[西条〜中野東][中野東〜広島・土橋]


○ 「山陽道No14」見聞録(西条〜広島・土橋)・(距離 35.7km(今回)/ 417.9km(累計))

  1.西条〜中野東・(19.7km) 2012.12.09. 6:00〜14:00 曇り時々雪・晴れ


西国・山陽道全行程.Map

「西条〜中野東・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

前回の「山陽道」紀行は、難所と云われる「瓦峠」「松子山峠」越えを踏破し、西条まで進むことが出来た。
今回は、広島に単身赴任していたO君の案内で、広島見物も兼ねた行程を検討した。西条までの交通の便を考えると夜行バスがあるので、 それを利用することにする。
12/8(土)大阪駅発22時30分の深夜バスに乗るべく、寒波襲来の予想で、冷たい風の吹く中を21時過ぎに家を出て、梅田の地下街で睡眠薬を 飲み、バス停に向かうとN君も来て、O君共々ほぼ満員のバスに乗る。
三宮から乗車する人は知っているが、ウトウトし、途中のトイレ休憩の後はぐっすりと眠る。
12/9、5時50分に西条駅に到着する。外に出ると寒い。粉雪がチラチラしている。

西条駅

真っ暗な旧街道

6時、まだ真っ暗な西条駅前を出発し、前回の終了地点である駅から一筋目の旧街道を西に向かう。
小雪が冷たく落ち、まだ暗いので、史跡が分からず、取り敢えず分かる範囲でチェックし、朝食場所の国道筋のファミリーレストランに向かう。
旧街道から離れて国道にあるジョイフルの灯りを見つけて朝食とする。N君はカツカレーを食べる元気さに驚き、和定食を食べ、 用を足して、態勢を整え、ゆっくりと作戦会議をする。真っ暗で何も確認出来なかったので、駅前のスタート地点まで戻り、再スタートする。
7時30分、紀行を再開する。真っ暗だった旧街道も明るくなり、左の「ふじたストアー」辺りに脇本陣があったとのことだが、何の標識もなく 旧街道を進むと右に「賀茂御役所跡」の碑が立っている。「四日市宿」の宿場が続いているのだ。
雪が激しくなって来た。右の「真光寺」の境内には親鸞上人と思われる像が、背を向けて祀られている。その像に雪がはっきりと映っている。 寺院の屋根は赤く、複雑な形をした立派なものだ。その前には賀茂輝酒造が建ち、酒の町・西条の造酒屋が広範囲に分布していることが 分かる。

脇本陣跡

賀茂御役所跡の碑

真光寺 立派な屋根


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

少し進み、朝食のために寄り道をした広い道を渡り、道なりに進むと国道486号線に合流し、少し国道歩くと左への旧街道に入り、道なりに 進む再び国道、少し先から又左に入り、国道に合流と旧街道を縫って行く。少し先の友待橋信号を斜め左に入って 行くと左のごみ集積場のそばに「時友一里塚跡」の案内板が立っている。案内板によると広島藩内の西国街道は、道幅二間半(約4.5m) 、一里塚には松を植えたと。
視界が開け、雪雲が去って、前方の山の上に青空が見える。黒瀬川に架かる時友橋は先程の雪で白く雪化粧している。道の左には小さな 祠が祀られ、田園風景を眺めながら舗装道路を進むと道は緩やかな上り坂となる。
住宅地を抜け、坂道の右に「飢坂」と書かれた案内標識を見て上って行くと道の両側には雪が残っている。
その先に「飢(かつえ坂」 の案内板が立つ。江戸時代の飢饉の時、ここで多くの人が飢え死んだことからその名前となった伝説と、昔、牛を救って長者となった 牛満長者は、助実の歌謡坂から朝早く田植を始め、昼に浜田まで仕上げ、夕方に当地に達したところで、空腹となり飢坂の地名が おこったと。いずれも、ありそうな伝説だ。このような話を見聞するのも楽しい。(8:17)

