「宇土~有佐][宮原~日奈久]


○ 「薩摩街道No5」見聞録(宇土~日奈久温泉)・(距離 45.0km(今回)/ 267.5km(累計))

  1.「薩摩街道」(宇土~有佐・21.6km) 2013.07.03. 9:30~16:55 曇りのち雨


門司往還・長崎街道・薩摩街道宿場一覧

「宇土~有佐・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。

前回の紀行は、梅雨入りと同時で、雨の中の紀行、足裏のマメの痛みで、予定通り進めず、宇土で止まってしまった。8月下旬の単身赴任していた 元会社のビァパーティーに参加するには、「薩摩街道」最大の難所と云われる「赤松・佐敷・津奈木の三太郎峠」をパスするにしても、もう一度歩き、 峠の手前までは進みたいと考え、梅雨で天候は不安だったが、夜行バスを予約し、計画を楽しんだ。往路は前回と同じく格安チケット(3900円)をゲット 出来たが、帰路は取れず通常料金(5800円)で予約する。
前回の2泊3日の行程を、1泊2日にし、夜行バスで熊本に行き、JRで宇土まで進み、前回の終了地点から「宇土宿」「小川宿」を通り、八代で宿泊。 翌日は、「八代宿」から「日奈久宿」を通過し、赤松太郎峠の手前に当たるJR肥後二見駅まで歩き、JRで熊本まで戻り、夜行バスで帰阪することに した。
天気予報は二転三転し、曇りや時々雨と気温も30℃前後と厳しそうだが、準備を整え、楽しく歩くことにする。

クマモンが座っている

熊本駅

7/2、23時出発の夜行バスの発車に 合わせ、21時前に家を出て、何時ものように、梅田の地下街で睡眠薬を飲み、東梅田のバス停に向かう。
バスに乗ると乗客は6名のみ。4列席の2席を独占し、ゆっくりと眠ることができた。バスの最後部にあるトイレ前には、熊本の人気キャラクター・クマモンが 座っている姿に微笑む。
7/3、8時40分に熊本駅に到着し、駅中の吉野家で、朝定食を食べ、JRで前回の最終地点、宇土駅に進む。車窓から、前回の紀行経路を眺めていると 麦秋で黄金色だった畑には、早苗が植えられ、緑の絨毯になっている。1ケ月で景色が変わった。
9時30分、身支度を整え、曇天で蒸し暑い中、「薩摩街道」紀行をスターチする。
前回の終了地点まで戻り、新たな気持ちで、歩を進める。旧街道を突き当たり、右折した所に「地蔵堂」が祀られている。すぐ先の県道に合流し、 JR三角線の踏切を渡る。
少し進むと左に「円応寺」が建ち、入口にはたくさんのお地蔵様がが祀られ、境内には「芭蕉塚」があるが、字が読めない位に風化している。

地蔵堂

円応寺のお地蔵様

芭蕉塚


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

少し先の船場川を陶器で出来ている珍しい「船場橋」で渡り、「宇土宿」の面影が残っていると云う川沿いの道を右折して進む。

陶器造りの船場橋

川沿いの左には、長屋門のある武家屋敷が建ち、川には、石造りの眼鏡橋が架かっている。静かな雰囲気で、暑さを忘れて魅入る。熊本には 石造りの眼鏡橋が多いと聞いているので、初めての出会いを喜び、今後の行程に期待したい。

船場川の眼鏡橋

船場橋近くの川岸には川に下りるための石段や船着場跡があります。
川のほとりは江戸時代に宇土細川藩蔵屋敷があったところで, 武家屋敷や井戸なども残されています。
時代の流れとともに大きく姿を変えた市街地の中にあって, この界隈は江戸時代の名残を とどめるスポットとして市民に親しまれています。
また,船場橋は江戸時代末期に造られた江戸川の支流,船場川に架かる石造の単一アーチ橋で石材には馬門石を使用しています。 当時の肥後の石工たちの優れた技巧が今なお残っています。(宇土市観光協会HPより)

