「新水俣~袋][袋~出水]「出水~高尾野]


○ 「薩摩街道No6」見聞録(新水俣~高尾野)・(距離 28.1km(今回)/ 295.6km(累計))

  1.「薩摩街道」(新水俣~袋・9.8km) 2013.08.24. 7:20~11:00 曇り時々雨


門司往還・長崎街道・薩摩街道宿場一覧

「新水俣~袋・行程MAP」

地図の再生ボタン()を押すと
見聞ルートに沿って歩行出来ます。
クリックすると拡大します。

「薩摩街道」紀行の目的の一つは、現役時代5年間単身赴任していた出水市の元会社を訪れることだ。昔の仲間に会うタイミングとして、毎年 行われていたビアパーティーが最適だと考え、問い合わせると8月24日(土)に行うことが分かった。
また、ビアパーティーの翌日には有志が集まって懇親会を催したいので、日程を確保して欲しいとの嬉しい要請もあり、その計画も入れて、行程を 検討する。鹿児島県出水市までの交通手段を如何に安く実施するか検討した結果、関西空港からのLCC=Peachが一番安く行けるので、初めての Peachを予約する。
前日(8/23)夕方に出水に着き、会社が提携しているビジネスホテルに安価で宿泊し、翌日(8/24)は、前回の最終地点・日奈久温泉 からの「薩摩街道」最大の難所と云われる「三太郎峠(赤松太郎・佐敷太郎・津奈木太郎)」越えをパス中抜きし、新水俣駅から熊本県最南の袋駅 まで歩き、列車で出水まで行き、ピックアップしてもらって、宿泊場所の会社の厚生施設に送ってもらう。シャワーを浴び、夕方からのビアパーティーに 参加することに。
翌々日(8/25)は前日の袋駅から出水駅まで歩き、工場見学の後、厚生施設で懇親会に参加することにする。その翌日(8/26)は、出水駅から 野田郷駅辺りまで歩き、バスで鹿児島空港に行き、Peachで帰阪する予定とした。出水に滞在中の予定は、柔軟に変更できることにし、 「薩摩街道」紀行を楽しむと共に昔の仲間との交流を親密に図りたいと。

8/23(金)、海外旅行に行く時の関空までのルートはJRの関空快速を使っていたが、今回は空港リムジンバスを利用することにする。JR茨木駅からの関空まで 約80分で行け、片道2000円・往復3000円と魅力的だ。

関空・第2ターミナル

PeachMM197機

peachの搭乗は初めてなので、少し早めに行くことにする。LCCの搭乗は第2ターミナルなので、シャトルバスで第2ターミナルに向かい、簡単な搭乗手続きをし、 搭乗口で待機する。タラップからの搭乗も時間短縮のため、窓側・中央・通路側と3グループに別れて乗るので、混雑も少なくgoodだ。
15時35分発のPeachMM197機は、A320-200機種の3-3席で、狭いと云われている座席間隔も思ったほどではなく、満席で離陸する。LCCに乗るのは 初めてで、メニュー等、興味深く楽しむ。ビールは450円と普通だ。Peachの記念品の販売もあり、何人かが購入していた。通路側の席で、13年振りの 鹿児島航路を楽しむ。先日、桜島の噴煙騒ぎがあったが、噴煙も見られず、定刻を少し遅れて到着する。
賑やかな鹿児島空港の外に出ると、大阪とは違ったチリチリとする陽射しの強さが感じられ、鹿児島に来たことを実感する。出水行のバスの最前列に 座り、子供の様に前方を眺めながら進む。当時にはなかった高速道路も出来、道幅も広くなったように感じる。90分程乗って出水駅に到着する。 駅前も新幹線が通じて、大幅に変わったことに驚く。

出水駅周辺

ホテル・ウイング

会社名で予約してくれていた駅前のホテル・ウイングに向かうと、ロビーにT君が待っていてくれ、10年振りの再会を喜び、会社契約価格でチェックインする。 荷物を置き、T君と以前住んでいた社宅の近くで、よく利用していた鮨処「喰太郎」に行く。
途中には温泉付きのホテルも出来ていて、随分と 変わった街並みに驚く。
店に入ると、顔は分かっていても13年振りなので、名前は覚えてもらっていないが、再会を喜ぶ。刺身を頼み、ビールで 乾杯し、ここまで歩いて来たことを話すも信じてもらえない。芋焼酎を楽しみながら、会話が弾む。
大阪に出張しているS君と待ち合わすため、スナックに行き、ここでも再会を喜び、楽しく話す。S君が到着し、カラオケを楽しみ、最後は皆で 伝統になっていた「琵琶湖周航の歌」を歌い、ホテルに戻る。
数時間の出水だったが、当時の親しいお店に訪問し、楽しい時間を過ごすこと が出来た。二人に大感謝だ。シャワーを浴び、ぐっすり眠る。

