[嘉川〜厚狭(逢坂)][厚狭(逢坂)〜小月(清末)][小月(清末)〜下関]


○「山陽道No21」見聞録(嘉川〜下関)・(距離 59.0km(今回)/ 621.9km(累計))

  1.嘉川〜厚狭(逢坂)・(20.4km) 2014.11.23. 9:40〜17:10 晴れ


西国・山陽道全行程.Map

「嘉川〜厚狭(逢坂)・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。(街道歩き旅.com HPより借用)

「山陽道」紀行も、いよいよ終盤・ゴール到達となった。何時の時点で、到達するか検討した結果、夏場は避け、下関=「ふぐ」と考え、11月後半に 実施することにし、日程調整を行った。
残り約60kmを2泊3日で進むこととし、JRから離れる行程もあるので、厚狭・小月で宿泊することにする。
今回は、以前同行したSさんも、ゴールを一緒にしようと参加され、O君・N君と4人旅となる。3人は当日ジパングを活用して新幹線、小生は、 何時もと同様、前日の夜行バスで行き、新山口駅で合流することとした。
いよいよ、ゴールだと、9月初めより、行程・宿泊場所・達成祝賀会場等、メールでやり取りする楽しい時間を過ごす。

11/22(土)、21時30分発の深夜バス発車時間であるが、少しの早目に家を出て、大阪駅界隈のクリスマス・イルミネーションを見ることにする。

スケートリンク

ビール売場

大阪駅北の広場には、スケートリンクが設置されており、たくさんの人が滑っている。アイスではなく、アクリル板の上に潤滑剤を吹き付けたリンクだそうだが、 違和感なく楽しく滑っている。
周辺にはビールを売る店もあり、土曜日なので賑わっている。クリスマスは近い。
何時ものように、睡眠導入剤を飲み、停留所に向かう。三連休でもあり、女性客が多く、どの方面行も満席のようだ。
以前は下関に停車していたが、ツアーバスが廃止され、小倉まで行かねばならなくなった。4人席のバスは満席で、通路側の席で直ぐに眠ってしまう。
途中のトイレ休憩では起きたが、よく眠ることができ、5時45分に小倉駅に到着する。朝食は、以前「薩摩街道」紀行時に訪れた「すき屋」で しようと行くが、早朝営業はしておらず、コンビニでサンドウィッチ等を買って、6時26分発の下関行に乗り、ガラガラの車内で朝食タイムとする。
下関駅で岩国行に乗り換え、車窓から夜明けの景観を楽しむ。冷え込んだのが、朝霧が立ち込める畑や朝日の輝きを楽しみ、今日は晴天だと 確信する。
8時過ぎに新山口駅に到着し、O君が仕入れた情報を確認に行く。新山口駅は新幹線が通るまで、小郡駅だった。現役時代、小郡駅からお客様に 訪れたことがあり、「小郡」の名前には愛着があり、その駅の標識が残っていると。
1番線ホームの端に駅標とD51の動輪が展示されている。これだと思って、記念撮影をパチリと。

朝霧

朝日

小郡の駅標とD51の動輪


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

O君たちとは、9時25分に落ち合うことになっているので、その間を利用して、前回歩いた「小郡宿」の見落とした所を探索することにする。 余り史跡は残っていなかったが一部を散策する。詳細は [長沢温泉〜嘉川]に記述する。

9時25分、O君・N君・Sさんが新幹線で到着し、春以来の再会の握手。早速、小郡駅標を確認し、山陽本線で前回の最終行程・嘉川駅まで 向かう。天気は良く、少し暑い位の歩行日和だ。
9時50分、無人の嘉川駅で身支度を整え、「山陽道」紀行の最終回をスタートする。
駅前から一筋進んだ角から左に入り、旧街道を進む。少し進んだ幸之江橋を渡ると左に「山陽道と白松道の道標」が立っている。 その先で県道335号線を横切り、右斜めに進むと右に「熊野神社」が鎮座する。

JR嘉川駅

山陽道と白松道の道標

熊野神社


気持ち良く旧街道を進む。国道の喧騒もなく田舎道だ。左に嘉川46番の「大師堂」を確認し進むと、左に「防府天満宮」と刻まれた道標が 立っている。その先には、右に大きな「常夜燈」も立ち、旧街道の趣いっぱいだ。
旧街道は山口宇部自動車道とR335、国道2号線と交わる難しい行程となるが、道なりに右に右に進むと山口宇部自動車道の高架下を抜け、更に 「下関51km」の道路標識を見て、ゴールが近くなっていることを確認して進むと右に「おいはぎ峠」と云う食堂が建っている。 「おいはぎ」との名前からして、昔は寂しい峠道だったのだろうと話しながら、西に向かうある。

