○ 「山陽道No10」見聞録(井原〜神辺)・(距離 12.3km(今回)/ 316.4km(累計))

  1.井原〜神辺・(12.3km) 2012.08.28 11:55〜17:20 曇り、時々雨


西国・山陽道全行程.Map

「井原〜神辺・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

11時55分、井原駅に到着し、「山陽道」紀行を再スタートする。
まず、前回「逆打ち」のスタートした地点まで戻り、西に向かう。丁度、昼食時なので、今回の目玉でもある「田中美術館」が、市役所の 横にあるので、市役所に向かい、市民会館の食堂で昼食とする。カレーライス+コーヒーが600円の食事を食べ、英気を養う。(12:10-12:45)
直ぐ横の「田中美術館」に向かう。前回の紀行時、「平櫛田中生誕の地」の史跡があり、その後調べた所、有名な彫刻家であることを 知り、今回の紀行時には立ち寄りたいと話していた美術館だ。

五浦釣人像

平櫛田中は、明治5年、現在の岡山県井原市に生まれ、青年期に大阪の人形師・中谷省古のもとで彫刻修業をしたのち、上京して高村光雲の 門下生となりました。その後、美術界の指導者・岡倉天心や臨済宗の高僧・西山禾山の影響を受け、仏教説話や中国の故事などを題材に した精神性の強い作品を制作します。
大正期には、モデルを使用した塑造の研究に励み、その成果を代表作《転生》《烏有先生》などにおいて示しますが、昭和初期以降は、 彩色の使用を試み、「伝統」と「近代」の間に表現の可能性を求めました。
昭和33年に20年の歳月をかけて完成した国立劇場の 《鏡獅子》に田中芸術の集大成を見ることができます。昭和37年には、彫刻界でのこうした功績が認められ、文化勲章を受章しました。
昭和45年、長年住み暮した東京都台東区から小平市に転居し、昭和54年に107歳で亡くなるまでの約10年間を過ごしました。(平櫛田中彫刻 美術館HPより)

美術館の入口には「五浦釣人」像が飾られ、入館すると「鏡獅子」像や数種の彫刻が展示されている。

鏡獅子像

入館しようとすると、65才以上は無料との嬉しい知らせで、免許証を見せ館内に進む。
美術館内の撮影は禁止で、パンフレットのコピー転写もダメ なので、上手く表現できないが、岡倉天心達、先輩が画を売り、彼のためにアトリエを造ったとの逸話からしても立派な彫刻家なのだ。 各彫刻の表情は穏和なのと歌舞伎などの彫刻の力強さは、素人目からも素晴らしいと感じた。「山陽道」紀行の中で、有意義な時間を 過ごせた。(12:45-13:20)
充実した時間と適度な休憩を過ごした後、再び旧街道に戻り、西に向かう。曇り空で蒸し暑さはあるが、前回の灼熱地獄よりはましだ。 旧街道は広い県道と合流するが、少し進んだ所から分かれて細い道に入って行く。
橋を渡って進むと左に良く読めないが「庚申講供養之橋」と刻まれた小さな石碑が立ち、その先に「岩山大明神」の鳥居があり、奥の山に 神社が望める。
少し進むと左に小さな「祠」が祀られ、「恵美須神社社殿改築」の石標が立っている。この辺りの旧街道は立派な家が立ち並び、 雰囲気が感じられ、街道歩きの醍醐味を味わえる。良く残っていると感心する次第だ。

庚申講供養之橋の碑

岩山大明神の鳥居

趣きのある街並み


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

緩やかに曲がる道の左に「いずへ駅」の道標が立ち、当時の雰囲気が残っている旧街道を気持ち良く進む。
少し進んだ左に「荒神様の祠」と「常夜燈」が立っている。旧街道は田圃に出て、山際には黒い雲が立ち込め、雨の心配が強くなる。 淡々と進むと右に「旧山陽道一里塚跡」の碑が立つ。この辺りの一里塚には固有名詞がなく、「旧山陽道一里塚跡」の表示が多いのは 残念だ。これは「下出部一里塚」なのだ。備後尾道より八里、備中板倉より九里の地点となるのだ。