8/24(土)、5時過ぎに目覚め、外を見ると曇り空で、天気予報では一時雨の予報だ。
6時から品数が多いバイキングの地元料理をしっかりと食べ、出水駅に向かう。 10年前は「青春18きっぷ」で訪れたが、新幹線開通により、八代~川内間は第3セクターの「肥薩おれんじ鉄道」となり、寂れた感じに なってしまった。
6時47分発の列車は、小生一人だけで、今日・明日歩く行程を見ながら進む。水俣駅で5分間停車なので、列車の写真を写していると 運転手が、珍しいものを教えてくれる。ホームの屋根を支える柱は線路を加工して作られており、その製造日付が1896年と 刻まれている。鉄道開通の最初に作られた線路が、柱に代わっているのだと。
新幹線と接続する新水俣駅に到着し、冷却布と鉢巻に水で濡らし、タオルで日除けしたりと身支度を整える。

肥薩おれんじ鉄道

最初の線路の柱

新水俣駅


画像をクリックすると拡大します(以下の画像も同様)

7時20分、朝日の陽射しが強く感じる中「薩摩街道」紀行をスタートする。
国道3号線沿いに進み、少し先から右の旧街道に入って行く。「薩摩街道・←江戸 薩摩→」の道標が立ち、これからの道中を示してくれそう なのは有難い。しかし、江戸の地名が出ているのは面白い。参勤交代の要素が一番大きいのだろうと。その先にも、木の道標が立っている。 静かな旧街道の右に「御地蔵観音菩薩」が祀られている。
国道3号線を斜めに横切り、道標を確認しながら緩やかな坂道を上って行く。地道の道は気持ち良いが、蒸し暑さで汗が流れ落ちる。坂道は 段々と急になり、「シラス坂」の標識が立っている。鹿児島県特有のシラス台地が、水俣にも存在することを知り、急な坂道を下って行く。

薩摩街道の道標

御地蔵観音菩薩

シラス坂


坂を下り切り、住宅街に入ると「地蔵尊」が祀られ、その先の角には、「薩摩街道・道標」が路面に貼られている。なかなか良いアイディアだ。
右に建つ水俣第一中学校に沿って進むと「陣内阿蘇神社」が鎮座する。説明では、神武天皇の皇孫にあたる健盤龍彦命が祀られ、 大和朝廷の時代南九州鎮守使として南九州の統治に大きな功績を残し、その功績を讃えて阿蘇一宮として祀られ、 陣内阿蘇神社は、その阿蘇一宮を天和2年(1682)に勧請したと。
神社の横にも「薩摩街道・道標」が立てられており、行政の熱意が感じられる。

地蔵尊

陣内阿蘇神社

薩摩街道・道標 路面の道標


右の丘が「水俣城跡」だそうだが、パスして旧街道を進むと立派な邸宅の横に「陣内官軍墓地」の石碑が立っている。丘の上に「西南の役 薩軍慰霊碑」が祀られているらしい。
その先には「薩摩街道二三里木跡」の碑が立っている。熊本城の「札の辻跡」から23里(92km)来たことになる。前回「十三里木跡」まで 確認していたので、約十里(40km)中抜けをしたことになる。挽回も大変だ。
道なりに旧街道を進むと県道に合流する。その角にも道標が立ち、右に進むよう指示してくれている。県道を右に曲がった所に小川があり、左 奥に古い「石橋」が架かり、県道には「水神」が祀られている。
暑くなり、熱中症に気を付けなければならないので、家影を探して、水を飲み、岩塩を舐めて一息入れる。(8:10)