時友一里塚跡

時友橋 田園風景

飢坂 残雪 説明


空間が開け、左右にため池が広がっている。雪が積もった中に、道が真っ直ぐに伸び、美しい光景だ。
釣り人が用意をしている。何を釣っているのかと尋ねると鮒を狙っていると。寒い中の釣り、好きでないと出来ないと話しながら、 舗装道路から地道の峠道に進む。
初めての地道を楽しみながら、緩やかな坂道を上って行くと右に「旧山陽道飢坂」の碑が立っている。ここが頂上のようだ。ここから 少し坂道が急な下り坂を楽しみながら下って行く。

左右のため池

地道の峠道

旧山陽道飢坂の碑 下り坂


下り坂は住宅の造成工事の間を抜け、小さな公園に出る。この辺りから、再び雪が降り出し、段々と吹雪いて来た。前に建つ シャープの工場が旧街道を分断しているようで、右に廻り込んで、もとの旧街道に戻る。雪が激しくなって来たので、レインコートを着て進む。 視界も閉ざされ、北国に来たような状態だ。
傘を差して進むと「清水川神社」の鳥居が吹雪に煙って見える。何処かで雪宿り(?)をしようと急いで進むと右の住宅のガレージを見つけ その屋根の下で一息入れる。
前には自然石の石燈籠が立ち、ここにも「清水川神社」の鳥居が立っている。この神社の神殿が北向きだったのが、街道に面していたため、 通行人が下馬せずに通るとどんな偉い人でも落馬したので西向きに向きを変えたととのことだ。 雪が少し止んで来るまで一息入れる。(8:45)

雪の清水川神社鳥居

石燈籠

西向きの清水川神社


雪が小止みになったので、歩行を再開する。

阿弥陀如来の石像

お菓子屋さくらや

右に入った所に「妙福寺」が建つが、パスして進むと小さな「阿弥陀如来」石像が祀られている。 この辺りから道横に八十八ケ寺箇所めぐりの石仏を目にするようになる。
雪が止み、陽が射して来た。人通りもない旧街道を淡々と進むと右にお菓子屋「さくらや」があり、丁度、店を開ける所だったので、店に入り 和菓子を賞味する。雪の中での歩行から解放され一息入れる。お茶を出していただき、甘い饅頭を食べて疲れを癒す。(9:05-9:10)
通称弾丸道路と云われる広い道を横切り、細い道を進むと八本松駅が見える。エレベーターで駅舎に行くほどの高さだ。 八本松駅は、標高255mと山陽本線の中で一番高い駅だそうだ。(9:20)

「山陽道・西条〜中野東@」の「紀行スライドショー」

八本松駅の北側を線路に沿って進み、沓掛第三踏切を渡ると少し先に石段があり、それを上ると大きなショッピングセンター・ミスターマックスあり、 その駐車場の国道沿いに「旧山陽道長尾一里塚跡」が立っている。この一里塚には男松、女松がそれぞれ四本の枝を出し、 街道の近くで茂っていたため、八本松の名が起こったと。
少し国道を歩き、左の小道を入って行く。道なりに緩やかな坂道を上ると高架道路があり、側壁に「西国街道(旧山陽道)」の矢印がある ので、指示に従い、高架下をくぐって進むとまた矢印があり、その先に「西国街道(旧山陽道)・大山峠」の矢印がある。 ここが「大山峠」の入口のようだ。(9:46)

旧山陽道長尾一里塚跡

西国街道(旧山陽道)の矢印 高架下

大山峠の入口


舗装道路を上って行くとやがて地道となり、周りの残雪を見ながら上って行く。 気持ち良い道で、冷気が満ち溢れ、快調に上って行く。「松子山峠」のように道なき道ではなく、はっきりとしているので安心だ。
「大山駅跡」の木の碑を見て進むと地道は二股の分岐点となり、「大山峠」の道標が右側を示しているので、右の道を上る。

