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「シチリア・南イタリアを巡る10日間」旅行記


◎ 「パレルモ~アグリジェンド~パレルモ」(2017.01.13<金>.)

4時過ぎに船の揺れで目覚めた。激しくはないが、結構揺れている。翌朝、船酔いをしたと話している方が数人おられた程だ。船内なので、モーニングコールは なく、5時30分朝食、6時50分集合の予定となっている。
目覚めたので、船内を探索することにする。8階のレストラン横から甲板に出ると猛烈な雨が降っている。雨なのか波なのか分からないが、頭の上から降り 注ぎ、甲板に出ることはできない位だ。
フェリーの朝食
フェリーから下船
仕方がないので、船内に戻り、人気のない広間をのぞくと何人かの旅行者がソファーの上で眠っている。
船の揺れで狭い通路の壁を支えにして船室に戻る。 地中海と云えども結構な揺れがあるのだと再認識した次第だ。
5時30分からレストランで朝食だが、夕食に比べるとシンプルそのもので、昨夜の野菜サラダの一部でもあればと思う程、緑のないハム・チーズの朝食だ。早々に 食べ終わり、甲板に出ようとするも先程と同じ波しぶきで遠くの灯りを見る位だ。船室に戻り、下船の準備をする。
6時30分、フェリーはほぼ定刻にパレルモ港に接岸したようで、6時50分に集合して下船し、バスが出て来るのを待つ。天気は良さそうで、甲板の雨か波かは、 波しぶきだったと理解する。まだ薄暗く、船体を写すが、ピンボケなので載せるのは止める。東京からのツァーも同じフェリーに乗っており、先にバスが出て来て 出発するのを見送り、次に出て来たバスに乗り込む。同じ行程を進むと思われる東京組とのデッドヒートが始まるのだ。
本日の予定は、まずホテルに立ち寄り、午後の オプショナルツアーに参加しない方の荷物を置き、パレルモ市内観光をし、市内観光組と別れて、「アグリジェント遺跡」 観光に向かうことになっている。

地中海の中心に位置し、古代から各国との紛争に巻き込まれながら、高度な文明都市が発展したシチリア。
様々な民族が行き交ったこの島には、イタリア本土とは異なる独特の文化が根ざしているようだ。これからは、その時代の遺跡や文化・民俗を楽しみたい ものだ。
●シチリアの概要
・面積  25.420㎢(四国の1.4倍)
・州都  パレルモ 
・人口  約508万人(2013年)、イタリア語・シチリア語・その他。
・時差  8時間
・歴史  ・紀元前8世紀、ギリシャの植民地開始。
     ・紀元前256年、ローマ帝国の属州となる。
     ・440年、ウァンダル王国に併合。
     ・5世紀頃、東ゴート王国に併合。
     ・552年、東ローマ帝国に併合。
     ・827年、アラブ人侵入、シチリア首長国成立。
      ・1130年、ノイマン人が進出し、シチリア王国成立。
     ・1266年、フランスの支配。
     ・1282年、スペインの支配。
     ・1803年、ナポレオン戦争勃発、ナポリはフランスに占領・シチリアは占領されず。
     ・1861、イタリア統一、シチリアも併合。
     ・1894年、ファッシ・シチリアーニの労働運動激化、アメリカへ移民流出、マフィアの原点。
     ・1946年、イタリア共和国の自治州となる。

バスは本日泊まるホテルに進み、パレルモ自由散策に向かわれる数名の方のスーツケースを降ろした後、パレルモ市内観光に向かう。添乗員からもらったパレルモの地図を 見ながら進む。車窓からの撮影は難しいが、パリのシャンゼリゼ通りのような並木道のマクエダ通りや「マッシモ劇場」を写す。しかし、有名な交叉点「クアットロ・カンティ」は 通過が速く写せなかった。
バスが停まった時、街角の路地をパチリと写し、シチリアの雰囲気を感じる。
並木道のマクエダ通り
マッシモ劇場
パレルモの路地