陣内官軍墓地の石碑

薩摩街道二三里木跡

石橋 水神


旧街道の広い県道には白壁の長塀や古い建物が建ち、旧街道の面影を残している。左の水俣陣内郵便局の先に、「←薩摩 江戸↓」の道標が 立っているが、薩摩側は行き止まりになっている。仕方がないので、直進すると水俣市役所が建ち、その前に「徳富蘇峰記念館」が建っている。 名前は知っているが、詳しくは知らない「徳富蘇峰の像」を確認して、新水俣橋に向かう。
橋を渡ることなく、そのまま川沿いに上流に向かうと、先程、行き止まりになっていた道標に通じる所に、道標が立っている。本来はここに 通じる旧街道があったのだ。

白壁の古い建物

薩摩街道・道標 川沿いの道標

徳富蘇峰の像


桜並木の水俣川の堤防を進む。暑いが、川からの風が気持ち良い。湯出川との合流点を見ながら進む。旧街道はこの辺りで渡ったのだろうと 想像しながら進み、鶴田橋を渡り、その先の肥薩おれんじ鉄道踏切を渡って行く。水俣高校の前を進むと生徒が挨拶してくれる。高校生が 挨拶するのは珍しいと挨拶を返す。
その先に「史跡南福寺貝塚」の碑が立つのを確認し進むと右にスーパーがあり、その方向に旧街道が続き、湯出川を渡るそうだが、直進し、 江南橋で川を渡り、渡川地点まで進み、そこから左の旧街道に進み、道標に従い、県道を横切り、「陣の坂」に向かう。

水俣川と湯出川の合流点

史跡南福寺貝塚

陣の坂への道標


県道を横切り、緩やかな上り坂を進むと民家があり、それを抜けると「陣の坂」となる。

陣の坂

地道で石ころがゴロゴロとある急な坂道を上る。蜘蛛の巣が張っているので、拾った竹棒で払いながら、途中に立つ道標に従って、汗を流し ながら上ると自動車道に出る。 自動車道は山の勾配に沿って迂回するように上下に設計されているが、旧街道は真っ直ぐ上っているので、坂の勾配はきついのだ。
再び、道標に従って山道に入り、上ると迂回してきた自動車道に合流する。

地道の坂道 道標

少し下った所かに石段があり、階段を上るが、なかなか勾配がきつくて息が切れる。
見晴らしの良い石段に座って一息入れる。汗が噴き出して 来る感じだ。(8:45-8:50)

石段から山道になり、上って行くと再び、自動車道に出て、舗装された自動車道を進むと左の高台に「峠の地蔵」が祀られている。「陣の坂」 を通る旅人に慕われたお地蔵様なのだろう。旧街道だと思いながら、手を合わせる。
少し進むと左に地道が通じ、地面に消えかけた道標が貼ってあるので、上って行く。
左上に、「公徳之碑」が立ち、説明板によれば、高山彦九郎がここを通った時、里人が歩きやすいようにと道端の石を 拾って積み上げているのを見て、 その公徳心に感動したと筑紫日記に書き記している故事を徳富蘇峰の筆で記念碑にしたものだと。また、この道は昔からの日本の大動脈で、 豊臣秀吉をはじめ頼山陽、島津藩の参勤交代そのほか多くの知名士が通っていると。
下り坂になり、左には珍しい石積みがある瓦の様に石を斜めに積み重ねている「蟹積み」と云う積み方の方法だそうだ。更に下ると、自動車道に 合流して、「陣の坂」越えを終える。

石段を上る

峠の地蔵

公徳之碑 蟹積み


「薩摩街道(新水俣~袋)①」の「紀行スライドショー」

舗装道路を進んでいると、空が暗くなり、ポツポツと大粒の雨が降ってきた。

侍街道はぜのき館 和蝋燭

傘を出し、差して歩いていると小さな「薩摩街道・道標」と 「はぜのき館・300m」の標識が立っているので、急ぎ足で進む。
段々と雨が激しくなり、300mの距離が長く感じるようになる。分岐点には「はぜのき館」の矢印があり、間違えることなく進み、坂を下った 所に建つ「はぜのき館」に到着し、軒下で雨宿りする。(9:30-9:55)
はぜのき館のある侍地区には、約1万本の「ハゼ」がある。このハゼの木は、江戸時代の熊本(肥後)藩の経済政策によって植えられ、 その実は蝋や鬢付け油に加工されてきた。
現在では、医薬品・化粧品・文房具(クレヨン・色鉛筆)やワープロのリボンテープ等に使用されている。
本館では、ハゼの実やそれから精製される製品等の展示を行っているほか、実際にろうそく作り体験ができる。(みなまた観光物産協会HPより))