川沿いには船着場であろう石段があり、江戸時代初期に宇土細川家藩主細川行孝によって完成された轟泉(ごうせん)水道の井戸が残っており、 横には「せんばのお地蔵さん」が祀られている。
「宇土宿」は海にも近いので、川沿いに運送網も発達していたのだろうと思いながら、景観を楽しみ、豊かな気分で、旧街道に戻る。

水道の井戸

武家屋敷

せんばのお地蔵さん


左の立派な鐘楼門がそびえる「正栄寺」を見て進むと、左側に低い斜めの屋根があり、下をのぞくと井戸があり、先程の水道と 通じているようだ。
その先の宇土市本町四丁目の交叉点を左折すると「宇土公民館」が建ち、昔の宇土細川家の藩校の「温知館跡」を示す木碑が立っている。 その横の「宇土市教育委員会」の前には「宇土細川藩陣屋跡」の案内板が立ち、宇土細川家の史跡がこの辺りに点在しているのが分かる。
旧街道に戻り、県道を進むと右に寺院が続いている。少し先の右角に教会が建つ道を左折する。その角の家の前に「高札場」の案内板が立つ。 案内板によると宇土の高札場はここから離れた所にあったそうで、「四里木跡」もこの近くにあったと書かれているが、分からなかった。

鐘楼門が建つ正栄寺 水道の井戸

温知館跡

高札場


左折した道も広く、少し先の左に「宗方小太郎屋敷跡」の木碑が立っている。日清戦争で軍事探偵として活躍した人物だと。その前の路地に 「水道搪(とう)」と書かれた説明板が立っている。これも先程と同じ轟泉水道として用いられた水路が路地に通っていたのだと。
蒸し暑くなって来た旧街道を進むと右に「地蔵堂」が祀られ、その先右にも「石祠」が祀られている旧街道だ。
九州新幹線の高架下を抜けた所にコンビニがあるので立ち寄る。 湿度が高く汗が蒸発し難いので、体を冷やすべく、アイスクリームの入ったチューブを買い、柔らかくなるまで、首筋・脇の下を冷やす。JRの踏切を渡って 進むとここにも「地蔵坐像」が祀られ、やがて県道14号線と合流する。

水道搪 宗方小太郎屋敷跡

地蔵堂

地蔵坐像 石祠


車の往来が激しい県道を進むと宇城市の標識が立ち、宇城市に入って行く。右にはJRが並行に走るその間に「夜泣き地蔵」が祀られている。20分 以上の県道歩きの後、不知火町御領信号から右に入って行く。
少し進んだ、右にJR松橋駅が見える松橋町松橋信号を左折する。左折して真っ直ぐに進むと同じ地名の交叉点があるが、商店街のような 道を進む。右に中華カラオケ喫茶が建つ横の細道に入り、ウネウネと進むとマンションの横の広場に「山伏塚」が祀られている。 松橋焼の始祖である下田伊予守惟勝の墓だと。何故、「山伏塚」と云うのだろうと思いながら、一息入れる。風が心地良く、赤とんぼになりかけの とんぼがたくさん飛んでいる。(11:10-11:15)

夜泣き地蔵

松橋への分岐点

山伏塚 説明


「薩摩街道(宇土~有佐)①」の「紀行スライドショー」

地蔵堂と五里木跡の石碑

元のカラオケ店に戻り、旧街道を進むと左の宇城市商工会の先に「地蔵堂」が祀られ、その横には「五里木跡」の石碑が立っている。(11:25)
熊本城から20km歩いたと少し感激しながら、石碑にタッチして次の「六里木跡」を目指して進む。次々とポイントが決まっているので、歩き易いのは 嬉しい。
右に松橋中学校を確認し川を渡り、その先の薬局がある角を右折して進む。すぐ先の川を左に「地蔵堂」が祀られ、大きな交叉点で当たり、 左前方の宇城署を見て、広い道を進むと再び川があり渡る。
ここで、少し道を間違う。橋を渡った所から右の道に入って行くのを、川沿いの道のすぐ先を右に入って行き、戸惑うが、間違いに気付き、 元に戻り、橋を渡った少し先から右の狭い道を道なりに進むと右に「上久具大明神」が祀られるお堂が建つ。
その先の二股を右に進むと左に「石塔」が祀られ、その先には薄くて判明できないが、「線刻の石仏」が祀られている。短い間だが、旧街道の史跡が 集まっているのを感じながら、先程の広い道に合流する。

