、暑さで歩幅は狭くなって来る。田植えの終わった田園風景を眺めながら進むと「福岡神社の鳥居」が立っている。
右側には豊かな水を湛えた小川が流れているが、少し進むと川の右側に柳並木が続く遊歩道が設けられているので、気持ち良い遊歩道を 進むことにする。田園風景と桃の果樹園を望みながら進む。少し進むと「和田八幡宮」の柱と燈籠が立っている。 陽射しが段々体力を奪って行くような感じだ。夏を迎える初めての歩行に疲労が、積もって来る。N君から電話が入り、 JR上道(じょうとう)駅に着いたと。こちらはまだまだかかりそうなので、待っていてくれとお願いする。 旧街道は集落の中を進み、上道公園を廻るように曲がって行くと上道中学が建っている。その前の木陰で給水の休憩とする。(15:10-15:15)
N君を余り待たせてはいけないので、腰を上げ、道なりに進むと国道2号線にぶつかるがその手前の左の小道を進むのが旧街道だと。
握手して出迎えに感謝すると、氷で冷やした缶チューハイの差入れを持って来てくれていて、冷たい缶チューハイで再会の乾杯。美味しい!! 踏切を渡って直ぐ左に曲がる。「山陽道道標」が方向を示してくれているのは嬉しい。旧街道の細い道を今日の行程について話しながら進む。 予定では、もう一駅・東岡山まで歩こうと思っていたが、疲労度が激しいので、今日は上道迄にしようとN君が提案してくれ、それに 従がうことにする。 旧街道の横の溝で、凄いものを発見し、大声を上げる。何と大きな「マムシ」が溝の中を泳いでいる(?)ではないか。こんな所にいるとは 思えない「マムシ」の姿に驚き、誰も被害に合わないことを願って進むと新幹線の高架の向こうにJR上道駅の裏口があるので、本日の 紀行はここまでとする。 16時10分、32400歩の歩行を終える。
「山陽道No8B」の「紀行スライドショー」 今日の宿は岡山市内なので、JRに乗り岡山駅まで行き、市電でユニバーサルホテルに向かう。市電に乗るのは久し振りだ。O君が予約してくれた ホテルは大浴場付き、夕食・朝食が付いて5000円以下とgoodだ。部屋も広く、早速、大浴場で汗を流し、足腰のマッサージをして今日の疲れを取り、 明日への準備をする。 夕食はキャンセルし、O君が昔行ったことのある少し小洒落た居酒屋「菊正」に向かう。威勢の良い女将さんのお奨めの料理を頼み、 生ビールで乾杯。美味しい!! 岡山名物の「ままかり」が運ばれたが、焼いた「ままかり」は初めて食べる。これもgood。話していると、今日はN君の誕生日と分かり、 女将に話すと日本酒をサービスしてくれる。誕生日を祝って乾杯!! 我々の中学は少し変わっていて、現代では考えられないクラス編成だったことを話しながら、杯を傾ける。 1年生は誕生月別で、1組=4・5月生まれ、2組=6月、3組=7月・・・10組=3月生まれだった。4月生まれの小生は1組、6月生まれのO君、 N君は2組だったと話す。一番成績の良いのは2組だったと。 2年生は身長順で、1組は一番大きく、10組は小柄な人ばかりと信じられないクラス分けだった。その時の成績は2組が一番だったが、その後の 同窓会では身長差は激変していて、当時の1組でも伸びていない人は多い。今だったら父兄や色んな所から非難が出ただろう。3年は校長が 変わったので、普通のクラス編成になった。 楽しい宴を終え、ブラブラと西川に沿ってホテルに戻る。途中、コンビニでビールとつまみを買い、部屋で2次会と3人で初めての「山陽道」紀行の 夜を楽しむ。22時前にお開きにし、ぐっすりと眠る。今日は暑さの厳しい一日だったと思いながら。
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