[広島・土橋〜廿日市][廿日市〜玖波]


○「山陽道No15」見聞録(広島・土橋〜玖波)・(距離 31.2km(今回)/ 449.1km(累計))

  1.広島・土橋〜廿日市・(12.9km) 2013.11.13. 8:25〜16:30 晴れ時々曇り


西国・山陽道全行程.Map

「広島・土橋〜廿日市・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

昨年末に、友人3人との「山陽道」紀行は広島まで進んだ後、1年間中断していた。その間に、単独で 「薩摩街道」紀行を実施し、この夏には 少し中抜きしたが、現役時代単身赴任していた鹿児島県出水市まで進むことができ、昔の仲間と楽しく懇親する機会を得た。
1年振りで「山陽道」紀行を再開することになり、O君が調べてくれた所、昨年末、広島で鑑賞し、感動した「石見神楽」の催しがある日程に 合わせて実施することにする。
今回は、以前一緒に歩いたSさんも同行することになり、行程を調整した結果、「ジパング」を持っているN君・Sさんは「さくら」で、 O君と小生は「こだま割引切符」で広島に行き、現地で待ち合わせることにする。
6時59分発の「こだま」に乗るため、6時40分にO君と新大阪駅で待合せ、合流して、広島に向かう。天候は良い予報で、少し寒波が来る 様だが問題なさそうだ。
のんびりと車窓から、昨年歩いた行程の一部を思い出しながら眺め、当時の話をしながら、9時33分に広島に到着する。後発の「さくら」組と 広電・広島駅で合流し、前回の最終地点である土橋駅まで進む。広電の市内料金は150円と安いのには驚く。 Sさんは、今回の紀行を終えた翌日から横須賀に行き、「三浦半島一周マラソン」に出場すると云う鉄人だ。

8時25分、土橋駅の角から今回の紀行をスタートする。
信号を渡った所で、身支度を整えていると自転車に乗った奥さんが、何処に行くのかと。「旧山陽道」を歩いているのだと応えると、この道を 真っ直ぐ行けば良いと教えていただき、自分も昔は良く歩いたと話される。
電車道から旧街道に入ると左に「頼山陽煎餅本舗藝陽堂」が建っている。前回、「頼山陽史跡資料館」を訪れたことを話しながら、天満橋を 渡ると右に「天満宮」が鎮座し、鳥居の横に「ここは旧山陽道」と記された道標が立っている。この辺りは「山陽道」と云うのだと確認する。 (紀行の後半は「西国街道」と云われていた。)
右角に広島西郵便局が建つ交叉点の手前左角にあり、美味しそうな餅を売っているので買い求める。この辺りには、旧街道の名残か、 美術商が数軒残っているのを見ながら、少し強い風が冷たく感じる太田川を己斐橋で渡り、西広島へ向かう。

土橋駅 頼山陽煎餅本舗藝陽堂

ここは旧山陽道の道標

太田川


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

己斐橋を渡って少し先を左に入り、商店街を進むと右にJR西広島駅が建ち、左の広電西広島駅との間の道を進む。川を渡った左に、 赤いテントに「別れ茶屋」と書かれた商店が建っている。 中に入ると古い「別れ茶屋」の額と汽車が描かれた絵が飾られている。ここは、南からの沖道と合流する場所だと。往時賑わっていたのだろう。
JR山陽本線の踏切を渡り、その先の西広島バイパスの高架下を抜けて進む。右に小さな「地蔵堂」が祀られ、その先に、「高須一里塚」あった らしいが分からず、細くなった注宅街の旧街道を進むと右に立派な「延命地蔵」が祀られ。側に「是ヨリぢぞう道」と記された道標が立っている。