地蔵堂

上久具大明神

線刻の石仏 石塔


少し先で、国道3号線と合流して国道歩きとなる。

景行天皇遺跡のある分岐点

そろそろ昼食の時間になるので、食事処を探していると左にスーパー等のショッピングセンターがあるので、中を探すが、食堂はなく、向かい側に喫茶店が あるので、そこで昼食とする。日替わり定食を頼み、冷たい水を何杯も飲み、一息入れる。(12:20-12:45)
お腹も満ち、冷たい水を飲み、新たな気持ちで暑い国道を進む。少し先に右に入る道があり、分かれ目に小さな丘があり、 「景行天皇遺跡」が祀られている。その横には「心吉(こころよし)」と書かれた説明板が立っている。
この説明を読むとなかなか興味深いことが書かれている。第12代景行天皇は、熊襲征伐の後、現在の日奈久から船で、火の国(宇土半島基部)に 向かったが、日没で行先が分からなくなったが、遥か前方に見える火を目指したところ岸にたどり着いた。里人にここは何処かと尋ねると八代県 豊村で、火のことを尋ねるも知らないと。そこで天皇はここを「火の国」とし、火を 「不知火」とした。また、軍隊を小休止した場所が気に入り、 天皇がさわやかな朝の風を「快し」と言われたので「心吉」と名付けたと。 「火の国」「不知火」の名前の由来が、こんな所で知ることが出来たのには驚き、街道歩きの醍醐味だとにんまりとする。
左に豊福小学校を見て進むと左に「豊福阿蘇神社」が鎮座し、境内には「さざれ石」が展示されている。  

日替わり定食

景行天皇遺跡 説明

豊福阿蘇神社 さざれ石


国道から離れた旧街道は、田植えの終わった田園地帯を進み、やがて、再び、国道3号線に合流する。
しばらく進むと右の用水路のカ゚ードレールに隠れるように「地蔵堂」が祀られ、その横に「六里木跡」の石碑が立っている。六里の文字が読み難いが、 ここも石碑だ。一里木や一里塚があると目安が立て易く、街道歩きの良き目標になるのは有難い。
国道歩きが続く。竹崎バス停の先に「不動明王」が祀られているのを確認して、単調な国道歩きを続けると、ラブホテル夕月から左に入る旧街道 を見つけ、細い道に入って行く。少し先の大きな木の下に「地蔵堂」が祀られ、川を渡った道角に「三軒屋番所・関所跡」の碑が立っている。 こんな所に関所があったのだと思いながら、再び、国道3号線に合流する。

田植えの終わった田園地帯

地蔵堂と六里木跡

三軒屋番所・関所跡 地蔵堂


国道歩きをしていると、空が黒くなり、ポツポツと雨が降り出した。小川町北新田の信号から右に入って行く。
傘を出したりしていると、左に曲がる道を通り越して進んでしまい、「ひがしだ歯科」の看板まで戻り、入って行くが、住宅街で、不安一杯だ。 取り敢えず、国道の手前にあると云う「七里木跡」を目指して進む。道なりに右へ右へ進むと、「七里木跡」の石碑が立っていたので 一安心する。(14:20)