建物の中を見学すると「和蝋燭」作りが出来るようで、色々な「和蝋燭」が売られているので、記念に1本購入する。地元の方が雨宿りして おられたので、色々とお話をうかがう。この辺りの集落は「侍」と云い、そのため「侍街道」の名前が付いていると。
話していると、店の方が、冷たいお茶と饅頭・ゼリーを出していただき、ありがたくいただく。疲れが吹っ飛ぶ美味しさだ。
雨が小降りになって来たので、お礼を云って次に進む。雨に濡れた舗装道路の両側にはみかん畑が広がり、まだ青い実が稔っている。。

はぜのき館・300mの標識

お茶・饅頭のご接待

みかん畑


雨宿りで時間を潰したので、少し急ぎ足で進むと右に「二十四里木跡」の標識が立っている。熊本城から肥後・薩摩の国境まで25里と 云われているので、後1里の地点まで到達したのだ。
誰も通らない旧街道を気持ち良く歩む。石垣の道や木立の道と変化が楽しく、道標も適当に設置されているので、安心して進めるのは 嬉しい。右に大きな石に「薩摩街道」彫られた石碑と漢詩を刻む大きな石が置かれている。石の道標は初めてだろう。
雨も上がり、道なりに進むと左に団地があり、その先の十字路に道標と「史跡佛石」の石碑が立っているが「佛石」の探索は諦める。。

二十四里木跡

平坦な旧街道

薩摩街道の石碑 佛石の碑


道標が設けられている木立の狭い道を進むと旧街道は、肥薩おれんじ鉄道に遮られ、跨線橋を渡って、その先に続いている旧街道を進む。 道標の矢印に従って、淡々と進む。
冷水(ひやすじ)集落に入り、冷水水源があるそうなので、そこで水を頭から被りたいと考えていたが、入口が分からず、汗を流しながら坂道を 下って行くと国道3号線に合流する。少し進んだ所から左に旧街道が続いている。
陽射しが出てきた旧街道を進むと左に「袋御番所跡」の石碑が立っている。薩摩との国境はまだ先だが、離れた所に番所があったのだ。 何故だろうと考えながら進むと、右に建つ北袋公民館の横の小さな公園に「地蔵堂」が祀られている。

静かな旧街道 肥薩おれんじ鉄道

国道からの分岐点

袋御番所跡 地蔵堂


その先の道は細くなり、さらに進むとガードレールに突き当たり、旧街道は途絶えているので、右に向かい国道3号線に迂回する。国道を進むと 右側に「蘇峰筆塚入口」の石碑や「袋天満宮入口」の標識があるが、列車の時間もあるので、探索は諦め、前に急ぐ。
南袋バス停の先に、右に下って行く細い道があり、その先には道標が見られたので、旧街道だと確信して細い道に入って行く。旧街道は畑の 畦道になり、半信半疑で進むと農道になり、左に行くと民家の横に道標が立っている。しかし、指示された方向に進むが、行き止まりに なっていて、諦めて国道3号線に迂回する。
この辺りの旧街道は、国道に分断されたりと残っていないようだ。国道を進むと肥薩おれんじ鉄道の高架下を通ることになり、そこには 「薩摩街道」の道標が立っているが、江戸方向は藪に向かっている。先程、行き止まりになった旧街道は、ここに通じていたのだろうと。

蘇峰筆塚入口の碑 袋天満宮入口

国道からの分岐点 行き止まり

薩摩街道の道標


また、雨がポツポツと降り出したので、速足で袋駅に向かう。本来は、肥後・薩摩の国境まで行き、袋駅に戻りたかったが、雨宿り等で 時間を潰したので、今日の紀行は袋駅までとすることにした。

袋駅

大きなクマモン

激しくなった雨の中、袋駅に到着したが、自動販売機もない殺風景な駅だ。水道でタオルを濡らし、体を拭き、出水駅でピックアップしてもらう M君に電話し、予定通り、11時29分発の列車に乗ると連絡し、一息入れる。(11:15)
自転車の方が、雨宿りに来られたので、歩いていると話すと驚いておられ、「薩摩街道」もよく知らないと。
定刻通り、列車が到着し、数人しか乗っていない車両に座ると、目の前に大きな「クマモン」が座っている。熊本からの「クマモン列車」のようで、 車内方々に「クマモン」が飾られている。大したものだ。
車内で、くつろぎながら、明日歩く行程を車窓から確認しながら楽しみ、11時40分、出水駅に到着する。本日の歩行歩数は18500歩だった。
「薩摩街道(新水俣~袋)②」の「紀行スライドショー」