防府天満宮の道標 常夜燈

山口宇部自動車道の高架下

食堂:おいはぎ峠


国道2号線を少し進むと右に「周防長門国境碑」が立ち、「東周防國吉敷郡、西長門國厚狭郡」と刻まれている。昔の国境で、今では山口市と 宇部市の境界線だ。

周防長門国境碑

少し進んだ所にラブホテルがあり、その手前の本屋の陰で一息入れる。暑くなって来たので、ジャンパーを脱ぎ、水分補給をする。(10:45-10:55)
ラブホテルの先から右の旧街道に入り、国道歩きから逃れ、ホットする。この辺りは、割木松(わりごまつ)と呼ばれ、防長の境にあった松を両国の 農民が争って切り取ったためのとのことだ。右に「庚申塚」を見て進むとその先右に「三界万霊の地蔵立像」が立っている。 その先で再び国道2号と合流する。
再び、国道に合流し、反対側に歩道があるので、行き交う車を縫って、反対側の歩道を進む。この先右の山裾から旧街道に入るのだが、 その入り口が分かりづらいとのことなので、中止しながら進むと山裾のコンクリートの切れ目とホテルの看板の裏側の茂みが、入口らしい。

庚申塚

旧街道への入口


入口らしき所は、笹に覆われ、道が続いているようには見えなかったが、笹を分けて進むと道はありそうだ。左側に猪除けの金網が設置され、 それに沿って旧街道が続いているのだ。
左に広々とした畑を見ながら、山裾の地道を進む。蜘蛛の巣が張っているので、小枝で祓いながら進むと木製の橋も設置されており、地元の方の ご努力で整備されているのは嬉しい。快適に進むと舗装道路に当たり、角には「山陽道」の道標が立っている。難所(?)を抜けたと一安心する。
舗装道路を左に進むと右上の丘に「山伏の墓」らしき墓が祀られている。その先の四辻を右に進むのが旧街道だが、昼食の調達のため 上山中交叉点横のコンビニに立ち寄り、一息入れる。(11:35-11:45)

金網沿いの道

木製の橋

抜けた所の道標 山伏の墓?


熊野神社

山中上市の街並み

当初の計画では、昼食はもう少し先の国道筋で食べようとしたが、電話するも通じず、廃業の可能性もあるので、コンビニで調達した次第だ。
元の道に戻り、山中上市の集落に向かう。直ぐ右に「熊野神社」が鎮座する。長い石段があり、鳥居前の案内板に「山口県指定天然記念物 ツルマンリョウ」の自生地とあるので、探すが良く分からない。
山中上市の落ち着いた街並みを楽しみながら進む。この辺りは、半宿とのことで、立派な家が立ち並び、宿場町の趣が残るの嬉しい。少し 左横には国道が走っているが、この旧街道は静かで満足感いっぱいだ。
道なりに進むと上山中下之橋があり、その手前に「三界地蔵」が祀られている。橋を渡らず右折し、川沿いに進む。何処かで昼食にしようと、 場所を探すが、適当な場所がないので、川岸に座り、Sさんが持ってきてくれたコンロで、スープを作り、美味しくいただく。(12:10-12:45)

落ち着いた街並み

三界地蔵

昼食


「山陽道・嘉川〜厚狭(逢坂)@」の「紀行スライドショー」

暖かい陽射しを浴びての昼食を終え、川沿いに進み、国道を横切って川沿いの草道を気持ち良く進む。国道に食堂があったはずの裏側を歩み、 橋を渡ると「庚申塚」が立っている。そのまま川沿いに進むとやがて国道に合流する。
国道の左側の歩道を歩いていると右に白い標識が見え「山中本陣跡」と記されている。「山中半宿」の本陣が建っていたのだろう。
国道を進むと大きな岩の前に「地蔵堂」が祀られ、岩の上にはお地蔵様も祀られている。国道だが、旧街道の史跡が残っているのだ。、更に進むと 右に「与助の首」の木碑が立っている。天保年間にこの地方で活躍された人だと。