旧山陽道大山峠の碑 木の碑 案内板

上るに連れて、残雪が多くなり、雪の重みで木々の枝が曲がっている。きれいな光景に感動しながら、ゆっくりと上っていくと 右に「旧山陽道大山峠」の碑と「大山峠」と書かれた大きな案内板が立っている。ここが頂上で、。 案内板には大山峠の歴史が記されている。要約すると
日本書紀の「西道」が山陽道のことだといわれ、 その後、山陽道は京と筑紫大宰府を結ぶ官道となり、この付近に大山駅が置かれ、 明治17年国道2号が新設されるまで国の幹線道路としての役目を果たした。
この間、防人、元寇の急変を知らせる早馬 、明治維新の志士吉田松陰や高杉晋作も通った。万葉の歌や今川了俊の「道ゆきふり」の中の大山峠を越える一文も残されている。
西から上ってくる坂を「代官おろし」という。これは、いかなる権威のある人でも駕籠から降りたという難所であったことを意味する。 峠より西10m先に清水があり、憩亭があって、参勤交代の大名が休憩した所であり、わらじやいり豆も売っていた。

碑のそばには趣きのある「峠越え」と刻まれた木の碑が立っている。 気持ち良い地道と雪景色を堪能し、一息入れる。(10:00)

大山峠への道 大山駅跡

二股の分岐点 道標

雪の道


今回の紀行の最大の難所と云われていたが、前回の「瓦峠」「松子山峠」とは雲泥の差で、雪景色を観賞しながらの楽しい歩行だった。 直ぐに下り坂に入るが、落葉が積もり膝にも心地良い振動を与えてくれる快適な道だ。
少し下った右に「旧山陽道大山清水」の碑があり、清水とは云えない水溜りがある。旅人が喉を潤した清水だ。
落葉を踏みしめて山道を下ると、右に「大山刀鍛冶之墓」の碑が立つ。こんな所で刀鍛冶をしていたとは不思議だと話しながら下る。
少し下った左に「旧山陽道賀茂安芸郡境」の碑が立つ。賀茂郡と安芸郡の境だとすると安芸=広島に近付いていることを実感するが、 こんな辺鄙な所に郡境があるのは面白い。
更に下ると視野が広がり、安芸バイパスの橋脚工事の現場近くの左に「旧山陽道代官おろし跡」の碑がある。
先程の案内板に会った、いかなる権力のある人でも、ここからは駕籠から降りたという場所なのだろう。横には 「大山峠入口」の道標と「瀬野馬子唄発祥の地・大山峠入口(旧山陽道)」と書かれた看板が立っている。
難所と云われた「大山峠」を無事踏破する。(10:35)

旧山陽道大山清水の碑 落葉の山道

大山刀鍛冶之墓の碑 賀茂安芸郡境

旧山陽道代官おろし跡の碑 大山峠入口


「山陽道・西条〜中野東A」の「紀行スライドショー」

川沿いの道に沿って下り、山陽本線の高架をくぐって進むと国道2号線にぶつかる。ここで、方向感覚が狂って、小生は右に進むと思ったが、 仲間の二人は左だと。半信半疑で国道を左に進むと、同じ方向に岩国行の列車が走っているので、仲間の方向感覚が正しいと反省する。 国道に設置されている電光温度計は1℃を示している。寒いのは当然だ。
少し国道を進み、左斜めに入って行き、しばらく進んだ所から、再び山陽本線の高架下をくぐると左角の高台に「万葉歌碑」が立っている。 ここで「大山峠」越えの疲れを癒すべく一息入れる。(10:45-10:55)
道なりに進むと国道に合流し、少し先の上大山信号を右折して瀬野川を渡り、川沿いの旧街道を進む。 先程までの雪雲はなくなり、青空が広がっているが、風は冷たい。しばらく進むと左に3本の松が並び「旧山陽道三本松(二代目)」の木の 標識が立っている。

山陽本線高架下

万葉歌碑

旧山陽道三本松(二代目)


右に石垣が続くのどかな道を進む。陽射しは気持ち良いが、風は冷たい。しばらく進むと石垣の下に「旧山陽道凉木一里塚跡」碑が 立っている。「すずむき」と読むそうだ。
左の国道2号を見ながら、のどかな道を進み、清水第5踏切を渡って淡々と歩く。右に墓場を見ていたが、「大山刀鍛冶市左衛門之碑」を 見落として行ってしまう。再び、山陽本線を清水第7踏切を渡って進むと、右に白壁の美しい旧家が建っている。立派なお家だ。
国道2号を横切って南側の旧街道に入る。この辺りから「一貫田間(あい)の宿」だったらしく、集落が立ち並んでいる。 県道174号を横切った左角に「右ハ 海田市 廣島 左ハ熊野跡村 呉 方面」の道標が立っている。
この集落で昼食をしないとこの後何処にあるか分からないので、旧街道沿いにあるお好み焼き屋に入ると、出前が集中しているのでダメとの ことで、国道のうどん屋を教えてもらい、そこで昼食とする。カツ丼は美味しい。(11:45-12:25)