今回の紀行の目的の一つは、現役時代単身赴任していた元会社の仲間との再会と懇親にあり、特に、今日開かれるビアパーティーに参加する ことにあった。M君から、会社の厚生施設には宿泊もできるので、ぜひ泊まり、翌日はそこで有志による懇親会も企画しているとのことで、 彼に施設に送ってもらうことになっていた。
出水駅に出迎えてくれ、10年振りの再会の握手を交わし、昼食を食べ、武家屋敷跡に建つ厚生施設に送ってもらう。静かなお屋敷が連なる 武家屋敷跡の一角に建つ施設は、当時、社宅として用いていた所を改修して厚生施設になったと。施設内を案内してもらい、ビアパーティーで 会うことを約束して別れる。 シャワーを浴び、余り歩いていないが、汗を流して、しばしくつろぐ。

武家屋敷跡の街並み

日本一の地蔵尊

ビアパーティーは18時からだが、17時に馴染みにしていた居酒屋・味処「魚松」で、昨夜のS君・T君と落ち合うことになっていたので、少し 早めに施設を出て、静かで落ち着いた武家屋敷跡の石垣の道を楽しむ。途中「日本一の地蔵尊」を確認し、シャッター街になりつつある商店街を 通り「薩摩街道」を反対に進み、出水駅方向に向かう。
10年振りに味処・「魚松」を訪れる。10年前に訪れた時、「魚松」で懇親会を開いてくれた場所だ。女将さん・娘さんで店を切り盛りし、 色々と思い出のある居酒屋だ。
在職中、台風の影響で出水の街が3日間、完全に停電した。その時、真っ暗な店の中で、蝋燭の火で温かい ご飯・味噌汁と名物のおでんを2日連続で、食べさせていただいた。印象に残る出来事だった。感謝だ。

四郎さんの遺影と乾杯

もう一つ、当時、一緒に仕事をしていた現場責任者の四郎さんとは、ここでもよく飲み語った。彼はここで夕食を食べるのを常としていて、 小生が帰阪してからも、その状態は変わらず、10年前に訪れた時も「魚松」で懇親会を開いてくれた訳だ。その彼が、病魔で倒れ、残念ながら 亡くなってしまったが、彼が座っていた部屋の棚の上には、彼の遺影が祀られ、最後に買ってきたタバコが封を切らずに置かれていることを 聞いていたので、出水に訪れた時は、四郎さんと一緒に乾杯したいと思っていた。
いつも飲んでいた座敷に座り、四郎さんの遺影とともに乾杯する。感謝するとともに、ご冥福を祈って乾杯!!
時間が来たので、ビアパーティーの会場に向かう。途中、急遽S君が帰宅しなければならないアクシテ゚ントがあったが、会場に到着すると懐かしい顔に 出会い、再会を祝し、握手・握手だ。
150名程参加しているそうだが、半分位しか顔見知りがいない。10年の年月を感じながら、昔の仲間と談笑する。屋上のバーベキューに火が点き、 肉を焼き出し、乾杯をし、食べ始めた途端、激しい雷雨に見舞われる。とても、座っている状態でなく、屋内に退避し、階下の宴会場に場所を 移し、再度、乾杯し、ビアパーティーが再開され、大いに懇談する。みんな元気で明るく当時の姿と変わりない。少し歳を取ったが!?
「魚松」に戻り、女将さんと話していると四郎さんの後任に当たるH君が来て、定年退職したM君も加わり、盛り上がる。H君が、明日の 懇親会に午前中に取った「鮎」を持って行き、塩焼きにしてくれると。
彼らにタクシーで宿舎まで送ってもらい、そのままぐっすりと眠ってしまう。
午前中は「薩摩街道」紀行を楽しみ、午後は昔の仲間と懇親を図れたこと、素晴らしい一日だった。


「新水俣~袋][袋~出水]「出水~高尾野]







    
広告 無料レンタルサーバー ブログ blog