川沿いの草道 庚申塚

山中本陣跡の碑

大きな岩の前の地蔵堂 与助の首


車地の信号付近にも食堂があったが、電話が通じなかった。信号の手前から、国道を離れ、左に折れて行く。
その角に、食堂があり、開店しているようだ。いずれにしても、コンビニで食糧調達して良かったと話しながら、旧街道に入って行く。
厚東川に沿っていに下って行くと「二俣瀬渡し場跡」の碑が立ち、ここから対岸に、瀬伝いに渡ったと想像する。その先に「永山酒蔵」があり、 お酒を求めようと立ち寄るが、休日なので開いていない。犬が猛烈に吠え、早々に退散する。
厚東川を木田橋で渡るとそこにも「二俣瀬渡し場跡」の碑が立っている。国道2号線を斜めに横切り進む。
川沿いの大きな銀杏が黄色に染まり美しい。傍には「常夜灯」が立ち、右には「秋葉神社」の鳥居も立つ趣のある旧街道を進む。 その先には、注連縄で飾られた「庚申塚」が祀られている。

二俣瀬渡し場跡の碑 銀杏

秋葉神社の鳥居

庚申塚


殿様道(山陽道往還跡)の木標

旧街道は、再び国道2号線に合流する。標識が立ち、国道2号線のスタート・梅田新道から490kmとある。旧街道は迂回しているので、もっと歩いて いるのだ。
右上の丘の上には「薬師堂」が祀られ、その先には「丸山ダム」のダム壁が堂々と建っている。
そろそろ、本日一番の難所「どんだけ道」に近付いて来ていると思いながら、右に入る旧街道に入って行く。緩やかな坂道を上って行き、 「どんだけ道」の分岐点を探していると瓜生野公会堂が建ち、その角に「殿様道(山陽道往還跡)」の白い木標が立っている。(13:55)

丸山ダム 薬師堂

国道から旧街道へ


「どんだけ道」と「殿様道」との違いが分からないが、まずは入口が分かったことに安心し、右の山道に入って行く。藪こきをしなくては いけないと思っていたが、地道は整備されており快調に進むと右に「大蔵社」が祀られている。小さな「道標」立っていて、道なりに進む。
先達の紀行記では、道を間違えてロスしたとあるので、慎重に進むが、整備された道は続いている。地元の方のご努力に感謝だ。地道の横には 羊歯が茂り、気持ち良い「どんだけ道」だ。

整備された地道

大蔵社

羊歯のどんだけ道


快適な地道は、緩やかに左右に曲がりながら続いている。右奥には、先程見た「丸山ダム」が広がっているのだと思いながら、木立の中の落葉が 敷かれた地道を西に向かう。
やがて、下り坂になり、視野が広がり舗装道路に出会う。その角には「道路史跡・山陽道跡」の少し古くなった道標が立ち、横には、大きな看板が 立っいる。反対側には「どんだれ道(旧山陽道)」と鮮やかに描かれている。難所の「どんだけ道」は整備されており、問題なく踏破できたのだ。 舗装道路を横断して、草道を進み、その先の橋の手前で、一息入れる。(14:15-14:25)

落葉の地道

山陽道跡の道標

どんだけ道(旧山陽道)の看板


「山陽道・嘉川〜厚狭(逢坂)A」の「紀行スライドショー」

橋を渡り進むと「旧山陽道」の立派な木碑の道標が、左に進めと示している。このルートも先達は藪こきをした所だが、地元の方が整備されたようで、 地道が林の中に続いている。枯葉を踏み締めて快調に進む。地道で、落葉が敷かれている道は、足・膝・腰に気持ち良い。
小枝で、蜘蛛の巣を払いながら楽しく進む。所々に紅葉の木に出会い、秋の雰囲気の中の歩行は嬉しい。やがて、林の中の道を終え、舗装道路に 出会う角にも「旧山陽道」の道標が立っている。
舗装道路は国道2号線に合流し、右に「正覚寺」が建っており、しばらく国道歩きとなる。

旧山陽道の立派な木碑

林の中の道

落葉の地道 紅葉


国道を進むと下岡信号の右にコンビニがあり、トイレ休憩とする。(15:50-16:00)
信号の先に「ガャルリー小川」の看板の所から左斜めの旧街道に入って行く。直ぐ新幹線の高架下をくぐって、静かな旧街道を進むと右に曲がって 行き、左から合流する道を進むと再び国道2号線と合流する。
ここからは、緩やかな上り坂の歩道のない国道歩きとなるが、交通量が激しく怖い感じた。タオルを振り、車に注意を促しながら上って行くと 「吉見峠・標高90m」の標識が立っている。峠の頂に到達したのだ。下り坂になるが、車の量は激しく注意して進むと右に船木工業団地があり、 その先左の旧街道に下りて行く。