画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

バスは「ノルマン王宮」の城壁に開けられた「ヌォーヴァ門」を抜けた広場で停まり下車する。女性日本人ガイドが待っていて、直接日本語で説明してもらえるのは 嬉しい。
ノルマン王宮
王宮前の広場から荘厳な建物を眺めながらの説明は、時代背景も良く分かる。
ノルマン王宮の歴史は古く、カルタゴ人たちがこの天然の良港にパレルモの基となる交易地を築いた紀元前8世紀頃にまで遡ります。 当時パレルモは今よりもっともっと小さかったのですが、その中でも一番高台だったこの地に、彼らは城砦を築きます。
その後ローマ帝国時代、 ビザンチン帝国自体、アラブの時代を通じて重要な役割を担っていましたが、この建物が脚光を浴びたのはやはり初代ノルマン王ルッジェーロ2世の 時代。彼はここを居城と定め、大幅な改築を行ったのです。
その後宮殿として使われない時代もありましたが、16世紀半ばのスペイン副王時代に再び宮殿として利用されるようになり、18世紀から19世紀初頭に かけてのブルボン家の支配時代にも使われました。(アーモイタリア旅行ガイドHPより)

シチリアの歴史を感じる他民族の侵略の変遷を物語る王宮なのだ。王宮内部には、アラブ・ノテマン様式の華麗な「パラティーナ礼拝堂」があるそうだが、見学はなく、 広場からプラタナスの落葉が積もる公園を進む。公園の中には、サボテンが植わっていたり、オレンジの実を見たりと南国の雰囲気があり、シチリアの気候風土を 感じる。
ヌォーヴァ門
ノルマン王宮
王宮前の公園

公園を抜けて「パレルモ大聖堂・カテドラル」に向かう。
前の広場から朝日に輝く大聖堂を見上げながら、現地ガイドからその歴史や内部の様子の説明を受ける。
パレルモ大聖堂
パレルモで一番大きい教会、カテドラル。“昇天する聖母マリア”に捧げられたこのカテドラルは、特に外観が非常に華やかで、人目を引きます。 建設されたのは1184年ですが、オリジナルの部分は殆ど残っていません。
この場所には4世紀から教会が建っていましたが、その後イスラム教徒たちがシチリアを支配するようになると、この教会をパレルモ一の大モスクに 改修します。
更にノルマン人の支配に代わると、再び教会に戻されますが、1169年に大地震が起こり倒壊。
現在建っているカテドラルは、1184年に再建したものです。当時のカテドラル内部は黄金のモザイクで 輝いていたそうですが、後の大幅な改築工事で全て取り払われ、唯一残るモザイクは入口の扉上部にある『聖母子』のみです。
カテドラルの四隅に鐘楼が加えられたのが14世紀。15世紀半ば広場が整備され、更に1781年から1801年にかけて 大規模な改築が行われます。バシリカ様式からラテン十字に変更され、大きなクーポラも その時に加えられました。 (アーモイタリア旅行ガイドHPより抜粋)

パレルモ大聖堂の鐘楼
青空とパレルモ大聖堂
聖母子
大聖堂に入り、入口の上部を見上げると「聖母子」のモザイクが微笑んでいる。これが一番古いものなのだと感慨深く眺める。
大聖堂の内部に進むとモザイクで敷き詰められた床の奥には、金色に輝く祭壇が祀られている。また礼拝をしている方もなく、静寂の中に荘厳さが感じ られる。
祭壇に行く途中に面白いものを紹介される。大聖堂の床の一本の線の上に十二支を表す星座が描かれている。上のクーポラに小さな穴が開いており、 そこから射し込む日光が、日時計となって星座を照らすのだと。
毎時の時間を示すのではなく、クーポラの穴から射し込む正午の光が、床面の星座の上に落ちて、季節の時期を示すのだと。 春分の日には、星座の真上を示すそうだ。
床面の星座
クーポラの穴
大聖堂内部

祭壇の間近まで進み、歴史を感じるクーポラの下に祀られている輝く燭台を眺め、横の「聖母子像」に頭を垂れる。
現地ガイドからは、色々な歴史的な話も聴いたが、記憶に留まっていないのは残念だ。
シチリアの歴史を集約したような「大聖堂」に満足してバスに向かう。
礼拝堂
祭壇の燭台
祭壇
聖母子像