真っ直ぐな旧街道

荒神様の祠と常夜燈

下出部一里塚碑


しばらく行くと「出雲明神の鳥居」が立ち、龍の注連飾りが飾られている。この辺りの習慣とは云え、どの神社でも飾られているのには 驚く。その横には「距岡山元標十三里」の里程標も見られる。岡山から13里=52kmも歩いたのだ。
井原鉄道のいずえ駅への標識を過ぎ、進んで行くと右に舟形の自然石の上に「常夜燈」が載っている。初めて見る珍しい常夜燈だ。その先には 大きな題目石が二基あり、「南無阿弥陀仏」と刻まれている。

出雲明神の鳥居 里程標

自然石の上の常夜燈

題目石


西に進んでいると井原鉄道の高架を見ながら大きく右に曲がる道となる。今朝、吉備真備でもあった「大曲(おおまがり)」で、角には水準点 と「小さな道標」が二基立っている。曲がった所には「薬師堂」が建ち、大きな案内板には天保時代の絵図が示されている。
大曲を曲がって直進すると国道313号線に当たる。ここで道が分からなくなり、N君の地図を頼りに右に行った信号を渡り、旧街道らしい 道を左に進む。

大曲

小さな道標

薬師堂 案内板


空模様が急に暗くなり、大粒の雨が降り出す。小走りで、工場のある民家の軒先に雨宿りをさせてもらう。ご主人と奥さんにこの道は 旧街道だと確認し、ここまで歩いて来た経緯を話す。ジーンズ・作業服を作っておられるようで、倉敷の産業だと再認識する。(14:10-14:15)
雨が小降りになったので、礼を云って歩き始めると小さな祠や「旧山陽道大橋跡」と書かれた碑を確認して進むと温泉があるのか「足湯」の 案内があるがパスして進んでいると、先程より激しい雨が降り出し、慌ててガレージの屋根に逃げ込み雨宿りする。雨宿りが休憩になり、 水を飲み一息入れるが長い。(14:25-14:40)
小雨になったので、傘やレインコートで雨を凌ぎなから進むと、少し上り坂になり、天井川の高屋川に向かうと堤防の上に「お堂」と「常夜燈」が 立っている。堤防に上る道の両側の石垣には川の氾濫から下の集落を守る「止水石」が設けられている。

旧山陽道大橋跡の碑

常夜燈 お堂

止水石


傘を差しながら高屋川の堤防を歩き、すぐ先の後月橋を渡ると右に「常夜燈」と「祠」が建ち、左には「法泉院」が建っている。 入口に「日輪大師堂」と書かれた「曼荼羅碑」が立ち、歴史を感じる寺院だ。
まだ小雨が降る中を静かで雰囲気のある「高屋宿」の街並みを楽しみながら進む。

高屋川の常夜燈と祠

法泉院 曼荼羅碑

高屋宿の街並み


備中・備後境界碑

雨に濡れた「高屋宿」の街並みは情緒豊かで気持ち良い。
街並みの中には立派な家も立ち並び、鬼瓦が良く分からないが大きく、 立派なのには驚く。素晴らしい景観を残しているのは嬉しい。
街中右の立派な家の前に声楽家「上野耐之生家跡」と「中国地方の子守歌発祥の地」の案内板が立っている。小学校で習った 「ねんねこしゃっしゃりませ」の子守唄は、ここ「高屋宿」で歌われていたのだ。この地で生まれ育った声楽家上野耐之が山田耕筰に 編曲してもらったと。みんなで「ねんねこしゃっしゃりませ」を歌いながら、人通りもない静かな宿場を歩む。
横には「備中西國第八番」「従是高山寺十八丁」の道標が立ち、その先には「常夜燈」もあり、小雨の降る宿場を進むと左に 「備中・備後境界碑」の高い石碑が立っている。
川境、峠道ではなく、全く町の中に境界線があるのには驚いた。播磨から備前、備前から備中への境界碑は年代物であったが、 ここの境界碑は新しく雰囲気がないのは残念だ。岡山県から広島県に突入した記念撮影を交互に写す。
京都・大阪から兵庫、岡山を通過して広島県に突入したのだ。
正確な距離は分からないが、紀行記としてカウントしている歩行距離は約300km歩いたことになる。「千里の道も一歩から」とは良く云ったものだ。 下関まではまだまだ距離があり、「薩摩街道」経由で坊津までだと何時到着するのか分からないが、一歩一歩進もうと気分新たに、広島県 への第一歩を記す。