別れ茶屋 絵画

地蔵尊

延命地蔵


少し進んだ右に立派な家が建っている。「茶道上田宗箇流家元の家」で、秀吉の時代、千利休、古田織部らと親交が深い茶人だと。
旧街道は、 JR山陽本線に接近し、再び山側に向かってウネウネと進む。家の壁に「西国街道ふるた歴史散歩道」の案内板が掲げられている。この辺りの 史跡が示され、ここでは「西国街道」と云うことが分かり、面白い。
道なりに進みR山陽本線の草津踏切を渡って、線路沿いに進むと右に「鷺森神社」が鎮座する。平安時代に勧請され、 市杵島姫命と金毘羅神が祀られていると。ここの本殿と拝殿の間の渡し橋が珍しい。

茶道上田宗箇流家元の家

西国街道ふるた歴史散歩道の案内板

鷺森神社 渡し橋


海蔵寺本堂

歴史に詳しいN君が北条氏直や山中鹿之助の娘の墓が祀られている「海蔵寺」に行こうと、JRを渡って、山側の高台に建つ「海蔵寺」に 向かう。
応永年間(1394-1427)中国の僧慈眼禅師が創建し、永正元年(1504)曹洞宗に改宗したと言われている。
墓所には東城浅野家歴代五輪墓や北条氏直を葬ったと言われている墓がある。 北条氏直とは、天正18年(1590)豊臣秀吉が小田原城を攻めた時に降伏させた北条氏政の子である。氏政は自害したが、氏直は徳川家康の 娘婿の為、助命され高野山に謹慎させられた。後に秀吉のお側衆となり1万石を領している。
尼子方の武将、山中鹿之助の次女、盛江の墓がある。 鹿之助は毛利方との合戦に破れたが、盛江は草津城主の児玉家に預けられ、その後、草津の商家に嫁いだと言われている。(海蔵寺HPより)

長い石段を上ると、大きな「タブの木」が植わり、立派な本堂の左側の墓地には「北条氏直の墓」と「山中鹿之助二女の墓」が祀られている。 N君から、北条氏の歴史や山中鹿之助の歴史の話を聞き、しばしくつろぐ。境内は高台なので、宮島が見えるかと探すが、まだ先の様だ。 (11:50-12:15)

海蔵寺への長い石段

北条氏直の墓

山中鹿之助二女の墓


静かな草津の街並みは旧街道の風情が残り、山沿いの道を進むと、右に立派な草津宿を代表する老舗の造り酒屋「小泉酒造」が建っている。 早速、店内に入りご主人とお話をし、「宮島街道」と銘打った日本酒を買い求める。ここで、醸造される清酒は厳島神社へ献上されるのだと。
小泉酒造の向かい側の小さな空間には、「ここは西国街道"草津まち"」案内板が立っている。この辺りは史跡に対する関心が深く、旅人には 嬉しい場所だ。
その先の道角に「燈籠と石臼」が置かれている。近くの邸宅から移設したものらしいが、昔の趣が残る街並みだ。

草津の街並み 小泉酒造

ここは西国街道"草津まち"の案内板

燈籠と石臼


道なりに進み、広電の踏切を渡ると左に「幸福稲荷神社」が鎮座する。その先には「西楽寺」が建つ古い街並みを巡る。 少し進んだ左に「大釣井(おおつるい)」が残っている。昔の井戸で、住民や旅人の飲み水として、また、防火用水として用いられていたと。 旧街道は、一旦、国道2号線に接し、再び、山側に進み、広電の踏切を渡って、JR山陽本線沿いに進む。
旧街道は、JRを踏切で渡って進むのだが、昼食のため、そのままJR新井口駅に接するアルパークの食堂街に入り、名物の「カキフライ」を食べ 一息入れる。(13:05-13:50)

幸福稲荷神社

大釣井

カキフライ


「山陽道・広島〜廿日市@」の「紀行スライドショー」

広島の旬の牡蠣を食べ、元気を取戻し、旧街道に戻る。
JR新井口駅北の二股は右に進み、「おおすみストア」の角を左折して進むと広電の井口駅に突き当たる。しばらく、JRと広電沿いに進み、 井口北高校の歩道橋が架かる所から、右斜めの道に入って行く。
細くなった道の右に「塩釜神社」の小さな祠が祀られ、説明板によれば、塩造りがされていた海岸だと。その先には「街道松」の説明板が 立っているが、目立った松は見当たらない。井口の街並みには立派な休暇も建ち、道脇に小さな「餓鬼の首地蔵」の祠が祀られ、説明板に よると難破した船の船頭を祀った地が「餓鬼の首」だったので、「餓鬼の首地蔵」と云われるのだと。
道なりに進むと広い八幡川があり、新しい八幡橋で渡る。この川は氾濫が多く、何度か架け替えられ、橋の手前には、昭和4年当時の親柱が 展示されている。