再びバスに乗り「マッシモ劇場」に向かうが、途中、パレルモの市場に立ち寄り、自由時間となる。海外旅行時に、現地の市場を探索するのは楽しみのひとつ なので、小1時間の自由時間を楽しむ。
駐輪場
青空市場
バスを降り、市場に向かう途中、ヨーロッパらしい駐輪場が設けられ、たくさんの自転車が並んでいる。フランス・中欧では、自転車レーンが設けられ、サイクリングが できる道路事情たが、駐車の多いシチリアの道路でサイクリングできるか疑問だが、さすがヨーロッパと感じざるを得ない。
狭い路地の両側にテントを張った青空市場が現われ、たくさんの人が行き交っている。入口の果物屋には、レモン・オレンジ等柑橘類がこぼれんばかりに盛られ ている。さすが、南国シチリアだと。隣の果物屋には、ザクロ・マンゴ・パイナップル等々品数豊富だ。カラフルな果物を見ていると自然と微笑んでくるのは不思議だ。
市場の中には、生鮮食品を売る店の他にも乾物・穀物・花等を売る店も立ち並んでいる。その中で、エジプト・チュニジア旅行時に買い求めたデーツ(ナツメヤシ)や イチジクを見付け買い求める。シチリア産ではなさそうだが、日本では高いので。
魚屋さんもたくさんあり、台の上にいろいろな魚が並べられている。驚いたことに、細切れのタタキ状になった刺身らしきものも売っている。シチリアでは、 生魚を食べる習慣があるのかと? また、魚の陳列方法が日本にないやり方なので、しっかりと観察する。魚が新鮮なように見せるため、頭と尾っぽが 反るように並べられているのだ。良く見ると釣り糸で結んで反らしていることが判明。面白い!! 日本でも真似る店が出ても良いかと。
また、市場全体の販売方法も興味深い。日本では、トレイ・パックで売る店が多いが、ここではほとんどが量り売りだ。1kg・5€の表示があり、秤が置かれている。 昭和の日本の市場を見る雰囲気だ。
山盛りのレモン・オレンジ
豊富な果物
魚屋さん 反った魚の陳列

集合時間まで時間があるので、市場の外の街巡りをする。
並木道の露天商
路上駐車
もっと汚いかと思っていたが、路上駐車は凄いが、以外ときれいな街並みなので驚く。 トイレを兼ねてBAR(バール)に入り、シチリア名物の筒状の揚げパイにクリームを入れたカンノーロを買い求め味合う。甘さ控え目で美味しい。
全員集合し、徒歩で「マッシモ劇場」に向かう。並木道の歩道には、たくさんの露天が並び、衣類・雑貨・骨董品等雑多なものが売られている。 ジャパン?と聞かれイエスと答えるとコンニチワと笑顔で応えてくれる。ちょっと間の交流だ。
横の小道を見ると道の両側に駐車の列が続いている。間に車が通れる細い通路が確保されている。運転も難しそうだ。
「マッシモ劇場」に到着する。立派な劇場の正面を見て、シチリアの歴史の深さを感じる。
マッシモ劇場 観光馬車
旅行前に鑑賞した「ゴッドファーザーⅢ」の映画の1シーンが、正面の階段で撮影されたのだと。映画より段数が少なく感じたのは、撮影の上手さだろう。
マッシモ劇場は、1897年に33年の歳月をかけ、パレルモ出身の建築家により完成しました。建築資材から内装まで、殆どがシチリア産でまかなっています。
外観は壮大な新古典主義様式、内部はリバティ様式のとても優美な劇場で、ウィーンのオペラ座、パリのガルニエ宮のオペラ座に次いで、 3番目に大きいオペラ座です。
また、映画『ゴッドファーザーPart3』の後半、息子がオペラ歌手デビューする場面で使われた劇場で、 ファミリーの面々が息子の晴れ舞台を観ていたのはロイヤル・ボックス。舞台が終わった後、 息子を狙った弾がそれ、娘に当たる場面は正面の階段で撮影されています。 (アーモイタリア旅行ガイドHPより抜粋)