鬼瓦の立派な家

中国地方の子守歌発祥の地

雨の街並み



「山陽道No10@」の「紀行スライドショー」

川を渡り、山沿いに進むと「石仏群」が祀られている。街並みから外れても旧街道の雰囲気が残り、少し進むと右に「上御領八幡宮」 が鎮座し、趣きのある「常夜燈」が立っている。
まだ小雨が残る旧街道を傘を差しながら進むと、左に「上御領一里塚跡」の碑と「菅茶山の詩」碑が立っている。今までの碑よりは趣きがある。 右にはお堂が祀られている。

石仏群

上御領八幡宮の常夜燈

上御領一里塚跡 お堂


雨が上がり、少し涼しくなった旧街道を歩む。「常夜燈」と「地神」が祀られている。その先に「大国様」と思われる像が彫られた石碑が 立っている。初めて見る石碑だが内容は分からない。
旧街道は国道486号線に合流するが、すぐ右の小道があるので、直観として進むと石塔が立ち並んでいる。大きな「外ケ島弥五郎」の石碑 は力士の碑だと。力士の碑を見たのは初めてだと話しながら進む。
静かな旧街道のを進んでいると、「常夜燈」がたくさん立っているのに気付く。その姿も個性があり、楽しい。少し進むと右に 「日吉八幡宮」の鳥居が立ち、本殿への長く高い 階段を見て、本殿参拝は断念する。本当に高い。

大国様の石碑

外ケ島弥五郎の石碑

日吉八幡宮 静かな旧街道


静かな旧街道には、本当に「常夜燈」が多く立っている。その先右に立派な長屋門の家が建つ。今まで、何度もこの手の屋敷を見ているが、 素晴らしいものだ。
旧街道は広い道に合流する。その角に「国分寺南大門跡」の碑が立ち、その奥に続く松並木の参道が続いている。吉備路の「国分寺」は 離れていて参拝していないので、松並木の参道を本堂に向かう。
「備後国分寺」は一部が復元されているが、金堂・講堂等はその跡を示す碑が立っている。本堂に参拝し、一息入れる。(15:55-16:05)

長屋門の家

国分寺南大門跡

備後国分寺 説明


南大門跡の広い道に店屋があり、アイスクリームを買って左に進む。しばらく行くと県道を越え、更には国道313号線を越えて進むと井原鉄道の 高架下を抜けて進む。
左の家から自動車が飛び出している珍しい光景を目印に進む。この辺りで進み方が不安になるが、N君の地図に従って右に進み、川沿いの道を 進むと橋があり、渡って下って行く。少し不安だが道に理に進むと「荒神社」の鳥居が見え、一安心する。境内の片隅に「神辺一里塚」の 木製の碑が立っている。「神辺宿」に入って来たのだろう。 枡形もある落ち着いた街並みが続く「神辺宿」の旧街道を進む。