塩釜神社

餓鬼の首地蔵

八幡橋 八幡川


八幡川を渡り、道なりに進み、広い道を過ぎた辺りで道に迷う。「福屋」の裏の筋を左折するのだが、「福屋」が分からず、尋ねると戻って その位置を教わる。もっと派手な建物かと思っていたが、マンションの様で分からなかった次第だ。先程の道角まで戻り、左折して進む。

楽々園の街道松 立派な松

JR五日市駅の側に接し、道なりに右に曲がって進むと再びJR山陽本線沿いに西に向かう。JR山陽本線の踏切を渡り、JRと広電の間を行く。
広電・楽々園駅辺りは、左に松並木が残っている。案内板によると、一号松から五号松までが現存すると記されているが、所々に、名残り 程度に植わっているに過ぎないのは残念だが、立派な松も残っている。昔は、気持ち良い道だったのだろうと想像しながら、 旧街道を楽しむ。
岡ノ下川に突き当たると川端に「一里標」の古い石碑が立っている。 横には「従是東広島区内・・・」と記されている。道路里程標なのだろう。
川沿いに進み、広電の踏切を渡り、岡ノ下川を海老橋の歩道橋で渡って左折し、川沿いに下って、三筋橋で右折する。
広い県道を西に向かう。国道2号線を渡ると旧街道は狭くなり、右に大きな「西国街道壹里塚跡」と記された石碑が立っている。 「佐方の一里塚跡」と呼ばれるらしいが、旧街道の道標には似合わない石碑なので、一同、もう少し趣が欲しいなぁと。
佐方川を佐方中橋で渡り、少し先の左に桜尾公園があり、立派な松が植わっている。案内板によると、佐方中橋から桂公園の辺りまで、 6m間隔で68本の 松並木があったそうだが、今は、この一本しか残っていないそうだ。また、ここも「西国街道」と記されている。「山陽道」VS「西国街道」は 面白い。
少し日が傾き、寒くなって来たので、O君持参のコンロでコーヒーを振る舞ってもらう。見事な松を見ながら、公園の片隅で一息入れる。 (15:30-16:00)

一里標

佐方の一里塚跡

桜尾公園の街道松 説明



















一息入れ、西日が眩しくなった旧街道を進む予定を変更して、「桜尾城址」に立ち寄る。桜尾公園の先を左折し、城山に添って進むとスロープが あり、上って行くと「桜尾城址」に到達し西日が照り付ける中、子供たちが広場でサツカーに興じている。

桜尾城址

桜の木が紅葉

鎌倉時代以来320年にわたって厳島神社や佐伯郡一帯の神領を治めていた厳島神主家の居城址。
桜の名所でも知られ、 現在は昭和の桂公園の造成により、わずかに郭跡と思われるものが残っています。毛利元就と陶晴賢が戦った厳島合戦(1555年)の際 、毛利軍の本陣となった場所で、合戦に敗れた陶晴賢の首実検はここで行われました。 (ひろしま観光ナビHPより)

城址の一画に、厳島合戦のときの桜尾城主が、毛利元就の重臣 桂元澄で、のちに明治の元勲となる桂太郎の揮毫による桂公園碑がが立ち、 桜の木が紅葉している。周りを望めないが、当時、桜尾城からは厳島が眼下に望められたのであろうと想像しながら、城址を降りる。