少しの間、カメラ撮影の時間となり、階段に上ったりとする方も多い。正面のベンチに座り、劇場の荘厳さを感じるひと時だ。内部には入れないが、 外観以上に優雅なのだろう。「ゴッドフアーザー」の映画でもその描写があったのを思い出しながら瞑想する。
ここで、自由行動の方と別れて、再びバスに乗り次に進む。バスの駐車場前に、馬車が停まっている。観光用の馬車がパレルモに存在するのに驚いたが、 馬車に乗り、石造りの街並みや並木道を駆け抜けるのもgoodだと。
ポリテアーマ劇場
バスは新市街の繁華街の中心でもあるカステル・ヌォーヴォ広場に進み、ここでも小1時間の自由時間となる。
目の前には、立派な「ポリテアーマ劇場」が建ち、正面の屋根にはたくさんのブロンズ像が立ち並んでいる。
パレルモの新市街にある1874年建設の「ポリテアーマ劇場」。門の上の躍動的なブロンズ像が印象的な、パレルモ市が誇る大劇場である。
11月から5月はバレエやコンサートなどが開かれ、2階は現代アートの美術館となっている。 また、周辺は整備されており、洗練されたショップやバールなどが建ち並ぶ。鑑賞前や後の食事やショッピングを楽しむのにも最適な場所だろう。 (ユートラベルノートHPより)

青空が見え、そんなに寒くない公園のベンチで一息入れながら、立派な劇場の屋根の像を見上げる。初めてイタリアを訪れた時、「イタリアの石の文化と 日本の木の文化」の違いを強烈に印象付けられたことを想い出しながら魅入る。石の文化は焼けず・朽ちずに残っているのだと。
周辺の散策に出掛ける。今日は自由時間がたくさんあり、街の散策ができるのは嬉しい。
少し先の通りは、並木道が続くパリのシャンゼリゼ通りの ようで、バスの中から観た所だろうか? 有名ブランドの専門店が立ち並ぶ通りを車道側を眺めながら散策する。側道には車が列をなして駐車しており、 一寸した空間に高級車を上手く入れたので、拍手すると指を付き出して得意気な表情で応えてくれる。イタリア人は陽気だ。
横道に入り、石造りの建物の街並みを眺めながら広場に戻る。まだ、時間があるので、反対側の街並みウォッチンク゚に向かう。こちらは庶民的な街の ようで、小さな店やBARが連なっている。二つの街並みを探索して、集合場所の広場に戻る。
並木道の大通り
駐車場化かした側道
庶民的な街並み

バスに乗込み、昼食のレストランに向かう。
魚介類の前菜
カジキマグロ料理
しかし、ここからの記憶が薄れて思い出せない。メモもあるが、字が読めなく、どんなレストランに行ったかの写真はない。
ただ、料理の写真はあり、 青空市場で見た魚介類を主にした海鮮料理だ。メインには、やはり市場で見たカジキマグロ料理で美味しくいただいたのは覚えている。
多分、白ワインを飲んだと思われるが、その写真もなく・・・。やはり、しっかりと分かる文字でメモしておかなくてはと思った次第だ。
約2時間トイレ休憩がないとの注意を受けて、バスはシチリア島の中央部を抜けて、地中海に面するアグリジェントに向かう。
高速道路を進む間に、添乗員からイタリアの宿泊税の説明があり、今回の宿泊税の徴収があった。
今までの旅行で宿泊税なる税はなかったが、近年、各都市毎に設定され始め、今回は合計で、22.5€(約2900円)だと。仕方がないとは云え、余分な 費用だが、東京・大阪も何時の時か宿泊税の徴収が始まるようなので納得して支払う。
少し調べてみると都市毎に異なり、またホテルのランク(星の数)でも違うようだ。今回のツァーでも、ローマは6€、アルベロベッロは1.5€と違い、ローマでは、星の数で1~7€ と区分されている。これからの旅行には注意が必要だ。
高速道路から一般道路に下りて進む道中には、オリーブ畑・ブドウ畑が広がり、農業国シチリアの姿が見られる。途中、通行止めで迂回するが、狭い直角に曲がる 迂回路を、ドライバーは見事にクリアし、一同大拍手だ。
牧草地帯・岩山地帯と景観を楽しんでいると 地中海が見られ、「アグリジェント遺跡」が丘の上に見えてくる。やっとドライブインに到着し、土産を買うか1€のトイレ料金を払うシステムになっていると。観光に 力を入れているシチリアなら、途中にドライブインを設ける等の対応が必要だ。
車窓からの景観
地中海
ドライブイン