自動車が飛び出している光景

神辺一里塚 荒神社

神辺宿の街並み


街並みを楽しみながら進むと右に「廉塾(れんじゅく)と菅茶山(かんちゃざん)旧宅跡」が建っている。菅茶山の名前は知らなかったが、 O君、N君は知っていると。

廉塾と菅茶山旧宅跡 説明

菅茶山は、延享5年(1748年)、現在の福山市神辺町に生まれた。
天明元年(1781年)頃、神辺に私塾『黄葉夕陽村舎』を開いた。塾は3室20畳の講堂、3棟の寮舎、菜園、 茶山居宅からなる。その後、福山藩の郷校となり、以後『神辺学問所』『廉塾』と呼ばれる。
塾では、 菅茶山とともに藤井暮庵・頼山陽・北條霞亭など都講(塾頭)による 四書五経を中心とした講釈がなされ、寺子屋などの初等教育を修了した10〜20歳代の多くの階層にわたる塾生が2〜3年にわたって 学んでいる。 その後、福山藩の儒官となり、藩校弘道館で講釈を始めた茶山は、2回江戸詰を命ぜられ、藩主阿部正精直属の教授となり、 『福山志料』『福山藩風俗問状答書』をまとめている。
「宋詩に学べ」という文芸運動を西日本で大成した茶山は「当世随一の詩人」と評され、詩集『黄葉夕陽村舎詩』の発行は、多くの 文人墨客の来訪を促した。
文政10年(1827年)、80歳で病歿し、『廉塾ならびに菅茶山居宅』は昭和28年(1953年)に国の特別史跡に指定されている。 (神辺町観光協会HPより)

庭園に入ると畑仕事をされている方が、時間なので内部の見学は出来ないが、説明をしましょうと。菅茶山の生い立ち、功績等々の説明を され、「国特別史跡」について教えていただいた。「国特別史跡」は全国に61ケ所、広島県には2ケ所(厳島神社・当家)、岡山県1ケ所 (閑谷学校)と当時の姿を手を加えず残っている史跡だと。(16:50-17:00)
お礼を云って道に出ると隣に和菓子屋さんがあるので、名物の饅頭を1個買い求めて、疲労回復剤とする。
少し進むと古い酒屋さんが街並みに重量感をもたらしている。その手前に「東本陣跡」があったらしいが見落とした。
その先には「旧山陽道神辺駅 太閤屋敷あと」の碑が立っている。豊臣秀吉が朝鮮の役の帰路、ここに立ち寄った館の跡だと。落ち着いた 街並みを気持ち良く進む。

古い酒屋さん

旧山陽道神辺駅 太閤屋敷あとの碑

神辺宿の街並み


真っ直ぐ進んで行くと左に曲がる枡形があり、再び右に曲がると「神辺本陣跡」の立派なお屋敷が建っている。見落とした本陣跡が東本陣で ここは西本陣だと。「神辺宿」は2つの本陣がある繁栄した宿場だと認識する。
また枡形があり、左に曲がる。この辺りにも立派な家が立ち並び、「神辺宿」が栄えていたことが垣間見られる。そろそろ宿場町も 終わると思っていると広い道と合流して、右を見るとJR神辺駅が見える。本日の紀行はここまでとして、駅に向かう。
17時20分、神辺駅に到着し、本日の紀行を終える。歩行歩数は35500歩とまあまあだが、前回の猛暑に比べると雨も降り、疲労度は少ない。

神辺本陣跡 説明

立派な家

JR神辺駅



「山陽道No10A」の「紀行スライドショー」

駅で時刻を確認し、少し時間があるので、駅前の店屋でビールを買い、ホームのベンチで乾杯!!
17時44分発の列車で福山のサンホテル福山に向かう。チェックインをし、それぞれの部屋で汗を流し、ロビーに集合して、O君が探してくれていた 居酒屋で、改めて乾杯。美味しい!!
福山名物の魚介類を食べながら、今日の反省と明日の行程について話す。その中で、ここまで来たのだから「鞆の浦」散策も良いのでは ないかとの話題になる。O君は訪れたことあるが、2人はまだ行ったことがないので、「山陽道」紀行は中断して、 「鞆の浦」散策に 行くことに決定し、ホテルの部屋で2次会をして、ぐっすり眠る。
1泊2日の「山陽道」紀行は1日だけとなった顛末だ。

(工事中)




    
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