廿日市招魂社

廿日市宿本陣跡

「桜尾城址」を廻るように進み、旧街道に戻ると「廿日市招魂社」が鎮座する。
静かで落ち着いた「廿日市宿」の街並みを楽しみながら進むと右側の崖の上に「廿日市天満宮」の鎮座する。随分高い所に祀られているのだと 見上げながら、鳥居の前まで行くと左に「廿日市宿本陣跡」の碑が立っている。ここに本陣があったのだと。
前の「廿日市天満宮」の鳥居をくぐり、急な石段を上り、本殿に参拝する。
ここは桜尾城の支城でもあったそうで、見晴らしが良く、 宮島水道(?)と弥山を始め宮島の山々が望めるがビルが邪魔して、全景が望めないのは残念だ。

廿日市天満宮・本殿

かつて、南海奇勝の地と詠われた廿日市の中央、標高29.2mの篠尾山上。
廿日市全体を見下ろすように建つ廿日市天満宮。俗に天神、あるいは天神さんと呼ばれる。
廿日市は江戸時代中期から後期にかけて北前船が出入りして栄えたが、全国の回船問屋が寄進した玉垣がかつての繁栄ぶりをしのばせる。
ゆったりとした参道の117段の石段を登ると、小高い山上から市街地、瀬戸内海の景観を望むことができる。(廿日市観光協会゙HPより)

お参りをしていると宮司さんが出て来られたので、厳島神社の鳥居は 見えないかと尋ねると、少し下の石段から、ビルの横に小さく見えると。安物のディジカメでは、望遠にしても確認できなかったが、帰宅して パソコンで見ると薄っすらと写っているので、満足する。
夕日に染まり、青空と海と宮島の景観をゆっくりと堪能する。もう少し先だと、紅葉ももっと映えているのであろうと想像しながら、 この角度からは始めてみる宮島を眺め、少し足を引きづりながら、きつい階段を下りて行く。

廿日市天満宮・鳥居

崖の上の廿日市天満宮

宮島展望 厳島神社


旧街道に戻り、日の入りまではまだ少し時間があるが、本日の歩行はここまでとし、広電・廿日市駅に向かう。(16:30) 本日の歩行歩数は31200歩と多くはないが、久しぶりの街道歩きで、足はそれなりに疲れた。
今日は、広島に戻り「石見神楽」鑑賞の楽しい企画もあるので、無理することなく終えた次第だ。広電・廿日市から電車に乗り、今日歩いた 行程を見ながら戻り、紙屋町西で乗り換え、中電前で降り、前回も宿泊したドーミーインにチェックインする。それにしても、広電の料金は安い。 230円で、乗換えてもその料金は無料なのだ。(17:30)

広電・廿日市駅

八岐大蛇

「石見神楽」は近くの県民文化センターであるので、歩いて行き、18時30分開場までの間に、寿司屋で2人前を4人で食べ、日本酒で体を温め (銚子が2本しかない店)、会場に行くと長蛇の列だ。1000円の入場料を支払、前の方の席で、開演を待つ。
前回は無料だったが、今回は有料なので、期待したが、前回が素晴らしかったので、今一の感想しか得られなかったのは残念だ。演目は 「悪狐伝」と「八岐大蛇」で、人員も少なく、八岐大蛇と云いながら4匹しか出て来ない迫力不足にはがっかり。ただ、外国人観光客も多く 鑑賞していて、日本の神楽を楽しんでおられたのには驚いた。写真撮影も禁止で、最後の大蛇だけOKとなったので、パチリと。(21:00)

「山陽道・広島〜廿日市A」の「紀行スライドショー」

少し物足りない「石見神楽」鑑賞だったが、O君が広島赴任時代知っている居酒屋で、本日の紀行達成の乾杯をし、楽しく話す。ホテルに 帰る途中の安そうな居酒屋にも少し立ち寄り、23時前にホテルに戻り、大浴場で足腰を癒して、ぐっすりと眠る。
1年振りの「山陽道」紀行だったが、全員バテることなく、完歩出来たこと素晴らしい。


[広島・土橋〜廿日市][廿日市〜玖波]







    
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