石垣の道 凉木一里塚跡

白壁の美しい旧家

海田市・廣島の道標 昼食


「山陽道・西条〜中野東A」の「紀行スライドショー」

静かな「一貫田間の宿」の街並みを楽しみながら進むと再び国道に突き当たり、下一貫田信号で国道2号を越え、直ぐに山陽本線の 中原第1踏切を渡り、しばらくの間JR沿いに進む。再びJRを辰の口第1踏切で渡り、少し国道2号を進んだ後、左に入り、瀬野川沿いの 道を進む。
瀬野の集落の家並みの間に何か碑が立っている。確認すると「種田山頭火の句碑」で、山頭火が瀬野を訪れた時に詠んだ句碑だ。その辺りの 家々には句が書かれた木札が掲げられ、山頭火を称えているようだ。
少し進み、ロータリーの高架になっている所に「右・国道、左・懸道」の道標を確認して、旧街道の趣きが残る瀬野の集落を進み、 小さな橋を渡った右のゴミ収集箱の両側に「右ハ四日市 左ハ志わ」と刻む道標と「旧山陽道落合の一里塚跡」碑が立っている。 一里塚跡がゴミ収集箱の横に立っているケースが多いと話しながら通過する。

山頭火の句碑 一貫田の街並み

瀬野の集落 道標

落合の一里塚跡 道標


瀬野の集落を抜けて、国道2号線瀬野大橋東詰信号を渡って山陽本線の高架下を抜けるのだが、工事中で迂回して高架下を抜け、線路沿いの 道を西に進む。旧街道は少し山側に向かっては再び線路沿いと緩やかなカーブを描きながら通っている。
「安芸山陽道」の道路標識があり、安心して進むと右に「祇園神社・常夜燈」が立っているが、神社は奥の方なのでパスして進む。前方に 高い木が見えるので側に行くと広島市保存樹「タラヨウ」で、高さ12.5mあるそうだ。
右の広島国際学院大学の見ながら進むとJR中野東駅到着し、一息入れながら、行程の検討をする。
今回の紀行のもう一つの目的は広島市内観光があり、O君にガイドしてもらうことになっている。見学場所の閉館時間を考慮して、次の駅 まで進むかを検討した結果、今日の紀行はこれまでとし、明日、ここから出発することにする。(14:00)

安芸山陽道の道路標識

祇園神社・常夜燈 タラヨウの樹

JR中野東駅


「山陽道・西条〜中野東B」の「紀行スライドショー」

急いでホームに行き、広島行の列車に飛び乗る。今日の宿泊はO君が風呂もあり、朝食も付いている市内中心部のドーミーイン広島に予約してくれて いる。広島駅の観光案内所に行き、市内マップを貰い、施設の閉館時間・開館時間を確認していると「ひろしま夜神楽」のチラシを見つけ、内容を 聞くと、今日が最後の公演があり、無料だと。
紀行中も「石見神楽」の話をしていたので、絶好の機会だと参加することにし、O君の先導で、見物に向かう。
まず「頼山陽史跡資料館」に向かうべく、市電で袋町まで行き、資料館を見学する。(65才以上240円)