小川宿の夫婦えびす様祠

直ぐ、国道3号線に合流し、斜めに横切って、小川町商店街に入って行く。いよいよ「小川宿」だ。
旧街道沿いには、小旗も掲げられ、宿場町のイメージを出しているかが、史跡が見当たらない。しかし、道は枡形になっているようで、2,3ヶ所直角に 曲がっている。
枡形を曲がると左に「夫婦えびす様」を祀る祠が建ち案内板によると宿場内には方々に「弁財天」が祀られているようだ。
雨が激しくなり 出したので、速足で進む。「正善寺」に当たり、枡形を右折して直ぐ左折する。旧街道は直ぐ右折して進むのだが、雨宿りを兼て、少し先左の 「宇城市立小川郷土資料館」に立ち寄る。
館員の方が親切に、館内を案内・説明していただく。小川出身の偉人の話、郷土特産物等々。展示品の中で「蒙古襲来絵詞」があり、興味を 引いた。鎌倉時代、宇城出身の竹崎季長が描いた作品なので、展示され、ここ小川町に祀られていると。
「小川商店街史跡めぐり」のコピーをいただき、退出する。もう少し奥に行けば、史跡があるとの話だったが、雨が降り出したので、 リュックにカバーをし、旧街道に戻る。

七里木跡の石碑

小川宿の街並み 正善寺

小川郷土資料館 蒙古襲来絵詞


「薩摩街道(宇土~有佐)②」の「紀行スライドショー」

雨は段々と激しく降り出した。「小川宿」から「刈萱橋」を渡る手前左に「石の祠」が祀られている。
「刈萱橋」を渡り、宇城市から氷川町に 入って行く。「小川宿」をゆっくりと見学出来なかったのは残念だが、橋を渡った所に古い和菓子屋「白玉屋新三郎」が、趣深く建っている。 本来なら、甘いものを買い求めたい所だが、雨が激しくなったので、先を急ぐ。
この辺りに「御茶屋跡」があったそうだが、見当たらず、「地蔵堂」が点在する旧街道を傘を差して進む。

石の祠

刈萱橋

和菓子屋・白玉屋新三郎 地蔵堂


「小川宿」にもあった枡形がここでも存在している。左折して右折し、ウネウネとした道を急ぐ。雷が鳴り出し、風が強くなって来たので、 これは危ないと速足で進むる
街並みから外れた所にも「地蔵堂」が祀られ、古い建屋も残っている。雨が突然激しくなって来た。
慌てて、近くに建つ廃屋となった酒屋さんの店に逃げ込む。軒下では無理な歩度の雨足で、廃屋の中で雨宿りする。雷が光り、稲妻も見える中、 しばらくの間雨宿りする。時々、稲妻が光り、写そうとするが、タイミングが合わずに、ただ雨足が弱まるのを待つのみだ。(15:10-15:25)

枡形

古い建屋 地蔵堂

激しい雨


地図で調べると少し先で、国道3号線に合流し、その前に道の駅があることが分かり、廃屋での雨宿りを回避し、道の駅に向かおうと考える。 少し、雨足が弱くなったので、少し濡れるのを覚悟して、外に足を踏み出す。
道路のガード下を抜けて、国道に合流する手前から、雷鳴が響き、強烈な雨が降り出し、近くに雷が落ちる激しい音がする。信号が青になる 間に、下半身はずぶ濡れの状態になり、青信号になって、急いで道の駅・竜北に逃げ込む。 雨が止むまで、ここで留まる覚悟で、食堂に行き珍しい「イグサ入り抹茶ソフトクリーム」を食べ、時間を潰す。(15:30-15:50)

雨の八里木跡と地蔵堂

道の駅の方に、八代行のバスの停留所の場所を聞くと、道の駅の前にあるとのことで、少し小降りになった時に、バス停に行き、時刻を調べると 1時間に1本しかなく、30分以上待たねばならないので、国道を進むことにする。