静かな旧街道

危険な国道歩き

吉見峠 旧街道へ下る


坂道を下って行くと石灰石を運搬する宇部興産専用道路の高架があり、その左手前に「六地蔵」が祀られている。高架下を抜けると左に 「山陽道一里塚跡」の白い標柱が立ち、赤間関ま記されている。後36kmでゴールだと実感する。
その横には「地蔵尊と大師堂」が祀られており、旧街道を「船木宿」に向かう。

六地蔵

山陽道一里塚跡の標柱

地蔵尊と大師堂


船木宿の街並み

少し先左の旧街道沿いには「船木宰判御高札場跡」の碑が立ち、右に「岡崎八幡宮」が鎮座する。境内には樹齢700年と推定される大きな楠が そびえ立っている。
左に立派な「願正寺」が建っており、近くの古い土塀の家は、由緒ありそうだが、何の標識もない。
その先の四つ辻に「旅人荷付場跡」の碑と案内板が立っている。案内板には 「船木は本宿で、ここには駅馬15頭と人足十数人が用意され、公儀役人、大名行列、旅人などを世話していた」と記されている。

旅人荷付場跡の碑と案内板

「船木宿」の落ち着いた街並みを楽しみながら進む。旧街道の宿場の雰囲気を残している街並みは嬉しい。
少し先右に「住吉宮」が鎮座し、入口には大きな「常夜燈」が立っている。その先にも、大きな「地蔵坐像」が祀られている。旧街道だと実感しながら 進む。
「船木宿」はその先、楠町茶屋の交叉点で終わる。

岡崎八幡宮 船木宰判御高札場跡

危険な国道歩き 住吉宮

地蔵坐像 常夜燈


今回の紀行を計画する時、嘉川〜厚狭までは約24kmあり、我々の足では少し無理ではないかと考え、エスケープ行程として、船木からのバス移動も 考慮していた。この楠町茶屋から国道2号線沿いに厚狭まで運行するバスを活用しようと考えた次第だ。
楠町茶屋バス停に到着したのが、16時10分。時刻表では、16時16分発なので、乗車可能だが、まだ時間が早いので、そのバスを見送り、国道沿いに 歩き、適当な停留所まで進もうと判断した。

国道歩きとなるが、ここは歩道もあり安全に進めるのは有難い。段々と日暮れが近付くので、明日からの行程を考え、出来るだけ距離を稼ごうと 国道を淡々と進む。道路標識で国道2号線500kmと記されている。梅田新道から500kmなのだ。歩行ではもっと歩いているだろうと。
楠町茶屋バス停発の次のバスが17時26分発なので、そのバスに乗るべく、次々と停留所を過ぎて行く。銭ケ原停留所を過ぎ、逢坂停留所前のラーメン屋の 手前から右に旧街道があるので入って行く。しかし、これが間違いで、段々と山に上って行き、10分程進んだ所で、間違いと判断し戻る。国道の 手前ラーメン屋の先に旧街道があることを発見するが、薄暗くなって来たので、本日の紀行はここで終了とする。(17:10)
逢坂バス停でバスを待つ。秋の日没は早く、暗くなるのは一瞬だ。17時31分発のバスで厚狭駅に向かい、駅前の厚狭ステーションホテルにチェックインする。N君は 親戚の家に泊まるので、駅前の居酒屋に行き、今日の無事の歩行に乾杯。豚料理が名物の居酒屋で、焼き豚を頼むと面白い鉄板が出て来た。 傾斜があり、その先は穴が開いており、豚の脂がその穴から落ちるようになっている。明日の予定を相談し、第一日目を終える。

国道歩き

間違った道

豚焼きの鉄板


「山陽道・嘉川〜厚狭(逢坂)B」の「紀行スライドショー」

ホテルに戻り、バスで足をマッサージし、疲れを癒し、ぐっすりと眠る。本日の歩行歩数は43800歩だった。
旧街道が残っているのか心配した国道からの侵入口の道や「どんだけ道」も無事踏破できたが、最後の最後で道を間違えたのは残念だった。 しかし、国道歩きもあったが、旧街道が結構残っているのは嬉しい。
明日は、バスで逢坂まで戻り、本日予定した残りの厚狭までの行程と計画した小月までの旧街道を踏破し、最終日に繋げたい。


[嘉川〜厚狭(逢坂)][厚狭(逢坂)〜小月(清末)][小月(清末)〜下関]







    
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