ドライブインで待っておられた現地ガイド中野陽子さんとバスに乗り、坂を上って「アグリジェント遺跡」の入口に向かう。
中野さんは、アグリジェント在住30年の 公認ガイドで、NHKのテレビ出演や先日、人気番組「世界不思議発見」の撮影が行われたと云う有名人だ。(放映は4‐5月頃か?)
ジュノーネ・ラチニア(ヘラ)神殿
中野さんの名調子のガイドで「アグリジェント遺跡」見学がスタートする。 高台に上ると目の前にギリシャ時代の遺跡が現われ、その迫力に圧倒される。
古代には30万人もの人々が住み、海からは数キロに渡りせり上がった斜面に古代ギリシャの神殿郡が集中することからも詩人ピンダロスをして、 「人類の都市で最も美しい場所」と言わしめたほどの発展を遂げた街であったアグリジェント。 栄華を極めた紀元前5世紀頃には、いくつもの神殿が建設されました。
ジュノーネ・ラチニア(ヘラ)神殿(Giunone Lacinia)
神殿の谷の東端にある標高120mの丘の上に立つ遺跡。紀元前460年頃に建造されましたが、カルタゴの進攻と中世に起きた地震の 被害で全壊し、現在は25本の柱と柱の上の横部分のみ形を留めています。
ここから南を向くと、遺跡群と地中海が織り成す観光を忘れるほど美しい景観が広がっています。全ての神殿を周った後は、 同時期にいくつもの神殿を立てたギリシャ人の情熱とスキルの素晴らしさを体感することでしょう。 (シチリア・ガイドHPより)

2500年も前の神殿の一部が残っているのに驚くとともに、シチリアの立地場所が地中海の真ん中に当たるため、異民族との戦いが多くあったことを 改めて感じる。
高台から地中海を望むと煙っているが、間近に海が迫っているのが分かる。詳しい説明を受け、次の遺跡に向かっていると小さく「コンコルディア神殿」が 望まれる。結構、距離はありそうだ。
笑いを交えた説明をイヤホーンガイドで聞きながら、坂道を下ると井戸らしき遺跡や崩れかけた遺跡も残っている。広範囲にギリシャ時代の遺跡群が広がって いるのだ。
途中で東京組のツァーに出会う。先に出発していたはずだが、何処かで追い抜いたようだ。驚いたことに、ガイドは今朝我々のガイドをしてもらった 日本人ガイドだった。
地中海を望む
遥かコンコルディア神殿を望む
井戸の遺跡 崩れかかった遺跡

楽しい解説を聞きながら進むと植物にも詳しい中野さんから道に落ちている種を示される。これは「イナゴ豆の種」で、持っていると金持ちになると。 スイカの種に似た種で、全員道にかがんで拾う。たくさん落ちている種を財布に入れ置き、女性グループはこれで宝くじに当たったら、また中野さんに会いに 来ますと楽しい会話が弾む。
サボテンがたくさん植わっている地域やまだ発掘調査をしているギリシャ時代の墓地等を巡り、石の真っ直ぐな道を楽しく進む。広い遺跡で、歩くのも 大変だが、皆さん元気なのには驚く。
イナゴ豆の種 サボテン園
ギリシャ時代の墓地
真っ直ぐな石道

アップダウンを繰り返して、先程遠くに見た「コンコルディア神殿」に到着する。
間近に見るとよく教科書等で見るギリシャの神殿と同じだと。ギリシャに行ったことはないが、シチリアに同じような神殿が存在するのに驚く。
コンコルディア神殿
コンコルディア神殿(Temple della Concordia)
コンコルディアとは「平和」「調和」「和解」を象徴するローマの女神の名がつけられたアグリジェント遺跡群の目玉ともいえる神殿。
コンコルディア神殿・側面
紀元前450年頃に建造されたドリス式の神殿で、シチリア島で最も大きく、前面6本、側面13本の柱が現存しており保存状態が良いことで知られています。 (シチリア・ガイドHPより)