頼山陽史跡資料館

頼山陽居室

小生が知っているのは『日本外史』の作者であり、幕末の志士等に影響を与えた人くらいだが、歴史に詳しいN君から色々と聞きながら、 館内を巡る。
写真撮影は出来ず、彼の生い立ち・文学・絵画・書道等々を見学する。
川中島の合戦を題材にした「鞭声粛々」の詩や「耶馬溪図巻」の水墨画も頼山陽の作品であることを改めて認識した次第だ。
資料館の外には、頼山陽が脱藩の罪によって幽閉された居室が原爆により焼失されたが、復元されており、ここで『日本外史』が 執筆されたと。紀行とは違った充実感で退出する。
次に、原爆投下時の被爆建物である「袋町小学校平和資料館」に向かう。
原爆ドームしか被爆の史跡を見たことがない。学校の手前に城の石組があり、そこに原爆被災者の治療に当たったスイス人「ジュノー博士」のレリーフが 飾られている。「ひろしまの恩人」と云われているそうだ。
袋町小学校の前には被爆当時の崩れ落ちた校舎のレリーフが当時の被害の大きさを表している。学校に入ると何とも云えない悲惨な状況や 史実が残っており、原爆の悲惨さに・・・・・・・。

ジュノー博士のレリーフ

被爆当時の校舎

袋町小学校平和資料館


本通りの賑わい

牡蠣料理

胸を締め付けられる思いを振り切り、ホテルに向かい、チェックインし、身軽になった所で、夕食の居酒屋に向かう。
本通り商店街を通るが、ここは「山陽道」なので、明日、ここを通過するのだと話しながら進む。
日曜日なので人通りも多く、大変賑やかな商店街を進み、本通りから外れた居酒屋で、ビールで乾杯し、名物の魚介類・牡蠣を ゆっくりと楽しむ。本場の味は、さすが美味しかった。
「ひろしま夜神楽」の時間が迫って来たので、会場の旧日本銀行広島支店に向かう。 観光協会のチラシによると、「ひろしま夜神楽」は 11/31〜12/9までの週末に行われており、今日が最終日だ。会場の旧日本銀行広島支店は被爆建物の一つで、戦火の中唯一残ったと。
会場に入ると満員で、後ろの立見席で観賞する。前には銀行の窓口のカウンターがあり、その中に観客席、奥に舞台が設置された小さい造りだ。
県内の神楽団が順番に行っているようで、今日は「羽佐竹神楽団」の上演で、「大江山」と「八岐大蛇」が始まる。

大江山・鬼と武者

八岐大蛇・大蛇の舞い


舞台と観客席が近いので、臨場感にあふれ、笛・太鼓の生演奏で音響効果も素晴らしい。間近で「大江山」を観劇出来るが、前の人の 頭でなかなか良いポジションが得られない。
やっと、出納窓口のカウンター前に進め、ゆっくりと観賞出来る。初めて見る「石見神楽」に興奮する。写真はなかなか上手く写せないので、 途中からビデオモードで撮影する。

大江山・武者

大江山・鬼退治

夜神楽のお囃子


拍手喝采で「大江山」を終える。「石見神楽」の演者は男性ばかりで、歌舞伎と同じだ。ダイナミックな踊りと振り付けはスーパー歌舞伎的かと。 体力的にも厳しい踊りの時間に圧倒される。
次は「八岐大蛇」で狭い舞台に8匹の大蛇が踊り舞う様子は迫力があり、良く構成で来たものだと感じ入る。お囃子の音色とマッチし、8匹が 胴体を入り乱れての踊りは素晴らしい。「石見神楽」を堪能し、満足感一杯だ。

八岐大蛇・大蛇

八岐大蛇・若武者

八岐大蛇・翁と老婆


平和大通りのイルミネーション

イルミネーション

思わぬ充実した時間を過ごすことが出来、外に出ると外気がが気持ち良い。
平和大通りに向かうと広い道路の遊歩道はライトアップされており、若い男女が散策している。長い距離に、色々と趣向を凝らしたイルミネーションが 美しく、しばし魅入る。
お腹がすいたので、ラーメン屋を探すが見当たらず、ホテルに戻り、近くで有名なラーメン屋に向かう。少し行列があったが、美味しいラーメンを食べ、 ホテルに戻り、大浴場で疲れを癒して、ぐっすりと眠る。

「広島見物」の「紀行スライドショー」

今日は早朝より、雪の中の紀行を楽しみ、ほぼ予定通りの行程を消化出来た。O君の案内での広島見物も衝撃であり、「ひろしま夜神楽」は 偶然とは云え、最高の時間を過ごすことが出来、満足した一日だった。


[西条〜中野東][中野東〜広島・土橋]







    
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