旧街道への分岐点

雨の中の国道歩きを始めると、少し進んだ所から左の山側に入る狭い旧街道に進むと、左に「八里木跡」の石碑が立ち、横には「地蔵堂」が 祀られている。写真はブレて、ピンボケなのは、雨のせいだろう。
木々に囲まれた静かな雨の旧街道を進む。天気の日は気持ち良いだろうと思いながら、いや、雨の中は雰囲気があると云い聞かせて進むと 大きな楠木が迎えてくれる。「法道寺薬師堂のクス」の説明板が立ち、薬師堂が祀られている。
道路工事をしている区間はドロドロだが、その先には「川原大神宮」が鎮座し、その横を抜けて進むと氷川の堤防に通じる。川の水量は雨のため 多くなり、当時では川止めになるだろうと。
「川原大神宮」の前に戻り、国道の方に向かう間にも「石の祠」が祀られ、この地域の「地蔵堂」や「石の祠」が如何に多く祀られているか を感じながら、国道に合流する。

静かな雨の旧街道

法道寺薬師堂のクス 薬師堂

川原大神宮 石の祠


氷川

JR有佐駅

氷川を国道3号線で渡り、旧街道は堤防を左に進むのだが、雨宿りのタイムロスや雨がまだ止みそうもないので、今日の紀行はここで終えることにし、 バスの時刻を調べるが、中途半端なので、最寄りのJR有佐駅に向かうことにする。(16:35)
有佐駅への道を確認して歩き始めると、雨が一段と激しくなり、続けなくて良かったと思うと共に、駅までの距離が長いのに疲れが増して くる。
やっとのことで、JR有佐駅に到着し、今日の紀行を終える。(16:55)

「薩摩街道(宇土~有佐)③」の「紀行スライドショー」

駅の待合室で、濡れた衣服を拭き、17時02分発の列車が少し遅れ、八代まで進む。八代まで行けないかと考えていたが、列車に乗っていると この距離は難しいと思い、明日の行程を確認しながら揺られる。
八代駅に到着し、明朝のバスの時刻と、駅中のコンビニが6時から開店していることを確認して、駅前の球磨川旅館に投宿する。本当の駅前で、 きれいな宿屋で、早速、大浴場で汗と雨の水滴を流して疲れを癒す。靴が濡れて、足がふやけているが、マメは出来ていないのは有難い。 今日の歩行歩数は40800歩だった。

夕食は旅館の紹介で、直ぐ近くの居酒屋・小松に行く。生簀もある立派な店構えなので、少し驚いたが、何時もの様に生ビールで、不本意だったが、 紀行を終えたことに乾杯する。

楽しい名刺 (掲載承諾済)

カウンターには地元の老夫婦が食事をしておられ、大阪から歩いている紀行の話や地元の行事について楽しく話す。地元の米焼酎を飲んでいると、 キープしておられる芋焼酎を勧められ、ありがたくいただいたりと楽しい時間を過ごす。地元の方に愛されている店だとよく分かる。
板前もする親父さんは愉快な方で、生簀に泳ぐアジのタタキがお奨めと料理してもらい、骨センベイもしてくれ、美味しく全部食べてしまう。
親父さんは高校時代サッカー部だったので、先日のコンフィデーションカップの話や紀行の話で盛り上がり、杯を重ねる。 他のカウンターの方たちと話していると、その方が、八代を良く知ってもらい、大いにPRしてもらいたいと、奥座敷から一人の方を連れ出して来られ 紹介してもらう。
名刺をもらい驚いた。なんと八代市長なのだ。「薩摩街道」の話やこれから進む「三太郎峠」の様子、八代市の祭りの話など楽しく懇談する。 身内の食事会から抜けて来られたそうだが、2枚目の名刺を渡されて驚く。何と、運転免許証と同じ様式ではないか。色彩やユーモアのある言葉に 変わっているが、本物そっくりだ。
市長が席に戻られてからも、親父・カウンターの方々と楽しい懇談が続き、3時間余り、楽しんだ。料金も安く、大いに気に入り、明日も 立ち寄るかも知れないと話し、旅館に帰り、バタンキューと眠ってしまう。楽しい時間だった。


「宇土~有佐][宮原~日奈久]







    
広告 無料レンタルサーバー ブログ blog