ガイドの説明によるとドリス式の建築物は、日本では唐招提寺だそうで、奈良時代にその様式が伝わっていたのだ。シルクロードから来たのだろうか? 
神殿の周辺で、それぞれが写真撮影をし、しばし、ギリシャ時代にタイムスリップした感覚を味わう。素晴らしい遺跡を観たことに感激だ。
次の「エルコーレ(ヘラクレス)神殿」に向かう。
石の直線道路の横には、角が立派な山羊がいたり、満開のアーモンドの木が植わっていたりと穏やかな自然が続く。
アーモンドはアグリジェントの名物だと聞き、 後日購入するヒントを教えてもらう。また、満開のアーモンドの花の下では、中野さんと一緒に、イタリア民謡を一緒に歌ったが、名前が思い出せない。
更に進むと当時の水道跡も残っている。当時の土木技術の確かさを示す遺跡だ。途中のバスの中から、アーチ状の水道橋を見た記憶があるが、それに 続いているかは定かでない。
角が立派な山羊
満開のアーモンドの花
水道跡

最後の「エルコーレ(ヘラクレス)神殿」に到着する。
エルコーレ神殿
「コンコルディア神殿」のように外観は残っていないが、円柱だけ残る素朴な遺跡だが、かえって印象的だ。
エルコーレ神殿(Tempio di Ercole)
駐車場側から神殿通りを進んで最初に姿を現す8本の円柱。 現在は地表に転がる石材の山と円柱だけが残ってますが、当時はファザードに6本、側面に15本と円柱が並び、最も美しい神殿の一つと 賞賛されていました。
残っている円柱はまさにシチリアの英雄・ヘラクレスの力を象徴するかの如く佇んでいます。 (シチリア・ガイドHPより)

ガイドの話では、この神殿の谷に見られるドリス式神殿の中で最古の建造物だと。よくぞ残っていてくれたものだと、改めて見上げる。円柱の上の屋根を 支える梁的なものが残っている姿は、青空に映えて美しい。
夕日輝く地中海
地中海側を眺めると夕日に海面が照らされ眩しい位だが、丘の上に立つ「エルコーレ(ヘラクレス)神殿」が黄金色に輝いているのは古代ギリシャに来ている雰囲気だ。
数年前に行った「チュニジア旅行」の時、地中海の日の出を観て、 この先にイタリアがあるのだと思ったのを思い出す。今は、反対にイタリア・シチリアからチュニジアを見ているのだ。感慨深いものだ。
多分、添乗員が計画していた時間以上に「アグリジェント遺跡」観光はかかったと思う。中野さんの話に魅せられながらの楽しい遺跡観光だった。内容も 詳しく、歌を歌ったり、掛け合い漫才のような会話もあり、有意義な時間だった。
17時、ドライブインの所で、中野さんとお別れし、パレルモへの帰路となる。
バスは往路と同じ道をパレルモに進むが、暗くなり雨が降り出した。観光の時は晴天で、移動の時に降るのは心掛けの良さだろうと自己満足しながら、 ウトウトしたり、添乗員持参のCDの音楽を聴いたりとくつろぐ。
アストリア バレス ホテル
ピザの夕食
パレルモ市内は少し渋滞していたが、19時40分に「アストリア バレス ホテル」に到着する。小雨の降る中、スーツケースをホテルに運び、部屋割り・明日の予定を聞き、 部屋に向かう。
今日の夕食はないので、近くのレストランに行く方法もあったが、ホテルの前のBARでピザ等を買って済ますことにする。ビールを買い求めるが、 缶ビールはなく、瓶ビールだけだと。栓抜きを持ってきていないので、瓶ビールを諦め部屋に戻り、冷蔵庫の中を見ると栓抜きがあるではないか。
慌ててBARに 戻ると閉店のシャッターを閉める所を開けてもらい瓶ビールを購入する。笑顔で応対してくれたのは嬉しい。
海外旅行時には、栓抜き持参は必須だと。ビールで乾杯し、ピザで夕食とする。その後、ゆっくりとバスに浸かり、昨日からの疲れを癒す。 今日は、市内観光・自由時間・遺跡の見学で20000歩以上歩いたのには驚き、ぐっすりと眠る。


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